天下無敵のバカ王子
俺は今、最大のピンチを迎えていた。
記録的な猛暑のせいで、俺の身体から流れ続ける汗が冷汗なのか普通の汗なのかはイマイチ判断がつかないけれど――それでも、止まることのない苛立ちと憔悴が周囲の温度をぐんぐんと上げ、桐田家の狭いリビングダイニングは今、摂氏四十度へと達しようとしていた。
「暑ぃ……」
うちの母親が「節電の夏だからっ」とハリキッて題打った家計の緊縮政策のせいでエアコンはコンセントごと引き抜かれ、大型量販店のオープニングで五百円でゲットした扇風機はカタカタと心細げに灼熱の空気を震わせるだけで何の役にも立ちやしない。
一応、熱中症予防にとテーブル中央に『でん!』と置かれた水道水を詰めたペットボトルと盛塩は――どこかの神様か、俺は――何かにつけて大雑把な母親の親心らしい。
ああ、確かに節電は大事だよ。エコは素敵だよ。地球に優しく、自分に厳しくだよ。
けどさ、反論が許されるならば、母親が熱心な『アンチエイジング』ってやつを止めれば、さすがに地球は無理でもささやかな桐田家の家計ぐらいは救えるんじゃないのか?
大体なんだよ。アンチエイジングってその、人類の歴史と遺伝子の成り立ちを真っ向から全否定する意味不明の言葉は!
齢十四の、若さ溢れる俺に言わせれば、年齢を意識せずに生きるってことが一番の若さの証明なの。つまり「アンチエイジングだ」って燃えている時点で、常に歳をを気にしているわけでしょ?
その時点でもうダメ。完全アウト。分かった?
そんな心配しなくても、自然の流れに逆らわずに堂々と知らん顔で年取ってりゃ、そのうちみんなから崇められるようになるって。屋久島の千年杉みたいにさ。
(……なんて、どうでも良いこと考えている場合じゃなかった……)
もはや飲む気すら失せるペットボトル――と、盛塩――から目を逸らして、俺は深々とため息をつく。
俺の最大のピンチの理由はもちろん、猛暑でも母親の存在でもない。
自慢じゃないがこの十五年間、人生始まって以来の大ピンチだ。
おかげで、今やっている新タイトルのゲームにもあまり熱が入らず、画面に映るゲームの主人公は、俺のいい加減なコマンドのせいで瀕死状態になっている。
けど俺のピンチはもちろん、ゲームのことではなく。
「マジ……どうしよ……」
長いようであっという間だった夏休みも終わり、明日から二学期だというこの時期。
彼女が俺の住む街にやって来るのだ。
恐怖の大王のように、俺の人生の破壊と破滅を引き連れて。
彼女の名は幸野美砂ちゃん。ネットゲームから仲良くなってチャットで盛り上がり、面識のないまま何となくノリで彼女になった。ここまではどうってことない、よくある話だ。
問題はこの先で、さ。
彼女が、俺の学校に転校して来ることになってしまったのだ。
美砂ちゃんは――俺が言うのもなんだが――送られてきた画像で見る限り、めちゃ可愛いくてスタイル抜群。性格だって――メールのやりとりから推測して――保証つきの最優良のハナマル印だ。
なんだ、のろけ話かよ? とは言わないでほしい。
これから俺のスーパーバンダム級の不幸は始まるんだからさ……。
パーフェクトな美砂ちゃんに対して俺は、顔はイケ面(クラスで一番人気のある橋本の写真を拝借した)オヤジは社長(本当は、有限会社の課長止まり)家は豪邸(本当は賃貸マンション3LDK)スポーツ万能成績優秀(本当は……わかるだろ?)のクラスの人気者(ふっ、自慢じゃないが、俺の存在感なんて皆無だぜ?)だと嘘をついていたのだ。
だって、一生、顔を合わせることなんて無いと思ったから。
仮に向こうが会いたいとか言ってきても、テキトーに理由つけて断ればいいと思ってたし。そんなもんだろ? イマドキの付き合いなんて。
だが、運命の神様は残酷だ。
美砂ちゃんのお父さんの転勤が決まり、家族で引っ越すことになったその街は、なんと俺のご近所だったってわけ。
なあ、こんなことってあるか? 俺がなにしたってんだよ……そりゃ、嘘ついたけど。
でも! そんなこと誰だってしてるだろ? なんで俺だけ、こんな目に遇わなきゃいけないんだよ。
美砂ちゃんが実際の俺を見たら、もちろん恋人契約は即刻解消だろうし、嘘つき呼ばわりされて完全に嫌われる。そこまでは仕方ない。嘘ついた罰として享受しよう。
だが、美砂ちゃんがこのことを誰かに話せば、俺は学校中の笑い者だ。この先、友達も彼女も出来ないだろうし、第一、この街にもいられなくなる。リア充なんて夢のまた夢だ。
(一体、どうすりゃいいんだよ……?)
美砂ちゃんから嬉しそうな引越しLINEが届いたのが、一ヶ月前――で、転校してくるのは明日。つまり一ヶ月も、俺はこうして悩みつづけているのだ。
自慢じゃないが、俺には相談できる友達なんて一人もいない。
だからと言って、男一匹覚悟を決めて「ごめんなさい」する勇気もない。我ながらイケてない男だと分かっている。でも……しょうがないじゃないか! 俺はこういう奴なんだから。
俺は中一の冬に、自分は、この地味な人生をひっそりと生きていくんだと決めたんだ。
それはもう、岩に苔が生しても絶対に変わることない堅固な決意で。
クラスでも可能な限り目立たず騒がず、頼りにはならなけど決して心を傷つけることのないゲームやマンガを友として、さ。
あ。今、教育委員会のお偉いさんたちは眉をしかめているとこでしょ?
でもさ、明るくて友達沢山いて、毎日の学校生活を派手に楽しんでる奴で、たまにゾッとするような冷たいこと出来ちゃうクラスメイトだって、結構いるんだぜ。
面倒くさいからいちいちチクったりしないけど。
でもそういう表裏のある生徒と俺みたいな正直なの、どっちがまともだよ?
絶対に俺だって。俺の方が誰にも迷惑はかけていないし。第一、それで十分幸せだったし――そうだ、確かに幸せだったのだ。今までは。
気が付くと、テレビ画面の主人公はとっくに死んでいて、ゲームオーバーの文字が躍っている。俺はそのゲームをリセットした。
(人生もこんな風にリセットでいたらいいのに……)
絶望のあまり、俺の頭では、かなり使い古されたセリフが浮かんでいた。
「逃げ出したいよ……まったく」
だれに言うともなく、ひとりごちる。
――と、その時。
「そんなあなたに朗報です」
控えめに部屋のドアが開いた。隙間から顔を出している冴えない中年のおっさんは、なにを隠そう、うちのオヤジだった。
ちなみにチビ、デブ、ハゲの堂々のスリートップである。
母親は「オレンジを食べ過ぎて脳天ををロシア人にバリカンで刈られたチェブラーシカみたいで可愛いっ」と、かなりマニアな領域で気に入っている。
夫婦仲が良いのは別に構わないんだけど。
「何か用かよ?」
ここはできるだけ迷惑そうに返事をする。
これは三つ上の姉と取り決めた、オヤジ対策のための鉄則だ。
少しでも気を許せば『自称・爆裂子煩悩妖怪』と名乗るオヤジの、はた迷惑な妙なテンションに引き込まれてしまう。
何も知らないご近所さんは言うだろう『子煩悩なお父さんで良かったわねぇ』と。
しかし! 何も知らない幸せな彼らに、俺はあえて問おう。
風邪で寝込めば五分おきに「大丈夫か、熱下がったか」と問い続けられ、退屈だろうからと、余興と称した見るに値しないくだなら過ぎる手品やパントマイムを延々と見せられ、さらにいちいち感想を求められる者の辛さが分かるか。
オヤジが「お母さんに内緒だぞ」というワンフレーズにハマッた時期は、毎日が地獄だった。
休みごとに早朝からたたき起こされ、欲しくもないオモチャやお菓子を与えられる。
それだけならまだしも、それらを隠しながらも上手く母親にバレして「もう、仕方のないお父さんね」と怒られることろまでお膳立てしなければならないのだ。
辛いだろ? あり得ないだろ?
親ってさ、愛情があれば何をしても許されるわけじゃないんだぜ、まったく。
だから今回も、俺は細心の注意を払って気のない返事を返したわけだ。
オヤジは「かかった」とばかり、俺の部屋に飛び込んでくる。そして、俺の両肩を掴むなり、ガクガクと揺らした。
「父さんの会社、倒産の危機! なんつって」
「消えろ」
「いやいや、ちゃんと聞くんだ息子よ。実はお父さんの会社のお得意様が失踪してしまったんだ。このままでは父さんは責任を取らされて会社にいられなくなる!」
ああ? と俺は顔を上げた。
「そんなオレオレ詐欺みたいな話、誰が信じるかよ。てか息子相手にサギってんじゃねぇ。大体そんな緊迫してんなら、なんで会社じゃなくて、家にいるんだよ?」
よくぞ聞いてくれました! とばかりオヤジは手をポンと打った。
「お前の力を借りに来たんだよ。そのお得意様って言うのが、実は某国の王子様でな、歳も志誠と同じぐらいだから、しばらくは上手く誤魔化せるだろう」
ちなみに志誠とは俺の名前だ。桐田志誠。変な名前だろ。
なんでも俺が生まれたときに、新撰組と薩摩志士同時にハマッっていたオヤジが「どちらかの名前をつけたいが、どちらも大好きだぁぁ」ということで、両方入れたらしい。
おかげで思いっきり食い合わせの悪い感じに仕上がってしまった。
まぁ別にいいけどさぁ……とそんなことより、だ。
「は? 得意先が王子? 誤魔化せるって何を?」
俺はオヤジの話を八割も理解出来ない。
それに対しオヤジは「ノンノンノン」とエセフランス人よろしく指を横に振ってみせた。……いちいちむかつくリアクションだぜ。
「話を急いではダーメ! 王子が行方不明となると、国民が不安がる。そこで、だ。その王子が見つかるまでの間、志誠に代役をしてほしいのだ。もちろん報酬もある」
会社の倒産と、王子やら国民なんていう異国風の言葉が全然繋がらない。
あまりの夏の苛烈さにとうとう頭ヤられちゃったか、オヤジ。
話の内容はまったく理解出来ないが、俺が取るべき対応はひとつだった。
「ヤだよ、無理だって俺には。第一、今はそれどころじゃないし」
「やってもみないうちから無理とか言うな!」
青春映画みたく俺の鼻先をビシリと指差さしたオヤジは、これまた勝手に満足そうに頷きながら不敵な笑いを浮かべた。
「大丈夫、我が社のマシーンを使えば、一国の国民ぐらい十分騙せる偽者の出来あがりだ」
「オヤジ……お前の会社は何やってんだよ?」
そういえば、オヤジが何して働いてるのかよくわからない。
一応、IT関係だとは聞いているが、今日日IT関係の業種なんて履いて腐るほどある。けれど、あえて詳しく聞く気にはなれなかった。
父親の仕事なんて最初から興味がないっていうか……給料さえ入ればそれでいいみたいな――普通、どこでもそうだよな。
だが、その「会社で何やってんだよ?」という質問がいけなかった。
「興味がわいたか! じゃあ、さっそく会社へレッツらゴウだ」
言い返すヒマもなく、俺はオヤジの車に乗せられていた。
乗り慣れた日産ティーダに揺れられて、オヤジの会社まで四〇分程度。
訳も分からず連れ込まれたのは、研究施設のような不可思議なビルだった。
電話だけの受付を抜け、曖昧に微笑む社員さんたちに挨拶しながら最奥の部屋へ。
じゃじゃーん、と姿を現したのは、へんてこりんなカプセルだった。日焼けマシーンみたいなやつを縦にしてある。
「これはな、いわばプチ整形マシーンだ! これで王子の顔に少しだけ似せる。何、基本的な顔はいじらん。髪とか目の色とか……その程度だ」
「ヤだよー、やっぱり俺、帰る!」
「そういわずに、とうちゃんを助けると思ってだな」
「オヤジを助けたいなんて思ったことねぇよ」
「志誠は冷たいなぁ……いいか? とうちゃんが仕事で失敗してリストラされてもいいのか? そしたらお前、かあちゃんはパートに出てねえちゃんはお水で働いて、お前ももちろん高校退学で働いて、とうちゃんは家で酒飲んで暴れて、みんなそんな生活に疲れ果てて、一家リサン! ってなるんだぞ? 志誠はそれでもいいのか? お前はそれで幸せなのかっ?」
なんでお前だけ酒のんで暴れて終わりなんだよ? 思わず突っ込みたくなるが、そこがグッと押さえる。
そんなことはどうでもいいのだ。こいつのペースに乗せられてはいけない。他にもっと聞かなくちゃいけないことがある。
「その王子は……どこの国の、人間なんだよ?」
いや、これも違うか。だが、オヤジは即座にきっぱりと答えた。
「クラリエンジ・アナーシャ王国」
「?」
聞いたことない。つーか普通に存在しないだろ、そんな国。
何かの暗号かな、それとも比喩か。どうにも胡散臭いな、この話……。
「まぁまぁ、細かいことは気にしないで。父さんを信じてこのカプセルにはいりなさい」
「信じられるかよ!」
「うーん……じゃあ騙されたと思って、な」
そういうと、怪しげなマシーンに押し込められる。
「おい! やめろよ! う……うわ! なんだこりゃ!」
自動でドアが閉まった瞬間、甘い香りのスプレーが顔目掛けて噴射される。
朦朧とする意識の中、俺が最後に思ったのは、
(だから! オヤジの会社は一体何をしてるんだよ?)
というものだった。
まぶしい。きっと誰かがドアを開けたんだ。そんなことしなくて良いのに……起きなきゃいけないじゃないか。
俺はもう少し、このまま眠っていたいんだ。
できればこのまま、ずっと――だが、そんな俺にお構いなく、遠くで誰かが呼んでいる。お……うじ……? オウジ?
「王子!」
急に耳元でリアルな男の声がする。
「わ!」
驚いて飛び起きた俺は、さらに「わわっ」と二段仕込みでビックリする。
目の前には二十歳ぐらいの男がいた。明らかに日本人ではなく、かといって何ジンという聞かれても困るような……誰だ、このお兄さんは? いや……それよりも!
「どこだよ? ここ」
「どこって……ご自分の国ですよ。ちょっと遠出しておられたみたいですが」
まわりを見渡すと、一面の草原だった。ちょっと、待ってくれよー! なんだこの展開は?
まさか、オヤジの言っていたなんとかって王国――。
(いやいや、待てよ。俺はあの変なカプセルに入れられて、そこからそれから)
……記憶が、ない。
おいおいおい。俺はどうやってここまで来たんだ? ここはどう見ても日本じゃない。じゃあ外国か? 交通手段は飛行機? それとも船?
オヤジは一体、何の交通手段を使ったんだ? その前に俺、五歳ンときの家族旅行でハワイ行ったっきり、パスポート切れてるぞ?
国外逃亡、という文字が俺の頭をよぎる。
確かに、あの街から逃げ出したいとは思っていたが――。
「やべぇよ、オヤジ……これじゃあ俺、犯罪者じゃねえか」
「犯罪者とは……たかが武術の稽古を抜け出してお昼寝されてただけではないですか」
目の前の男が笑う。目が優しい感じのお兄さんだ。
そして今気がついたけど、驚くほど美形。腰まで真っ直ぐに伸ばされた髪に、整った鼻梁がよく似合っている。
(お姉ちゃんが見たら即、一目惚れ決定だな。好みの韓流もぶっ飛ぶぜ、きっと)
そんなことをちらりと考えながらも相変わらず頭ン中?だらけの俺を、そのお兄さんは心配そうに覗き込んでいた。
「無理に起こしてしまって申し訳ないです。しかしそろそろお城に戻らないと」
「お城……」
そうだった。俺は、オヤジの卑劣な罠にはまり、かなり強引に王子代理を任されたんだっけ……。
「そうだ! オヤジ!」
あの野郎に一言いいたいことがある! いや、一言どころではない! 今度こそ積年の恨みを機関銃の如くぶっ放し、残りの薄毛も全部むしり取ってやるっ。
怒り狂いながら、俺は咄嗟にポケットからスマホを出していた。
「……うわ、ちゃんと繋がってるよ……」
自分で確認しておいてなんだけどスゲー違和感……俺はマジマジと液晶画面に見入ってしまった。
――と、んなことで感心している場合じゃなーい。とにかくオヤジに連絡だ!
ツーコールで、聞き覚えのある声が出た。
「おう! どうだ志誠、クラリエンジ・アナーシャ王国は」
「どういうつもりだよ、この不良オヤジ! ちゃんと説明しやがれっ!」
「説明はもうしたじゃないか。お前はそこでしばらく王子として頑張るんだ。あとはその青年に聞いてくれ」
オヤジの言葉に合わせて、俺は思わずそのお兄さんを見上げる。タイミングを合わせたように、オヤジの解説が始まる。……なんで合わせられるのか謎だが。
「彼の名はレノマールさん。王子の貴重な側近だ。大丈夫、うちの会社と縁の深い人でな、信頼できるお人柄だから安心してなんでも相談するんだな。では、さらば息子!」
「って、おい!」
ツーツーという通話不能の音がむなしく響く。
オヤジ……お前は一体、どういう会社に勤めているんだよ?
俺は呆然と、家族や学校生活との突然の別れを感じていた。
なんだよ、この展開……俺は思わず口に手を当てて考え込んでしまう。
で、出したとりあえずの答え。
「レノマールさん!」
俺は、お兄さんの名を呼んでみる。はい、と人の良い返事が返ってきた。
「俺、王子じゃないんだけど! 実は悪いオヤジに騙されて……」
驚いたことに「承知しております」とレノアールさんは言った。
「へ?」
正直に話してレノマールさんを失望させてから、適当に帰してもらおうという俺の計画は早くも狂い始める。
「王子代理の方ですよね? お父上から聞いております。王子と呼んだのは、志誠君が記憶をなくしている可能性もあるとのことでしたので……それならはじめから王子として始められるのが得策かと」
「そ、そうなの?」
「はい。でもこの事実を知っているのは私だけです。お城に帰れば、誰もみな本物の王子として接してきます。志誠君もちゃんと対応してください」
レノマールさんはそう言ってにっこりと笑った。
そういうわけで俺は今、お城で王子様として生活している。
王子の名はなんとシセ! シセ・アナーシャ王子だ。このクラリエンジ・アナーシャ王国の第一王子、といっても一人っ子だから唯一の後継者ってわけ。
(なんとなくおさまっちゃうあたり、俺って案外、順応性があるのかもな)
もちろん城の者はそれなりの対応はしてくれる。なんてったって王子様だ。メシもうまい。
だがこのシセ王子、とんでもないバカ王子だったらしく、みんな敬語こそ使っているがそれ以上の親しみはなく、態度もこの上なく冷たい。
今も、侍女のカノンちゃん(これがメガネの似合うかわいい女の子でさ)が事務的にてきぱきと掃除をすると、一言も口をきかずに部屋を出ていってしまった。
両親にあたる王様や女王様って人たちは、ここに来てから一度しか会ってない。忙しい人達なのだ、きっと。王子の俺が、それで済んでいいのかって気もするけど。
(ま、俺は本物が見つかるまでの代理だから、別にいいけど)
そう思いながら、ゴージャスなベットに寝そべる。
親しく接する者がいないってことは、俺にとってありがたい。偽者のボロも出にくいだろうし。
ひとりって感じでケッコウ孤独だが、そんなの日本での俺も同じだ。第一、仲良くなるのって面倒じゃん。
――それに……。
頭の中に、美砂ちゃんとのLINEのやり取りが浮かぶ。
どうせ戻ったところで良いことなんかなんにもない。あれから十日は経っている。
二学期を欠席し続けている俺は今頃、転校生美砂ちゃんに嘘つき呼ばわりされているだろうか?
「もう、どうでもいいけどさ」
だれもいない部屋でひとり、声に出していってみる。
なんとなくスッキリして、俺は機嫌良く昼寝を決行することにした。
そんな、のん気な生活が一ヶ月ほど続いた。
とりあえず、不思議なことが二つある。ひとつはこのスマホ――この一ヶ月、電池がきれないのだ。液晶画面の電池は、今日も元気に満タンを示している。
で、二つ目がオヤジ。まぁ、これはいつも不思議の塊みたいな存在なのだが。
たまにかかってくる電話によると、王子はまだ見つからないらしい。
仮にも一国の王子が失踪してるってのに、そんな悠長なことで大丈夫なのか?
とはいえ、当のオヤジの口調から察しても、俺が心配するほど事態は深刻ではないみたいだし、それはこの国でも同じだ。
王子という存在さえあれば、それがどんな人間であろうといいってことか。
「どっちにしろ、俺が考えることではないかなぁ……」
大きなあくびとともに、伸びをして窓を見る。
王国は今日も晴れ……国民は皆、労働に勤しみ、王子様はといえば――ひたすらヒマだ。一応、魔法や武術の勉強は毎日あるが、先生達も王子をバカにして、ちゃんと教えようとしない。
出来なくても良いのだ。誰も俺を怒らない。適当に仕えて甘やかしては、裏で『バカ王子』を軽蔑している。楽は楽に違いないが、どうも気分が良くない。
気分が良くないどころか、俺は最近、このまったりとした生活になんとなく苛立ちを感じ始めている。
かと言って、具体的な行動を起こすことの無ないまま、俺はグータラとした生活を過ごしていた。
「王子! また武術の稽古をさぼったんですか! ダメですよ? ちゃんとしないと立派になれません。自分が後悔することになります」
まったく、教科書みたいな説教をしやがる……俺はゆっくりと声にする方に視線を向けた。
こんな風に俺を叱るのはレノマールだけだ。その当の武術の先生が怒らないのに、だよ?
「いいの! どうせ俺は代理だし」
「代理でも、毎日の生活の中で何か得るものはあるはずです」
「剣だの魔法だのって、この国で学んでも日本じゃほとんど役に立たないって」
そうなのだ。このクラリエンジ・アナーシャ王国、まるで俺が愛好しているRPGの世界そのままに剣や魔法が存在しているのだ。世界観的には中世ヨーロッパって感じ?
もちろん俺だって、ここが現実に地球上にある国だとは思っていない。
けれどどれだけ考えても、ここがどこだかは分からなかった。
最近流行の異世界転生に似ているシチュエーシュンだが、俺には死んだ覚えがない。
(別にいいさ)
俺が完全に騙されていて、仮に千葉にあるネズミが楽しく踊るテーマパークに軟禁されていたとしても、別にいいじゃないか。
ようは現実から逃れ、楽しく暮らせていることが重要なんだから。それなのに。
「王子!」
口うるさいのはどこにでもいる。
俺は大袈裟にため息をつきながら、目の前のレノマ―ルを見上げた。
「なんでレノマ―ルはそんな必死なわけ?」
「王子が大切だからです。立派に成長なさって欲しいからです」
「だからさぁ」
俺は代理だって、と何度も同じことを繰り返す。
でも内心は、少し嬉しかったんだ。だって、この城の人間はみんなよそよそしくて、どこからでも王子への陰口が聞こえてくるんだから。
だが、レノマールだけは違う。
本気で俺の――っていうか、王子の――ことを考えてくれている。うっとうしいと思いながらも、この生ぬるい生活の中で、それが唯一の慰めでもあった。だから――甘えてただけなんだ。あの夜のことは。
もう、今となっては取り返しのつかないことなんだけど。
「いい加減にしてくれよ!」
いつものやり取りのあと、俺は珍しく苛立っていた。
「ですが、王子」
「王子なんかじゃない! ついでに言うと俺は立派でもなければ、今後なる予定もないんだよ。俺はくだらない人間でいいし、誰にも迷惑かけてないんだからほっといてくれ!」
明日の予定だと持ってきてくれたノートを足元に投げつけて、俺は顔を背ける。
その時のレノマールの悲しそうな顔。今でも忘れない。
ちょうどその晩遅くに――レノマールは、俺の目の前で。
……死んだんだ。
「お逃げください、王子! 早く!」
緊迫したレノマールの声が、俺の部屋に響く。
あとで考えると、俺はすぐに廊下に出て護衛兵を呼んで来るべきだった。だが、俺は動けなかったのだ。
レノマールをおいて逃げられないとかかっこいいもんじゃなくてさ。ビビッて固まってたんだ、単純に。マジ、情けない話だけど。
全身黒ずくめの刺客は、確実に俺を狙っていた。立ち尽くす俺に向かって、音もなく動く。
「危ない!」
レノマールが叫んだ。
俺を庇う様に立ちふさがる。刺客はうっとうしげに長剣をかざした。一瞬の出来事だった。
レノマールがスローモーションで倒れていく。ひどく赤い血があたりに飛び散った。
「レノマールッ!」
俺はバカみたいに叫んだ。その声を聞きつけて、護衛兵が駆け込んで来る。
刺客は、軽く舌打ちすると窓からすらりと飛び降りた。護衛兵がどたどたと追いかけている。現実感がないまま俺は、ただそれを見送っていた。それよりも――。
「おい……しっかりしろよ、レノマール」
すでに顔色が普通じゃない。出血多量ってやつか?
救急車って何番だっけ? でもここ日本じゃないし。でもスマホ通じるし。ヤバ、手が震えてる。鼓動がうるさいぐらいに、胸の内側から鳴り続ける。
(どうしよう……っ……!)
こんな風に人が死ぬなんて、俺の許容範囲を超えてるってば!
「レノマール?」
頭が真っ白で、たいした処置が浮かばない。
王子、とレノマールは苦しげに息を吐いた。
「初めから立派な人なん、て……いないんです……貴方は下らない人間なんかじゃない……どうか」
俺の服をつかむ、強い力。
「どうか……立派な王子、におなり下さ……い」
そしてレノマールの身体から、力が抜けていく。
バカな。そんなバカなことがあるかよ?
俺の唯一の真実を知っている人間が、死ぬなんて――そんな!
「レノマール」
声がかすれた。突然過ぎて――涙も出ない。
それから明け方まで、お城のなかは大騒ぎだったらしい。らしいってのは、俺はずっと部屋に閉じこもっていたから。
どんなに大変な事件が起こっても、バカ王子のやることなんてなんにもない。無事だったらそれでいいんだ。
窓からぼんやりと白い月を見上げる。
レノマールの最後の言葉が、頭から離れなかった。
『立派な王子におなりください』
レノマールは俺が代理だってこと、分かってるはずだ。ってことは、あの言葉は。
「俺に言ったんだ……俺自身に」
自然と唇をかんでいた。強く。血の味が口の中に広がったが、痛くなんかなかった。こんなの痛みじゃない。
レノマールは、こんな俺を庇って死んだんだ。
こんなくだらないバカ王子を庇って――なにかしないと。何かしないと俺は本当にダメになってしまう。でも。
俺は自分の拳を握り締める。限られた時間の中で、何の取り柄もない俺に――。
(……一体、俺に何が出来るんだよ……!)
強くなりたい。その一心で俺は朝一番に、ファイアルトの部屋のドアを叩いていた。
ファイアルトは、シセ王子のお守り役兼、剣術指南の先生である。
赤い髪が印象的な背の高い男で、歳は二十歳そこそこ。肩書きに比べて若すぎる気もするけど、実は百戦錬磨のどエライ騎士様だと聞く。
「俺、いままで剣術とかサボってて何たけど……もう一度一から教えてくれないかな?」
俺の目的を達成するには、この先生の協力が必要だった。
第一声、俺のセリフに、寝ぼけ眼のファイアルトが苦笑いで答える。
「はぁ……おかわいそうに、昨日の一件がよほど恐ろしかったんでしょうな。ご安心下さい。護衛兵の数を増やしますゆえ」
違うんだ、と俺は首を振った。
「それもあるけど……一番の目的は違うんだ」
少し、勇気がいる。ひとつ息を吸い込むと俺は、ファイアルトの目を見て続け言った。
「レノマールの――仇を討ちたいんだ、自分の手で」
バカ王子の意外な言葉に、先生は「ほう」と目を細めた。まったく信じてない。
でも、そんなことはどうでも良かった。お願いします、と俺は頭を下げる。
これが俺の出した答えだ。
王子が戻ろうが戻らまいが関係ない。
俺は、レノマールを殺した人間を、この手で討つ。それまでは、日本には帰らないつもりだった。……いや、帰れないんだけどさ。
あれから何度オヤジに電話しても繋がらないし。
その日から俺は、死に物狂いで剣術を学んだ。
同時に、稽古のあと、傷だらけの疲れた身体を引きずって図書館に通いつめる。
護衛兵達や城の者に聞いても、レノマールを殺した刺客の当てはなにも聞き出せなかった。
それどころか、あの夜の一件を口にするだけで「王子は何もお気遣いなさいませんように。我々が解決いたします」の一点張りでさ……王子にいっても無駄だと、誰もが思っていることがわかる。
こうなったら、俺なりに調べるしかない。
敵と呼べる存在はすべて当ってみるつもりだった。
そのためには、この国の状況を正しく理解しなければならない。
たった一人の孤独な作業が続いた。
十日ほど経ったある日。
「よう、バカ王子! 最近、剣術に精を出しているんだって?」
聞きなれない声が稽古場に響く。
素振りの腕を止めて顔を上げると、俺と同じぐらいの年恰好の少年が立っていた。
王子である俺にタメ口なことや家来を引き連れているあたり、位の高そうな感じではあるが――。
「誰だお前?」
俺は正直に聞いてみることにした。
「だ、だれって、お前! 従兄弟の顔も忘れたか?」
従兄弟? 俺が本当の王子じゃないって知ってる唯一の人間、レノマールがいなくなってから、新登場されても困るんだよなあ。
「ファイアルト、このバカ王子の面倒見るのも大変だな」
「とんでもございません、キサ王子。シセ王子も最近はずいぶんご熱心に剣術に打ち込まれております」
ファイアルトがにこやかに答える。生徒がバカ王子呼ばわりされてるんだぜ? ちょっとはフォローをしろっつーの! 思わず突っ込みそうになるが、それよりもこの会話の収穫は名前だ。
「ああ、キサ王子だったっけ? ごめんごめん、俺、バカだからさぁ……」
この従兄弟殿の名前が聞き出せただけでもよしとしよう。ほっとした俺は、かなり素直に喜んだだけだったんだが――。
「シセ! お前俺のことバカにしてんのかっ!」
キサ王子が、怒り出した。
「バカになんてしてないって。バカは俺だって言ってんじゃん」
わかんねー奴だな。頭が悪いってのがこの王族の血統なのか?
「う、うるせーぞ!」
顔が赤い。ふっ、すぐムキになるあたり俺より子供だな……このキサって従兄弟殿、けっこうカワイイ性格してるのかも。
だが、次のセリフがいけなかった。
「いい機会だ、シセ! お前の腕を試してやる……決闘だ!」
キサは腰の長剣を抜くと、勢い良く俺にかざす。ファイアルトが慌てて止めに入った。
「シセ王子はまだ剣術を始められたばかりですゆえ、今回のところはお許し下さい」
その言い方にカチンときた。だって、これじゃあ、俺が戦わずして負けたようなもんだろ?
「その勝負、受けてやるよ」
ほとんど無意識に、俺はそう言い返していた。
毎日の地味な練習の中で、そろそろ成果もみたいところだったし。
運動神経にいまいち自信のない俺だけど、自分なりにこの十日間、必死に頑張ってきたんだ。
俺はゆっくりと自分の長剣を抜く。間合いの詰め方をひとつずつ思い出しながら、大きく息を吐いた。大丈夫だ、あれだけ頑張ったんだから何らかの結果は出るはず――。
だったのだが。
「!」
一撃、だった。
俺を打ちのめしたキサ王子が、家来を引き連れて笑いながら帰っていくのが見えた。
仰向けに倒れた俺の目に、青い空が映る。それが、やたらキレイでさぁ――。
情けなさ過ぎて、涙よりも笑いが出た。
マジかよ……俺はこんなに弱いのか?
それなりに頑張ってきたつもりだったのに。
努力してもまったく無駄なことってさ、世の中にあるんだよな。
「シセ王子……大丈夫ですか?」
ファイアルトが心配げに声をかける。
「大丈、夫……」
そんな心配しなくても大丈夫だよ、あんたが悪いんじゃない。
俺がダメ人間なだけだ。よく分かったよ、良い機会だった。
「もーやめ、やめ!」
大きく息を吸い込むと、俺はやけくそみたいに大きな声でそう言った。
そうだよ、最初から俺には無理だったんだ。目の前で、人が死んだもんだから、ちょっとナーバスになって熱に浮かれてただけ。
肩の力を抜くと、世界が急に明るくなった。それが、今の俺にはなにより嬉しかった。
何てことない、元のバカ王子に戻れば良いんだ。
レノマールの仇を討つなんて大それた事を考えたから、こんなみじめな自分を思い知らされる。あの部屋に帰って、今度こそ王子が見つかるまで一人でのんびり過ごそう。
何も頑張らなくて良い。誰にも誉めてもらえなくて良い。
「!」
そのとき、俺は突然、胸倉をつかまれた。
「バカヤロウ!」
目の前には、ファイアルトの怒った顔があった。こんなに怒った先生を見たことがないってなぐらい――怒っている。
「だからお前はダメなんだよっ!」
「あ、あの……先生?」
これが、あのファイアルトか? カンペキ人格が変わっているんですけどっ!
「しっかりしろよ! すぐにやめるとか言うな!」
俺の胸倉をつかんだまま、ファイアルトが強く揺さぶる。し、視界が回る……。
「でも才能ないですし……頑張っても無理だってわかりましたので」
一応、俺、王子なんですけど、剣幕に押されて思わず敬語使っています。だって、ファイアルト、怖いんだもん。
「まだ十日だろーが。才能とか頑張ったとか気安く言うなよ、バカ!」
と同時に、手を離される。当然、俺はそのまま地面に背中を打ちつけられた。
はっきり言ってかなり痛い……。
「す、すみません……」
とりあえず謝ってみるものの、ファイアルトの怒った理由がよくわからなかった。
だって、不甲斐ない王子に腹を立てるなんて、今まで一度もなかったんだぜ?
ファイアルトの、王子に対する接し方をずっと見てきた俺からすると、何をいまさらって感じで――。
王子さんよ、とファイアルトは自分の赤い髪をかき上げる。
「……俺はな、レノマールの仇討ちをしたいって言ったあんたを、全然信用してなかったんだ。どうせ、また気まぐれで言ってるだけだって――けど」
強い瞳を俺に向ける。
「毎日、別人みたいに頑張るあんたを見て、なんか嬉しかったんだ」
そこには、初めて真剣に俺と向き合っているファイアルトがいた。
「俺は……嬉しかったんだからな」
ファイアルトは、それっきり黙った。二人の間に沈黙が流れる。
俺はなんだか、ファイアルトの顔を見ているのが辛くなって、背を向けるように、身体をくの字に曲げた。そのまま、自分の膝を抱くようにうずくまる。
切れた唇が痛い。肩も腹も……全身が悲鳴を上げている。
でも、なんかもっと胸の奥の方が一番痛くて。
熱いものが喉までこみ上げてきて――またそれを堪えるのが大変でさ、正直。
……まいった。
この「シセ王子惨敗事件(もしくはファイアルト、キレるの巻)」が、あってから、俺の毎日は急激にスピードを上げていった。しかも上昇気流に乗ってますって感じの、かなりの充実度でさ。
「お前なー! 何度言ったらわかるんだよ? そこは、こう入らないと、後ろ取られるだろーがっ!」
遠慮なしのファイアルトの指導が飛ぶ。ついでに言うと、あの日以来、ファイアルトは完全にタメ口だ。……いいけどさぁ、別に。
「で、でも! こう向いたらここががら空きになるじゃんか!」
「違う! こっちから、こう回り込めばいいのっ!」
「……あ、ホントだ……」
というわけで、ファイアルトの指導は、口は悪いが武術指南の腕は確かだ。
っていうか、俺のレベルの問題って感じもするんだけど……とにかく、技のひとつひとつが、ちゃんとモノになってるって実感がする。
こういう練習は、キツイけどかなり楽しかった。
「こら! なにボケッとしてんだ! もう一度、最初ッから!」
「は、はい!」
あわてて、構えなおす。その時。
「失礼します」
新しい声が加わった。見ると、護衛兵が敬礼して立っている。
ファイアルトが、俺を一人前の王子として指南を始めてから、俺に対する周りの扱いも少しは変わってきた。
いやぁ、ファイアルト様サマだぜ。
「たった今、王子を襲った刺客の居所が掴めたとの連絡が入りました」
ほら、こんな風にレノマールの事件に関する情報も直接入ってくる……ってオイ!
俺とファイアルトは、思わず顔を見合わせる。それこそ、待ちに待っていた情報だった。
「良かったなー、王子! これでレノマールの仇が討てるぜ」
「おう! ついにこの時が……ヤッたるぞー!」
ガッツポーズの俺の頭をガシガシと撫でながら、ファイアルトは護衛兵に、
「で、どこからの情報だ?」
と聞いた。何気ない問いに、護衛兵はなぜか言葉をにごす。
「それが……グランシス大魔導師様でして……」
ファイアルトの顔色が変わった。なんだよ? ガッツポーズのまま、俺も固まる。
「王子、お前はここにいろ」
「な!」
なんでだよ! 反論しようとする俺を、ファイアルトが目で制する。
「とにかく俺が詳しい話を聞いてくるから、王子はここで待機。いいな?」
なんか、まずいことあるのかな……あるんだろうなぁ。
――でも!
「ヤだよ、俺も行く!」
そんな簡単に納得できるかっつーの、そうだろ?
「師匠に逆らう気か? 罰として素振り百回だ」
「そんなの十分で片付けて、すぐあとを追ってやるからな!」
「じゃあ千回にしよう……頑張れよ」
ガーン……いらんこと、言うんじゃなかった。
「なんとか話、着けてきてやっから。おとなしく待ってろ」
緊張した横顔のまま、ファイアルトはそう言った。
で、俺はファイアルトの言ったとおり、おとなしく千回の素振りをして待機――なんて、するわけがない。
「絶対、ついてっちゃうもんねー……」
小さな声で、ひとりつぶやきながら中庭の植木をガサゴソと移動する。
ファイアルトの影は、宮殿の豪華な中庭を横切り、その奥にあるコテージ風の建物に入っていく。
全面に大きなガラス張りの窓があり、中にはとりどりの観葉植物と品の良いテーブルセット……その椅子に、ひとり腰掛けて読書している人を発見した。
(んん……女の子……?)
最初はそう思ったけど、よく見ると違ってた。
色白でキレイでほっそりした、いわば美少年って雰囲気の――ひょっとして、アレが大魔導師様ってやつ? イメージ違うよな、もっと貫禄のあるおじいちゃんとかと思ったぜ。
ファイアルトは、その少年の正面に腰掛けた。何か言ってるが遠くて聞き取れない。もう少し近づかないと――。
「……せよ、そこから叩くしか……だろ?」
「……」
「けど……ってたら……」
ああ、くそ! 大魔導師様の声が小さくてまったく聞こえない。俺は、そのコテージの裏側に、さらに近づく。
「それはそうと貴様、最近シセ王子相手に、真面目に稽古をつけてやってるそうじゃないか?」
よく聞こえるようになったと思ったとたんに、俺の話題だ。盗み聞きってだけでもドキドキなのに、おれの話題となると――なんか照れるよなぁ。
「そうなんだよ、グランシス。俺も意外なんだがな、あのバカ王子、この頃良い感じだぜ?」
「ふん、どうだか……」
グランシス大魔導師様は、冷たく鼻を鳴らした。
――これまた、キツイ話だよ……まぁ、良いけどさ。
「それで、さっきの話だが、王子も連れて行きたいんだ。レノマールの仇をとらせてやりたい」
おお、ファイアルト偉い! 俺は思わず拳を握り締める。
「断る」
はやっ!
「足手まといもいいところだ。それに……王子に、レノマールのことを気安く口にする資格などない」
「グランシス……」
その言葉を聞くと、ファイアルトも黙ってしまった。
俺だって胸が、痛い。
レノマールのことを考えると、今でも狂おしいぐらいの後悔の気持ちで息が詰まる。でも――俺に出来ることが、他に見つからないんだ。
「そりゃ、王子の失態がレノマールを殺したかもしれない。だが、今はあいつなりに、その傷を埋めようと必死なんだよ」
ファイアルトの声は、心なしか小さくなってる。そりゃ、そうだよな、図星だもん。
「それがこの態度ってわけか?」
突然、俺は大きな風に包まれた。
「わわ!」
俺を隠してくれていた草木が一斉に揺れ、気がつくと目の前に、呆れ顔のファイアルトと、依然、厳しい表情のグランシスが立っていた。
「ご、ごめんなさい」
えっ……と、とりあえず謝っとこ。
だがグランシス大魔導師様は、俺の「ごめんなさい」など聞いてなかった。
「もう一度言う。レノマールの敵討ちなど――絶対に断る。王子だからって甘えるな」
そう吐き捨てると、踵を返して去っていった。
これは難しいぞ、とファイアルトが顔をしかめる。
「あいつ――王子嫌いで有名なんだ。わざと敬語を使わないのもそのためだ」
「なんで?」
王子が、とファイアルトは、腕を組んで考え込んだまま短く言った。
「バカだから」
ああ、なるほどね――納得。
コテージに、やたらさわやかな風が吹き抜けていった。
「俺は王子だ。行くっていったら行く!」
よし、これでいこう。何度目かのリハーサルを繰り返しながら、俺はグランシスの部屋へと向かって長い回廊を歩いている。
本当は、もっとスマートな言い方で俺の気持ちをわかって欲しかったんだけど、本心を伝えるのって苦手だし、あの様子じゃどうせ伝わらないだろ?
それにやっぱり足手まといに違いないし……グランシスのいうことは全部正しいし。
こういう反論できないことには、ゴリ押しで勝負だ。
都合のいいことに、俺ってば王子だし。その権限を振りかざせば何とかなるだろう、というわけ。
「王子である俺が行くって言っているんだ。逆らえばクビだ、クビ!」
うん、これぐらい言ったほうが効くな。一人でブツブツ言っているうちに、俺は目的の部屋についた。大魔導師グランシスの部屋である。
勇気を奮い立たせて、ノック。
しかし一難去って、また一難って感じだよな。どこかの物語のヒーローだったら、すでに旅とかに出て大勝利って展開だよ?
成功するかは別としても、レノマールの敵討ちに参加するだけでこんなに大変だなんて……ふっ、凡人はつらいぜ。
静かにドアが開いた。
「何の用だ?」
ずいぶん無用心な開け方だが、グランシスの口調から推測するに、俺が来たってことはすでに承知していたらしい。
魔導師ともなると、開ける前から分かるんだろうな、きっと。
「あ、夜分遅くにどうもすみません」
思わず頭を下げてから、気が付いた。……しまった。
俺のいままでのリハーサルはなんだったんだ? 王子だぞ、クビだぞ! 頑張れ、俺!
「話すことはない……帰れ」
混乱のあまり顔が上げられない俺に向かって、グランシスがぽつりと言った。
でも、と俺は思わず顔を上げる。
王子なんだぞ! 行くったら行く、と言うはずだった。
逆らえばクビだ、とも言うはずだった。
でも――俺は、再び深く頭を下げるしかなかったんだ。なぜなら。グランシスの瞳には――。
涙の跡が残ってたから。
グランシスの肩越しに見える奥のテーブルには、笑っているレノマールの写真があった。
「僕にとって……レノマールは大切な友だった」
だからこそ、とグランシスは語調を強める。
「王子に、いい加減な気持ちで敵討ちなんて言って欲しくない」
「いい加減だなんて……!」
その言葉を聞いた瞬間、俺は息が詰まるほどの衝撃を受けた。頭ン中、真っ白になっちゃってさ、怒るってのも違うし、悲しいってのも違う。
とにかくすごい――ショックだったんだ。
「正直に言いますっ! 俺!」
こんな状態で、作戦通りにいくわけない。
「俺、レノマールを殺したのは自分だと思ってます。レノマールは俺に逃げろって……十分逃げられたはずでした……でも、俺、動けなかったんです、怖くて」
そうだ。あの夜の無様な俺の姿は、何度も夢に見る。
その度に、この身を貫かれるような痛みを堪えてきた。
「怖かったんです……情けないけど。本当は敵討ちなんて自信ないし、怖くないって言えば、そりゃ嘘です。でも! このままでは俺、本当にダメになりそうで……」
いや、もう十分ダメなんですけど、と付け加えておく。
グランシスは、頭を下げる俺に背を向けた。その背中に向かって、もう一度「お願いします」と呼びかける。必死だった。
部屋の窓から大きな月が見える。
その白い月を仰ぐようにグランシスは、窓辺へと近付いた。
「……好きにしろ」
冷ややかな声が静かに響く。
俺には背を向けたままだったから、その表情までは読めなかったけど――。
その先の大冒険の話、聞きたい?
ふふん、ここから先は自慢になっちゃいそうで、自分からはあんまり話したくないんだけどさぁ――どうしてもって言うなら、仕方がないかあ?
「何、一人でにやけてんだ? ホラ、城に帰るぞ」
壊滅状態の敵の根城をバックに、ファイアルトが俺の頭を小突く。
そんなことされても、今日の俺は怒らなーい。
なんたって、あんなに鮮やかに、かっこよく、スペシャルワンダホーに戦えたんだからな――はぁ、俺ってス・テ・キ!
俺の部屋を襲ったのは、この国の辺境を根城にしているガルーナ盗賊団のひとりだった。
盗賊っていっても、それだけじゃ食べていけないらしく――最近の商人もそれなりにたくましいのだ――暗殺なんかも手広くやってるらしい。
手を汚さずに始末できるってんで、これが貴族の間でウけちゃって、さ。
レノマールを殺ったのも、そんなアサシンの一人だったっていう――もちろん、これはすべてグランシスの情報だ。
いうまでもないが、俺の図書館通いはまったくの無意味だったってわけだな、うん。
で、これまたグランシスの力を借りて、ガルーナ盗賊団の根城を突き止めた。あとは乗り込んでシメるだけと相成ったわけだ。
「お前らみたいになぁ!」
ガルーナ盗賊団の要塞、中心部。数十人の幹部達に向かって、俺は叫ぶ。
「人様の命で稼ぐ奴が、俺は大っっ嫌いなんだよ!」
「誰だ、おめぇ?」
人相の悪いおっさんが胡散臭げに見上げる。
「何を隠そう! この王国のシセ王子だ!」
フツーなら、お前らみたいな庶民が拝めるお方じゃねぇんだぜ!
「ああ、あのバカ王子か」
ガクッ……バカにされてたのはお城の中だけじゃなかったのね。
「と、とにかく! レノマールの仇は取らせてもらう! 行くぜ!」
勢いよく、ワル集団に飛び込む。
俺が、そんな無謀な行動に出れるのも、後ろに控えている百戦錬磨の大騎士ファイアルトと大魔導師グランシスがいるからだ。
囮という言い方もあるが、まぁ、その辺は触れないで置こう。
とりあえず思う存分やれ、と言われている。本当に――何から何までお世話になります。
「グハッ!」
走り込んだ勢いのまま、先頭にいた下っ端がさっそく俺の剣の餌食となる。ざまぁ、見ろ! 舐めてかかるからだ。
「ヤロウ……!」
意外な展開に、敵の集団は色めき立つ。
正面のおっさんと剣先で間合いを取りながら、俺は周囲にも神経を集中させた。確実に倒せる範囲内にいるのは、このおっさんと後ろの二人――。
先手必勝! 俺は素早く跳躍すると、高い位置から切りつける。
一瞬、俺の剣を見失ったおっさんは慌てて顔を上げた。
「遅いぜ!」
落下速度をフルに活用して、力任せにおっさんの剣に叩きつける。重い衝撃が腕まで響いた。おっさんは衝撃に耐え切れず、仲間を巻き込んで後ろに倒れる。
間髪入れず――。
俺はしゃかみこんだまま身体を反転させて、後ろの男に切りつけた。低いところから斜めに振り上げられた剣は、鋭い軌道を描いて男の懐に入る!
「ガァッ!」
搾り出すようなさけび声を残して、男が倒れる。まわりの奴らも動きを止めた。
なんか異常に身が軽い! これも修行の成果か? 俺、頑張ったんだなぁ!
その時だった。まったく予想できない場所から、影が飛び込んできた。
「わっ!」
何とか避けたものの、今までの奴らとは――違う?
考える間もなく、次の攻撃が襲ってくる。
激しい鍔迫り合いが火花を散らした。なんだ、この感じ? 次の一瞬。
目を見て分かった――こいつだ!
「おまえっ!」
感情が先に走る。無意識に力が入り、気が付くと奴の剣を思いっきり弾いていた。
俺の、力任せ攻撃を受けた奴の足元で、ザッと砂煙が上がる。
「王子様、自らご登場とはな……」
それだけ言って、奴は地面を蹴った。間違いない。こいつがレノマールを……!
奴の攻撃――早い! 俺はなんとか、正面で受け止める。剣を持つ手がしびれるほどの力だ。
奴の顔がグッと近付いた。標的はにやりと笑う。
「仕事の手間が省けた」
何か言い返したいが、正直、力負けしないように踏ん張るだけで精一杯。
キィィィンッと大きな金属音が響く。
はじかれたのは俺。なんとか体勢を立て直すと、そのまましばらくにらみ合う。
「王子! 上だ!」
ふいにファイアルトの声がした。頭より、身体が先に動く。ほとんど反射的に、俺は跳躍していた。
相手の動きもほぼ同時だ。空中で――。
俺は一瞬だけ身を引く素振りを見せる。誘われるように、奴の剣が手前を横切った。
今だ!
「くたばれっ!」
渾身の力を込めて、俺は奴の横腹をなぎ払う。大きくバランスを崩したのは、俺も同じだった。無様にしりもちを着いて着地。ケツ痛ってー……!
もし次の攻撃を食らっていたら、やられていたのは俺の方だったと思う。けど。
タイムラグがあって――奴はゆっくりと倒れた。勝った……のか?
「ひとまず、ここは引かせてもらう……覚えてろよ、王子」
形勢不利と読んだガルーナ盗賊団の残党が、後ろで徐々に引き始めている。
「……覚えてろだとー? 生憎、俺はバカでなぁ!」
ゆっくりと振り返って、俺は言った。
おまえらみたいな雑魚を、いちいち覚えてらるわけねぇーだろ?
「逃げられるとでも思ってるのか? 甘―い! いいか、俺は王子様なんだぜ!」
その王子様の命令を受けて、出口で待機している何百もの兵士が、この根城を取り囲んでるはずだった。がはは、逃げられるわけがないだろーが!
あとは、まさに一網打尽ってわけ。
これで、この国の治安も少しは向上するんじゃないっすかー? あー! 気持ちよかった!
「それにしても俺の戦い、素晴らしかったなぁ! ちゃんと見てた? ファイアルト!」
「ほんっとに、おめでたい王子様だな。いいか、お前には、攻撃補助、防御壁、挙句の果てにクリティカル率上昇まで、何十もの魔法がかけられてたんだぜ?」
……へ?
「魔法? 誰に……?」
ファイアルトが無言で示したその先には――グランシスが、傷ついた兵士の怪我を見てやっている。
「げ……マジで?」
なーんも、気付かなかったぜ……。
「王子」
俺の視線に気付いたグランシスが、こっちに向かってツカツカとやって来た。
わー、ごめんなさい、ごめんなさい! 俺は思わず頭を抱えてしゃがみこむ。
だって、俺、知らなかったんだもんっ! ――だが、次の瞬間。
グランシスが、俺の前に跪いた。
「今までの数々の無礼をお許しください」
「……?」
な、なになに? 何だよ、突然。
あまりの突然の展開に、俺は頭を抱えたまま固まってしまう。
「あの戦いで、あなたの強い意志を感じました。間違っていたのは……この僕でした」
「ち、ちょっと、待ってくれよ……」
何もそこまで態度を一転させなくても――まったく、もー。このグランシスってヒトはかなり極端な性格だったのね?
「本来なら、ここで職を解かれても文句は言えません」
ですが! とさらに熱が入る。
「どうか、どうかこの僕に――シセ王子の未来を見届けさせて下さい!」
「ええと……ですね」
急にそんなこと言われても、困ってしまう。
第一、職を解くなんて誰も言ってねぇし……。こちらこそ、魔法のお礼を言いたかったのに、完全にタイミングを逃してしまった。
「とりあえず、これからもよろしく、な?」
俺は――内心ビビりながら――そう言って、足元に跪いているグランシスに手を差し出した。
驚いたように、グランシスが顔を上げる。なんとまぁ、美少年って感じのきれいなお顔!
「シセ王子!」
暮れなずむ夕日の中で、この二人の握手はひときわ感動的に映っただろう。こう、夕日の赤をバックに、結ばれる手のアップでさ――イメージだけど。
ちゅうわけで、俺の初めての大冒険は、色々ありつつも、最終的にはかなりのハッピーエンドで幕を下ろしたのだった。