王女様の秘密
「嫌だよー! 舞踏会なんて俺、ガラじゃないってば」
バカ王子初の快挙に国中が沸いた、あの盗賊退治からまだ三日も経っていないある日の午後――。
「そうおっしゃらずに――舞踏会に出席することも、王子として大切なことです」
ちなみにあの時以来、グランシスは何故か俺に敬語を使っている……別にいいけどさぁ。
「んなこと言われても……肩こりそうだし」
隣国の姫君のお誕生日だとかいう理由で、今夜、舞踏会が開催されるというのだ。
王子代理の俺がそんな場所に出席してみろ、知らない人間のオンパレード、考えるだけで胃が痛くなる。
「フレイラ王女も楽しみに待っておられる……かもしれないですし」
「フレイラ王女?」
まーた知らない名前だ。ヤんなるよ、まったく。
「忘れたとは言わせないですよ? シセ王子の大切なフィアンセなんですから」
なっ! フィアンセ? このバカ王子にそんな存在が!
「ええと……美人だったっけ? その王女様」
額をポリポリと掻きながら、俺はそんな質問をしてみる――我ながら情けないんだけど。
はい、とグランシスは笑顔で答える。
「誰が見ても、最高にお美しい姫です」
うーん、ちょっと心が揺れてきたぜ……って、いかんいかん!
だってフィアンセだよ? 俺が知らないってだけで、この間のキサ王子みたく怒らせたらヤバイじゃん。
「……やっぱり、今夜の舞踏会はやめとくよ」
頑なに拒む俺に、お手上げ状態のグランシス。代わって、ファイアルトが説得に入る。
「俺もグランシスも出席するんだから、心配ないって、な?」
美人の姫君に興味がないこともないが、本物の王子の為にもここは我慢だ、我慢。ダメ! 誰が言っても、俺は絶対行かないんだからな!
だが、そんな俺の清らかーな思いやりをぶち壊す秘策が、ファイアルトにはあったのだ。
「残念だなぁ……舞踏会ってすごーく良い事あんだぜ?」
「……良いこと?」
そうそう、とファイアルトは俺の肩に手をまわす。そして、
「運がよければ」
グッと引き寄せると、耳元でささやいた。
「その夜のうちに、女の子と――ヤレる」
「うっそ! マジで!!」
「マジマジ。大体、ご婦人方も半分はその為にお洒落してくるんだから」
「サイッコー! 俺、舞踏会大好き! 俺んちの国でも毎日やろうぜ」
「そう、あわてんなって。まず手始めに……今夜の舞踏会だ」
「おっけー」
子犬のような無邪気さで――というか、野郎の欲望のおもむくままに――俺はファイアルトの罠に落ちた。
いそいそと支度を始めて、さっさとお迎えの馬車に乗る。
(王子代理ってのも、いいもんだなぁ……)
すっかり夢心地の俺に、隣のファイアルトがにこやかに話し掛ける。
「さっきの話だけど、さ」
「……ん?」
「お前は無理だからな」
おいおいおい、どういうことだよ?
決まってんだろー、とばかりにファイアルトは肩をすくめる。
「王子様、だから」
「……」
(だ、だ、だ――!)
騙されたぁー!!
だが時はすでに遅く、俺達を乗せた馬車は国境の丘を軽やかに越えて行ったのだった。
(ちっきしょー、あいつら……!)
納得できない気分のまま、俺はグラスの果実酒を一気に飲み干す。未成年だろ、なんて野暮なことは言わないでくれ。
実際、飲まずにおれるかこの状況って感じ。
綺麗に着飾ったお嬢様達は、王子の俺に一応、社交辞令的なあいさつはしてくれるが、それ以上の発展は、ない。
それに比べ何だよ? グランシスなんか両手に花で、楽しそうに談笑なんかしちゃってさ! ファイアルトにいたっては、両手に花束だぜ?
(こんなの身分差別だ! だから来たくなんかなかったんだ!)
良いことなんか、なーんにもないじゃんかよ! ……ただし。
この舞踏会の唯一の収穫といえば――。
「ほんっと……キレイだよなぁ……」
フレイラ姫は、文句なしに美しかった。
いや、美人のお姉さんは、他にもたくさんいたんだよ。だけど、姫様は“格”が違ってた。
もはや美しいって領域を越えて、麗しいって感じ――。
(はぁー……また極上のフィアンセを手に入れたもんだなー!)
ひたすら感心しながら、俺は遠目にその麗しの姫君を眺める。
あ、目が合った! 姫はにっこりと微笑むと、大勢の取り巻きをそのまま引き連れて、俺の方に優雅に歩いてくる。
「ごきげんよう、シセ王子様」
なんという、ゴージャスな挨拶!
「この度シセ王子のご活躍で、辺境の盗賊団を一掃されたとか……」
おお? 俺の活躍はもう隣国まで轟いているのかー! そうよ、そうなのよー。俺のスタイリッシュな戦いを、フレイラ姫にも見せたかったぜ。
「まぁ――たいしたことじゃ、ないんですけどね」
眉間あたりに手をあてて、俺はクールに言い放つ。
いい感じなんじゃなーい! ひょっとして! この展開はっ! 今晩あたり、この王女様とヤレたりしたら俺、死んでもいいかもー。
「ちょうどいいわ。乾杯いたしましょう――グラスを」
お美しい唇が、煌びやかに動く。その艶めきといったら――サイッコーだね、こりゃ。
だが、次の瞬間。
その場の誰もが凍りついた。俺だって、何が起こったのか――わけわかんない。
王女は手にしたグラスの酒を、高く持ち上げて。
俺の頭からぶっかけたのだ。
(つ、冷てー……)
「どうせ、ファイアルト騎士やグランシス大魔導師の手柄を横取りしたのでしょう?」
王女の口から、さらに冷たいお言葉を頂戴する。
「いいこと? 貴方との婚約は、勝手に親が決めただけ――王子と一緒になるぐらいなら、わたくし、この地位を捨てますわ」
形の良い唇が動くのを、俺はただ呆然と見ていた。
その噂は、またたく間に国中に広がった。
おかげでこの間の盗賊退治なんてすっかり忘れられちゃってさー……俺のささやかな活躍なんて、いとも簡単に消え去ってしまった。
――大体、人っていうのは他人の幸福より、不幸の方が好きなんだよね……。
「そりゃないよなー……俺が何したってんだよー」
ベットの上でゴロゴロしながら、お部屋の掃除に来た侍女のカノンちゃんにブーたれる。
「何って……いろいろありましたからねぇ」
細い指先を小さな顎に当てて、カノンちゃんが言う。
そ、そうなの? まったくバカ王子はー、何をやったんだよ、何を!
「でも私は、最近のシセ王子は前と違うって思いますわ。私、王子様には感謝しておりますの」
そういって笑ってくれる。うう、カノンちゃんの優しさが、今の俺には身に染みるぜ。
「でも、なにを感謝してくれてるの?」
「一番下の弟が、あのガルーナ盗賊団に憧れてましたの。将来が心配でしたが、王子様達のおかげで……」
はぁ……なんか人、それぞれ色んな悩みがあるんだなー。カノンちゃん、盗賊退治の日から妙に優しくしてくれるようになったと思ってたら、そんな理由があったんだ。
納得しつつ、俺は枕を抱きかかえる。――とはいえ。
「あんなことされちゃ、俺。ショックで部屋から出られないよぅ……」
「もう。甘えんぼさんですね、王子は」
カノンちゃんが、可愛く「メッ」ってする。カワイー!
そうそう、やっぱりこういう母性本能溢れる大人しい女の子が一番だよ。掃除も上手いし、メガネの奥の笑顔も可愛いし――決めた!
デリケートな俺が受けた深―い傷は、このカノンちゃんに癒してもらおうっと。
そうだよ、いくら美人か知らねぇが、あんな高ビーな姫様より、ずっといいよな!
だが、このつかの間の幸せをぶち壊す人間は、どこにでもいるもんなのだ。
「王子! 大変なことが起こった!」
ノックもそこそこに、派手にドアが開かれる。
「……なんだよ? 何か用かよ?」
「そうヤな顔すんなって」
赤い髪をかき上げて、お嬢様達に大人気だった爽やかな顔を見せる、その男は。
「ファイアルト、お前! 舞踏会の夜、いい思いしたんだろ」
「いい思いも何も、そらもう、やりたい放題で……って、そんなこと言ってる場合じゃないんだよ!」
や、やりたい放題? この俺を差し置いて、ぬぁんてハレンチなっ! ひどい、ひど過ぎるわ……もういい! グレてやる、俺はグレてやるぞー!
「フレイヤ姫が攫われた」
へ……?
ファイアルトの意外な言葉に、俺は思わず顔を上げた。
「攫われたって、誰に?」
「パザマという名の、魔族のひとりです」
そこに新しい声が加わる。見ると、開けっ放しのドア入り口に、グランシスが立っていた。手にはなにやら妖しい手紙――魔族? これまた胡散臭い……。
「……ふーん。そりゃ、フレイラ姫も気の毒ですねー。でも俺には関係ないもーん」
「冷たいなぁー王子は」
俺の反応に、ファイアルトが顔をしかめる。
「ええ、ええ。冷たかったですよ、お姫様がぶっかけたあの酒は」
「心も狭いし、根に持つし」
「そこまで言うなら、お前が行けばいいだろ? やりたい放題してこいよな!」
確かに俺は、冷たくて心が狭くて、さらに根に持つヤな奴だよ。でも!
フレイラ王女を助けるのだけは、ごめんコウムル!
大体、前回はレノマールの仇を討ちたくて頑張ったけど、本当の俺は穏やかーな平和主義者なんだよっ。
「ところが、そうもいかないんです、王子」
グランシスが静かに口を開く。なんだよ、グランシスまで。
「王女の命が惜しければ、シセ王子がたった一人で迎えに来いと」
「誰が?」
「魔族パザマ」
「何で?」
「さぁ……でもこの手紙に」
そう言うと、グランシスは手にした紙をヒラヒラさせる。追い討ちをかけるようにファイアルトも口を開いた。
「それに、相手は魔族だ。剣の攻撃は効かない。いくら無敵のファイアルト様でも、歯が立たないってわけ」
げっ、マジ?
「そんなぁ! それじゃあ、俺だって同じだよー。魔法の授業なんていままでまともに出席したことないもん」
「偉そうに言うな」
ファイアルトが呆れている。仕方ないだろ、剣術だけで精一杯だったんだからさ。
「……そんなことだろうと思いました」
いいですか、とグランシス言う。
「この手紙では、明日の夜十二時までに助けに来なかったらフレイラ王女を魔界に連れて行くとあります。王子が残された時間は丸一日――その時間をフルに使って、僕が必要最低限の魔法を教えますから」
「ちょっと待ってよー! 誰も助けに行くなんていってないじゃん」
「いい加減、覚悟を決めろ」
他人事だと思って、ファイアルトめ……。
「でも俺、散々な振られ方したんだぜ?」
「それで、無事王女を助け出せば、名誉挽回、汚名返上ってやつじゃん」
「たった一人で?」
「そう書いてある」
「……失敗したらどうすんだよ?」
「とりあえず婚約破棄は確実。あと、この噂は瞬く間に国中に広がるだろうなぁ…」
もー! 勘弁してくれよう……。
「話し合いで解決してもらったら? そんな即席魔法で俺が戦っても意味ないって……絶対、負ける。な、グランシスもそう思うだろ?」
そうですねぇ、とグランシスは首をかしげた。
そして、その手紙をじっと見つめる――まるで、何かを読み取ろうとしているように。そして。
「王子は、この救出を命がけで受けた方がいいと思います……この国のあとのことは我々にまかせるつもりで――」
なんて酷い事をっ! この国に俺はもういらないってこと?
やば、俺、マジで泣きそう……最後の救いを求めるように、俺は後ろでホウキを持って立っているカノンちゃんに振り向く。
「王子様が囚われのお姫様を救うなんて、まるで物語みたい――素敵ですわねぇ」
うっとりと、カノンちゃんが言う。
もう、みんな勝手なことを言ってからに!
頭を抱え込んだ俺に、ふと目についたものがあった。
スマホ、である。
(……しめた! この手がある!)
「ちょっと皆、俺に考える時間をくれ……ささ、出ていってくれよな」
そう言って、心配そうな三人を部屋からたたき出す。
誰もいなくなったことを確認して、俺は早速、スマホを鳴らした。
とりあえず、オヤジに電話だ。最近すっかり忘れていたが、俺は代理王子なんだから、なにもここまで命張ることはないんだよ――だろだろ?
もしかしたら王子はすでに見つかっていて、オヤジの会社で保護されてるかもしれないし……まぁ、それは考えが甘いにしろ、この俺の命の危機を伝えれば、オヤジもきっとわかってくれる。
なんてったって、親子! なんだからさ!
「おー! お前か、そっちの世界にはもう慣れたかぁ?」
有難いことに、オヤジはすぐに携帯に出た。
「慣れたって、オヤジ! こっちは大変なんだからなっ! 王子はまだ見つからないのかよ?」
能天気なオヤジの挨拶に、俺は身体の力が抜ける。
だが次の瞬間、オヤジから信じられない答えが返ってきたのである。
「は? 王子って誰? 今はお前が王子様だ」
――の野郎っっ!
「王子が見つからないからって、なんだその言い訳は――!!」
「何を言ってるのか、とうちゃんにはさっぱり分からん。最近の若いモンは理解に苦しむ」
「理解に苦しむのはっ! 貴様だあー!!」
「すぐキレるし」
「うるせー!! これでキレない奴の顔が見たいわいっ!」
スマホに噛みつく勢いで、俺はオヤジにまくし立てる。もう許せねぇ!
こんなオヤジ、勘当だ! 親子の縁を切ってやるっー!
「誰がなんといおうと、俺はもう帰るからなっ!! 分かったかオヤジ!」
「ふふふ、好きにするがいいさ……貴様に帰る方法が分かればの話だがなぁ!」
な……! 誰か分からん物真似はするなっつーの!
「汚ねぇぞ、オヤジ!」
「ナントでも言え! 親の心、子どもは知らず――略して親知らずめ!」
わーけわかんねぇ……。
「でもとうちゃんはな、お前のことを忘れない、いや感謝すらしておる。お前のおかげでとうちゃんは、社長に誉められ昇進間違いなしだ。今夜はお母さんに赤飯たいてもーらおっと。では、さらば王子!」
あっ! 切りやがった! 俺は急いでリダイヤル――だが、返ってきたのは予想通りで。
「あなたのおかけになった電話番号は、現在電波の届かないち……」
「あーのーやーろー!」
思いっきり、スマホをベットに叩きつける。
ワンバウンドする哀れな携帯に向かって、俺は思わず叫んでいた。社長に誉められ昇進だぁ?
「だからっ……お前の会社はなんの会社なんだよー!」
馬鹿でかい洋館を前に、俺は一人、ゴクリと息を飲んでいた。
真夜中の暗闇にそびえ立つ、古めかしい建物には人影もない。
ヒュオーと嫌な音をさせて風が吹き抜け、致命的な絡まり方をしている蔦の葉が一斉になびいた。
それがまた、ことさら不気味さを醸し出しててさぁ――。
だいたい俺は、不気味とか不吉とか不合格とか不景気とか、とにかく「不」のつく言葉が大嫌いなんだよ――あー、やだやだ。
あれから、徹夜でグランシスから魔術指南を受けた俺は、正真正銘、一睡もせずに、フレイラ姫が囚われているこの館にやって来た。
はっきりいって、フラフラである。
前の剣術会得もかなりきつかったが、今回の魔法は比べモンにならない過酷さだった。
だって、グランシスの奴ときたら! あんな状態であーんなことをしろなんて、そのうえ同時にこれとあれをって……もう、これ以上はR‐15指定で言えないっつーの!
全身疲労困憊のまま、俺は一人、館のでっかい扉に手を掛ける。
鍵とかかってたら、俺はそのまま帰って寝るからな! ……かかってないかなぁ?
だが予想に反して、その重そうな扉は、俺が押す一歩手前で勝手に開いた。
「……わお、自動ドアかよ、見かけによらず近代的だな」
「魔法だ、バカモノ」
頭上で声が響く。ロビーに広がる大階段。
その上りきった踊り場に――奴がいた。
身長二メートル以上、尖がった大きな耳と牙にギラギラと異常に赤い目、明らかに人間とは違うゴワゴワの黒い肌……なんだ、このCGノリの生き物は?
「……お前がパザマか?」
いかにも、とのお答え。
「なーにが「いかにも」だっ! 余計な手間増やしやがって! さっさと姫様渡して、魔界に帰りやがれ!」
俺は一気にわめき立てる。
目的は知らんが、お前のおかげで俺はさんざんな目に遭ったんだからなっ――はっきり言って、かなり八つ当たりなんだが。
「そうあわてるな」
パザマのセリフを合図に、俺の周囲が突然、騒がしくなった。無数の影がうごめく。
さっきまで誰もいなかった場所に、だよ? それだけでも十分不気味なのに――。
「げ! 気持ち悪ィー」
いかにも「魔っ!」って感じの大小様々な奇妙な生き物20匹ほど、俺に牙を向けている。どれも凶暴そうで、ヤーな感じ。
まぁ、きゅりんきゅりんの可愛い瞳の敵とかでも、それはそれで戦いにくいんだけど。
「まずは私の部下達が相手だ……人間界ではお決まりだろう?」
階段上から、パザマの余裕ぶった声が響く。コノヤロー……!
だが、言い返すより早く、パザマの手下どもが飛び掛ってきた。
俺は素早く長剣を抜くと、手前の悪魔犬もどきをなぎ払う。剣術なら、少しは慣らした腕なんだぜ?
「悪の手先がすぐやられるってのも」
刃に付いた血のりをザン、と振り払う。
「人間界のお決まりなんだよ!」
「魔剣か――こしゃくな真似を」
そうなのだ。俺を過酷な修行で痛めつけながらも、グランシスは暇を見つけて、俺の長剣に魔力を封じてくれたんだ。なんつーか、マメな奴だろ?
けど、これはあくまで雑魚用――純粋な魔法攻撃でないと、パザマには傷ひとつ付けられないだろうってのが、グランシスの見解だ。
そこまで手際よく準備できるのなら、グランシスが姫さんを助けてくれたらいいのに!
王子そっくりの人形とかをグランシスが遠隔操作とかしてさ、あいつなら出来そうだろ? 俺がわざわざ出向くなんて非合理的だよ、まったく。
数十分後、あらかたケリはついた――最後の一匹、『巨大熊、悪魔仕立て』な生き物をのぞけば。
「お前が最後だ!」
無駄な抵抗はやめて、さっさと退散しなさい! と言おうとして、俺は思わず固唾を飲み込んだ。
相手は、そんな甘っちょろいテンションじゃなくさ。――ひょっとして、ひょっとしなくても。
「……ものすごく怒ってる……?」
返事の代わりに、地響きするような咆哮が返ってくる。
同時に、悪魔クマ(言いにくっ!)は大きく右腕を振り上げた。
俺の左側で豪風が唸った。思わず目を閉じる。
刹那。ガラァァァァという音がして、足元の石畳が盛り上がっていく! その始点に目を走らせると――奴の振り降ろされた右腕があった。地面に鋭い爪が食い込んでいる。
「マジ?」
こんなの食らったら、一撃で即死だ。
とにかく距離を置いて、下段で構える。落ち着けェ――落ち着けよ、俺。
とはいえ、こんな怪力相手に剣なんか役に立つ気がしないってば!
ついでにいうと補助系や防御魔法は一切、教えてもらっていない。とりあえずパザマ用の一撃必殺攻撃魔法を猛特訓、あとは自力で逃げ回れって作戦。
実に乱暴な話だけど仕方がない。時間がなかったのだ。
でかい図体だけに、奴の攻撃は少しだけ緩慢で大雑把。その点で辛うじて助かっているって感じで、今のところなす術なく逃げ回る。
だがそれも時間と体力の問題で――。
絶体絶命の大ピンチの中で、俺の頭の中にはなぜか隣のお姉ちゃんとその愛犬ジョンの姿が浮かんだ。
なんだ? 俺はもうすぐ死ぬから、最後に一番好きな人の姿を思い出したのか?
――でも俺、あのお姉ちゃん全然タイプじゃない……。
しかも愛犬ジョンも一緒?
あのねセイちゃん、とお姉ちゃんは、俺に言う。そう、あれは幼稚園ぐらいのときだ。
「犬の弱点はおなかなの。一番柔らかい部分だからね。そのおなかを撫ででってジョンがいうのは、セイちゃんが『大好き』だよっていってるのと同じなんだよ」
そのジョンが死んだときは俺も悲しかったなぁ……と、そんな場合ではない。
「そうか……腹かっ!」
俺は、逃げ回る足を止めて急ブレーキ――足元でザッと砂塵が舞い上がった。
二メートルは裕に越える巨体魔熊を見上げる。
犬の弱点なら、猫も熊も同じだろ? たとえそれが、異常に大きい悪魔的なクマさんであっても――。
ありがたいことに、奴は仁王立ちで咆哮を上げている。
ひえー、すごい迫力っ。
「けけけ、ケリ着けようぜ……!」
かなりビビりながら、剣を構える。
(ええい! どうにでもなれっ!)
やけくそみたいに、相手の懐に走り込む。
全身全霊の力を込めて、俺は敵の中央つまり腹の部分に体当たりした。もちろん魔剣もしっかり携えて――一瞬の間。
「ギャァァァアー!」
耳をつんざくような断末魔が響き渡る。
その声を聞いただけで、逃げ出したいような衝動に駆られるが、ここは我慢!
俺はトドメとばかりに、深く刺さった長剣を鳩尾沿いに切り上げる。
なんとも言えない気持ちの悪さで、鮮血がしぶく。わーお俺、熊さばいちゃった……。
なんとか勝てたか? そっと見上げる。だが、問題はここからでさ。
「わわ!」
意識を失った相手が、なんと俺目指して倒れてくるではないかっ。
あわてて剣を抜き取って逃げようとしたんだけど、全然間に合うタイミングじゃなくて。
「わっ……ムグゥゥ」
な、内臓が出るー! ものすごい圧迫感と戦いながら、俺はなんとか脱出に成功。まったく、最後まで手間掛けさせやがるぜ――と、手間をいえば!
「パザマ!」
下手な小細工使いやがって! 時間稼ぎにしては悪趣味だぜ?
と言おうとして、俺は言葉を飲み込んだ。何故なら――。
パザマはそこにいなかったのである。
「なっ!」
俺は絶句した。パザマがいないどころか、さっきまで奴がいた場所は、普通の踊り場だったにも関わらず、今では異空間よろしく、どこまでも果てしなく続く階段に変わっていた。
もちろん、洋館の外見から推測される物理的根拠をまったく無視した巨大さである。
絵本の世界でしか見たこともない、行く先が「点」で終わっているほど気の遠くなる長さの階段で――ほの赤く輝いているのが妖しさを増していてさ。
正直、これには参った。
この階段を上れってか?
「おーい!」
とりあえず、パザマを呼んでみる。
シーン……。
水を打ったような静けさがあたりを包む。おいおい、マジっすか?
「出てこいよ、パザマ。俺、こんな階段登るのヤだぜ?」
変化なし。俺はだんだん腹が立ってきた。この階段を登れってか?
拷問に近い魔法教育を一睡もせずに受けた俺に、その上わけのわからん悪魔的アニマル集団と死闘を繰り広げた俺に?
ンノヤロー! あの悪魔めー!
「何をやらかしてくれるんじゃいっ!」
俺は、怒りに任せて、その階段を一気に駆け上がる! ――ってのは嘘で。
しかたなく、睡眠不足の身体を引きずって、のろのろと登り始めることにする。
もう、どうにでもなれ――って感じ。疲労はピークに達っするどころか、さらに進んで下り坂だよ。
敵の大将と決戦って、一番盛り上がるシーンで悪いんだけどさ……。
さらに、最初は新たなる敵の襲撃にビクビクしながら登っていたが、その様子はまったくなく、ピリピリしていた俺の神経も、徐々にダレ始める。
「大体……なんなんだよ? この世界は?」
ひとりごちる。
この国は、俺が本来生まれ育った日本ではない。そんなの当然なんだけど、じゃあ世界のどこかっていうと、これがまたよく分からないんだ。
最初はどっかの施設にでも放り込まれて、そこで仮想現実的な体験をさせらているのかとも思ったんだだけど、あまりもに規模がデカ過ぎる。
けれど実際にどこかの国飛ばされたというには、あまりにも無理がある話なわけで。
(大体、外国って言っても俺の言葉通じるし。剣とか魔法なんてあり得ないし)
謎は深まるばかりである。
もちろん、それまでに何度もオヤジに電話して聞いた。けれど答えはなく。
「……」
そのときにオヤジと交わした言葉が甦る。
お前はアリだ、とスマホの向こうでオヤジは言った。
これが、俺の「この国は一体どこにあるんだよ?」と聞いた答えである。
相変わらずメチャメチャだろ?
「家の裏の空き地に、一匹のアリがいたとする」
「……は?」
「そのアリには、延々と続く空き地が世界のすべて――家の中の人間から見ると、アリの世界は限りなく二次元に近い。だが、家に住む人間の日常は、言うまでもなく三次元だ。そこには階段があり屋根があって、家族が生きている……分かるな?」
「分かるけど……何の話だよ?」
「つまりだ。お前が今いる王国は、そういう世界なんだよ」
「……」
「その世界が理解できないお前は、裏の空き地のアリと同じ」
完全黙秘の俺に、オヤジはさらに続ける。
「アリと家。日頃から、お前のすぐそばに存在しながらも、普段は交わることのない場所……それがクラリエンジ・アナーシャ王国だ」
延々と続く階段。ちゃんと進んでいるのか疑わしくなる長さだ。
(日頃からすぐそばに存在しながらも、普段は交わることのない場所……)
心の中で繰り返す。その話を聞いたとき、俺は軽ーく流していた。
内容がさっぱりわからないってのもあったし、オヤジの言葉を真に受けるのも不安だろ? でも。
今になって改めて考える。
(……オヤジの話はあながち嘘ではなかったのか?)
気付くのがちと遅い気もするが、前回は俺も精神的に一杯ゝでさ、そんなことゆっくりと考えるヒマがなかったんだよ。
いや、今も十分一杯ゝなんだけど。
(しかし、中世ヨーロッパもどきの王制主義、魔法に魔族――)
これでは、まるで……。
ゴンッ!
鈍い音がして、俺の額に激痛が走る。
「……ってー!」
気がつくと、階段は終わっていた。いや、これは俺がボーとしてたうちに登りきったとかじゃなくて、元の場所に戻っていたのだ。
つまり、最初のパザマと会ったときのシチュエーションに、だ。
「おのれー、幻覚だったのかっ! 卑怯だぞ、悪魔め!」
「魔族だ。いつ幻覚の罠に気づくと待っていたが……噂通りのアホだな、お前は」
「う、うるせー!」
くぅ―痛いところを突かれたぜ……っ!
それにしても、とパザマはゆっくりと階段を降りて来る。
「なかなか良い剣さばきだった……だが私には効かぬぞ」
「知ってるわい! この俺が魔法を使えないとでも思ったか!」
そう言うと、俺は長剣を鞘に収め、右腕を前方に掲げる。
「何……?」
パザマの顔色が変わった。
ふふん、驚いたか! 俺は、この瞬間のために徹夜で頑張ったのだ。
「見せてやるよ、俺のとっておきの特大攻撃魔法をなっ!」
即席だということは、もちろん黙っておく。
俺はパザマを前にして、ゆっくりと瞳を閉じる。
敵を目前にして、精神統一だ。――これが魔法術、最大の難関といっていい。はっきりいって、ものすごい恐怖である。
この恐怖心に打ち勝つために、俺はグランシスの修行で散々な目に合ったんだから!
ああ、思い出すだけでも身の毛がよだつぜ……。
閉じた目の、暗闇の世界に炎をイメージする。燃え盛る赤の揺らめきを、高ぶる熱の激しさを、できるだけリアルに細部まで描き出していく。
グランシスに話によると、俺は炎の属性だという。ホントはどうか、わかんないけど、かなりイイ感じで、俺の――イメージの――炎は像を結び始めていた。
大きく構える。息を整えて――。
(今だ!)
俺は、カッと目を見開いた。
「食らえ! 王子様スペシャル!」
黄金の右腕から放たれる灼熱の炎を――今ここに!
「ギャラクティスファイヤー!」
パザマが一瞬、身をすくめる。オーケー、その姿のまま丸焦げにしてやるぜ!
渾身の力と思いを込めて、俺は――右腕を振り下ろしたっ!
……へろ……。
はい?
俺の黄金の右手から放たれたのは、なんともショッぼーい炎だった。
「……」
パザマも俺も呆然と、その“炎が生まれるハズだった空間”を見つめる。
ちょっとした沈黙が流れた。
(うーん……ちょっと、精神統一が足らなかったかな?)
俺、一人プチ反省会……。
「あ、遊びはここまでだ」
その場の空気を取り戻すように、努めて威厳を保ちながらパザマが言う。
「あえて出来もしない魔法に挑戦した王子を称えて、私も素手でお前を倒そう」
真っ赤な目を、不気味に細めるとパザマは、拳を固めた。
刹那。
俺の鳩尾に、信じられないような衝撃が走る。
「ッガハッ……!」
追って激痛が全身を貫く。それは傷みより悪寒に、近い。
う、嘘だろ……こんな強いなんて――。
「の、ヤロ、ウ……」
左手で腹部を押さえながら、俺はなんとか長剣を抜く。
ほとんど祈るような思いで、その刃をパザマに思いっきり投げつける。だが。
剣は飼いならされた犬みたいに、パザマの前でスピードを緩めていく。
パザマは完全に動きを止めたその剣を、邪魔臭そうに軽く払った。
「効かぬと言ったはずだ」
やはり、グランシスの言った通りか……こっちは物理攻撃無効なのに、あっちが殴るとイタイってこれ、どーいうコト?
不公平だよ! まったくもう!
だが、文句を言う暇もなく、奴は俺に近づいてきた。
パザマは、鳩尾の傷みにうずくまる俺の首を掴んで強引に立たせると、さらに高い位置へと持ち上げていく。
ギリギリと、鋭い爪が喉元に食い込んだ。
(い、息が……っ……!)
全身の血が逆流していく――苦しい!
必死にもがく俺を、パザマは面白くもなさそうに壁に投げつけた。
成す術もなく、まともに背中を打ちつける。
「グッ……」
耐え切れず、俺は内臓から出たようなドロリとした血を吐く。
鉄のにごったような味が、口中に広がった。
「逃げろ」
「……!」
パザマの意外な発言に、俺は一瞬、傷みも忘れて顔を上げる。
そこには、冷ややかなパザマの目があった。
「このまま逃げればよかろう……愛してもいない王女のために、何も死ぬ必要はない」
そ、それはそうだけど。勝てる見込みはゼロだし、このままでは死ぬの確実だということは、いくら頭の悪い俺でも――分かる。
けど。「逃げる」というその言葉が。
俺の、一番弱いところを試されている気がして。
俺は、ほとんど無意識に言い返していたんだ。
「うるせーな! 俺は命張って、フレイラ王女を助けに来たんだよ!」
あ、頭がクラクラする。貧血だ。……いいのかな? こんなこと言って。
言っちゃってから、ほんの少し後悔。
でも、一度噴出した感情は、簡単には収まらなくてさ。
そうだよ、俺は王女を助けに来たんだ。それなのに。
拳をギュッと握り締める。
「助けられないまま逃げるなんてっ……そんな、そんな風に生きても」
最後の力を振り絞って、俺はパザマをキッとにらみつけた。そんな人生はっ――!
「意味ねぇーんだよっ!」
パザマがゆっくりと足を上げた。その緩慢な表情とは対照的に。
「ガハッ!」
俺の後頭部を思いっきり踏みつける。のヤロウ……好き勝手しやがって。
パザマはその体勢のまま、ギリギリと力を込めていく。
「そうか……では死ぬがよい」
おそらくそれでとどめだ。パザマが大きく拳を振りかぶる。悔しいが、俺はそれを目で追うことぐらいしかできなかった。
覚悟を決めて目を閉じる。
そのとき。
「やめてー!」
聞き覚えのあるキレイな声。フレイラ王女?
(良かった……まだ無事だったんだ……)
全身の気が抜けた。かすむ目で、王女の姿をなんとか捉える。
「フレイラ姫。ごめん、自力で逃げて……」
ホント、情けないけど俺じゃ守りきれないよ。王女の「やめて!」でやめてくれるようなパザマだったら、俺がすでに黄色い声で何度も頼んでいるだろうし……。
「王子!」
フレイラ姫が俺に駆け寄る。一応、自由の身ではあったのね。
「なんで? なんで逃げないのよ!」
なんでって……? そりゃ、姫を――。
「助けに……きた、から……」
それだけ言うのに、かなり時間がかかる。やばい、俺、マジでやばいよ。
目の前が、自動的にフェイドアウトしていく。
でもそれは、とっても気持ち良い感覚でさ……眠りたい。
頼むから、このまま眠らせてくれ――意識は、その深い海へとゆっくりと落ちていく。
死の安らぎが、俺を優しく包み込んで……。
――と!
「ちょっと! ヒトが大切な話してんだから、ちゃんと聞きなさいよっ!」
フレイラ王女の一声で、俺は無意識の海から、強引に引きずり出される。
勘弁してくれよ、もー。
「私……いままであなたこと嫌いだったの。大嫌いだったの!」
よく知ってるってば。
「だから……あなたを困らせようとしてパザマを召喚して――お願いしたの」
なになにショウカン? 何の話? 全身疲労と出血多量と寝不足のトリプルパンチを食らった俺は、当然ダウン寸前で――悪いけど、フレイラ姫の言っていることがよく理解できない。
「シセ王子のことだから来ないか、来てもすぐ逃げ出すだろうって……そしたら、今度こそ結婚話はなくなるかもしれないって」
なんか、泣いてる。キレイな人は泣いてもキレイだなぁ、なんてぼんやりと思う。
「でも、私……今、戦うシセ王子見てたら……私……っ!」
なかなか言い出せない思いに、声を詰まらせる王女。
その言葉が何なのか、なんとなく分かる気がした。
だから俺は、ゆっくりとひとつため息をつくと、出来るだけ優しく言ってあげる。
「いいよ――今は無理に答えを出さなくても」
俺は代理だし、という言葉はグッとこらえる。
「まだ……若いんだし」
「でも!」
泣きじゃくる姫を、少しでも安心させたくて、俺は精一杯の笑顔をつくる。
血だらけの俺の顔じゃ、逆に怖いだけかもしれないんだけど――。
そのとき、俺の顔にフレイラ姫が近づいた。ふわりと、花のような良い香りがする。
「!」
血の味が残る俺の唇に、柔らかな姫の唇が重なる。
その感触が、たとえようもなく気持ちよくてさ。俺は――今度こそ本当に――意識を失っていたんだ。
俺的にはこう、グランシスとかファイアルトとかが心配そうに覗き込んでで、カノンちゃんあたりが「気が付いてよかったぁ!」とか言って、抱きついたりしてくれるのを期待していたんだけど。
見覚えのある王子の部屋には誰も、いない。
しばらく待ってみたけど、やっぱり誰も来ない――冷たいなあ、この城の奴らは! 生死の境をさ迷った王子が、たった今目覚めたっていうのに、なんだよ、この扱い。
仕方なく、ベットに腰掛けたまま窓から見える雲をぼーと見ていたら、コンコンと控えめなノックの音がした。このたおやかな叩き方は――カノンちゃんだ!
「王子」
少しびっくりしたような小さな顔。昨日の悪夢のおかげで、なんだか妙に懐かしく感じる。会いたかったよ、カノンちゃん!
「まだ寝ていたんですか?」
ガクッ!
「まだって……俺、死にかけたんだぜ?」
そりゃないよーとふてくされる俺に、カノンちゃんは「大げさですわねぇ」と笑った。
カノンちゃんの話では、俺がフレイラ王女に助けられてこの城に戻ってきたときは、全身血まみれ、意識不明の重態ってことで、国中騒然となったらしいんだけど――。
よーくみたら、血はほとんどが返り血で、身体のいくつかに打撲が見られるものの致命的ではなく、意識不明ていうのも、極度の睡眠不足によるものだと診断されたそうなのだ。
「それで、そのときの怪我はグランシス大魔導師様がサッと治癒して下さって……」
あとは心配なし、となったそうだ。
なんだかなぁ――治癒の魔法っていうのもどうかと思うよ? だってあんなに痛い思いして頑張ったのに、「サッと治癒」で片付けられちゃうんだから。
とはいえ、改めてみると身体は完全に治っていた。どっこも痛くない。
「へぇ……やっぱり便利だな、魔法って」
「そう思われるのでしたら、今度から魔法の授業も真面目に受けてくださいね?」
そう言って、カノンちゃんは可愛らしく微笑んだ。
へーい、と気のない返事をしながら、俺は大きく伸びをする。
「とりあえず元気になったことだし、ちょっくら散歩にでもいって来るかな」
何気ない俺の言葉に、カノンちゃんは驚いて口に手を当てた。
「忘れてた! ――王子、早く準備なさらないと」
「準備?」
「舞踏会の、です」
にっこり笑うカノンちゃんに、俺はマジに固まった。
ぶ、舞踏会―っ! すべての悪夢の元凶、その言葉を聞くだけで正直、悪寒が走る。
「ヤダヤダ! 俺、今度こそ絶対行かねぇーぞっ!」
「もう、王子様ったら……今度は、我が国にフレイラ姫が参られますのよ?」
俺の服の仕度をしながら、カノンちゃんは言った。
「なにー! あのお姫様が? 何しにっ……?」
「王子様に助けていただいたお礼に――それから、正式に婚約したいとのことです」
こ、婚約?
そうだった。俺はパザマに殺されかけて、んで王女が出てきて……唇に。
思わず自分の唇に、手を当てる。あれは夢じゃないよな。
「良かったですわね、王子様」
「でもさ、女の子って不思議だよな。舞踏会では、カッコつけていったのに手ひどく嫌われてさ、ボッコボコに殴られてる俺見て惚れちゃうなんて」
その言葉を聞いて、カノンちゃんはくすりと笑った。
「でもわたし、王女様のお気持ちはよく分かりますわ」
「そんなもんかなぁ……」
「そんなものです!」
自分より二つも歳下、十二歳のカノンちゃんにそう断言された俺は、やっぱり女の子は難しい、と改めて実感するのだった。
今夜の舞踏会で俺は、大人気だった。しかも、俺を取り囲んでいるのは――!
「囚われの姫を助けに来てくれる王子様……なんて素敵なんでしょう!」
「本当ですわ、うっとりしちゃう!」
「わたくしにもそんな出来事があればいいのに……!」
「そのときは助けにいらして下さいね、シセ王子様!」
そう、みーんな女の子なのである!
どうやらこの手の物語は、女の子の大好きなシチュエーションらしくて――ホントはそんなカッコイイもんじゃなかったんだけどさ。
わいわい騒いでいる女の子達の向こうに、グランシスの姿が見えた。
お、今日もキレイな顔ですましちゃって……でも、とりあえず怪我を治してくれたお礼を言わないとな。
「グランシス!」
女の子をかき分けて近づく俺に、グランシスが笑顔で振返る。
「今回は、いろいろありがとな。せっかく教えてくれた魔法は役に立たなかったけど……」
「王子に教えた火炎系魔法はかなり上級者向きでしたから、いきなり成功は無理ですよ」
「なにっ? 無理ってお前っ……俺、死にかけたんだぞ!」
王子、と呆れ顔のグランシス。やれやれと首を振っている。な、なんだよ?
「本当に姫がさらわれたのなら、そんな危険な場所に、僕が王子を送り出すわけがないでしょう?」
「……ってまさか、おい!」
気付いていたのか? フレイラ姫の計画に。
「フレイラ王女が召喚魔法の名手だってことは、以前に聞いたことがありますから」
「召喚魔法?」
んんーなんかそんなこと言ってたような気もするけど、あの時の俺って、意識がほとんどなかったからなぁ。
「でも俺! 死ぬトコだったんだからなっ!」
納得がいかない。あの死にもの狂いの魔法特訓はなんだったんだよっ!
さらに文句を言ってやろうと身構える俺に、グランシスはさらりとこんなことを言った。
「女性の心を射止めるには、やはり命がけでないと」
そういってスマイル。視線だけで示したその方向には――。
やはり息を飲むほどお美しい、フレイラ王女の姿があった。
「王女様のおなーりー!」
家臣の、間延びした声が大広間に響く。
ワルツの軽快な調べに乗って、舞踏会の夜はまだまだ続くのであった。




