5.俺ではなく目に聞いてくれ、下さいませんか?
いつもは先生がわざわざ転校生を紹介するなどと、面倒なことは省いてきたはずで今回もそのはずだった。それともこれも俺の記憶違いだとでもいうのだろうか。少なくとも鮫浜あゆについては、転校してきたということも気づかなかったし、紹介も受けていない。
それはともかくとして池谷さよりだけは特別扱いらしく、わざわざ自己紹介をさせるようだ。もちろん先生からも耳を疑う発言が聞こえてきたわけだが。
「――ということで、今日からウチのクラスの仲間になって頂く、池谷さよりさんだ。彼女はとある所のお嬢様だそうだ。その為、世間のことには疎く、みんなが当たり前のように知っていることを彼女は知らないことがあるかもしれない。そういうわけだから、温かく受け入れて欲しい。特に女子たちは仲良くしてすぐに打ち解けて欲しいと先生は願う。では、池谷さん。軽く自己紹介を」
俺の耳は正常か? 池谷がナンダッテ? お嬢様で世間知らずって聞こえたが、とんでもないことだ。ソイツは思いきり庶民ですよ先生。ファミレスに来やがって当たり前のようにドリンクバー頼んでましたよ? とある所ってどこだよ! それはもしやお金が積まれた山のことですか?
お嬢様ってのは自称じゃないのか。少なくとも隣の家からはそんな名家のような雰囲気は感じられなかったんだが、俺の先入観の問題?
「……い、池谷さよりと申しますわ。みなさま、どうぞお見知り置きを」
案の定、女子連中は沈黙。それに対して野郎どもは「おおおぉー!」などと雄たけびをあげている。いやいや、どす黒い女だぞ? 見た目が美少女なのは、下唇を噛み締めて鮮血に染まるくらいに認めてやろう。悔しいがそれは事実。だがそれを知るのは俺と鮫浜だけだ。
この学園と世間においては、その正体を明かすわけにはいかないだろう。世界の平和の為にも。だがお前ら、特に男どもはそれでいいのか? もし仮に、出会い頭に衝突をして押し倒して、思わず揉んでしまうあの神聖なる箇所から、そんな感触が得られないのだとしたらショックで三日三晩は寝込んでしまうんだぞ?
それにしてもマジでデフォルトで通すようだ。俺は止めたのに、俺だけではキミを守れませんよ? そして友達もきっと出来ないでしょう。女子の第一印象がすでに物語っているわけだし。
「あの、ちょっとお話を聞きたいのだけれど、廊下に出て頂けないかしら」
朝のホームルームが終わるとすぐに奴は俺の元へやってきた。言った通りじゃないか。人見知りなうえに、話せそうな奴は俺しかいないと。だが俺にも無駄なプライドがある! ここは心を鬼へとチェンジして突き放さなければ。
「――お嬢様、何用ですか? わたくしのような下賤な輩とむやみやたらに口を聞いては、あなた様の品位が落ちまくりですけど?」
「んふふ、面白いことをほざ……言うのね、あなた。あなたの名前をお聞きしても?」
「あー……初めまして。清楚なお嬢様。僕は高洲湊と言います。あなたのお名前は何でしたっけ? 詐称さん?」
「僕? おかしいわね。年齢を偽っているガキがいるわ。んんっ、そうではなくて、湊! あなた、特別にわたくしの傍付きにして差し上げるわ。マジで何も知らない学園のルールとか、特徴とかを教えなさい!」
「それは俺に何のメリットも無いんですが、何かしてくれるとでも? それに廊下に俺だけを呼びつけた時点で、あっという間に拡散されるぜ? いいのかね、そんな学園生活で」
「不本意だけれど、わたくしには孤独が似合わないの。誰か一人でも傍に付けておけば便利……安心できるでしょう?」
可愛くねえな、コイツは。まずデレ属性が備わっていない。そして自分を中心に回しすぎている。これでは女子の友達なんて出来そうにないな。現実を知るとはこのことだ。俺も現実の厳しさを与えてやろう。
「ごめんなさい、僕は転校生の……それも本物のお嬢様に何かを教えるほどのキャパシティーは持ち合わせていないんです。だから、池谷さよりさまは目に聞いてください」
「は? 目? あなたの目を潰せば知識を得られるとでも言うのかしら?」
「お、お許しを……僕の目じゃないです。目と書いて、目先生のことです。一応言っておくと、さっきあなたを紹介してくれた先生の名前です。僕じゃなくて目先生を頼ってくださいね。では、御機嫌よう」
「ちっ……じゃなくて、ちょっとお待ちになって!」
「何ですか?」
「何がお望みかしら? わたくしの傍にいてくれるだけであなたの望みを一つだけ叶えてあげなくてもよろしくてよ?」
どこのボールですか? 今は3つくらい願いが叶うようだが、それより少ないってダメダメすぎる。この際お嬢様言葉を直させるのは無駄だし、つまらなくなりそうだから放置しとくとして、何を望むべきか。
「じゃあ、僕のお友達にならないでくれませんか?」
「ええ、喜んで……は? ならないでくれ? どういうつもりかしら。わたくしと! この本物とお友達になれる権利を与えて差し上げるのよ? それをどうして拒むというのかしら。理解に苦しんでこの場でよろけてしまいそうになるわ。そうすればあなたは学園中の男子を全て敵に回すことになるのだけれど、それでもいいかしら?」
「いや、お前と友達になった方が敵だらけになる。だから、自称にしとけ。俺の友達は男の娘だけで満足してますんで」
「あなた、ショタ……」
「違う! 言い方はそうだが、れっきとした男だ! ソイツにもお前のことを紹介してもいいなら自称を改めてもいいぞ。どうだ? ん?」
ふっ。家の前と俺と鮫浜の前では悪魔と化した女のようだが、学園内ではそうはさせんぞ。本当に唯一の俺の友達を味方に取り込めば、少なくともクラスの野郎どもは俺に対して喧嘩を売ってくることは無い。なにせ、普段は女装……いや、女子連中に保護されている男の娘なのだからな。
「その方のお名前は?」
「八十島浅海だ。可愛いだろ?」
「名前は確かにそうね。その方とも仲良くすれば、あなたはわたくしを受け入れるのね?」
「いつでもウェルカムなんだが、俺の前では素を出し続けてもらう。そうでなければ自称を外させん。よろしいですかな?」
「ちいせえ野郎が……」
「お嬢様、今なんとおっしゃった?」
「何でもないし。いいわ、あなたとその八十島くん? の前では素をさらけ出すことを約束するわ。その代わり、学園内のことを頼むわね」
「お安い御用ですよ、さよりん」
「そうね、湊」
安請け合いしたかもしれない。だが残念な個所は抜きにしても、学園内アイデンティティを確立するためには利用させてもらう。まずは浅海に話を通しておこう。彼を優先するのが俺の学園的平和への道だ。