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サクリファイス

ヴーヴー


「え~①の式をこっちの②の式に代入してyを求めてーーー」


生え際がやや怪しくなりつつある数学教師の説明を右から左へと聞き流していると制服のズボンのポケットに入った何かがが振動を伝えてくる。教師が黒板の方を向いているのを確認してその隙にそれを取り出した。


『本日17:30 ポイントA』


メーカー名も表記されていない、電源のオンオフ以外のボタンを持たない真っ黒な端末にはタイトルも送り主名も書かれていない短いメッセージが表示されていた。


「…………」


仕事、か……。じんわりと心の中に嫌な感情がにじみだすのを無理やり押さえつけるように再びポケットに端末を押し込む。


「それじゃあ今日はここまでだ。2年生になったばかりだからと油断しないでちゃんと復習しとけよ~。中間や入試の時に困るのは自分たちだからな」


鐘の音が鳴り響くと同時にチョークを置いた教師は最後にありふれた忠告をして教室を出ていった。


「うっし悠斗帰ろうぜ。今日こそ焼肉だ!なんだったらあの二人も」

「いや、悪い。今日は用事が入って行けそうにない」

「ありゃりゃ。例のお仕事?えっと、なにやってんだっけ?」

「清掃業だよ。叔父が個人経営でやってる小さいとこだけどな」

「そうそう。ってかまだ学生なのに働かせるってどうなんでしょうって俺は思うんだが」

「別に平気だよ。行く当てもない俺を引き取ってくれたんだ、それくらいの恩返しはするさ」

「ふ~ん。ま、お前が良いならそれでいいさ。でも、焼肉は別の日に絶対に行くからな!」

「わかってる。俺もあの時の恩はきっちり返してもらうつもりだからな。じゃあ、俺は急ぐから先帰るな」

「おす、じゃあな」


最低限の荷物しか入っていない軽いカバンをひっつかんで俺は教室を出た。



………………………………………………………



……………………………………



…………………



17:30。


 指定された場所で待っていた俺の前に一分の誤差もなく『山田クリーン』と書かれた白塗りのバンが止まる。後ろのトランクに乱雑に積まれたモップなどは異様にこぎれいだった。


「これが今回の仕事の資料です」


 バンに乗り込んだ俺にかけられた言葉は挨拶でもなんでもなく一切の無駄を排した機械的なそれと束になった数枚の紙。


 俺が高校生になってから『仕事』の送迎はいつもこの人だが、一年以上の付き合いになるこの人について俺はほとんど知らない。知っているのは男であることと、見た目から推定される年齢は4,50歳であること。それ以外のことは何も、名前すらも知らないし、聞きもしない。

 送る者と送られる者。ただそれだけの関係。


標的(ターゲット)山中真一(やまなかしんいち)。年齢は55。職業は裁判官。先日あなたが処刑した兵藤賢二とは学生時代の先輩後輩の間柄でした」

「ああ、例の。しかし急すぎませんか?いつもなら2、3日前には知らせが来るというのに……」


 今日みたいに当日の数時間前になって連絡をよこすというのは全くないわけではないが珍しい。


「先ほど執行者が例の町長を処刑したのですが、それを受けて件の男は身の安全を確保できるまで国外に逃亡を企てており今晩の最終便で日本を発つつもりのようです。ですのでこのような事態になってしまいました。詳細はその資料に書いてありますが一部道路を通行止めにすることで標的の乗った車を誘導します。あなたにはそこを狙撃してもらいます。もし失敗した場合は逃亡先(むこう)で処理する予定ではありますが万が一偽の情報をつかまされていたら少々面倒なことになるので日本にいるうちに始末しておくことになりました」

「わかりました。まあ夜とはいえ都会なら明かるいでしょうし今日は風もほとんどありません。多分問題ないかと」

「ここからは少し時間がかかります。寝ておきますか?」

「……じゃあお言葉に甘えて」


 促され、俺は目を閉じる。完全な暗闇の中、わずかばかりのエンジン音と昼間の早乙女の言葉が反響していた。



『みんなが笑って暮らせるようにするために誰かがやらなきゃいけない殺人(それ)をやるーーー犠牲者、さ』



………………………………………………………



……………………………………



…………………


『サクリファイス』という組織がある。


 組織の始まりは今から数百年以上も前にさかのぼる。まだ中世ヨーロッパ時代に圧政を強いられていた民衆の一部が有志で集まり、権力を使い人々を虐げていた領主を殺害したのが始まりだった。

 それから長い年月をかけ成長し続けたサクリファイスは、今や裏の世界では知らない者などいないかつて類をみない規模の組織となった。


 そんなサクリファイスの目的は誕生の時から変わらないーーー『皆が笑って暮らせる理想の社会をつくること』。ただそれのみ。そしてそんな理想郷を築くために、他者(ひと)の幸せを踏みにじり笑顔を奪っていながらも、その権力で法の裁きを逃れた犯罪者や悔いることも改めることもしない犯罪者を殺害という形で裁いていく。


 それが今世間で話題となっている『死神』の正体。より正確に言えばサクリファイスの中でも直接暗殺を行う『執行者』と呼ばれる者たち。


 そして俺もまたそんな執行者の一人。


 サクリファイスは理想郷を築くために世界中ありとあらゆる地に拠点を置き、政界や財界などといった様々な権にその長い手を伸ばしている。この『山田クリーン』もそんな組織の手による偽装の一つである。後ろに積まれている掃除用具が実際に使われたことは一度もない。

 俺が握るのは掃除機やモップではなく銃やナイフ。なくすのは汚れや染みではなく人々を不幸にする悪人たち。


 世間は俺たちのような存在を叩くだろう。


『どんな犯罪者にだって人権がある!』


『きちんと法の下で裁くのが法治国家のあるべき姿だ!』


 人々はきっとそう言うだろう。

 確かにそうあるべきだろう。俺たちだって人を殺すのが好きなわけではない。例え罪を犯してしまったとしても、悔い改め二度と同じ過ちを繰り返さなければ組織だってわざわざ殺しはしない。そんなことをしても失われた笑顔は戻ってこないのだから。

 でも現実はそうではない。今日明日で裁くことができない以上、更生させることができない以上、誰かが彼らを止めなければいけない。人権だ法治国家だと呑気なことを言っている間にも一つ、また一つと守るべき笑顔が失われていく。沢山の人が不幸になってしまう。


 だからこそ、サクリファイスが必要なんだ。人々の笑顔のためにその手を血に染める、誰かがやらなきゃいけない殺人(それ)をやる犠牲者たちが。



『標的が指定ポイントを通過する』

『了解』


 スコープを覗き込む。一台の黒塗りの高級車が走っているのが見えた。その後部座席には先ほど資料で見た男がいる。自分がしていることに何の罪悪感も感じていない。救いようのない屑。俺と同種の存在。だからこそ俺が裁かなければいけない存在がいる。


 だから俺はーーー今日もこうして人を殺す。

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