File1-0「任命式」
おろしたての制服に袖を通す。詰襟をしっかりと正し、襟元には管理官の紋章である「交差する道と翼」をつけた。膝下まである裾にシワが寄っていないか、全身鏡に映して入念にチェックする。
少しベルトを締めすぎたかな。
シワが寄った腰回りを少し緩める。ブーツの留め金も問題ない。
「……よし」
サイズも問題ないようだ。
全身鏡に向き直る。
緊張気味の自分の顔が鏡に映っていた。
短く切った黒髪に、やや垂れ下がった目じり。
冴えない自分の顔だ。
これから臨む任命式のためか。顔の筋肉が強ばって、唇が歪な形をしている。
喝を入れるために両手で頬を叩いた。
「気後れするな、アラタ。お前はもう、管理官になったんだ」
部屋の扉をノックする音が耳に届く。
「はい?」
「アラタ、準備できた? そろそろ出ないと任命式、始まるよ」
隣室のオギナが顔を覗かせた。
淡いはちみつ色の髪に、海のような青い瞳が特徴の柔和な青年だ。
同じ制服を着ているはずなのに、彼が纏うと絵になるから不思議だ。
「悪い、今行く」
遅刻しては元も子もない。
部屋の鍵と任命式の案内などを手に部屋を出る。
二人並んで寮を出た。
真新しい制服に身を包んだ管理官たちが通りを行く姿が目についた。
「養成学校の入学式を思い出すね」
傍らでオギナが表情を綻ばせた。
中央通りから北を振り返ると、立派な門扉がどっしりと居座っている。門扉の左右には、背に翼を生やした使徒の立像が控えていた。
制服を着た管理官たちは、その開かれた門の内側へと吸い込まれていった。
「俺たちも急ごう。広い敷地だからのんびり歩いていたら遅刻する」
「ああ」
オギナが促し、アラタは管理官の寮区画から中央通りを小走りで北へと進む。
異世界間仲介管理院の門扉をくぐると、石畳の歩道が中央塔に向けて真っ直ぐ伸びていた。
「えっと、大講堂は……こっちみたいだよ」
周囲を見回していたオギナが、虚空に映し出された案内表示を見つけて脇道に反れる。中央塔から伸びる尖塔の一つ、その入り口に人が列をなしていた。
アラタとオギナも歩調を緩め、最後尾に加わる。
「結構、ギリギリになっちゃったね」
「悪い。俺が支度に手間取ったから……」
「アラタのせいじゃないよ。それに、今回は合格者が過去最多だったって話だから」
オギナが苦笑する横で、アラタは連なる人々の頭をぼんやりと眺めた。そのまま、視線を上げて空を仰ぎ見る。
晴れ渡った青い空には、幾万、幾億の光の筋が様々な方向に伸びていた。
太陽の存在しないこの世界では、空を覆う「道」が光だった。
波打つ黄金の光が、まるで朝焼けの海のようだ。
その光の道を、今日もどれだけの人々が行き来しているのだろうか。
「同じ部署に配属されるといいね」
不意に、オギナがこちらへ笑いかけてきた。
アラタは意識を空から傍らの友人に向ける。
「だな……あぁ、緊張する」
オギナに返事をしつつ、胸に手を当てたまま深呼吸を繰り返した。
どこの部署に配属されるだろうか。
同期は誰で、何人いるだろうか。
指導教官は怖くないといい。
考え出すと、すぐに寮の自室を出る前の緊張がぶり返してきた。
任命式前から、漠然と広がる期待と不安は尽きない。
「大げさだなぁ。別に俺たちは壇上挨拶しないでしょ。何を緊張するの?」
オギナはいつも通りだった。
その余裕を分けてほしい。
「格式ばった行事って苦手なんだよ」
「アラタってそんな繊細だったっけ? 俺は祝辞の辺りで寝ないか不安だよ」
ははは、とオギナは軽く笑った。
そんな彼につられて笑うと、肩に入った無駄な力が抜ける。
大講堂の入り口にようやくたどり着くと、受付で分厚い冊子の束を渡された。
席についたところで資料を確認する。
新人用の研修マニュアルと業務マニュアルのようだ。分厚い二冊の冊子に、配属先のリストが一枚添えられている。
「おっ、アラタ、朗報だよ。俺たち同じ部署だ」
「えっ、本当か? どこの部署だった?」
即座に配属先リストをチェックしていたオギナの顔が笑う。
見ようによっては、相手をからかうようなそれだ。
嫌な予感がした。
「異世界転生部の、異世界転生仲介課だ」
嫌な予感は的中した。
アラタは思わず息を呑む。
「待った。見間違いじゃないよな? 激務部署トップ三の一つだぞ!?」
「あははっ。俺たちの前途、いきなりの幸先悪さだなぁ」
オギナは今世紀最大の冗談だと言わんばかりに笑っていた。
笑えるだけ、彼の神経は図太いと常々思う。
そこへ耳にキィンッと鋭い音が届いた。
顔を上げれば、壇上に登った管理官がマイクの調整を行っていた。
「静粛に。これより任命式を執り行います。その開始に先立ちまして、配布資料の確認を行います。資料に不備があった者は速やかに受付で新しいものを受け取ってください」
手元の資料の確認が終わると、新人管理官たちは一斉に起立する。
左腕を腰の後ろに添え、右手を心臓の上にあてた。
任命式の冒頭は開会の辞を読み上げることから始まる。そこから新人管理官たちの中で最も成績の良かった首席管理官の挨拶と宣誓が行われ、次いで各方面から届いた祝辞が述べられた。
「続きまして、異世界間仲介管理院院長のマコトより、皆さまへ祝辞を述べさせていただきます」
そう言って身を引いた管理官と入れ替わるように、礼服を纏った男性が壇上に上がった。
真っ白な法衣に身を包み、撫でつけた金髪が窓から差し込む光を受けて輝く。
目元がきりりと鋭い、威厳ある男性だった。
「あの院長、現場から成り上がった敏腕管理官だって話だよ」
オギナが隣から囁いてくる。
現場からの叩き上げということは、かなりの実力者なのだろう。
尊敬の眼差しで院長を見つめる。彼は静かな声で話し始めた。
「まずは諸君らに祝意を表したい。ここにいる皆は管理官の難解な試験を見事通過し、この世界の秩序を守る我らの同志となった。そのことをまず、この場に集う皆と喜びを分かち合いたい」
厳かな声音が、びりびりと空気を震わせる。
声を荒げているわけではない。
それでも、全身に鳥肌が立つほどの震えを感じた。
それが畏怖の感情か、高揚感によるものなのか。どちらにせよ、先ほどまでややざわついていた会場がしんっと静まり返っていた。
「しかし、これはほんの始まりに過ぎない。諸君らがこれより業務に携わる中で、管理官試験以上に難解な問題がいくつも立ちはだかることだろう。その時こそ、諸君らの本当の力が試される。皆、気を引き締めて業務に従事してもらいたい」
院長はそこで懐から折り畳まれた祝辞紙を取り出して広げる。
「では、我ら異世界間仲介管理院全職員より、同志となった諸君らに管理官の心得を読み上げる。困難な状況に陥った時こそ、この言葉を思い起こすように――」
一つ、人生を重んじよ。
一つ、想いを重んじよ。
一つ、立場を重んじよ。
朗々とした声が、読み上げる。
読み上げられた言葉が、耳を通して体に染み渡っていく。
誰もが息を呑んで、院長の声を……いや、彼が読み上げる心得を胸に刻んでいた。
「ようこそ、管理官の世界へ。諸君らのますますの活躍を祈っている」
院長の声が、アラタたち新人管理官を激励とともに迎え入れた瞬間だった。
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