File6-1「悲観」
「やはり、異世界へ転生するということは、サバイバルになるんですか?」
ピシッと糊のきいたスーツを着ている男性は、不安そうな顔でアラタに尋ねた。年齢は三十代前半と言ったところだろう。眼鏡をかけた真面目そうな男性だった。
「冒険を望む方も中にはいらっしゃいますが、平穏な生活を望まれる方もいらっしゃいます。ですので、必ずそうなるとは限りません」
アラタは男性を安心させるように答える。
「いや、だってよく漫画やアニメに出てくる連中はドラゴンとかと戦ったり、戦争に巻き込まれたりとか色々あるじゃないですか。あれって、労災とかおりるんですか? もしも職とか失ったときに生活を保障してくれたりとか、そういう制度みたいなものとかないんですか?」
「ろうさい……という言葉はよくわかりませんが、生活を保障されたり、福祉制度の充実した文明が発展している世界もあります。そういった世界へ送り届けることも可能ですよ」
アラタは表情を曇らせる男性に、微笑みかける。
「やはり、人間が主な種族として存在している世界をお望みですか?」
「……いいえ、人間世界も面倒なので」
男性の言葉に、アラタは眦を下げて首を傾げる。
「えっと……では、人間以外の種族が住む世界の方がよろしいですか?」
「いや、もうそうなると種族間戦争とか起きるだろうし、そうなると負けた国とか種族とかが奴隷にされちゃったりしますよね? 友人から聞いたことがあるのですが、異世界転生の王道と言えば、いきなり森やダンジョンから始まったり、無力な赤ん坊から生活が始まったり、挙句の果てには悪役から始まって命を狙われたり、陰湿ないじめを受けた挙句、仲間から見捨てられて独りぼっちで生きていかなければならなかったり……そうかと言って強い能力とか優れた技術とか持っていたら、それはそれで政とか戦争に引っ張りこまれてもう、穏やかな暮らしから遠ざかるじゃないですか」
沈んだ声音でとつとつと語る男性を前に、アラタは何と言葉をかけるべきか戸惑った。
今までアラタが担当してきた転生者たちは、第二の人生に比較的前向きで、能力や次の世界でやりたいことを延々と語っていた。そのため、目の前でこの世の終わりと言わんばかりに悲観的な様子の転生者を担当することは、アラタにとって初めての経験であった。
「あの、そこまで悲観的にならずとも……身を守る術を付与していただけるよう転生先の神さまにこちらからも働きかけますので、あなたが次の人生でやりたいことを教えていただければ……」
「やりたいこと? それは周囲が押し付けてきた錯覚のようなものです。どうせ生まれ変わったっても、人間には教育、勤労、納税の義務が発生するんですよ。自分がやりたいと思っていることも、仕事になればそれは『義務』だ。一生、何も考えずに、のんべんだらりと暮らしても人間はダメになって、無駄に刺激を求めて自滅への道をひた走るんです。ははは、死の道程まっしぐらですよ」
「……」
アラタは硬い笑顔で沈黙する。
どうしよう……この転生者、すごくやりづらい。
「あなたのご意見は承知いたしました。今日の面談はここまでにしまして、また後日にでもどうすればあなたが不利益を被らない結果になるかご提案をさせていただきますね」
アラタはそう言ってファイルを閉じ、いったん話を切り上げた。
待魂園を出ると、一気に疲労が押し寄せてくる。雑木林のトンネルをくぐり、アラタは重いため息をついた。
「アラタ!」
「アラタさーん!」
背後から名前を呼ばれ、アラタは足を止めて振り返る。駆け寄ってきたのはアラタ同様、ファイルを小脇に抱えたオギナとジツだった。
「お疲れ、オギナ、ジツ」
「アラタさんもお疲れさまです。あの……なんか、疲れていません?」
ジツがアラタの顔を見るなり、不思議そうに首を傾げた。
「また転生者と上手くいかなかった?」
オギナも苦笑を浮かべている。アラタは肩を落としてため息をついた。
「もう、それ以前の問題な気がする……」
アラタは中央塔へ戻る道すがら、ジツとオギナに新しく担当となった転生者とのやり取りを話して聞かせる。
境界域での一件からすでに一週間近くが経っていた。
その後の状況がどうなったか、アラタたちに音沙汰はなく、転生者の保護任務も異世界間防衛軍第一部隊の人事が完了したことを受けて他部署の管理官が補助する回数も激減した。
とはいえ、決して暇になるわけでもなく、今日も今日とて新しく担当となった転生者たちを新しい転生先へ送り出すべく、奮闘する日々が続いている。
「なぁんだ。そんなことでしたか」
アラタの話を聞き終えたジツが明るい声で言った。
「アラタさん、その転生者さんの反応は普通ですよ。元いた世界の記憶を所持している状態で、まったく違う世界へ転生するってこちらから話を切り出すと、たいていの人が不安になりますから。僕やオギナさんが担当した転生者さんの大半はそんな反応の人ばかりでしたよ?」
「そういうものなのか?」
「アラタの場合は、その普通じゃない経験の方が豊富だからね。戸惑うのも無理ないか」
きょとんっと目を瞬かせるアラタの横で、オギナもくすくす笑っている。
「異世界転生に対して悲観的な転生者の対応は僕やオギナさんが慣れてますから! 事務室に戻ったらその時の対応の仕方とかを記録した報告書、お見せしますね!」
「ああ、助かる」
アラタの笑顔を前に、ジツはどこか嬉しそうだ。装備部への応援に行く前はどこか不安そうだったが、前の部署で頼りにされたことが嬉しかったのだろう。異世界転生仲介課に戻ってきてからは、今まで以上に意欲的に仕事へ取り組んでいる。
「そう言えば、カイ管理官から連絡があったんだって?」
中央塔の玄関をくぐったところで、オギナが思い出したようにアラタに声をかけた。
「ああ、第一部隊の様子を聞くだけのつもりだったんだが……」
苦笑いしたアラタの様子に、オギナはその後のやり取りを察したらしい。
小さく微笑むと、静かに頷いていた。
「カイ管理官って、あの異世界シャルタで助けに来てくださった方ですよね? 第一部隊所属の……」
「そうだよ。ジツはサテナ管理官とカイ管理官とはほぼすれ違いだったね」
オギナの言葉に、ジツは何度も頷いた。
「そうなんですよ。だから鉄板焼きのお店の打ち上げとか、話を聞いていて、すごく僕も参加したかったです! お二人ばっかズルいですよー」
ジツが不満そうに唇を尖らせた。
「すまんすまん。今度、二人と会うときはジツも一緒に行こう」
アラタが苦笑を浮かべてジツをなだめる。
「本当ですか! 嬉しいです!」
「とはいえ、しばらくは難しいだろうね。第一部隊の人事が完了して、今は遺棄された転生者の保護任務と並行して演習をしているって聞いたよ」
まだ第一部隊の魔王出現領域への派兵を行うには早い、とヒューズが慎重な判断を下したとはいえ、外界の世界情勢は常に変化を続けている。防衛部部長のラセツが第一部隊の派兵を視野に準備を進めているという噂もあった。
「境界域でのこともありますしね……そのアルファって男の動向も気になるところです」
ジツは暗い顔で呟く。己が不在の間、アラタやオギナがかかわった調査任務の内容について話を聞いて、不安に感じているようだ。
「どのみち、上層部がどう判断を下すか、それによって俺たちの行動も変わってくる。正直、もどかしいが、今は待つしかない」
「そうだね。ひとまず、今は転生の仲介業務を片付けてしまおう」
アラタは軽く肩をすくめ、オギナも同意する。三人はその話題をいったん打ち切ると、異世界転生仲介課の事務室の扉をくぐった。
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