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王子様(代理)にお願い!  作者: ヤブイヌ
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破滅の王子

 ドラゴンの巣から無事――かどうかは微妙だが――帰還したあと、翌日からきっかり三日間、俺は風邪でダウンした。


 でもなぜかカントとミルは元気でさ。


 やっぱ、子供は風邪の子だねぇ……あれ、風の子だっけか?


 とにかく、お見舞いと称してはカノンちゃんの必死の制止を振切り、毎日のようにベットの上で飛び跳ねてくれちゃって――。


 おかげで俺は、熱で朦朧とした意識の中、百人の子供とマイムマイムを踊り続けるという身の毛もよだつ悪夢にうなされてしまった。


 ふぅ、今思い出してもめちゃめちゃ怖ぇー夢だぜ……。


 ともあれ、カノンちゃんの暖かい介護により、なんとか復活を果たした俺は本日、さっそく『きつね狩り』などというヒジョーに王子様らしい王宮行事に強制参加させられている。


 なんつーか……体力いるよね、王子様ってさ。


「なぁ、キサ――」


 従兄弟のキサとともに、すばしっこいキツネを追いかけて森中を駆け回っていた俺は、改めてその相方に呼びかける。


「……」


 しばらく待ったが返事がない。


 そう――この天下無敵のお子様王子は、ただ今、すこぶる機嫌が悪いのだ。


(……ったく。子供のお守りは前回だけにしてくれよー)


 仕方ないんで、俺は一人で言葉を続ける。


「ここ、どこなんだろうな?」


 気がつくと、まわりにいたライバルチームの姿もなく、深くて暗い森の中だった。


 奥に進むにつれ木々はうっそうと生い茂り、馬での移動は難しくなってきた。


 仕方なく俺もキサも馬上から降りて、その道を歩くことにする。


 そうなのだ――俺達、王子様コンビは、正真正銘、たった今。


 迷子になったばっかりなのだった。


「とりあえず」


 やっと、キサが重い口を開いた。


 そして、腰の長剣をゆっくりと引き抜く。


「ん?」


 と何気なく顔を向けた俺に、キサはいきなり剣を振りかざした――!


「お前は死ね!」


「わ! な、なにすんだよ!」


 俺は自分の顔面近くで、とっさに両手で受け止める。いわゆる真剣白刃取りってやつだ。


「あぶないだろーがっ、馬鹿!」

 

 な、なんだよコイツはっ? 相変わらず、物騒なヤツ。


「バカじゃなーいっ! お前がこっちに行こうって行ったから俺はついてったんだぞっ! どーセキニンを取るんだ、どう!」


 怒りで真っ赤に染まる童顔のキサは、いっちゃなんだが、普通にしているときよりも何故かとても可愛い。


 もう十七にもなろうとするのに、いまだ王宮の女官達に「キサ王子ってカワイイー」と言われ続けているのも分かる気がするよ。


 もちろんそんなことを言ったが最後、八つ裂きにされるので黙っておくのだが――。


 代わりに俺は、


「どうって……」


 俺のせいかよっ? という目でキサを見る。


「お前以外に誰がいるんだよっ、シセのバカ!」


「あのなぁー」


 馬に吊り下げられた袋から、ちょこんと顔を出して耳を立てている子キツネの頭を撫ででやりながら、俺はあきれて言った。


「この小さなキツネがいいって言ったのはキサだろ? それも生け捕りにして飼うなんて言うから、俺は苦労してだなぁ!」


「迷子になれなんていってなーいっ」


 はっ、これだよ? 王子様はわがままで困るよなー。いや、俺も一応、王子なんだけど。


「とにかく、ここを真っ直ぐに歩いて大きな道を探そう。そうすれば見覚えのある風景になるかもしれないし」


「ヤだ! もう歩けないっ!」


 キサが突然座り込んだ。こ、こいつはぁーっ!

 

「さっきまで元気に歩いていただろーがっ!」


「急に疲れたんだよっ。どうセキニンとってくれるんだよっ!」


 思わず声を上げた俺の、三倍ぐらいでかい声が、間髪入れずに返ってくる。


 ダメだ……口でこいつに勝てるわけないんだよな。


「じゃあ、休もう。きっとそのうち、グランシスあたりが見つけてくれるよ」


 俺はそう言うと、あきらめてキサの横にドカッと座る。


「すぐ人に頼るなよなっ! 俺はシセのそういうところが大嫌いなんだっ!」


「……」


 ちょっと。


 今のセリフ聞いた?

 

 こいつ。言ってることがむちゃくちゃじゃねぇかよ。


 まったく、ちょっとかわいい顔してるからって、みんなが甘やかすからこういう子供が育っちゃうんだよ? 親の顔が見たいねっ。


(いや、待てよ……俺のオヤジで、俺が判断されても困るか……)


 思わず口に手を当てて考え込む。変な親を持つと子供が苦労するのだ。


 そのときだった。


「……!」


 強い視線。


 俺たちは、同時にその草むらに視線を投げていた。


 敵意というより、もっと強烈な……関心?


ガザリと動く大きな影――動物……違う、人だ。


 敵か味方かもわからないのに、俺の感覚は確かに警告し続けている。


無意識に長剣に手を伸ばしていた。


(……何だ?) 


この嫌な感じ――胸が緊張で締めつけられるような。


「隠れてないで出て来いっ!」


 威勢良く、隣でキサが叫ぶ。


 おいおい、勝手に先走んなよ? スッゲー強い敵だったらどうすんのよ、まったく。


 だが俺が止めるよりも早く、目の前に奴等は現れた。


「……?」


 総勢十数名――彼らはみな、闇を凝縮したような背の低い人々だった。俺が闇をイメージしたのは、彼らがみな漆黒のマントをすっぽりと被っているからだ。


 ありがたいことに、凶暴な感じはしない。ただ――なんていうか、ヤな感じはした。


「ブラッジアの一族……なんでこんな近くまで」


 緊張した横顔で、キサが呆然とつぶやく。


「ブラッ?」 


 毎度のことながら、俺には全然わからない。


「……すべてを破壊し、無に戻す一族」


 キサは視線を彼らに向けたまま説明してくれる。破壊? 無に……返す?


 なんだかわからんが、ものすごく悪い奴らだ。この俺が退治してやるぜ!


 だが、そんな俺とは対照的に、キサは注意深く後ずさりしながら、


「シセ、気をつけろ……こいつらに触ると消されるぞ」


 と忠告してくれる。……へ?


「け、消されるって?」


「文字通り、この世界からいなくなるってことだ。おかしいな……ブラッジアの一族は『世界の果ての地』から出られないはずなのに」 


 き、気持ち悪ぃー! 途端に威勢をなくした俺は、キサにぴったりと体をつけて様子をうかがう。そうなのだ。


 このわがまま王子キサは、こう見えても剣術の腕も良い。


 俺の可憐な大活躍の連続で、もうとっくに忘れちまってるとは思うけど、かつては俺を一撃でノシたこともあるし。そのうえ、この謎の黒集団にたいする知識もあるみたいだし。


 とりあえず、今の俺にはとても頼りになる存在には違いない。


(あー、キサがいて良かったぜ……こうなったら全面的に頼ろうっと)


 そう思いながら何気なくキサを見たら、真っ赤な顔をしてうつむいている。


 しまった……また怒らせたか?


「ご、ごめんっ。別にキサを全面的に頼ろうとかぞんなんじゃ、ないぜ? なっ?」


「ばかっ! こら、それ以上近寄るなってば」


 キサが慌てて体を離す。その動きが読めなかった俺は、大きくバランスを崩して。


「わわわ!」


 二人して無様にもこけてしまった……。


 そのとき、黒い影が動いた。俺たちを覗き込むように身を乗り出してくる。


 わわ、ヤバイ! 俺たち消されちゃうっ!!


 俺は思わず目をつぶる。


 ――ところが。


「我ら、破滅の王子に……永久の忠誠を」


 耳を疑うような言葉に。


 俺は驚いて目を開ける。


 そこには、俺に向かって深々と首を垂れるブラッジアの一族がいた。


(何だ? どういうことだ?)


 胸が高鳴る。俺の頭の中には、嫌でも神殿でのレノマールの言葉がよぎった。


 無言のままの俺たちに、ブラッジアの一族はかすかに戸惑いを見せる。


 ざわざわと、不協和音に近いささやき声があたりに広がっていく。


 そして、その中の一人が低くつぶやく。


「時は満ちたもうた……王子」


 どうか一刻も早い覚醒を、と声を上げる。


「一刻も早い覚醒を――!」


 闇の一族は一斉に声を合わせた。


 はっきりいって、かなり気持ち悪い……。


 どう答えていいか、検討もつかないまま固まってしまう俺。


 だが言うだけ言って安心したのか、ブラッジア一族は次々と姿を消していく。


「あ、おい、待てよっ!」


 なにかがはじけたように、俺の思考が動き出す。


 そうだ。レノマールの言った言葉が本当なら、今、やつらが言った「破滅の王子」は俺かもしれないんだ。そんなわけないと願いつつ、とにかくもっとよく話を聞かないと!


 だが――。


 そんな俺を止めるように肩に手が置かれる。


 振り返ると、緊張気味のキサの童顔があった。


 いいか、とキサは口を開く。


「このことは――誰にも言うな」


 厳しい顔のまま短くそれだけ言うと、今度こそキサは、俺が何を聞いても返事をしなくなってしまったのだった。




 その後なんとかお城に帰った俺は――迷子の俺達を、やっぱりグランシスが見つけてくれた……ホント、毎度お世話になります――自分の部屋で考え込んでいる。


 少しでも落ち着くようにと、カノンちゃんが淹れてくれたおいしい紅茶も、半分以上残したまま、気がつくと冷たくなってしまっていて……ごめんね、カノンちゃん。


「やっぱり神殿のレノマールのこと、グランシスに言わなきゃ、だよな……」


 ベットに仰向けになって、俺は一人つぶやく。


 そうなのだ。友達としてレノマールの死を、あんなに悲しんでいたグランシスを思うと、本当は一刻も早く話したかった。


 レノマールは生きているって。


 ううん、グランシスだけじゃない。ファイアルトにもカノンちゃんにも――でも。


 結局、俺は言えなかった。風邪で寝こんでいるのを良いことに、その告白から逃げてたんだ。レノマールとの再会も夢か幻ならいいなって……。


 そりゃ、レノマールが生きてたってことは嬉しい。本当に、嬉しいよ。


 ――でも。


 レノマールは世界の崩壊が始まるって言ったんだ。そして。


 そして本物の王子なんて本当は最初からいなくて、俺が唯一の王子だなんて。


 唯一だけど俺は偽者に違いなく、そのことがこの王国を滅ぼすなんて。


(そんなこと……急に信じられるかよ……)


 でも今日のきつね狩りで出会ったブラッジア一族の言葉が、俺を心底怯えさせた。


 かれらの言っていることは、レノマールの発言と奇妙に一致する。


 もう、俺の頭の中だけで“幻覚”だの“夢”だの言っている場合ではないのかもしれない。


(キサには悪いけど……俺、一人で抱え込むにはちょっとヘヴィ過ぎるよな……)


 ふいにスマホが鳴った。

 俺から掛けたことは何度かあったけど、携帯が鳴るなんてことは、この世界に来てから初めてのことだ。


 なもんで、事態を把握するまでにワンテンポ遅れる。


 混乱した頭のまま、液晶画面を見るとオヤジからだった。


「元気か、志誠……いや」


 変に落ち着いたオヤジの声。そして少しの間を置いて――。


「破滅の王子、と呼ぶべきか」


「なっ!」


 なんでそのことを? あまりの驚きに、俺はすぐに答えることができない。


 なんだよ、オヤジまで!


「どうなってんだよ? 最近、謎だらけでわけわかんねぇよ。知ってんだろ、オヤジは? そろそろちゃんと教えろよ。レノマールは本当に生きているんだなっ?」


 俺の機関銃のような質問攻撃に、だがオヤジは怯むことなくマイペースで答える。


「教えろっていわれてもなぁ。レノマール氏がお前に伝えた、そのままだ。この世界が滅びつつあって、お前はその原因であり、唯一の救世主でもある。それだけ。ありのままを受け入れろ」


「だーかーらー! なんでそうなるわけっ?」


 それを説明するのは非常に厳しい、とオヤジにしては珍しく硬い口調で言った。


「……何か、事情でも……?」


 ちょっと緊張しながら、俺は聞き返す。


「何故なら」


「なぜならっ?」


「……面倒くさいから。てへ」


 ブチッ! これは俺の中で何かが切れた音だ。


「いいかっ! バカおやじぃぃっ! 貴様のせいでこの俺は、すでにとんでもなく面倒くさいことになってんだよっっ!」


「ああ? ちょっ……と電波の調子、ガッ、悪い、な……」


「もしもし? オヤジッ!」


「う・そ・だ・ぴょーん! ビビッた? ね、ビビッた?」


 俺は絶望的に長いため息をついた。


 だめだ。オヤジは反省という言葉を知らずに中年になった、恐るべきワル乗りピーターパン男――ちなみに、これはおフクロが付けたネーミング――なのだ。


 怒ったところでこっちがツライ思いをするだけだ。


 できるだけ冷静になって、聞きたいことだけを聞いてしまおう。


「……いいか、オヤジ」


 大きく息をつくと、俺はオヤジに向かってゆっくりと続ける。


「百歩譲って、俺が王子代理を強引に押し付けられたということは許そう」


 ささやかな抵抗として、“代理”と“強引”という二箇所に、強いアクセントをつけておく。


「で、さらに百歩譲って、レノマールが殺されたっていうのはまったくの作り話で、二人して俺を騙そうとしていたとしても、それも許す」


「騙すって、お前ぇ……人聞きの悪い。レノマール氏は一度、ちゃんと死んだよ」


「黙れ。お前は誰が見ても、息子を誘拐した上、わけのわからん国に売り渡した悪いオヤジだ」


「はーい、悪い父ちゃんでしゅ」


「気持ちの悪い赤ちゃん言葉はやめろっ!」


 思わず鳥肌立っちまったぜ――と、いかん!

 

 オヤジのペースに巻き込まれたら終わりだ。俺は話を元に戻す。


「さらに……いいか? これで三百歩めだぞ。あと百歩譲って、俺が本物の王子だと仮定して、だ」


 そこで、一旦、言葉を切る。いいぞ、これでやっと本当に聞きたいことまでたどり着ける。少しためらって、でもはっきりと俺は言葉を続けた。


「俺は何をしたらいい? どうしたらこの世界を崩壊から救えるんだ?」


 今度はオヤジが沈黙する番だった。


「志誠は本当に――クラリエンジ・アナーシャ王国を救いたいんだな」


 以外にも、しっかりとした声が返ってくる。


 その答えはイエスだ。間違いない。俺はこの王国を、そこに生きる人々を救いたい。


「神の声を聞け……父ちゃんに言えるのはそれだけだ。だが、この世界の創造神であるシード神ですら、王国の消滅は止められないのだ。創造神でも叶うことのない願いの――お前は最後の光なんだよ」


「……悪いけど、何言ってるかさっぱりわからねぇよ。具体的に何したらいいわけ?」


「お前がやりたいようにやるしかない」


「何だよそれ?」


 もういい加減にしてくれよ。俺はかなり本格的にヘコんだ。


「心配するな、志誠。お前が強く望む限り、その望みは必ず叶う。だから絶対あきらめるな。わかったな?」


 でも、と言い返す前に、俺たちの会話は途切れた。どちらかが切ったんじゃない。


 それは、ホントに突然のことで。


 俺の部屋のドアが乱暴に開けられた。ドッとなだれ込むように、護衛兵達が入ってくる。


 あわててスマホを隠そうとするが間に合わなくてさ。


 な、なんだ? 何なんだ、一体?


「シセ王子……」


 その兵士達を押しのけて、ファイアルトが入ってくる。隣にはグランシスもいた。


 だがファイアルトは俺の名を呼んだっきり――まるでそれが限界だとでもいうように――唇を噛んでうつむいた。


 かわりにグランシスが重い口を開く。


「王子を――罪人として牢に幽閉しなければなりません」


「……え?」


「王子と偽り、ブラッジア族を呼寄せ、我々を破滅へと導いた罪人として」


 透けるような白く美しい顔を青白く沈ませながら、グランシスは静かに言った。




「偽者を処刑せよ。この国を混乱に落としいれ、破壊の民を招きいれた罪は重い」


 国王の重々しい発令は、王国中に響き渡った。


 ――のだと思う、きっと。実際は牢屋の中なんで、状況は噂でしか伝わらないんだけど。


(あーあ、ここにきて随分ひどい目に遭ってきたけど……)


 今回がダントツ一位で最悪だな。


 牢屋がつらいんじゃない。


 さすが王宮だけあって、牢屋もカントやミルと脱出した竜の民の牢屋よりも、数段つくりがいい。 一応まだ王子様扱いなのか、最大限の配慮はしてくれててさ。


 本当につらいのは――。


 ファイアルトやグランシス達のことだ。


(やっぱり俺は……裏切ったんだよな、あいつらを)


 俺の顔を見て、名を呼ぶことしかできなかったファイアルト。感情を殺したまま、俺に罪を告げなければならなかったグランシス。


 重たい気持ちを抱えたまま、俺は大きなため息をつく。


(俺のこと、本物の王子として信用してくれてたのに。それなのに、俺は……)


 四角く切り取られた小さな窓からは、半欠けの月が見えてさ。その月を見ながら、俺は二人に謝りたい気持ちで一杯になっていた。


 できればもう一度、ちゃんと会って話したいけど……無理だろうなぁ。


 それに会ったとしても、二人になんて言っていいか――俺だってわからない。


 元の世界には戻れない。ここにいても破滅の原因。


「まったく……何をどうしろって言うんだよ」


 途方に暮れまくりで、俺は仰向けに寝っ転がる。


 今の俺に出来ることなど、何一つありはしなかった。


 ところが、である。


 諦めていた俺の元へグランシス達がやって来たのは、深夜も近いころだった。


「シセ王子」


 馴染みのあるキレイな声。俺は顔を上げる。隣にはファイアルトもいた。


「大丈夫か? 命令とはいえ、手荒な真似して悪かったな」


「無礼をお許しください……でもこうでもしないと国民が納得せず、またあなたをブラッジアの一族から守れなかった」


「……守る?」


 グランシスが静かにうなずく。


「彼らはあなたを破滅の王子と呼び、探し回っています。一体、この国で何が起きているのか――今、必死で調べているのですが……王子の誤解が解けるように全力を尽くしますので、どうかもうしばらくも辛抱を」


「グランシス、それにファイアルト」


 耐え切れず俺は、二人の名を呼んだ。もういい。もういいよ。


 これ以上大切な人達を裏切り続けるのは――無理だ。


「俺は……シセ王子じゃない」


 長い――俺にとっては永遠とも感じる――沈黙があって。


「なに言ってんだよ、お前は?」


 かすれた声でファイアルトが言った。赤い髪に燃えるような瞳。


「弱気になるな。今、必死でお前のために頑張ってるんだぜ? 当の本人がそんなんじゃ」


「ごめん……本当なんだ。本当に俺、シセ王子じゃない。事情があって代理を任されることになって――ほんの少しの間だって思ってたから」


 一旦、話し出したら自分でも驚くほどスラスラと言葉が出る。


 しかし、二人はどんな顔で俺の告白を聞いているだろう。怖くて見れなかった。


「だから偽者っていうのは本当で。ブラッジアの言うとおり、俺が世界を滅ぼすのかもしれない。俺が、俺がさ」


「もういいです」


 グランシスの静かな声が響いて、俺は思わず顔を上げた。


 その吸い込まれそうなサファイアの瞳、透き通る白い肌。


 そのすべてが今、深い悲しみで彩られていて――グランシスのそんな不安そうな表情は、初めて見た。


「では……あなたは一体、誰だというのですか」


 その問いに、俺は答えることができなかった。


 本当に――答えることが、出来なかったんだ。


 俺は桐田志誠で、日本から来た平凡よりちょっと劣るぐらいの冴えない高校生で。


 それだけだったら、すぐにでも告白したい。でも。


 事態は、単に俺がこの世界と別次元の人間だという話ではなくなってきている。


 偽者にも関わらず、役割があるのだ。世界を救う? それとも滅ぼす?


「レノマールが……」


 思わず口をついで出た。その人の名に、二人は敏感に反応する。


「レノマール?」


 そっか。色々あって、一番大切なことを伝えるのを忘れてたよ。


「レノマールは生きているよ、きっと。俺、あの神殿で確かに会ったんだ。それだけは二人に伝えたかったのに」


 俺の言葉に、二人は驚いて顔を合わせている。ホント馬鹿だよなぁ、俺。


 二人にとって――特に親友であったグランシスにとって――このニュースを誰よりも早く伝えなければいけなかったのに。


 俺の勝手な都合と甘えた逃げで、結局こんなことになっちまってさ。


「王子……僕にも言えなかったことがあります」


 だが、喜ぶとばかり思っていたグランシスの態度は、俺の予想とは違っていた。


「あれから僕は、ずっと刺客の依頼人を探してきました」


 し、刺客の依頼人? なんだっけな?


 すぐにはピンとこない俺に、ファイアルトがやれやれと説明してくれる。


「最初にみんなで盗賊退治したろ? あのときお前が始末した刺客の雇い主さ。もう忘れたのかよ?」


 王子らしいけど、と安心したように笑う。


 ああ、あのときの! きれいさっぱり、忘れ果てていたぜ……。


 俺の大ボケのおかげで、いままで張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。


 でも、グランシスはすぐに表情を引き締めて、話を続ける。


「そう、王子を襲ったガルーナ盗賊団のアサシンの雇い主――その以来の出所を辿っていくと、グラッジアの民の指導者に行き着いたのです。そこまではある程度予想どおりだった。グラッジアは破壊の一族。この王国の滅亡を願うやつらなら、王子暗殺も納得できる……ですが。その指導者の名前を聞いて、僕たちは言葉を失いました」


 そこまでいって、グランシスは言葉を切る。なんとも言いがたい悲痛な沈黙だった。


「その指導者の男の名は」


 グランシスの唇がゆっくりと動く――嫌な予感がした。


「レノマール」


 その言葉が何を意味しているのか、理解できなかった。できないのに――。


「馬鹿なこと言うなっ!」


 怒りで心が真っ赤に染まる。


 何を言っているんだグランシスは。


 何が言いたいんだ? わからない、わからないけどっ。


「あの人はっ! 俺を庇って死んだんだよっ……下らない俺を一人信じて……励まし続けて……っ……」 


「僕も、たった今までレノマールが指導者なんて信じられませんでした。自作自演で刺客に殺されるなんてあり得ないと……しかし、レノマールが生きているという王子の話を聞いて」


「違うっ! 嘘だ!」


 俺は思わず頭を抱える。


 耳をふさぎたかった。こんな話、聞きたくないよ。耐えられない。レノマールのために、あんなにきれいな涙を見せたグランシスが。


 こんな風に疑わないといけないなんて――大切な人を信じられなくなるなんて!


「レノマールを――! あの人を悪く言うなよっ」


 気がつくとボロボロ泣いていた。


「落ち着けよ、王子。まだレノマールが黒幕だと決まったわけじゃない」


「でも……」


「もう一度、よく思い出してください。世界のぎょくの神殿で、レノマールはあなたに何を言ったんですか」


 何って……混乱した頭のまま、俺は必死に記憶をつなぎ合わせる。


「元々、この世界にシセ王子なんていなくて……俺はこの国にとって、偽者であるにも関わらず、唯一の存在だって」


 それから、と俺は言葉を続ける。


「世界の崩壊が始まるって……でも、王国を滅ぼすのも救うも俺次第だって」


「……レノマールは、確かにそう言ったんですね?」


 慎重に確認するグランシスに、俺は涙を拭いながらうなずく。


 金色の細い髪をかき上げながら、グランシスは静かに目を伏せた。


「レノマールは……一体、何をしようとしている……?」


 グランシスの独白に、ファイアルトも黙って眉をしかめる。


 もちろん俺だってわからない。でも、謎だらけのレノマールの言葉の中で、ひとつだけ確認したいことがあった。この二人でも分かることだ。


「本物のシセ王子は……以前から実在したの?」


 そう、レノマールは俺に言ったんだ。『シセ王子なんて最初から存在しない』って。


「当たり前だろ? シセ王子はいたぜ、ちゃんと。まぁ、レノマールの事件が起こるまでは、俺達にとって存在しないも同じだったがな。以前のお前はまったくからっぽな人間だったし」


「今の王子の言葉を信じるとすれば、以前のシセ王子の人格にあなたが代わったと? そんな魔法、僕でも知りませんよ」


「でも……俺は確かに、シセ王子の代理としてこの世界にやってきたんだ。それを知ってる唯一の人間がレノマールだったわけで」


「待ってください、王子」


 グランシスが瞳とついと上げる。


「一体、誰に王子代理を頼まれたのです? レノマールがその人物に協力しているとすれば、その人こそがすべての鍵になるのでは?」


「すべての鍵……」


 それはオヤジだった。


 人をなめクサッた、あのにんまりとしたハゲ面を思い出して、俺は思わずため息をつく。


「その人物は何か言ってなかったんですか、王子に?」


 同じだよ、と俺は答える。


「レノマールとほぼ同じ、謎だらけでわけわかんねぇ。このままでは世界は消えてなくなってしまう。世界を救いたかったら、神の声を聞いて頑張れって」


「神の声を……」


 俺の何気ない言葉に、二人の顔色がさっと変わった。


「?」


「創造神シード……神との対話――」


 ああ、そんな名前、オヤジとの会話に中でも出てきたっけ?


 でも、神様と対話なんて……魔法に、魔族にと、いろんな不思議体験してきた俺だけど、まさか神様と話すなんて。そんなナンセンスな……。


「それなら……隣のフレイラ姫の王国にある炎の山で可能だといいますが」


 マジ? 俺は思わず顔を上げる。二人は大真面目だった。


「ホントにできんの?」


 噂ですが、とグランシスが控えめに答える。


「そうだったのかっ!」


 なんだ! 話は早いじゃん。


 オヤジやレノマールの言葉を信じるなら、俺のやりたいようにすれば、この国は助かるんだ。今までは一体何をすればいいのか、俺に何ができるのか、検討もつかなかったけど。


 やっと分かったよ、これで。これで世界が救えるよ。


「俺、そこへ行く! きっとなんとかするからっ!」


 勢い込んで、俺は二人に言った。


 だが、返ってきた答えは――。


「無理です、王子……不可能だ。炎の山に行って帰ってきた者はいないんです。神との対話が噂だけで終わっているのもそのためです。そんな危険な場所に、王子を行かせるわけには行かない、絶対に」


「でも……!」


「第一王子は今、捕まっているんですよ? 国境だって許可なく通るわけにはいかない。いいですか? レノマールが何を言いたかったのかはまだ分からないし、偽者だといった王子の告白も、申し訳ないが今は信じ切れない」


 ただ、とグランシスは言葉を続ける。


「僕に分かることは、あなたは我々にとって唯一の、かけがえのないシセ王子だということ――そして、その王子を今、失うわけにはいかないんです」


 グランシスの厳しい説得に、俺は何も言えなくなってしまう。


 そりゃ俺は、正義の味方でもないし救世主的な勇者も似合わない。危険な場所だと聞いたらやっぱり怖いし、出来ることなら行きたくないよ。当然、自信もないし。


 俺以外でもっと上手くやってくれる人間がいたら、すぐにでもその人に頼みたいと思う。


 この世界を救ってくれって――。


 でも。


「このままでは世界は滅びてしまうかもしれないんだ……俺……」


 なんにも出来ないかもしれないけど。


 冷たい鉄格子をグッと握り締める。


「俺、この国を救いたい……そのために出来ることは何でもしたいよ……頼む、グランシス。分かってくれよ! 俺なら大丈夫。大丈夫だから」


 必死で頼み込む。何故、こんなに一生懸命になれるのか。強い気持ちが生まれるのか。


 そして何が大丈夫なのか、いまいち俺も分かってないんだけどさ。


「シセ王子……」


 それでもグランシスは力なく首を横に振る。そして辛そうに顔を伏せた。


 俺のことを思ってくれているんだ。気持ちは痛いほど伝わった。


 そんな顔されちゃ、俺、もう何も言えないよ……。


「グランシス」


 それまで黙っていたファイアルトが静かに口を開いた。


「ブラッジア一族は、現にシセ王子を“破滅の王子”として担ぎ上げ、この国を滅ぼそうとしている。以前まで王国に近寄れなかったやつらが、急に力をつけてきた理由……それはレノマールの言葉を借りれば“偽りの王子”が現れたからだ」


「では、ファイアルトは王子が偽者だと認めるのか?」


 ファイアルトの言葉に、グランシスは厳しい視線を投げる。「そうじゃないさ」とファイアルトな肩をすくめた。


「偽者とかどうとかって話は、正直、俺には理解できない。生憎、推測で物を考えていくのは昔から苦手でな」


 そう言って、ファイアルトは軽く笑う。


「ただ俺に分かるのは、ブラッジア一族が必要としている力を、今のシセ王子は持ってる。王国を守るべき俺達にとってそれは脅威だ」


「だが」


「だが……そうだ。こいつは、この王国を救いたいと言ってくれている」


「……」


「危険なのは分かっている。しかし俺達の力だけでは、この世界を救うことは出来ないんじゃないか? 百戦錬磨の大騎士様である俺が、こんなこと言いたくないが」


 と、ファイアルトはゆっくりと俺を見た。見慣れた赤い瞳。


 いつもはきつい印象の燃えるようなその瞳が、今、柔らかくほころんだ。


「俺はこいつに命を預けたい」


 ファイアルトの言葉が、暖かく染みていく。嬉しかった。


 グランシスの優しさも、ファイアルトの信頼も。


 それぞれの想いが、長い沈黙となって流れていく。


 やがて、グランシスがゆっくりと口を開いた。


「分かった……具体的な方法を考えよう」


 その言葉に、俺は思わず顔を上げる。


「僕も……命を預けます。王子、あなたを信じて」


「グランシス……」


 ジーンと胸が熱くなるのを抑えながら、俺は礼を言おうとする。


 だが、それより早くグランシスが口を開いた。


「まず、城の者達から王子の身を隠さなければ……数時間なら僕とファイアルトの権限で人払いもできるが、それ以上の空白は無理です。こんな時期に王子が失踪したと広まれば、国王は軍隊を出してでも探しますよ。国境の許可も取れるかどうか……」


 まったく――俺ってグランシスにちゃんとお礼を言わせてもらったこと、ないんだよね。


「国王の件は、俺に任せろっ!」


 そのとき、第三者の――異常に元気な――声が飛び込んでくる。


 そこには、これ以上ないってぐらい威張りくさったキサ王子が立っていた。


「今、国王に会ってきた。シセ王子とじっくり話し合うから、俺が許可するまで誰も入れるなって言ってきた! 約束守らないと牢屋に火をつけて、シセごと焼き払うって言ったから大丈夫だ」


 おいおい、何で俺が焼き払われなきゃいけないんだよ?


 自信たっぷりでとんでもないことを仰るキサ王子に、しかしグランシスは頭を下げる。


「助かります、キサ王子」


「まかせろっ! ほら、牢屋の鍵だ」


 そう言って、ポケットから鍵束をファイアルトに投げる。


 ををっ! さっすが王子様だ。


 牢屋の鍵を受け取ったファイアルトが、手早く錠を外してくれながらグランシスに言う。


「国境のことはフレイラ姫に相談したらいい。大丈夫、姫はこいつに惚れている。きっと力になってくれるはずだ」


「……それにすがるしかないな。僕は一足先に隣国へ向かい、フレイラ姫に掛け合ってみます」


 グランシスがてきぱきと計画を立てていく。


 こうなったらもうお任せだよ。ホント、この王国は頼りになる家来が多いよな。


「ファイアルトは王子を連れて、直接、国境へ向かってくれ。そこで落ち合おう」


 了解、と片目をつぶるファイアルト。


 それから、とグランシスはキサに向かっていった。


「申し訳ないですが……シセ王子が帰るまでキサ王子はここで留守番をお願いします」


 その言葉に、キサはこくりとうなずく。ったく、こいつも素直なら可愛い奴なのにな。


「シセ」


 キサは俺の目をしっかり見て言った。


「俺はお前が大嫌いだ」


 ガク。


 何も今、そんなこと言わなくても……。


 何か言い返したいけど、キサは、自分の言葉とは違う思いを行動で示してくれた。森の中でブラッジアと出会ったことを隠しておいてくれたのも、俺がこうやって捕まると分かったからだ。


 結局、捕まっちゃったけど、こうやって助けに来てくれたし。


「なぁ、キサ……」


 俺はヤツの肩を軽くたたく。ひょっとしたら、これで最後かもしれないだろ。


 いや……そんなの絶対、ヤだけどさ。


「もし俺がいなくなったら、この国――頼むな」


「貴様ァァァ!」


 途端、ものすごい勢いで、キサが食ってかかってきた。


 なんだよ? いちいち反応の読めない奴だよな、こいつは。


「お前はバカだ。俺の方が絶対、王に向いてる。そんなの分かりきったことじゃないか」


「んだよ、急に」


「だからって、頼むなんて言うな!」


 そしてすこしの間。


 キサは小さな声で付け加えた。


「いなくなるなんて……絶対に、言うな」


 ばか、と最後のつぶやきはほとんど息だけだった。


 なんだかさ、良い奴だよこいつは。


 言い返す言葉が見つからなくて、結局俺は、深くうなずくしかなかった。





 かすかな月光を受けて、ファイアルトと俺は国境目指して馬を走らせる。


 さすがって感じの鮮やかさで、見張りの隙を突いたファイアルトは見事、俺を城外へと連れ出してくれた。


 王宮警備隊長であるファイアルトにとっては、そんなに隙があっていいのかという不安もあるみたいだけど……ま、いいよな、この場合。


「この丘を越えれば国境だ。見張り塔にグランシスがいなければ、俺達は国境破りで牢屋に逆戻りだぞ」


「……そんなんで牢屋に帰ったら、キサ、怒るだろうなぁ」


「まったくだ」


 キサの真っ赤に怒った顔を想像して、俺は一人肩をすくめた。


 いつでも逃げられるように、出来るだけ遠くからファイアルトの姿を確認しようと思うんだけど、暗くてよく分からない。


「覚悟を決めて飛び込むか?」


 隣でファイアルトがつぶやく。そのときだった。


「あ! ファイアルト、あれ」


 見張り塔のドアの前には、見覚えのあるシルエット――間違いない。


 グランシスだ。


 俺達はほっと胸をなで下ろす。でも、その隣にもう一人いて――。


「代理だがなんだか知らないけど……!」


 相変わらず、輝くような美しさでフレイラ姫は俺を見上げる。


「私は、あなたが好きだったんだから」


 涙目のまま、キッとにらみつける。就寝中だったのか、軽装に薄いストールを羽織っただけの姫は、それでも十分神々しくてさ。


 城から出てくるだけでも、本当はとても大変なことなのだろう。


 それでもこうして顔を見せに来てくれて、その上"好きだ"とまで言ってくれちゃってさ――もったいないお言葉だよね、実際。


「色々ごめん。でも俺……」


「待ってるなんて言わないんだからっ! 別のいい人見つけて結婚するんだから!」


 俺の弱気なジャブを、姫は相変わらず、強気な発言でばっさりと切り捨ててくれる。


 だから、とフレイラ姫の声がかすれた。


 そして、それ以上の涙を見せまいと、俺の胸に顔をうずめる。


「だから、それまでは……好きでいさせてよね……」


 鼻先に、フレイラ姫の柔らかな髪がかかる。


 俺は、触れるか触れないかぐらいにそっと、フレイラ姫に手をまわした。


 今度会えたら。この人ともし再び会うことができたら。


(そのときはきっと……力一杯、抱きしめるから)


 だから。


 俺は目を閉じる。いつか、俺にキスしてくれたときと同じ香りがした。




 真夜中の闇に、その山は不気味にそびえ立っていた。炎というより、溶岩をイメージさせる赤黒い光が全体を覆っていて――かなり不気味。


 目を凝らすと岩だらけの道が、頂上目指して細々と続いていた。


 ここを登っていったら何とかなるだろう。一本道だから迷子になりようもないし。


「あとは一人で行くよ」


 前を行くファイアルトとグランシスに声をかける。


 ここまでだ。別れのときは、俺が切り出さなくっちゃな。


「しかし」


「大丈夫。心配性だな、グランシスは」


 精一杯の虚勢で笑ってみせる。もちろん、そんな嘘、すぐバレちゃうだろうけどさ。


 ええと、と俺は不器用に切り出す。


「色々……ホント、色々ありがとな。ファイアルト、それからグランシス」


 もう二度と会えない気がしているのは、俺だけじゃないんだと思う。


 それでも、二人は黙って見守っててくれた。


「上手くいえないけど俺、絶対この世界を救うから」


 うつむいたまま、俺はそれだけ言った。


「どうかお気をつけて」


「帰って来い、必ず。お前は王子なんだからな」


 二人の言葉に、俺はゆっくりと顔を上げる。


 そこには俺に"命"を預けてくれるという、二人の親友がいた。


 俺のことをとても心配してくれて、でもそれ以上に信頼してくれた仲間。


「すぐ話つけてくるからさ、城で待ってろよ」


 振り切るようにそう言うと、二人は黙ってうなずいた。


 俺は一人、馬から下りて歩き出す。背中に、暖かい視線を感じながら。


 今はまだ――泣くときじゃない。





 その巨大な岩の扉の前で、俺は足を止めた。俺の一人登山は、すでに山の中腹あたりに差し掛かっている。


 もう一度、目を凝らして見てみる。


 一見、ただの巨大な一枚岩なんだけど、よ―く見ると人工的に細工されててさ。


 ……あやしい。


 あやしいよな? この"いかにもっ"って感じの扉。


 でも、いまいち入り方が分かんなくて――。


 しかし、次の瞬間。


 ゴゴゴゴゴッ。


 扉は大きな音をさせてひとりでに開いた。


「な、なんだここ?」


 中は真っ暗で先も見えず、どんな空間になっているのか見当もつかない。


「ようこそ、というべきか? 待っておったぞ、破滅の王子シセ。いや、桐田志誠」


 暗闇の奥から低い声が響いた。


 か、神様か? 俺、マジで神様と話できんの?


「さすが神様……全部、知ってるんだ」


 俺の返事に、その声は笑った。


 それは、どこかで聞いたことのあるような懐かしい声だった。


 姿は見えない。いや、姿どころか、気配すら伝わらない。


 扉の向こうは依然として真っ暗で、広いのか行き止まりなのかもわからない。


「お願いがあるんだけど、いいかな?」


 仕方ないから、闇に向かってテキトーに話してみる。神様にタメ口っていいのかなぁ? でもなんとなく大したことなさそうな声だし。ここは強気に。


「シード神だっけ? 創造神なんだろ? この世界を救えるよな」


「いかにも……どうとでもなる」


「だったら!」


 どうして滅ぼそうとするんだ? その答えはしかし、俺が聞く前に言われた。


「……くだらない世界ならいらない。また新しいのを作ればいい」


 なるほど。神様らしい意見だ。下らない、ね。


「俺は、この世界を救いに来た。神様なら知ってると思うけど、俺みたいなどうしようもないダメ人間で偽者の王子代理が、王国の為に――大好きな人達を助ける為にこんなに必死になってるのって、やっぱ下らないかな?」


 少しの沈黙が流れた。神様ってこんなとき、何を考えているんだろう?


「いいか、よく聞け! 俺はこの世界を救いたい。その為だったら何でもする覚悟だ!」


 俺はもうちょっとテンションを上げてみる。


 どうだ。聞いたか? 俺のこのセリフを!


 人間の純粋な思いに、心打たれてみろってんだ。


「ひとつ、賭けをしよう」


 それはシード神の提案だった。


「志誠、お前の覚悟を知りたくなった」


 その声を合図に、まるて光が差すように、今まで真っ暗だった空間が姿を現す。


「……な!」


 だがそれは、見えない方が断然良かった景色だった。


 ムッとする熱気。ゴツゴツとした岩が、赤く照らし出される。


 足元の大きな割れ目からは、真っ赤に煮えたぎるマグマが見えた。


 本物のマグマってかなり迫力あるよ――俺は足がすくむような恐怖を感じていた。


「そこに飛び込め」


「はい?」 


 意外な展開に、俺は思わずハイトーンで聞き返す。う、嘘でしょ? 冗談だよね?


 慈悲深き神様が、まさか!


 そんな、ひどいことをっ。


「この世界の為に死ね」


 しかし、はっきりきっぱりと言ってくださった。


 ええと、ですね。


「救いたいという気持ちはあるんですけど。もうちょっと……別の方法は?」


「ない」


 ひえー! こんなとこ飛び込んだら骨どころか、灰だって残らないぞっ。


「偽りの王子よ……そなたには飛び込めまい。だがそれで良いのだ、そなたは間違ってはいない。この世界は、お前にとっての現実ではない。所詮、作り物――フィクションだ。そのために人生の全てを捨てて死ぬことはないだろう? この世界は私の元で、何度でも生まれ変わる。そんなに惜しむことはないのだ」


「滅ぼすのか、この世界を?」


 沈黙が流れた。肯定する気か? コノヤロー。


「今なら元の世界に返してやる。志誠、お前の現実は別の場所にあるだろう?」


 その言葉は、俺の中に甘く浸透していった。俺の、現実?


 そうだ。俺には日本での生活こそが現実なのだ。毎日、学校行って、テキトーに遊んで。


 じゃあ、ここは?


 ここで出会った仲間達は何だったんだ?


 レノマールを失った悲しみ。ファイアルトやグランシスと心が通じ合えた瞬間。


 あの気持ちは。


 俺にとって――何だったんだ?


「……ふざけるなよ」


 低い声で俺はつぶやいた。


 神様だか何だか知らねぇが、バカにすんじゃねぇよ……っ!


「ここで起きたすべては、俺にとって作り物なんかじゃねぇ」


 簡単に捨てられない。ここで育んだ感情の数々。大切な思い。


 あんなに泣いたり笑ったり――そんな感情をすべて作り物なんて言わせない。ファイアルトの暖かい手を、グランシスの優しい微笑を、別世界の人間だからって捨てられるか。


 そうだよ。


 キサやフレイラ王女がくれた涙やカノンちゃんの思いやり。カントやミルの憧れが。


 そのすべてが、俺の中にある。真実として――本物の世界として胸に染み付いてるんだ。


「……そうすることでしか世界が救えないのなら」


 小さな、けれど確かな気持ちで俺は言った。


「俺は死ねるよ」


「まことか?」


 シード神がゆっくりと訊ねる。懐かしい……やっぱりどこかで聞いたことがある。


 俺は姿の見えない、神様に向かって叫んだ。


「できるよっ……偽者だけどできるんだよ! この国の人達が俺を信じてくれたからっ……それで俺は強くなれたから! だから! 俺はこの国を守るために死ねるんだよ!」


 この世界を救えないまま逃げるってことは、ここで強くなった俺自身を作り物にしてしまうことになるんだ。


 見てろよ、シード神とやらっ。


 俺は大きく息を吸い込む。


 そして――勢いよくマグマの中に飛び込んだ。落ちていく。熱い風が耳元でうなる。


「……っ……!」


 轟音がやんだ。耐えられないほどの熱風――それから闇。


 全身にものすごい重圧を感じていた。熱い? ――いや、違う。寒いんだ。


「……後悔はしていないのか?」


 暗闇の中で、神の声が聞こえる。


 耳に残る、その響き。聞き慣れた声。


「あんたはどうなんだよ? こんな風に俺を失うってこと、どう思ってるんだよ」


 俺の言葉に、シード神は沈黙する。


 飛び込んだときには分かっていた。この声の主は――間違いなく。


 夢か現かわからぬまま、俺はもう一度叫んでいた。


「答えろよ、オヤジ!」




 遠くでスマホが鳴っている。


 俺はうっすらと瞳を開けた。


 目の前には、近すぎてピントが合わない草が揺れている。


 ゆっくりと身を起こしてまわりを見渡してみた。


 そして、ここが俺が初めてこの世界に来たときの草原であることに気づく。


 携帯は鳴り続ける。


 オヤジからだった。その内容は聞かなくてもわかる。


 王子は死んだんだ。


「志誠、大丈夫か?」


「ああ……ひどい気分だけど」


 ひょっとしたら王子は今頃、無事に城に帰っているかもしれない。


 でもここにいる俺は、桐田志誠でしかないんだ。


 すべてを知ってしまったから。


 オヤジがこの世界を創った。


 この草や風、城、王国――そしてそこに暮らす人さえも。


 オヤジがどうやって創ったのか、何故俺が来れたのか、そこまでは分からないけど。


 でも、ただひとつ言えることは。


 もう、あの王国に俺のいる場所は存在しないんだ。


「帰るときが来たんだよな」


 オヤジが向こうでうなずくのがわかった。


 分かってる。でも。


 それでも俺は言わずにいられなかった。


 オヤジ、と俺は呼びかける。


「俺、その世界には戻りたくない……ここが好きなんだ。日本の生活なんて俺、悲惨だし」


「王子だって最初は悲惨だったぞ?」


 オヤジはそんな言い方をした。そうだっけ? そうだったよな。


「会わなきゃいけない人がいるんじゃないのか? 志誠」


 美砂ちゃんだ。


 ゆっくりと瞳を閉じる。そうなんだよな。逃げても何も始まらない。分かってるよ。


 現実に戻るときがきたんだ。俺は逃げてきただけなんだから。


 ケリを着けなきゃ、前には進まないもんな。


「分かったよ」


「……あと少しだけ時間をやるから、な」


 そう言って、オヤジは電話を切った。ったく、いつも一方的なんだから。


 明け方の白い月光を受けた柔らかな夜の中、俺は一人歩く。


 ふと振り返って、城のあるあたりを探してみた。


 草原の柔らかな暗闇の中で、俺は城の明かりを見つける。


 遠くて、月よりもずっと小さな明かりだけど。見慣れた明かりだ。


 あの中心部あたりに俺の部屋がある。そして廊下を突っ切ったら中庭があって、その先はグランシスの部屋。その裏手には兵舎があって、ファイアルトの執務室だ。


 大きな風が吹いた。


 草原の草がいっせいに揺れる。


(帰りたい……!)


 突然俺の中に、強い思いが突き上げた。


 それはものすごい衝撃だった。息も出来ないほどの。


 帰りたい、あの暖かな場所へ――。


 帰りたい、帰りたいよ……あの城に戻ってみんなに「ただいま」って笑えたらどんなにいいだろう。


 部屋にはいつものようにカノンちゃんがいて、「お帰りなさいませ」って言うんだ。すぐにファイアルトが入ってきて、そのあとすぐにグランシスもやって来る。キサだっていつもの文句を言いたそうな顔でさ。


 週末には舞踏会。フレイラ姫の相手が大変なんだ。カントやミルも手をつないで遊びに来るだろうな。俺は思わず目を伏せる。


 涙がこぼれた。


「王子……」


 柔らかな声がする。振り返るとレノマールが立っていた。


 出会った頃の優しい笑顔で。


 レノマールは俺に近づくと、静かに手を伸ばす。


 涙で濡れた俺の頬に、そっと触れられる指先。


「シセ王子……本当に立派になられた」


 レノマール、と俺は声を詰まらせながら言った。


「……つらかっただろ? オヤジの命令とはいえ、自分の世界を滅ぼす役なんて……」


「でも、あなたが救ってくれた」


 穏やかな温もりが俺を包む。


「何度、この物語が繰り返されようと、私は」


 繰り返される? 問おうとした俺に、レノマールはゆっくりと首を振って微笑んだ。


「私は決して……あなたを忘れない」


 その言葉はきっと、さよならの変わりなんだろう。


 俺の視界は急速に暗くなっていく。これが、レノマールの最後の仕事か。


 やがてその声すら、微かになっていく。


「お別れです、シセ王子……ありがとう」

 そして、完全な闇が訪れた。



 やがてカプセルがゆっくりと開いた。


 そこは見慣れた日本の、どこにでもあるビジネスオフィスで――。


 俺の涙で歪んだ視界が、慄然と並んだパソコンを映し出している。


(涙……?)


 覚醒しきれない愚鈍な感覚の中で、俺は自分が泣いていることに気づく。


 頬を伝う涙だけが、俺が王国から持ち帰った唯一の物だったってわけだ。


「ありがとう。素晴らしいデータがとれたよ」


 横から、聞きなれない声が聞こえる。なんつーか、感動に満ちた湿った声だ。


 その声をする方をみると、やたら恰幅のいいおっさんが立っている。


 わけも分からず、ガシッと手を握られた。


「いやぁ、実にいい物語だった……ありがとうっ、志誠君!」


「父ちゃんの会社の南社長さんだ」


 その横には、オヤジがいる。社長?


「何、やってんのオヤジ?」


「何って仕事だ、仕事。いいか、お父ちゃんの会社は、何を隠そうゲーム会社だ!」


「大手ソフトメーカーの下請けの下請けだけどね」


 社長が控えめに付け足す。いや、その補足はへ別にいらんです、はい。


「しかし最近の不況でなかなかクライアントもつかなくてねぇ。だったら自分達で造ろうじゃないかという話になったんだけど……ゲームが飽和状態でトップメーカーも何を造って良いのか分からない時代だ。当然、上手くは行かない。そこで苦肉の策として、君のお父さんに新たに開発させたのが、この装置だ」


 そう言って、社長は俺が入っていたカプセルを叩いて見せた。


「いわゆるVR。ゲームの超リアル体験型とでもいえばいいのか。コストが合わないので家庭用に出回ることはないだろうが、開発中のゲームの詳しいデーダを取ることは出来る。この」


 社長は手元のディスクを手に取る。


「私が考えるに、この普通の王子が成長していく育成型ロールプレイングゲーム――もちろん君のお父さんが開発したんだが――に足りないのはリアリティだった。そこが甘いからイマイチ面白くない。けれど、どこを手直しすれば良いかも分からなかった」


 そこで、と南社長は自慢げにカプセルを叩く。


「一種の催眠術だと考えてもらえるといいかな。この中で行われるゲームプログラムに志誠君の意識をシンクロさせていく。そしてそのときにとった行動、想いなどのデータをとらせてもらったんだ」


 悪いけど、頭が全然付いていかない。


 ゲームプログラム? シンクロ?


 ただひとつ、謎が解けた。


 そっか、オヤジの会社はゲーム会社だったのか……きっとたいしたヒット作もないから、俺、オヤジが会社で何やってるかなんて、全然興味なかったんだよ。


「データを採取するモデルとして、最初から立派な少年では意味がない。己の生き方に劣等感を抱えてて、且つやる気のない若者がいないか――そこで登場したのが」


 南社長は満足げに俺をみつめる。


「志誠君、君だよ」


 むっ……なんかむかつくなぁ。


 だが俺の嫌な顔はまったく無視されて、ご機嫌な社長の話は続いていく。


「志誠君は予想以上の素晴らしさで成長してくれた。その軌跡こそが、このゲームソフトの面白みであり核だったんだよ。いやぁ、実に素晴らしかった! 本当のところ、志誠君から私の期待に沿うようなデータが取れなければ、このソフトの製作は中止と決定していたんだが――開発者である君のオヤジさんには悪いがね」


【お前は創造神も叶わなかった願いを超えて『クラリエンジ・アナーシャ王国』の消滅を救う――最後の光だ。】


 頭の中でオヤジの声が甦る。


(そっか……こういう意味だったんだ……)


 そんなことをぼんやり考えながら俺は一人、目を閉じる。


 王国のことを思い出すと心に痛みが走った。


 王国のみんなのこと考えるのはとても怖かった。つきつけられる真実があるから。


 それでも。


 その瞬間に大切な人の名を口に出していた。


「レノマール、は……?」


 言ってすぐ、後悔する。答えは予想がついた。


「志誠君がこのゲームの主人公として本格的に取組みだしたのは、レノマールの死が大きなきっかけになったはずだ。彼はこのゲームのナビゲーターとして設定された。我々が作り出したゲーム内容と、王国をリアルに結ぶため、彼のようなキャラが必要だったからね」


 社長がすらすらと答える。


 これが。これが答えだ。俺があんなに知りたがった真実なんだ。


 俺がクラリエンジ・アナーシャ王国で偽者だったみたいに、彼らはこの世界では偽者――ただのゲームキャラってわけだ。


(なんだよ)


 ひどく疲れた気分になって、俺は両手に顔をうずめる。


 ゆっくり休んでくれ、と社長は俺の肩をたたいて去っていった。


「全部、夢だったんだな」


 顔をうずめたまま、俺はオヤジにぽつりと言った。


「確かに、志誠にとってはその表現が一番ふさわしいだろうな。だが、目覚めると消えてしまう儚い夢の方じゃない」


 俺はゆっくりと顔を上げる。また……言いたいんだ? このなぞなぞマンは。


 オヤジはやれやれ、と肩をすくめる。


「父ちゃんが、自分のソフト開発中止を避けるためだけに、大事な息子を提供したと?」


 俺は可能な限り、しっかりと首を縦に振る。


「父ちゃんが、己の出世のためだけに、大事な息子を餌にしたと?」


 もう一度、大きくうなずく。他になんの理由があんだよ? なぁ?


 情けないっ、とオヤジは拳をフルフルさせて嘆いた。


「お前がこのカプセルで見た夢は、自分の将来を描く方の『夢』だ。泣きながら、苦しみながら、自分の手で現実を勝ちとって見るほうの『夢』――きちんとしたビジョンがなくてもいい。今の自分が嫌で、もっと思い描いたとおりの自分になりたいという気持ちだって、立派な将来への夢だろ?」


 そして志誠、とオヤジは俺の名を呼んだ。


「お前の夢は、まだ始まったばかりなんじゃないのか?」


 カプセルのカバーが黒く艶やかに光っている。そこには、見慣れた俺の顔が映っていた。


「その顔で、美砂ちゃんに会って来い」


「なっ……! なんで美砂ちゃんのことをっ?」


「ききき……父ちゃんはっ何でもカンデモ知っている~志誠のメルカノ、可愛い美砂ちゃん~ある日、おうちにやって来たぁ~」


「変な歌、勝手につくってんじゃねぇっ――っ!」


 思わず胸倉を掴んで叫んだ俺は、だがその歌の意味に気づく。


 ええっ? オヤジ、今、なんて――。


「美砂ちゃんが……家に、来たって?」


 いかにも、オヤジの顔がにやりと笑う。


「大体、二学期開始の前日に引っ越してくるわけなかろうが? お前がプールに行ってた日に、美砂ちゃんが引越し挨拶も兼ねて訪ねて来たんだよ。二週間ほど前かなぁ」


 なにぃぃぃぃ! 


 じゃあ、俺は二週間も、まったく無意味に悩み続けていたってわけか? 


「なんで言わねぇんだよっ?」


「あのときのお前じゃ、美砂ちゃんを悲しませるだけだったよ……」


 悲しげに首を振るオヤジに、俺は言葉を詰まらせる。


 そうだった。俺はメールで、散々、嘘を並べ立ててたんだっけ。


「劣等感の塊みたいに自分のことが大嫌いで。弱くて暗くて嘘つきで。だからといって何を変えるということもなく、一人でウジウジ悩んでばかりで」


 情け容赦のない言葉が、俺の心に突き刺さる。わかってるよ、そんなこと。


 だから、美砂ちゃんには会いたくないんじゃないかよ。


「だから、このゲームソフトのモデルは志誠じゃないと駄目だったんだ」


 突然、話が元に戻った。驚いて顔を上げる。


 そこには、今まで見たこともないオヤジの顔があった。


「現実が辛過ぎてフィクションに逃げ込む子供達、ゲームへの依存や残酷性の増長――分かったような大人の、そんなゲームへの批判を聞く度に父ちゃん、悔しかったんだ。お前らだって、トムソーヤに冒険を教わり、チャンバラごっこで仲間を学び、鶴の恩返しや人魚姫から、愛や優しさを得たんじゃないのか? たとえ土壌がゲームに変わっても、フィクションの世界で、子供は心を育てるんだよ。人生を学ぶんだよ」


 そのことを、とオヤジは続ける。低く、でもしっかりした声で。


「証明したかったんだ。志誠、お前の行動で」


「……」


「――美砂ちゃんはまだ、お前の嘘には気付いていない。でも大丈夫、今のお前なら夢を叶える力がある。そりゃ、上手くいかないこともあるだろう。ひょっとしたら、また水をぶっかけられるかもしれない。でも、だから面白いんだろ、ゲームも人生も」


 時計を見た。午後六時を少し過ぎたところだ。


 俺がカプセルに入れられてから、まだ八時間しか経っていないなんて――。


(そりゃ、携帯の電池も持つよな)


 ぼんやりとした頭で考える。


 今からでも間に合うかな。新しい学期を、美砂ちゃんと迎えられるかな。


 分からない。分からないけど。


「頑張ってこい! 父ちゃんはお前の味方だ」


 思ってた以上に、暖かく大きな手の感じが伝わった。


 ありがとう、オヤジ――と言おうとして、やめる。


 オヤジかっこいいよ、と言おうとして、またやめる。


「オヤジ……似合わねぇよ」


 最終的に俺が選んだ言葉に、オヤジはガーンと頭を抱えた。


「夜も寝ないで考えたセリフなのにぃ」とおいおいと泣いている――まったく、このオヤジは。

 感謝してないわけじゃないよ。俺は、深いため息をついた。


 頭の中には、あの王国での日々が、まだリアルに残っている。


 真実が明らかになったからって、そのすべてを「たかがゲームだ」とはとても思えない。


 そう――確かに人生はゲームじゃない。作り物の小説でも漫画でもない。


(……でも)


 オヤジの言葉が浮かんでは消える。


 でもそんなフィクションの世界から、本物の自分を見つけることもあるんだ。


 それらは決して、現実の世界に無用なものじゃないんだよな。


 俺は――今からそれを証明する。


 いや、証明しなければならないんだ。あの王国の王子様代理の最後の仕事として――。


(今から駅に向かえば、間に合うかな?)


 ちらりと時計を見て、俺はゆっくりとカプセルから立ち上がった。


 それはあたかも、俺自身の人生の第一歩を踏み出したかのような強い決意で。


 大きく深呼吸する。


 今、俺の人生は輝かしい光にあふれ、天使とかがうじゃうじゃ祝福のラッパでも鳴らしていることだろう。真っ直ぐに伸びた一本道は、どこまでも続いてて。


 ――ま、ただのイメージなんだけどさ。


                             (完)


最後まで読んでくれてありがとうございました!

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