9.こんなことでもモテ期ですか、そうですか。
恐怖政治は覆せないというアレを知る。俺の席の両隣には、あらゆる敵がいるという現実。いや……分かっていましたとも。
中庭で美少女ふたりをはべらせ、あまつさえ天使のように癒すと評判の鮫浜あゆに迫り、キスをねだったという嘘だらけの拡散は、俺の心の核を粉々に砕いてくれた。
さらには、完璧なお嬢様の池谷さよりにも告白をして振られ、その場から泣いて走り去ったという尾ひれまでついていた。全てデマなわけですが。
しかし一部はそう見えてもおかしくないだろう。鮫浜のお顔を近距離で眺めたうえ、強制的に弟にされたわけで。
「おい、高洲。お前、自覚しろよ? お前自身じゃなくて背中自身がイケメンであって、お前じゃないんだ」
「はいはい、そうですよ」
「とにかく美少女たちに迫るのはヤメロ。協定を結べ。返事は?」
「ノー! 後でお前らには真実を明かしてやる。それまで待て」
これもお約束の茶番に過ぎない。なぜこんな無意味なお芝居をしているかというと、一応は自称美少女たちへの配慮をしてやっているということだ。実は学園の中で、一番美少女が集まっているのは俺のクラスなのである。
なのだが、自称も多いことから未だに誰からも、特に他クラスや先輩イケメンからもお声がかからない女子ばかりが揃いすぎている。つまりそれこそが自称の真実であり、残酷な現実なのだ。
それはともかく放課後になった。拒否権の無い俺に対し、容赦なく声をかけてくる鮫浜あゆ。野郎どもは俺を非難した。正体を知らぬ男どもめ。彼女はマジで怖い存在なのだぞ? ちっとも嬉しくないんだぞ。
「湊君、先に歩いて」
「分かった」
背中ですね、分かります。それもあるが、帰る方向が一緒なのでどちらかが先に前を歩くしかないのである。隣を歩くとかそんな関係ではないのだ。
しかし家の並びで言えば、先頭を歩かなければならないのはさよりじゃなければならない。それというのも、俺の家の左隣がお嬢様の家であり右隣が鮫浜の家だからだ。
それなのに彼女たちは俺の後ろを歩いている。もちろんさよりと鮫浜は、距離を取って一人で歩いている。いや、そこは一緒に歩こうぜ? 友達になったはずだろ。
後ろをチラっと振り向くと、寂しそうに歩くさよりの姿が確認できる。一方の鮫浜は、ひたすら俺の背中を凝視していて非常に怖い。
家が近くなってきたが、未だにさよりは俺の前に追い付いてこない。そうまでして背中を見たいのか?
とりあえずソイツは放置するとして、問題は俺の家に入るのではなく、鮫浜の家に俺が入るという光景をソイツに堂々と見せつけなければならないことだ。さすがにそうなると俺に絡んでくるはずなのだが。
「じゃ、入って」
「お、お邪魔しま――」
「違うでしょ? ただいまでしょ、湊」
「タ、タダイマ」
恐怖に怯えながらも俺は言う通りにするしかなく、まさに鮫浜の家に入ろうかという時だった。
「ちょっとあなた! 湊! 不法侵入を堂々とするのはいただけないわ。そこはあなたの家ではないのよ? とうとうおバカさんになってしまったのかしら? あなたはもう少し賢い方だと思っていたのだけれど、ご自分の家の場所を忘れてしまうとか、それはあり得ないことよ」
言いたいことは分かる。だが、言っても理解できないのはお前の方だろう。それよりも、ただでさえ無駄に目立つ女なのに、家の前で説教を始めるのはどうかと思うぞ。
「さよちゃん、湊は私が預かったから。だから、安心して帰っていいよ」
「はっ? 預かった……? そ、それはどういう意味かしら? まさか好きなの?」
「あり得ない」
「あり得ないわよね? じゃあ、どうして?」
そこだけ息ぴったりかよ。泣くぞ。
「傍に置いて観察したいから」
「か、観察? そ、そういうことならわたくしも湊を預かりたいわ! 用が済んだら次はわたくしの家に来させていただけないかしら? 伝えてもらえる?」
「……」
「これは質問ではないのよ? 答えてくれても……」
「嫌」
「な、何ですって? じゃあわたくしもあゆの家にお邪魔するわ」
「嫌」
「な、何てこと。どうしてそんな急に」
何だかやり取りだけ聞いていれば、急に訪れたモテ期のようにも思えるが、これは脅迫であって好きとか愛とかそんな甘々な展開などではない。単なるアレだ、お前のモノは俺のモノ。俺のモノは俺のモノ状態だ。
そんな理不尽すぎる現状を崩すには、壁を破壊してでも自分の家に帰るしかない。だがそれは出来ない。親にも迷惑かけることになるし、ご近所すぎるトラブルが勃発してしまう。
「ただいまー湊」
「オカエリ、あゆ姉さま」
「うん、しっくりこないね。チェンジして」
チェンジとな? それは角の生えたどこかのリーダーさんの必殺技ですね? 俺はカエルにはなれませんよ? もしくはデリ……いや、それとこれとは意味が異なる。
それにしても女子の家に初めて入るというのに、どうしてこうもすんなりと入れたのだろうか。普通はこう、「やべえよやべえよ、ドキドキムネムネ」な感じであわよくば変な期待を膨らませながら入るものじゃないのかよ?
だが隣が俺の家でなおかつどうせ似たような構図だろうと思うと、寂しさを覚える。もっとも、さよりの家の構図は分からん。入ることもないだろうがな。
そんなことを思いながら黙って後ろを付いていくと、案の定二階が彼女の部屋である。
「湊は今からお兄ちゃん。わたし、妹」
「ほぅ! 俺のターンキタコレ!」
「お兄ちゃんはどうしてなの?」
「何が?」
「どうしてそこまでさよちゃんにかまうの? どうして? どうして? どうして?」
いや、同じこと言うのやめて。怖い。こっちも同じ質問をしてやろうか? 質問は駄目か、くそっ。
「なぁ、妹よ」
「なぁに? 何でも聞いていいよ」
「そうか。それなら聞くけど、これに何の意味があるの? いくら隣近所でも男の俺を家に入れるどころか、部屋まで招いてもしかして俺のことが好き――」
「何とも思ってない」
ですよねー。意識も何も、いや下手をすると人と思わず、服が何かほざいているくらいにしか思っていないかもしれない。それくらいの闇を感じるぞ。この子のメインはあくまでも制服。
俺のことはきっと制服を着た透明人間が何かほざいているくらいにしか思っていないんだろう。肉体はきっと関係ないのだ。
「でも、キミなら部屋に入れてもいいと思った。同じモノを感じたから」
「同じモノ?」
「一人だけ。兄弟がいない。それに、窓を見て欲しい」
「ん? 窓?」
とてつもなく悪寒がするが、窓から外を眺めることにする。予想はしていたが、俺の部屋が見えますよ。まぁ、隣の家との距離は、ほぼほぼゼロ距離射程みたいなもんだし、鮫浜が何かを撃ち込もうとしたとしても、角度やらの計算なんぞ必要のない距離であり、それこそすぐに不法侵入出来る。
「夕方にいつも部屋にいないのはバイトだから?」
「そうだよ。ファミレスだけど、そこで会ったことあるだろ? ん? 部屋にいないことを何故気にしているのかな?」
「それはだって観察を――」
「あー……お兄ちゃん、聞くのを間違えたよ」
「うん。理解した?」
「好きでもないのによくもまぁ、俺を気にすることが出来るね」
「そこに窓があって、外じゃなくて部屋が見えるから」
そこに山があれば登るでしょ? それと同じように聞こえなくもないが、全然違うぞ。俺は窓から外を見ないから気にしたことがないのだが、まさか鮫浜の部屋がゼロ距離射程だとは思わなかった。
ということは、必然的にさよりの部屋は違う場所にあって、中の様子は見ることが出来ないということになる。見る気も無いがファミレスで見た限りでは、さよりも兄弟はいないように思えたがどうなのだろうな。もちろん興味は無い。
「さよちゃんは妹がいるよ。本物の」
「へっ? あれ、でも……」
「仲は良くないからファミレスには付いてこなかった」
「そうなのか。って、何でそこまで他人事情に詳しいんだ? 鮫浜はどうしてそこまで」
「あゆ」
「あ、あゆは、何がしたいんだよ」
「それは次回教えてあげる。高洲君はもう、私のお兄ちゃんになったのだから……」
何それ怖い。よく分からん上に家に入らされ部屋も入り、お兄ちゃんにされた。これはモテ期じゃない、これは畏怖だ。
見えない何かがこの子には宿っているに違いない。闇が深すぎて聞くに聞けん。
こうなると、アホのお嬢様の方がよほど扱いやすくて可愛いとまで思えてくるが、それは無いからやめておこう。気にしたら生きていけない。
「ってことで俺はそろそろバイトに行くよ。じゃあまたね、あゆちゃん」
「うん、行ってらっしゃい……私、待ってるから」
何を待っているかも気にしないことにしよう。これはお隣さん同士の親睦。そう、親睦なのだ。
そこに恋だの愛だのは、何も発生しなかった。する気配も無かった。それでいい、まだよく知らないのだからな。