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王子様(代理)にお願い!  作者: ヤブイヌ
3/4

凍れる月夜のプレリュード

 月の美しいある晩のこと――。


 コンコンコンと三回、ドアを叩く音がする。そっと開けてみると小人が二人立っていた。


 二人の小人さんは、声をそろえて言う。


「王子様にお願いがあるんです」




 なーんて、メルヘンちっくに始まってしまった……。


 でもよくみると、それは五歳ぐらいの小さな男の子と女の子でさ。


 泣きそうな表情でカチッと固まったまま、二人はしっかりと手をつないでいる。


「ど、どうしたの、こんな時間に? お母さんは?」


 完全夜更かし型の俺が「もう寝ようかな」と思ってたところだ。時間は深夜をとっくに過ぎている。


 お城で迷子になったとか?


「僕の名前はカント。こっちは友達のミル」


 男の子の方が自己紹介してくれる。


 女の子は、大きな瞳で俺を見上げながら泣きそうな顔で黙ったままだった。


 どうか、とカントは言う。


「僕達のお願いを聞いてください! シセ王子様」


 二人ともチビなもんだから、見上げる首はこれ以上後ろにいきませんってぐらい上がっている。もっと後ろに下がれば楽なのに……というのは大人の意見か。


「お願い? 俺に?」


「姉ちゃんの話を聞いてたら、頼れるのは王子様しかいないって思って――あ、でもここに来たってことは姉ちゃんには内緒だよ?」


 カントは言う。姉ちゃん? あ、ひょっとしてこいつ――!


「カノンちゃんの弟か?」


 こくりと頷く。


 俺達が退治した盗賊団に憧れてたっていう一番下の弟だ。


 そういえば、目のあたりに面影がなくもない。となれば、むげにも断れないよな。


「どうした? 困ったことでもあったか?」


 俺の言葉に、二人はパッと顔を輝かせた。


「カゴをとって来て欲しいの」


 初めて女の子の方が、口を開いた。ええと、ミルだっけ。


「うん。ママからもらったミルの大事なカゴなの……あれがないとお花摘みもできないの」


 それだけ言い終えるまでに、どんどん泣きべそになる。


「あああ……泣くなよ。カゴぐらいとって来てやるから」


 ホント? とカントが聞いた。本当だとも! 王子様なんだから、国の民のお願いは叶えてやらなくちゃな。


「で、どこにあるんだ? そのカゴは」


「ドラゴンの巣!」


「……え?」


「だから、ドラゴンの巣だよ。ミルがドラゴンの卵を見つけて、そのカゴにいれといたんだ。でも、昨日お母さんドラゴンがくわえて持ってちゃったんだよ」


「あ、そう。じゃあ、そのカゴはドラゴン親子へのプレゼントってことで」


 違うもん! とミルが頬を膨らませる。


「あのカゴはミルのだもん……!」


 小さくも揺るぎなき決意を持って、ミルちゃんはつぶやいた。


 まったく命知らずなんだから――これだから子供は困る。


 この王国に疎い俺でも、北の山脈に住むドラゴンの噂はよく耳にする。


 大きなもので全長三十メートル、身体は硬いウロコで覆われており、魔法も含め、いかなる攻撃も受付けない。


 たまーに飛んでいるのを見かけるが、よっぽどの悪さをしない限り人間には無害だ。


 とはいえ、その可能性がゼロともいえない。言い伝えによると、ドラゴンを生け捕ろうとした村を、一瞬で全滅させたこともあるという。


 そんな生き物の巣にいくなんざ、無謀もいいところだ。


「代わりにすごーく大きいカゴをお兄ちゃんがあげるから、な?」


 それぐらい、このお城のどっかを探せばあるだろう。


「やだ」


「じゃあ、すごーく可愛いやつ」


「やだやだ、あれがいいの! 王子さまっ、あのカゴをとって来てぇー!」


「でも……ドラゴンが」


「だから、ドラゴンはどうでもいいの! 大事なのはそれが入っているカゴ!」


 ミルがすかさず言い返す。あーのーなー、逆だ、逆!


「カゴはどうでもいいの。大事なのはドラゴン!」


 いいか、とガキどもに教える。


「お母さんドラゴンはきっと、お前らに卵を取られただけでメッチャ怒ってる。お前らのお母さんだって、怒ったら怖ぇだろ?」


 二人はこくりとうなずく。よーし、いい子だ。


「その上、また巣に近付いてみろ、今度こそギッタギタにされっぞ?」


「大丈夫だもん!」


「なんで?」


「王子さまが行ってくれるから」


 おいおいおい。何なんだ? この子供独特のド厚かましさは! その上ちっとも嫌味じゃない無邪気でキラキラした瞳はっ!


「――とにかく、俺がいい方法を考えるから。今日はもう帰って寝ろ」


 もちろん、俺が考えるいい方法ってのは、二人を説得する方法なんだけど。


「王子様だったら……願いを叶えてくれると……思ったのに」


 カントがポツリと言った。


 俺はそのとき、少しだけ気になってはいたんだ。


 けど、まさか自分達だけでドラゴンの巣に向かっちゃうなんて――。


 そして助けに行った俺が、死んだはずのレノマールとの再会するなんて――。


 本当に。


 思ってもみなかったんだ。




「カントがっ……弟がいなくなったんです!」


 早朝――憔悴しきった顔で、カノンちゃんが部屋に飛び込んできたのを見たとき、俺は瞬間的に事態を理解した。


 迂闊だった。大体、子供ってのは辛抱ができない体質なのだ。


「俺の、せいだ」


 驚いたように顔を上げるカノンちゃん。しまった……カントとの約束で、奴らが来たことは内緒だったんだ!


 事態が深刻化すればそうも言っていられないが、とりあえずギリギリまでは、男の約束を守らなきゃな。


「う……なんでもない……でも、ちょっと心当たりがあるんだ。カノンちゃん、ここは俺に任せてくれない?あんまりオオゴトにせずに」


「で、でも……」


「ええと、二日……いや今日中に戻らなかったら、北の山脈方面に捜査隊を出して。シセ王子の命令だって言ったらファイアルトやグランシスが協力してくれる」


「北の山脈! そんな危険なところへ何故?」


「ちょっと――内緒なんだ。ごめんね。でも大丈夫、絶対俺が連れて帰ってくるから」


 相変わらず戸惑っているカノンちゃんを、強引に納得させて、大急ぎで部屋を出る。


 子供の足だ。そう遠くまでは行けないはず――今大騒ぎして、カント達がひどく怒られるのだけは避けたかった。だって……かわいそうだろ?


「駿馬を一頭用意してくれ。ちょっと遠乗りに出かけたい」


 馬小屋のおっさんにそっと頼む。


 このおっさん、もともとあまり深くモノを考える性質ではないらしく、王子がお一人で? とか危険です、とか護衛兵みたいなややこしいことは一切言わない。


 王子様の命令だってことで、いつでも大急ぎで準備してくれるのだ。


 息が詰まるような王子様生活――実際はそんなでもないんだけど――にちょっと疲れたときによく利用させてもらっている。


「ありがとな」


 もったいないぐらい深々と頭をさげる馬小屋のおっさんに、俺は軽く礼をいうと、大急ぎで北の山脈に続く道を走らせた。


(まったく……人騒がせなガキどもだぜ……)


 カント達が部屋を訪ねてきたのが深夜、その直後に出発したとしてもまだ数時間しか経っていない。


 どうせまた、近くの道端でべそかいてるに違いない。


 颯爽と駆ける馬に、朝の風が気持ちいい。今度用事がないときにでも、改めて遠出に来てみようなんて、俺は呑気なことを考えていたのだ。


 ところが。


 半日かけて休むことなく馬を走らせ、お昼を過ぎてもカント達を見つけることができなかったのである。


 おかしい――いくらなんでも、こんな遠くまで来れるはずがない。


(やばいな……辺境の盗賊団にでもやられたか?)


 この辺りは、ところどころ大きな森があるものの、ほとんど城から一本道だ。


 わざわざ森に入ることさえなければ、迷うことはまずない。


(どうしよう……引き返しながらもう一度探すか)


 馬の鼻先を百八十度変えながら、森に目を凝らしてみる。でもそこにはただ、静かに緑が揺れるだけで――。


「!」


 突然、顔のすぐそばで、鋭く風を切る音がした。


 ザッ!


 地面に突き刺さったそれは、一本の槍。マジかよ?


「誰だ!」


 とりあえず、森の奥に向かって叫ぶ。


 影が動いた。二人? いや、もっと多い――五、六ってあれれ?


「神聖なる竜の領域を侵す悪党め!」


 そのセリフと同時に、ザァァと姿を現したのは数十人の男達。


「何ゆえに竜を狙う?」


「ご、誤解です! 竜なんて全然、興味ないもん!」


 両手をブンブン振って、俺は無実をアピールする。だかその言葉に、リーダー格のおっさんの頬がひくりと動いた。


 あれ……俺、まずいこと言った?


「興味がないとは情けない……竜がこの世界のぎょくを守っておるというのに」


「そ、うなんですか?」


「王都の民は平和ボケらしいな」


 困ったようにおっさんがため息をつく。知らないんだからしょうがないじゃん!


 で、さらに神経を逆撫でするようで悪いんですけど。


「あんた達って……何者?」


「我らは竜の民――ドラゴンの巣を守る一族だ」


 ああ、それでみんなピリピリしてるわけね。


「今一度聞く……お前は誰だ? 何の目的でこの聖域を侵した?」


「誰って……俺はシセ、この国の王子だよ。目的は――」


「はっ! 王子だと? 我ら一族は、嘘をつく人間が一番嫌いだ」


 俺の言葉を最後まで聞かずに、竜のおっさんは鼻で笑う。


 むっ! 嘘じゃないやい! ――そりゃ、代理だけどさ。


「ホントだよー、俺、王子だって。で、子供がカゴをさぁ探しに来たんだけど」


もうよい! ときつい口調で遮られる。


「子供? なにがカゴだ! 怪しいやつめ……皆のもの、捕らえろ!」


 もう! なんでこうなるわけっ?


 一度に何十人もの人間――しかも厳密に言うと敵っていうわけでもないし――を相手にたいした抵抗もできずに、俺はあっさり捕まってしまった。


「ちょ、ちょっと! 話ぐらい聞けよっ!」


「村に帰ってからゆっくり聞こう。しかし」


 とおっさんはギロリとにらむ。


「内容によっては、ドラゴンの巣に連れていき、竜の餌になってもらうぞ」


 い、嫌だぁぁぁぁ!!


 俺の心の叫びは、誰の耳にも届くことなく頭の中で響き渡った。



「あーあ……カントとミル、無事かなぁ……カノンちゃんも心配してるだろうなぁ」


 暗くて寒い、その上さみしい牢屋に閉じ込められて、俺は一人三角座り。


 わざわざ言うまでもないが――サイアクだ。


 とはいえ、今日一日我慢すればカノンちゃんがファイアルト達に連絡して、応援を寄越してくれるだろう。そこで、俺が王子だって証明してくれたら牢屋からは出ることができる。ま、ちょっとかっこ悪いけど。


(でもそれまでにドラゴンの餌になっちゃう可能性もあるんだよなぁ……)


 うーん、やっぱりなんとかして脱出した方がいいに決まってる。


 第一、カントやミルが危ない目に遭ってたらコトだし――でも、情けないことに、脱出方法がまったく思いつかなくてさ。結局、こうやって大人しく待っているのだ。


 ところが、である。


 牢につながれて1時間ほど経った頃、ふいに騒がしくなって新たな罪人が連れてこられた。まったく、逮捕が趣味なんじゃねぇの? この一族は。


 しばらくガヤガヤとしていたが、やがて見張り役の男も姿を消した。消したって言ってもどうせ、階段を上がってすぐのところにいるんだろうけど。


「どうなっちゃうの? 私達……ドラゴンに食べられちゃうの?」


「うーん……わかんない」


 壁があって顔は見えないけど、すぐ隣の牢から聞こえてくるその声には、確かに聞き覚えがあって――。


(な、なにっ? ……カントとミル?)


 あいつらー! なんでこんなとこにいるんだよ?


「わかんないって……カントのバカぁ! ミル達だけでカゴを取り返せるなんて言うから……っ」


 ミルのセリフは、途中で泣き声に変わる。それに答えるかのようにカントの、努めて明るい声が重なった。


「大丈夫だよ! きっと王子が助けに来てきくれるって」


 おいおいおい。勝手に決めんなよ! ところが、それを聞いたミルの反応がまた、素早くてさ。


「そうだよねっ。ごめんね、王子様を信じなくちゃね」


「そうだよ! 王子様を信じて待とうぜ――あ、二人でお祈りしようぜ、王子様が助けに来てくれるように」


 うん、と元気なミルの返事。


「あのー……」


 とりあえず控え目に、声を掛けてみる。イタイケな幼子の夢を壊して悪いんだけど。


「シセ王子様! どうか早く助けに来てくださいっ!」


 だめだこりゃ……全然、聞いてないよ。


「あのぅ!」


「なんだよ! うるせぇーな、俺たちは今、王子様へのお願いで忙しいの!」


「……その王子がいま、隣にいるんですけど」


「……」


 少しの沈黙があって、隣の牢屋からカントがひょっこりと顔を出した。


 おお、やっぱり子供は小さいなぁ、こんな隙間から顔が出るなんて。


 続いてお祈りの手を組んだまま、ミルが顔を出す。


「ホントに王子様が助けに来た……!」


 ガクッ――助けに来たんじゃなくて、だ。


「捕まってるの! 大体、なんでお前らがこんなところにいるんだよ?」

 

「王子様の部屋を出てから僕たち、自分でドラゴンの巣に行こうと決めたんだ。けど途中の森で眠っちゃって……それでね、起こしてくれたのが竜の人達だったんだ」


 あちゃー! 俺の考えが甘かった――そうだよな、お子様が徹夜で歩きつづけられるわけがないんだ。


 でも、まあ、無事で良かった。それに。


「ちょうどいいや――お前ら、顔が出せんだから、きっとそこから抜けられる! 鍵持ってこい、鍵!」


 無理だよー、とカノンが顔をしかめる。


「いくら小さくても、顔しかだせないよ」


「大丈夫、顔が通れば身体は通る!」


 あれ? それは猫だっけ?

 

 とにかく俺の言葉を信じて、およそ一時間ほど格闘したカントは、ゼイゼイと肩で息をしながら恨めしげに言った。


「王子様の……嘘つき」


 うーん、やっぱり猫と人間の子供は違うか?


「こら、お前達。なにを騒いでいる?」


 げ! 見張り役の男が階段から降りてきた。腰でじゃらじゃらと鍵が鳴っている。


 クソー、これ見よがしにっ! ――て、待てよ……いいこと思いついたぁ!


「おい! こんな小さな子供までぶち込んでどういうつもりだ! これが竜の民のやり方なのかっ?」


 俺は正義の味方よろしく、見張りの男に怒鳴りつける。


 なんだかなぁ、俺って、そういうキャラじゃないんだけどねー。


 だが効果は十分、見張りはうろたえたように言いわけしてくる。


「い、一時的な処置だ。子供は身元が分かり次第手厚く保護する」


 そうなの? 子供って得だなぁ……と違う違う、これでは、俺のスベシャルな大脱出作戦が成り立たないではないか!


「なぁ、子供だけでも助けてやれよ」


「ダメだ。第一なんでお前に説教され……」


「でもこの子はさっきから、トイレに行きたいと泣いてる!」


 カントを指差してとっさに言う。一瞬、ぽけっとしたカントだったが、すぐに俺の意図を読んだ。


「おしっこー! おしっこー! おしっこー行きたいよぅー!」


 よーし、いいぞ!


「かわいそうだなぁ! 竜の民は、気高く優秀なドラゴンの守り手だと聞いていたのに……実際は子供ごときにビビッてトイレも行かせないなんて!」


 おしっこ大合唱に乗せて、たたみかけるようにそう言う。


「し……仕方がない。お前だけだぞ」


 男はしぶしぶカント達の牢に手を掛ける。


 カントが黙って俺の顔を見た。


 俺は腰の鍵に目を向ける――伝わるかな?


「ミルもおしっこ!」


 鍵が開いた時点で、ミルが叫ぶ。


「仕方ない。大人しく付いて来い」


「俺も、俺も!」


 試しに言ってみるが、


「調子に乗るな。お前はダメ」


 と冷ややかな答えが返ってきた。


 ちぇ。


 やがて、カントとミルが牢を出る。それを確認して、俺は大きく息を吸い込んだ。


「ちょーっと待ったぁ!」


 突然、大きな声を出した俺に、見張りの男は驚いて振り返る。


「何を隠そうっ! 俺は今世紀最大の占い師だったのだぁー! 今、お前を占うように神の啓示が届いたぁー」


「……アホか、お前は」


「アホとは無礼なっ! だが許してやるー、何故なら! お前には死相が出ているのだからなっ!」


「なっ! いい加減なこと言うな!」


 俺との会話に気を取られている隙に、カントがそっと男の後ろにまわる。


(よし、いいぞ……鍵を取れ! そっとだぞ、そっと)


 できるだけ、さりげないジェスチャーとアイコンタクトで指示を出す。


「いい加減ではなーいっ! 今から五分以内に儀式を行わなければ」


 だが、何故かカントはグズグズしている。


(早く取れよ!)


 焦る俺に、カントは片手をいっぱいに伸ばしてみせた。大きな目をぱちくりさせる。


「……」


 俺はすべてを理解した。


 カントの手は、鍵のある男に腰にまったく届いていなかったのである――マジ?


「おい、囚人! 儀式って何だ?」


「あ? う、うん――儀式はだなぁ!」


 やばいよ! こいつの興味引いたって、これじゃあ意味ねぇじゃんっ。これだからチビは使いモンになんないつーの!


「!」


 俺の視線の端に、ミルの姿が映った。


 ミルは、壁の隅に立てかけられた、俺の長剣に手を伸ばしている。


(しめたっ! えらいぞ、ミル!)


「儀式は……だな」


 と俺は、指で男に近くに来るように合図する。俺が丸腰だと知っている相手は、油断しまくりでやってきた。


「ここに跪け」


「ばっ! できるか、そんなこと!」


「あああ、死ぬぅっ! お前は確実に死ぬだろうぅ!」


「わ、わかったよ」


 戸惑いながらも、俺の目の前に座り込む見張り。そのすぐ横から、ミルがそっと長剣を差し出した。よし、気付かれてないぞ!


「そうだ。そのまま目を瞑れ……いいか、イチ、二の、サン!」


 がこっ、と鈍い音がして、俺の長剣のつかが、奴の脳天に直撃。


「やた……!」


 気を失った男から、カントが鍵を外す。それを使って俺は素早く牢屋からでた。


 はぁーいいねぇ! カタギの空気は。


「ぐ……っ……お前ら……」


 ようやく意識を回復した見張りが、うめき声を出した。


 痛む頭をなんとか持ち上げて、信じられない様子で俺達を見ている。


 だが、立ち上がるのはちょっと無理かも。


 気の毒だが、回復までにはまだもうちょっと時間がかかりそうだ。


 その間に、逃げちゃえ!


「お前ら……グル、だったの……か……!」


 苦しげな見張りの言葉に、俺達は振りかえる。


 俺たち三人は、ニッと笑って答えた。


「そう、俺たちグルなんでーす!」




 地下牢の階段を駆け上って、見張りが出られないように鍵を掛ける。ちょっとかわいそうだけど、竜の民もスペアキーぐらい持ってんだろ。


 で、ここからが問題。


 俺達が選べる扉は、二つある。


 ひとつは、俺やカント達が連れてこられた扉――その先には竜の民の村がある。今行けば当然、捕まって牢屋に逆戻りだ。


 で、もうひとつの扉は、ドラゴンの巣へと続く山道。


「どっちも行きたくないなぁ」


 俺の真っ当で正直な意見に、ミルがびっくりして見上げる。


「ええー! ミルのカゴ、取りに行かないのーっ?」


 ミルちゃん、と俺はミルの頭に手を置くと、大人の雰囲気たっぷりにたしなめた。


「気持ちはわかるよ? だが人間、大切なものを手放して初めて大人になれるんだ……」


「そんなの知らないもん!」

 

 ありゃりゃ――思ったより手ごわいな。


 ミルは俺を振りほどいて、だぁぁっとドラゴンの巣の扉に駆け寄る。


 そして、その小さな腕を偉そうに組みながら「言っておくけど!」といった。


「王子様を助けたのはミルなんだからねっ」


 これにはまいった! 小さくてもやっぱり女の子――で、年齢に関係なく、ほんっと俺って女の子には勝てないんだよなぁ……。


「分かった。分かったよ。カゴ、とりに行こう」


 諦めて肩をすくめる。


 ほんと! とミルはたちまち笑顔になった。その邪気のない瞳ったら――。


「……お前の彼女、将来いい女になるぜ」


 そっとカントに耳打ちする。


 そんなんじゃねぇやい、と言いながら、カントは真っ赤な顔で下を向いた。


 いやぁ、愛だねぇ――! おじさん参っちゃうヨ。


 ニヤニヤしながら俺は、ドラゴンの巣へと続く扉を開けた。


 さっさとカゴとって帰らなくちゃな。ところが、である。


「……は?」


 眼前に広がる景色に、俺は言葉をなくしていた。だって、だってだよ?


「なんで一面の銀世界なわけ?」


 そうなのだ。俺達の前には、まさしく南極大陸を彷彿させるような雪と氷の世界が広がっていたのである。


 そりゃ、お城に比べてちょっと寒いかな、とは思ったけど、牢屋までの道には雪なんてひとかけらもなかったんだぜ? どうなってんのよ、一体?


「牢屋までは、人の領域。ここからは……」


 カントが白い息を吐きながら言う。


「竜の領域だよ」


「竜の……?」


「王子、知らないのー? 勉強嫌いだって姉ちゃんが言ってたけどホントだな」


 あきれ顔のカントとミル。う、うるせー! 


「竜は、この世界を創造するぎょくを守っているんだ」


ぎょく?」


「それがこの王国のすべてを生み出したんだって」


 あ、そういえば竜の民もそんなこと言ってたなぁ……しかし、そんな大事な所に、俺達が侵入していいのかよ?


「……ね、やっぱ帰らない?」


「王子!」


 ミルが声を張り上げる。はいはい、分かりましたよ。


 さらさらと降り続く雪。霞んで見えるなだらかな坂は、上に行くほどだんだん傾斜がきつくなっている。それは巨大な氷河だった。


 見方によっちゃ、スキー場にも見えなくはない――試しにリフトを探してみるが、もちろんそんなものは、あるはずもなく……。


「頂上がぎょくの神殿。その奥の谷がドラゴンの巣だよ」


「そこにカゴがあるんだね!」


 チビすけ二人の言葉に、俺は上を仰ぐ。その頂上は遥か彼方……雪で見えなかった。


「仕方ない。ここを登るか」

 

 氷河の一番はしっこを、覚悟を決めて歩き出す。そんな俺の両脇に、カントとミルがくっ付いてきた。二人とも、俺の手にしっかりつかまっちゃってさ。


 可愛いんだけど、遠足の引率じゃないつーの! 怖いんなら、来なきゃいいのに。


(ミルはカゴの為、カントはミルの為――か)


 女って強いよな……でもって、男ってせつないよなぁ。


 カントの緊張した横顔を見ながら、俺は人知れず感動していた。


 えらいな、カントは――こんなチビなのに、ちゃんと『男』だよ。


「ねぇ、王子さま」


 氷河登りも中腹にさしかかったあたりで、ミルが改めて俺を呼んだ。


 さっきまで、隣の村のばあさんが作ったというお菓子の話を延々と聞かされ、いい加減に聞き流してた俺は、その呼びかけにワンテンポ遅れる。


「んん?」


「なんか――音がしない?」


 耳をすませてみる――しんしんと降る雪の音。風、それから。


 ――!


「伏せろっ!」


 反射的に二人の頭を押さえつける。最後に伏せた俺の頭上を、大きな何かが通過した。


 ――途端。


 ゴォォォンッ!


 というものすごい音がして、背後の壁が崩れた。


 俺はとっさに、二人の上に氷のかけらが落ちないように覆いかぶさる。二人とも、その中にすっぽりと収まっちゃってさ。チビで良かったぜ、まったく。


 音が派手な割にたいした怪我もなかったのは、俺達に向けて放たれたのが、大きな雪の固まりだったからだ。


「……にしても」


 俺は、ゆっくりと壁から振り返る。


「雪合戦にしちゃ……度が過ぎないか?」


 その生き物は一見、大きな氷の塊に見えた。でもよく見ると、ちゃんと手足があってーー心臓部に赤いゼリー状のようなもの揺らめいている。


「サムイ……アタタカイ……クレ……」


 寒い、暖かい? 何言ってんだこいつ?


「ネツ、クレ」


 なるほど『寒い』から『暖かい』、『熱、くれ』か。言いたいことは分かったけどさぁ。


「却下!」


 大体、いきなり雪の塊を投げつけるなんて、人に物を頼む態度じゃねぇよ。だろ?


「アタタカイ……オマエ、ノ……クレ」


「わ、近付いてくんなよっ!」


 伸ばされた氷の手――その中で雪が生まれる。その小さな吹雪は、渦を巻きながらどんどんと形成されていく。


 まずい――さっき撃ってきたのはあれか?


「カント! ミル連れて逃げろ!」


「で、でもっ」


「早く!」


 傾斜の下側に陣取られているため、上に向かって逃げるしかない。


 雪の坂を駆け上るのはキツイだろうけど――頑張れ!


 意を決したカントは、大きく頷くとミルの手を引いて走り出す。


「クレェェェネツッ……!」


 氷男の手から、カント達に向かって雪が放たれた。


「させるかっ!」


 だがそれよりも早く俺は長剣を抜くと、直径一メートル程の巨大な雪球を、正面から叩き切る。雪弾は、俺の目前で砕けた。


「グッ……ッ!」


 だが腕には、思っていたよりすごい衝撃が走る。これは雪というより、氷の粒の塊だ。こんなのまともに食らったら、失神間違いなしって感じ。


「ネツ……クレ……ネツ……」


 奴は、表情を変えることなく不気味に近付いてくる。――の、ヤロウ!


「そんなに熱いのが好きならっ」


 俺は、自分の片腕をグッと前に出した。刹那――拳に炎が宿る。


「くれてやるよ!」


 ドウッ!


 鈍い音がして、俺の手から放たれた炎が、奴の心臓部を直撃する。


 炎の魔法に関しては――パザマのときはちょっとかっこ悪かったけど――あれから俺も勉強したんだ。


「グゥ……ッ!」


「ホラッ! もう一発っ!」


 すかさず二度目の攻撃。今度はカンペキに奴の中心を捉える!


「ガァァッ……!」


 地を這うような断末魔を残して、氷男は砕け散る。


 見よ! これぞグランシス仕込みの魔法授業を受けてきた成果だっ!


「まったく――氷のくせに、熱いもん欲しがるからだ」


 足元に転がってきた氷の破片を蹴り飛ばす。まったく、人騒がせな奴俺は、ほっと一息ついた。


 ――ところが。


「ネツ……」


「……アタタ、カイ……」


「クレ……! クレ!」


 不気味な声とともに、あっちからもこっとからも似たような氷男が出現したのである。


 何だ何だなんだー! こいつら、自殺願望者の集団かっ?


 まとめて成仏させてあげたい気もするが、俺の魔法だって無限ではない――っていうか正直、打ち止め! 二発だけかいって感じだけど見た目より疲れンだよ、魔法ってのは。


 でも、そんな理屈が通る相手では、もちろんなく――。


「うう……これはちょっとヤバイ、かな」


 とりあえず退散! そうと決めたら行動は素早い。


 俺は、その氷男集団に背を向けると、カント達を追って坂を駆け登った。


 やっぱりガキの足――俺はすぐに追いつく。


「退治してくれたの?」


 白い息を吐き出して、カントが言った。うーん、それがだなぁ。


「作戦変更。逃げるぞっ」


 ドォォンッ!


 そう言った俺のすぐ横で、巨大な雪球が砕けた。ヤバイ!


「ちっ! もう追ってきたか」


「やだー! 数増えてるよ? 王子!」


 俺の背中越しに、ミルが悲鳴を上げる。


「走るぞ!」


 俺は両脇にカントとミルを抱えて、さらに上を目指して走り出した。


 うをっ! さすがに重いぞ、これは!


 時間を稼いで、少しずつ魔法攻撃を――と考えてたんだが、これでは先に体力が尽きそう……まったく! なんで、俺が日曜日のお父さーんみたいに、ガキ二人抱えて走らなきゃいけないんだよー。


 おまけに氷男達の雪弾は、とどまる事を知らない。腕は痛いし、寒いしー!


 このままでは、氷男達に囲まれるのも時間の問題だ。


(どうしよー! 限界だよ、もう!)


 だが、その心配は突然――杞憂に終わった。


 深追いし過ぎたとばかり、あんなに執拗だった氷男達が、慌てて姿を消していく。


 空気の質が変わった。ピシリという耳鳴りのような音がして。


「なんだ……ここは?」


 その空間にはもう、雪も氷も存在しなかった。


 生き物の気配は皆無なのに、誰かが息をひそめてじっと見ているような――気味の悪い緊迫した空気が流れる。


 俺達が足を踏み入れたのは、さっきカント達が言ってたぎょくの神殿だった。


「こーんな山奥に、よくこんな神殿作ったなぁ」


 カントとミルを下ろすと、感心しながら奥へと進む。


 その先に、オブジェのようなものがあった。


 花びらみたいに幾重にも重なったスプーン形の銀皿の上に、大きな大きな球体が浮いている。それがまた、途方もなくでかくてさ――。


 俺達三人は首を限界まで曲げて、ただバカみたいに見上げるしかなかった。


 なんだか蓮の花みたい。


(……ビミョーなセンスだな)


 というのが、俺の素直な感想だ。だがもちろんこれはオブジェなんかではなく。


「世界のぎょくだ……」


 隣でカントが、小さくつぶやいた。




「世界の、玉」


 俺は、カントの言葉を繰り返す。


「……ってあの、世界を創造してるっていう?」


 こくり、とカントが頷いた。


「じゃあ、この先の谷が……ドラゴンの巣ね!」


 勢い込んで、ミルが聞く。


 うえぇ……まだ先なのかよ? 俺は思わずしゃがみこむ。


 正直、もうぐったりなんですけどー。


「王子さまぁ……大丈夫? 少し休む?」


「え?」


 おお! 今までのミルにはなかった、思いやりにあふれた発言!


 気がつくと目の前に、ミルの大きな瞳があった。


 その瞳が、いままでになくウルウルしててさ――なんなんだ、この子は?


「ミルね、さっき王子様に助けてもらってすごーく感激しちゃったの」


 そして、座りこんだままの俺の上にズカズカとのっかて来る。そして、その小さな手で、俺の右腕を取ると、


「ミルを、しっかり抱いて走る王子様の腕は――とっても力強くて暖かくて」


 とうっとりと目を閉じた。


 なるほどねー。俺が命がけで逃げてるときに、ミルちゃんは一人、めくるめく少女漫画ワールドを展開させてたってわけだ。


 そりゃ、ミルちゃんといえども可愛い女の子。


 女の子にもてるのは悪い気がしないが――。


「……」


 ミルの肩越しに、唇を噛んでうつむいているカントの姿が見えた。


(近くに、こんなに大切に想ってくれている人がいるのに――それはちょっとないんじゃないか? ミルちゃん)


 カントの気持ちが痛すぎて、俺は大きくため息をついた。


 とりあえず俺は、どっこらしょと夢見るミルを横に降ろすと、


「じゃあ、お言葉に甘えて――少し休憩しようぜ。カント、お前も頑張ったから疲れたろ?」


 出来るだけ明るい声でそういう。


 カントはうなだれたまま、静かに頷いた。


 なんだか話がややこしくなってきたなぁ……もう。




 よくよく考えると、休憩を取るという選択はかなり正しかったのだ。


 朝から色んなコトがあった一日だったが、今はもう夕方――夜行性のドラゴン達にとってこれからが活動タイムなのである。


 ドラゴンの巣から、安全かつ確実にカゴを取ってくるのは、竜達が深い眠りにつくといわれる、早朝まで待たねばならない。


 それまでに疲れた身体を休めておく必要があった。


 いくつかの部屋に分かれる神殿の、一番地味な部屋を陣取った俺達は、とにかく竜に見つからないように夜を過ごすことにする。


 床に小さな魔方陣を描くと、俺はその中心に手をかざして、ささやかな炎を造ってみる。


 グランシスに、心の中で手を合わせながら。


(ごめんなぁ。お前に教えてもらった魔法、しょーもないことでしか活用できなくて)


 その炎に照らされて、先ほど嵐を呼んだミルは、俺の貸したマントに包まって幸せそうな眠りの中である。


 カントは固い表情のまま、自分の膝を抱えて炎を見ていた。


「お前、ちょっとヘコんでるだろ?」


 そんなカントに、俺は声をかける。だが、返ってきたのは以外にも乾いた声で。


「仕方ないよ。ミルはいつも強い男が好きだって言ってるもん。王子も好かれて良かったね」


 全然ガキのミルのなんか、俺が好きなわけないじゃん。


 でも、そう言って慰めるのだけはやめようと思った。


 どんなに小さくてもこの恋は、ミルという存在は、カントにとって宝物なのだから。


 代わりに、


「お前は十分強い」


 と言ってみた。否定の沈黙が流れる。


 ま、今のカントには分からないだろうけどさ――もっと強くなりたい、誰よりも強くなってミルを守りたいとひたむきに願っているカントには。


 ああ、だからか。俺はカノンちゃんの話を思い出していた。


「だからカントは、盗賊団に憧れたりしたんだ」


 今度は、肯定の沈黙。俺はため息をついた。恋する男ってせつないよ。


「いいよ、慰めは……だって僕、まだ子供だもん。大人の王子様と比べられても勝てるわけないよ」


 揺れる炎を見つめながら、カントはきっぱりとそう言った。頭の良い奴なんだ。それはきっと正しい。間違いのない真実だ――でも。


 カント、と俺は言った。


「お前が俺の歳になったらこうきっと言ってる――だって僕、まだ十五だし……で、もっと歳をとったらもう歳だしってな」


「……」


「ミルはお前に、俺を超える力なんか望まないよ。本当に見たいのは五歳のカントの、今ある精一杯の想いだ」


「僕の精一杯?」


 よくわからないという顔で、カントが首をかしげる。


「お前の気持ち、分かるんだ。俺もさぁ昔、目の前で大好きな女の子取られたことがあるから……」


 そう、あれは中一の冬――可愛いピンクのマフラーに顔を埋めながら、その女の子は言ったんだ。


「私、高田クンが好きなの。だから志誠君の気持ちは受け取れない」ってさ。


 こう、胸のあたりがギュウってなったよ……でも。


「でも一番ショックだったのは、翌日その男が俺ンとこに来てさ、安心しろよって言ったんだ。俺があんな女、好きになるわけねぇだろ? ってさ」


 あんな女。あんな女の為に、俺は眠れない夜を、苦しい胸の孤独を幾度も味わったんだぜ? じゃあ、あんな女に振られた俺は、一体何なんだよ?


 高田って男も、奴が好きだっていうその子も、もう何もかも馬鹿らしくなって――俺の苦い恋は終わった。


 そして決心したのだ。これから一生、俺は告白なんてイケてる青春イベントなんか実行しない。地味に大人しく、空想世界を愛して生きていく。絶対に岩に苔生すまで、と。


 でも、今ならわかる。俺は間違ってた。本当は高田なんて関係なかったんだ。


「あの男と俺を比べてたのは、その子じゃない。俺自身だったんだ。勝手に比べて、勝手に降参して、一人いじけてた」


 そこでちらりとカントを見る。


「今のカントみたいに」


 驚いたように、カントは顔を上げる。その目をしっかり見ながら、俺は言葉を続けた。


「あれこれ答えを出す前に、ぶつけてみろよ、お前の精一杯の気持ちを……で、ダメならすっぱりあきらめろ」


 な、と小さな肩を叩く。そして、改めて語調を明るくすると、俺は大きく伸びをする。


「しっかしエライよ、お前は――俺が五歳ン時なんて、ただのハナタレ小僧だったぜ」

 

「分かる気がする」


 むか。


 だが、そう言ったあとに、カントは初めて笑ったから許してやる。


 なんか伝わったかな? 伝わると良いな、と思った。


「ちょっとそこら辺り、見てくるな」


 この小さな恋人達をふたりっきりにしてあげたくて、俺は席を外すことにする。


「カントも今のうちに寝とけよ……でも、どうしても眠れないんだったらちゃんと守ってろ。火と……それから」


 俺は黙ってミルを指差す。


 カントが小さく、けれど力強くうなずいた。




 気がつくと俺は、一人、世界のぎょくの前に立っていた。


 本当は危険なんだと思う。竜にでも見つかったらどうするつもりだ?


 それでも俺は、ここに来てしまった。不思議と竜の気配はなくて――大きな球体が、ただ闇に溶けるかのように存在している。


 で、なんで俺がわざわざこんな場所に来たかというと。


 うーん……気持ち悪がらないで、聞いてくれる?


 誰かが――呼んでる気がしたんだ。いやね、実際いたらすごくヤなんだけどさ。


「……待っていましたよ」


 背後で男の声がした。


 きゃーっ! 出たー! 背中がぞくぞくっとする。


 両手で顔を包み込んだまま、俺は恐る恐る振り返った。――そして。


 俺の瞳は、大きく見開かれる。言葉が、なかった。


 頭ン中、真っ白で――数秒の間があって。


 俺はやっと懐かしいその人の名を呼んだんだ。


「レノ……マール」


 それは間違いなくレノマールだった。


 この王国に来てから、唯一俺を励ましてくれた、ダメな俺の可能性を信じてくれた人。


 にも関わらず、俺のせいで――死んだ人。


「ここは、二つの世界交わる場所――あなたにこそふさわしい」


 だがレノマールは再会を喜ぶでもなく、静かにそう言った。


 再会に感動して言葉もない俺とは、悲しいほど対照的だ。


「偽りの王子シセ。これからこの世界の崩壊が始まる」


 それは、ぞっとするほど冷たい声だった。レノマール?


「なんだよ? 何言ってんのか……わからねぇよ」


 俺の声はかすかに震える。世界の崩壊が――始まる?


「シセ王子――いや、桐田志誠君。あなたが何故、この世界に呼ばれたかわかりませんか?」


 レノマールは、そんな言い方をした。何故って――。


「この国の王子が行方不明で……だからしばらくの間、俺が代理にって……」


 圧倒的なレノマールの存在に気押されて、何故か俺は弱々しく答える。


 弱々しくはあるけど――真実だ。だが、それを聞いたレノマールは、きっぱりと言った。


「元々、この世界にシセ王子なんていない」


「な、んだって……っ?」


 絶句する俺に、レノマールは薄く微笑んだ。そして、世界の玉を見上げる。


「そう――確かにあなたは偽者だ」


 ですが、とレノマールはゆっくりと俺に視線を戻した。


「あなたはこの国にとって、偽者であるにも関わらず、唯一の存在なんです」


「……」


 黙ってしまった俺に、さらにレノマールは語りかける。


「これから世界の崩壊が始まります――それを救えるのは、偽りの王子だけ……けれど滅ぼすのもまた、あなたでしかあり得ない」


「なっ!」



 俺がこの世界を滅ぼす?

「この世界を救うのも、そして消滅させるのも――すべては」


 ゆるやかな、レノマールの眼差し。


「王子次第」


 俺……次第って、そんなこと急に言われても。


(俺が、この世界を滅ぼすなんて……そんな)


 そんなことするわけ、ねぇじゃんよっ!


 だが、言い返そうとしたときにはもう遅かった。


「レノマール!」


 次の瞬間、その姿は消えていたんだ。幻覚、だったのか?

 

 違う。俺は目を閉じる。レノマールは、さっきまで確かにここにいた。


(ここにいたんだ)


 そして俺を偽りの王子と言った。


 偽りの――。


 いままで出会った人達の顔が浮かんでは消えた。ファイアルト、グランシス、フレイラ姫にカノンちゃん、キサ王子やカントとミル――そしてレノマール。


「レノマールのやつ……言いたいことがあんなら、もっと分かり易く言えっての」


 小さな声で毒づく。


 せっかく会えたのに……俺、頑張って強くなったって。魔法も勉強してるって……。


(伝えたかったのに――ちゃんと、言いたかったのに)


 いかんっ。鼻の奥がツーンとしてきた。


 もう! なにがなんだか意味がわかんねぇよ……わかんないけど。


 俺は急にやるせなくなって、空を見上げる。


 見上げた月は、凍っているみたいにキラキラと、そして青白く輝いていた。




「ここが……ドラゴンの巣か」


 翌朝――俺達は、竜の谷と呼ばれる場所に到着する。


 そっと谷を覗き込むと、数十頭もの竜が眠りの中にいた。眠っているとはいえ、その威厳のある風格は健在だ。


 レノマールとの再会のあと、俺は朝まで色々考えてみたが、結局、何一つわからなかった。だって、フツーそうだろ?


 というわけで、とりあえずドラゴンの巣である。


(まったくとんでもない所に来ちゃったなぁ――俺はただの保護者だからね。どうか、恨まないでね、ね……!)


 ちょっとセコイけど、俺は一人手を合わせる。


 だってバレたときに子供は許してくれても、俺だけダメそうだし。


「あ」


 ミルが小さい声を上げた。


 その視線の先には竜の腹の辺りに転がる、小さなカゴがあった。


「お、あれかミルのカゴは……俺が取ってくるから、二人ともおとなしく待ってて」


 そんなに深い谷じゃないから、竜さえ起きなければすぐに取って来れそうだ。さっさと片付けてお城に帰らなきゃ。


 だが、さっそく降りようとした俺のマントが引っ張られる。


「僕がカゴ、とって来る」 


 思いつめた顔でカントが俺を見上げていた。


「ダメよ、カントはまだ子供なんだから」


 ミルがすかさず言った。


「危ないことは全部、王子様がやってくれるよ」


 あのーミルちゃん? 本当に俺のこと好きなの?


「僕が……行く。行きたいんだ」


 お願い、とカントが俺に頼み込んだ。その真剣な眼差し。


 うーん……距離的にも遠くはないし、第一、チビのカントの方が向いているかもしれないし――よし、ここはカントに花を持たせてらろうではないか!


「頼んだよ、カント」


 カントはまかせて、と笑った。


 ドラゴンを起こさないようにそっと谷を降りていく。たくさんの竜達の間をすり抜けてカゴを手にとるまでに、さほど時間はかからなかった。


 でも、俺達もう! ドッキドキでさぁ――! ミルと二人で祈るように見守る。


「いいぞ……早く上がって来い……!」


 カゴを手に、下から引きつった笑顔を向けるカントに、俺は小声で言った。


 よし、もう大丈夫だ。あー心臓に悪ィー!


 ホッ胸をなで降ろした――そのとき。


 小石、だった。


 谷をよじ登るカントの足元から、小さな石が転げ落ちたのだ。


「!」


 近くで眠っていたドラゴンの爪先に当たる。たったそれだけ。


 それだけのことなのに、その竜はゆっくりと目を覚ました。


「げっ……! マジ?」


 デカイ図体して、神経質過ぎるんだよ!


「やばい、急げカント!」


 半ば強引にカントの手を引っ張り上げると、俺達三人は神殿まで一目散に逃げる。


 世界のぎょくまで戻ったところで、俺は後ろを振り返る。


 追ってこない? 谷へと続く神殿には、ただ静寂が広がっていて――。


(た、助かったぁー……)


 一気に緊張が解ける。そうだよな、たかが小石いっこぐらいで、ドラゴンが追いかけてくるわけないよな!


 あー、良かった。低血圧の竜で。


 刹那。


 ドォォォォンッ!


 ものすごい地響きとともに、谷側の神殿が崩れた。


「なっ!」


「きゃー!」


 ミルの悲鳴が響く。ガラガラと崩れていく神殿の、土煙の中から現れたのは!


 怒りを漲らせた――一匹のドラゴンだった。




 緊張で、心臓が一気にせり上がる!


 嘘だろ? カントとミルを抱えて、俺は一体どうすりゃいいんだよ?


 竜が咆哮を上げる。


 その凄まじい声に、俺達は立ちすくんだ。


 逃げられるか――無理だ。絶対に、不可能だ。


 ドラゴンより早く氷河を降りるなんて不可能だよ!


 いや――待て。


 自分の思いつきに、俺は思わず口を押さえた。


 それはあまりにも危険――危険過ぎる。だが。


「もう十分、危険なんだよな……」


「王子さま?」


 不思議そうに見上げるカントとミル。


 何としてでも、この子達をまもらなきゃ――!


 俺は、世界のぎょくを支えていた、幾重にも重なる銀の皿の一枚に、全体重をかける。


 ベキッと鈍い音がして、その皿の一枚が割れた。


 それはまるで、大きなスプーンの先――それを持って、俺は慌てて神殿の外に出る。


 目の前には、来たときと同じように氷河が広がっていた。


 意を決したように、俺はミルを抱きかかえる。そしてカントに背中に乗るように指示した。


「いいかカント。なにがあっても絶対、俺から手を離すな」


「うん……でも王子」


 何をする気なの、とは聞かないでくれ!


「いいから! 怖かったら目ェつぶっとけ。でも、手だけは離すなよ!」


 そう言うと俺は、足元に落としたぎょくの皿に足を乗せる。


「行くぜっ!」


 思いっきり、地面を蹴った。ガガガ、と幾分抵抗したあと、銀の皿は勢い良く滑り出す。


 見よ! これぞ天然スノボーだっ!

 

 実はまだワンシーズンしかやったことないから、技術的にかなり不安なんだけど。


 滑り出した俺達と、竜が神殿から飛び出したのは、ほぼ同時だった。


 グォォォンッ!


 竜の声がすぐ後ろまで迫る! ちっ、やっぱり追ってくるか。


 だが予想以上の速度で、銀のボードは走リ出す。やった! 狙いどおりだ!


 確かにこれでは竜もなかなか追いつけない。


(追いつけないけどっ!)


 風が耳元でびゅんびゅん唸る。


「止まんねぇーっっっ!!」


 やべーぞ、これはっ! 


 勢いに乗って、スピードはグングン上がっていく。


「ガァァァ!」


 すぐ傍までせまった竜が、大きく口を開くのが見えた。


「させるかっ!」


 右に体重を少しかける。


 それだけで大きく左へ曲がることに成功!


 ほんのわずかの差で、俺達は竜の牙から逃れた。竜の口が空を切って閉じられる。


 だがソリは、その風圧でさらに加速していく!


「わわわ!」


 あまりのスピードに、俺はもう分けわかんなくなってて。


 登りはあんなに大変だったのに、見覚えのある牢屋まであと少しだ。


(げ、激突だけは避けたいんですけどっ!)


 祈るような涙目の視界の先に、ほんの小さな雪の塊が見えた。


 言ってみれば、ささやかな天然のジャンプ台だ。


「嘘だろっっ―!」


 ほんの小さくても!


 このスピードならっ――!


「だぁぁぁぁぁっ!」


 本当、見事に俺達は宙に投げ出される。


 とっても嫌な感じの。


 一瞬の、浮遊感があって。


 落ちるぅぅ――!


 が、何故か俺は、ふわりと宙に浮いたままだった。カントもミルも同じで――。


 わけがわからない……一体、何が起こったんだ?


(これは……魔法?)


 ということは! こんなに見事な魔法をなんなくやってのける人は一人しかいない。


「グランシス!」


 泣き出しそうな懐かしさの中で、俺はその人の名を呼ぶ。


 陶器のように白く美しい顔の大魔導師サマは、そんな俺ににっこりと笑いかける。


 そして表情を引き締めると、俺の背後に向かって叫んだ。


「世界の守り手、竜の御霊に告げる! そなたの役目はぎょくの守護。今一度覚醒し、その聖域に去れ――」


 悪鬼のごとく俺達を追ってきたドラゴンは、その言葉で急に大人しくなった。


 そして咆哮を上げると、谷へと帰っていく。なんと鮮やかな説得!


 信じられないものを見る眼差しで、俺はグランシスに振りかえった。


 あんた、マジでスゲーな!


「お怪我はありませんか? 王子」


 ぐ、グランシスぅー! 怖かったんだよーっ。


 それから急に、俺の周りは騒がしくなった。


 目の前では、竜の民のおっちゃんが「王子! どうかお許しください!」と平謝りに謝り倒している。それから、その向こうではカントがカノンちゃんにこっぴどく叱られていた。庇ってやりたい気もするが――。


(カノンちゃんを心配させたのは事実だからな。その分しっかり怒られとけ)


 涙声のカノンちゃんの説教が、なんとも可愛らしい。


 そのお怒りを一心に受けているフリをしながら、カントはちらりと俺を見た。


 一瞬だけ笑う。


 その左手には、しっかりとカゴを持って。


 そして右手には、これまたしっかりとミルの手が握られていた。


(おーおー、やるじゃねぇか……)


 俺は腕を組んで、愛を勝ち取った小さな勇者に親指を立ててみせる。


 えらい! えらいぞ、お前はっ!


 そのとき。俺は背中をバンと叩かれる。いってー! 振り返ると、ファイアルトが嬉しそうに立っていた。ちょっと留守にしたかと思えば、と頭を小突く。


「何を楽しそうなことしてんだよ?」


 ガシガシと頭を押さえつけられる。痛い、イタイ! お前の愛情表現は乱暴なんだよ。


「た、楽しくなんかなかったわいっ!」


 無事で良かったとか心配させるなとか、そういう泣けるようなこと、言えないもんかねー?


 でもまぁ、本当に心配してなかったら、こんな北の辺境までファイアルトも来ないわけで――。


「ほら、とっとと帰るぞ」


 背を向けたファイアルトの、鍛えられた後姿に、俺はなんだか犬みたいな気分でついて行きたくなる。


 そうそう。ここ数日、俺って妙にお兄さん的な場面が多かったからな。


 今は子供にかえって甘えたいんだよねー。結局、俺はまだ、大人の階段を登りきらないジェネレーションなわけよ、これが。


「待ってくれよ、兄貴ぃ!」


「誰が兄貴だっ、だれが」


 赤い髪を風になびかせて、あきれたように笑うファイアルト。それから、キレイな顔して手厳しく、でもいつも暖かくフォローしてくれるグランシス。


 二人はいつも――こんな風に助けてくれる。


 それだけじゃなくて。


 妙ちきりんなキサ王子や気の強いフレイラ王女。いつも優しいカノンちゃん、それからカントとミルだって――。


 俺、生まれて初めて心から「好きだ」って実感できる仲間なんだよ。そんな愛すべき人達がいるこの世界を。


(この王国を……俺が滅ぼすわけないじゃんか……)


 そうだよ、何言ってんだよレノマールは――。しばらく会わないうちに、脳みそ溶けたんじゃないか? 本当はもっと別の話したかったのに……レノマールのバカ!


 だが、そんな俺の悪態は長くは続かない。


 次第に泣きそうになる気持ちをグッとこらえる。


(そうだよ、滅ぼすなんて――あるわけない! あるわけないよ……)


 その強い否定の心はやがて、何故か祈るような気持ちに変わっていた。

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