175.池谷家との約束と別れ?
「ハ、ハハー……」
「高洲さん……頭を上げてくれる? というか、あなたは隣馴染みの高洲君でしょ? 今さらそういう態度はどうかと思うけど」
「いえ、一応形式通りにそうした方がいいのかなと」
「やめなさい!」
「はい、ごめんなさい……」
――とまぁ、池谷家のお母様こと、いさきさんの前で土下座をしてみせたのだが、すぐに止められた。
これに至ったのは、さよりの変な威厳によるものであり、かなり不本意な土下座だったりする。
「お母様! 湊を連れてまいりましたわ! よ、よりにもよって、ここにたどり着くまで卑猥なことをし続けた湊を、お母様の前に出すことになってしまいましたけれど……と、とにかく、土下座をさせますわ!」
卑猥ってハッキリ見ていなかっただろうにとは言えず、さよりの強引な握力によって、頭を押さえつけられてしまった。
「……それで、あの子たち……さよりではなく、姫なのでしょう?」
「い、いや、その……」
「隠さなくても分かっていますよ。姫は鮫浜があなたに近付いた時から、様子をおかしくしてしまいましたから」
「全てご存じなのですか?」
「直に見なくても分かります。鮫浜は昔から因縁がありますからね」
「え? それはさよりの?」
「いいえ、わたくしの学生の時からですよ。つまり、鮫浜の両親ということになりますわ」
「そ、そんな前から付き合いが……だとしても、姫ちゃんは俺に好意を持っていました。俺はあの子にどうすればいいのか分からないです」
さよりと姫ちゃんの母であるいさきさんとは、久しぶりの対面。
常に和服姿ということもあって、艶やかさが半端なく、気品もあり何もしてなくても、平伏してしまいたくなるほど美しい人だ。
さよりがもっと大人びて、いさきさんのような雰囲気を醸し出すようになれば、すぐにでも惚れてしまうかもしれない。
しかも痺れを知らないのかと聞きたくなるくらいの、綺麗な正座を保ち続けているのもさすがだ。
「高洲君は答えが出ているのでしょう?」
「えっ、はい……」
「あなたは優しい男の子。あのさよりを許して頂けたのも、あなただけ。それは別としても、あなたがハッキリと言わないでおく限り、いつまでもエスカレートし続けることは承知ですね?」
「それはまぁ……」
「でしたら、あなたがいる前でわたくしから姫に伝えてもよろしいかしら?」
「えっ?」
「姫! お入りなさい」
全く気配を感じなかったが、廊下に待機していたのか、姫ちゃんが大広間に入って来た。
それも覚悟を決めたかのような表情をしていて、俺の顔も見つめて来ない。
「あなたには、池谷に恥じぬ慎みを持った行動を取るように伝えていたはずです。それをあなたは守りもせず、高洲君に迷惑をかけてまで、あなたは何を考えているのですか! 答えなさい!」
「……好きな人にする行為が恥ずべきことですか? さよりだって――」
「今はあなたの問題です。さよりのことは関係ないはずですよ? ここにいる高洲君を好きなのは存じていますけれど、それとその行為とは別問題です! 何か反論出来ますか?」
「……」
あれ、これ俺がいていい場面なのだろうか。
どう見ても親と子の将来についての説き伏せなのでは?
立ち上がりたい所だが、正座で足は痺れているし、いさきさんも姫ちゃんもそんな感じではない。
神経を両足に向けて足ばかり見ていたら、姫ちゃんが真剣な眼差しで話しかけて来た。
「湊さん、わたし本気でした。でも、今は何をしても何を言っても、届かない。そうですよね?」
「……隠しても仕方ないから言うよ。姫ちゃんのことは好きだけど、俺にとっては妹としか思えない。色気を感じたりしてるけど、その行為も行動も無理をしているようにしか思えないんだ。だから……」
「嫌われてはいないんですね」
「嫌いにはならないよ」
「……良かったです。それなら、潔く行くことが出来ます。わたし、しばらく湊さんとはお会いできなくなりますけど、妹として見られ無くなればいいってことが分かりましたから!」
「へっ? どこに行くのかな?」
答えを聞く前に、姫ちゃんは部屋から出て行ってしまった。
答えはいさきさんが話してくれるみたいだが、ここでようやくさよりも部屋に入れるらしい。
「さよりさん、お入りなさい! 高洲君と一緒にお聞きなさいね」
「ひゃ! は、はい」
緊張しすぎだろう。今でもいさきさんの前に出るのは、緊張してしまうのか。
俺の隣に来て、さよりも正座をしながらいさきさんの言葉を待った。
「先ほどの姫の言葉ですけれど、姫は留学をさせることにしました。これはわたくしと、主人の意向です。高洲君とのこととは別問題ですよ」
「ひ、姫が留学ですの!? え、そんな……わたしは何も聞いていませんわ!」
「さよりは現状のまま、頑張りなさい。姫は元々、語学に興味がありましたから遅かれ早かれでしたわ。高洲君も気になさらないでくれるかしら?」
「は、はい」
「それと、さより……あなたと高洲君の関係を約束して欲しいのだけれど?」
「え……そ、それはあの……」
間髪入れずに最大の問題を突き付けて来たようだ。
これに関しては俺も他人事ではなく、姫ちゃんのことは問題にすらならないと感じていただけに、意表を突かれた。
「さよりは今でも、高洲君のことがお好きなのね?」
「はい、好きですわ!」
ここまでモテてしまっているのは、どうしてなのだろうと自問自答してしまう。
しかし鮫浜との対立で、さよりに気持ちを傾けていたのは紛れもない事実。
さらに言うと、さよりを襲った浮間とか、わざと襲った浅海とかから守ったのも俺だけであり、さよりには相当なイメージを与えてしまったのも否めない。
「では、高洲君の今の気持ちはどうなのです? さよりとは好き合っていたことも聞いていますよ」
「……すでに聞いているかもしれませんが、俺は鮫浜あゆに告白して交際を始めていました。だけどすぐに、フラれてしまいました。その原因が何なのか分からないまま、転校までさせられています」
「ええ、鮫浜のやりそうなことですね。それとは無関係なのに、さよりを転校させた。その責任は感じているのかしら?」
「俺が責任ですか!?」
「違いますか?」
「い、いえ……」
何も言えない迫力がありすぎる。
実際のところ、勝手に付いて来たのが事実なわけだが、責任が無いとは言い切れないのが何とも言えない。
「俺にどうしろと……」
「姫とは別の感情をお持ちなのは確かですね?」
「えーと……」
さよりは明らかに俺ばかりを気にして、チラチラと見て来ている。
下手に答えてしまえば、決定してしまいそうで怖いだけに、今は確かなことを言うしかない。
「今、自分の中で気になる存在は……さよりじゃありません。鮫浜とのことがあったのも関係していますが、フラれてすぐにさよりに切り替えられるほど単純でも無いんですよ」
「……み、湊」
「もちろん、俺がしたことは罪深いことです。さよりに告白して断った挙句に、鮫浜に交際を申し込んでしまったわけですから。さよりのことが好きだったのは間違いないです」
「……やはりここでも鮫浜ですか」
「転校のことも含めて、鮫浜とは決別しない限り、さよりの言葉に答えるわけには行かないんです」
「――高洲君の心は分かりました。やはり鮫浜……そういうことですね」
鮫浜あゆと完全に断ち切らないと、少なくともさよりとそういう関係に進むことは難しいだろう。
「湊、やっぱり好き……」
今にも泣きそうな瞳で好きと言われると、本当にどうしていいか分からなくなる。
「では約束をしましょう!」
「や、約束?」
「高洲君は今は、他の人に心を置いているとおっしゃいました。その方と進むならそれでも構いませんわ。その時は縁を切りましょう。ですけれど、そうでないならば……鮫浜と池谷は戦うことにします! もちろん、さよりを守るのはあなたの役目ですよ。それでよろしいですか?」
「お、お母さま……そんな、そんなの――」
「選ぶのは高洲君です。さよりじゃありません! 聞き分けなさい、さより」
「わ、分かりました。俺もこの気持ちに整理がついて、その人とずっといたいと思ってしまったら、その時はさよりと付き合うような素振りは見せません」
「優しいですね、湊くん」
「いえ……優柔不断なだけで」
何とも大変なことになってしまった。しかし、さよりの気持ちに気付いていながら放置するのも、限界が来ていたのは確かだった。
ひとまずこれで、姫ちゃんの問題は片付いたと思えば、後は俺自身の気持ちに向き合うだけだ。
「――湊さん」
「ん?」




