17.笑顔の黙示録
まさか自分のバイト先に、絶対仕事が出来そうにない残念な彼女が働きに来るとは誰が予想しただろうか。予想以前に、働かせてはならない危険因子だと思う。
池谷が採用されたその日のことだが当初の予想通り、妹を迎えに来たということだった。だが妹の姫ちゃんは姉であるさよりではなく、俺の手を握って離さなかった。
「ひ、姫ちゃん?」
「迷子駄目」
その日の帰り、家に着くまでの間にさよりは暴言のオンパレードだった。それが残念な美少女を成長させていることに何故気づかないのか、俺には理解したくもない。
ここで俺は油断をしていたことに気づく。あれだけ呪いを、いや、悪魔の囁きを心地よく聞き続けていたのに、目に見える場所で池谷妹と手を繋ぎ、傍目にはさよりが俺の隣を歩いているという、何とも恐ろしい光景を作り出してしまった。
さすがに家から飛び出して来ることは無いだろうし、注意をしたこともあって俺の部屋で座って待っているといったことはしないはず。いくら病みの天使でも、そこまでじゃないだろう。俺は特に深く考えずに就寝をした。
朝になっても普段と変わらずに、適当な朝食がテーブルの上に置きっぱなしになっていて、両親はすでに仕事に出かけていた。しかし朝食の横には見慣れないメモが置いてあった。
「湊へ。お父さんとしばらく旅行に行きます。お留守番頼むわね。一人では寂しいってことくらい、お母さんは分かっているわ。だから、隣近所の交流も兼ねて湊のお世話を頼んでおきました。ご飯とかも作ってくれるそうです。同い年の女の子たちも遊びに来てくれると思うけど、泣かせては駄目ですよ。母より」
ぶはっ! おいおいおいおいー! 聞いてないよ? 突発計画発動ですかい? この前に走馬灯見たばかりなのに、また見ることになるかもしれない息子を置いていくなよ。隣近所の交流とか無用すぎるぞ。嫌すぎる。修羅場になってしまったらどうしてくれる!
「ピーンポーン」と、ちなみに俺の家のチャイムはノーマルですよ。「てか、朝から誰だよ」なんて呟いたが、大体想像はしている。
もちろん、朝から玄関のチャイムを鳴らすのは残念な奴しかいないはずだ。そう思っていたが――。
「おはよう、高洲君」
「お、お、おは……おはよう」
「どうしたの? 私の顔に何かついてるのかな?」
「な、な、何でもないヨ。珍しいな、鮫浜が俺の家に来るなんて。しかも朝から」
「だって、ここは私の家でもあるから」
「ん? 今なんて?」
「それよりも登校しないと遅れちゃうよ? ほらっ、湊君。行こっ?」
あれっ? こんなに可愛い感じの女の子だったっけ? 黒い影も見えないし、それどころか朝陽がいつもよりも眩しいんだが。
それなら何も問題は無いな。笑顔もやばいくらいに輝いているぞ。マジで惚れちゃっていいのかな? それでも好かれないけど。
「湊君。お昼は一緒に食べようねっ!」
「うん、もちろん」
「やったっ! 湊君とずっと一緒にいられるんだね。ずっと一緒に……」
あぁ、可愛いなぁ。まさか朝の登校時点でこんなにも心が洗われるとは夢にも思わなかった。こんなことなら初めから鮫浜を誘って一緒に通えば良かったな。背中にいちいち視線を浴びる必要もないわけだし。
いつも以上にテンションが高い状態で学園に着いた。いつもなら背中に視線を感じながら学園にたどり着くのだが、今日はその視線を感じることが無かった。
恐らく初めてのことになるが、俺の隣をものすごい笑顔の鮫浜が歩いている。手こそ繋がないが、隣を歩いたまま教室に向かうことになった。
「ふふっ、湊君。今日は二人きりだよ……」
「ん? 何が?」
「私は先にお手洗いに行って来るね。湊君は先に教室に行って休んでていいよ。私が起こしてあげるから」
「へ? あ、あぁ、じゃあ寝て待ってるよ」
何かの違和感があるが、元々ああいうことを言う子だ。特に気にせずに俺は教室に向かった。向かったはいいが、そんなに人よりも早く学園に着いたわけでもないのに誰ともすれ違わない。
これは夢? いや、朝食は食べたし……と言っても、ぶはっと何かを噴出したけど。朝陽だって半端なく眩しかった。だから俺は起きているはずだ。まぁ、教室で寝ていれば誰かが来るだろう。
「――湊。起きて、湊……」
「んー……まだ眠い」
「うふふっ、それじゃあ思う存分眠ってていいからね」
「むにゃ」
「――」
「んーむ……んー?」
っておい! 遅刻だ! いや、すでに教室にいるから遅刻じゃないのか。だけど妙だ。誰も教室にいませんよ? あれだけ大量にモブ男がいたのに壁側に誰もいないよ? どういうこと? 体育かな?
「起きた? おはよ。もう夕方だけどね」
「ふぁっ!? ゆ、夕方? え? 何で、どういうこと? まさか、学園中の人間を滅したとか? まさか、そんな……」
「そんなことが出来るわけないよ……湊は私を何だと思っているのかな? ねえ、今日はずっと二人きりだよ――」
「いや、うん。そうだけど、だからと言ってあんなことやそんなことはしないよ?」
「そうなんだ、残念。あのサプリの効果は薄かったのかな。次はもっと気を付けるね……」
「サプリ? あのみなぎってきたカプセルかな? どのメーカーか聞いても?」
「秘密。守秘義務だからごめんね」
「守秘義務?」
そういや、鮫浜の両親ってどんな仕事をしているのか全然知らないな。怖くて聞けないけど。それに何で誰もいないんだ? しかも夕方って! マジで世紀末なのか?
「なあ、何で今日はあゆと俺だけなんだ?」
「……聞きたい?」
真面目にこんなおかしな現象はどう考えても夢落ちだろう。それか知らない間に催眠術でもかけられたか、もしくは黒魔術を唱えられてしまったかのどれかだろう。
「どれでもないよ」
心の中も侵入して来れるのか? 怖すぎるじゃないか。そう考えるとずっと笑顔を見せている鮫浜が恐ろしく感じるぞ。いや、いやよ。こんなことなら浅海側に逝きたかった。
「ぷっあははっ、あはっ! 私、悪魔じゃないよ? 湊はカレンダーとか学園行事を気にしないのかな?」
「ほえ?」
「今日はどんなに待っても誰も来ないよ? だって創立記念日だもん。休みなの。みんな、ね」
「何ですと! え、じゃあ何で制服着てんの?」
「好きだから。制服が好きって私、言った。言ったよ? あぁ、残念だなぁ。二人きりなのに、何も起きなかったし、起こさなかったね。それとも部屋のベッドの上とか膝枕がいいのかな?」
「いえいえいえ、ソンナコトナイヨー」
「それにしてもよく眠ったね。朝食が効いたのかな?」
「は? 朝食? あれ、だってアレは俺の親が丹精込めて作った適当な……」
あのメモ書きは本物だったぞ。だけどいつから旅行に行ったんだ? まさかすでに侵入していたのか? さ、寒い……寒すぎるぞ。か、体の震えが止まらん。
「もしかして寒い? 風邪ひかせてしまったかな。ごめんね、あゆは今から湊の姉になるね。だから、わたしたちの家に帰ろう?」
「か、帰ろう。せっかくの休みが台無しだった。滅多に見られないけど、だとしてもそこまで学園が好きでもないしな。でもカフェ食堂は行きたかった」
「人いないよ?」
「ですよねー」
無駄過ぎる。帰るしかないな。
「高洲君。また二人きりで来ようね。私、それまでもっといいのを調合しておくから……」
「ん? よく分かんないけど、創立記念日は年に一回だし、次はさすがにカレンダー見とくよ」
「そうだね……楽しみだね――」
キャラクター紹介 鮫浜あゆ 序章
タイプは可愛い系。身長158㎝くらい。体重非公表。
髪は茶色がかったショート。湊によれば、頭を撫でたくなる魅力。ただし、その後の保証は無い。かなりの闇を所有。
他人と交わりを持たず、興味のある人間にのみ自分から話しかける。相手から話しかけることは認めていない。質問も不可。
あどけない笑顔に加えて、実年齢よりも幼く見える。
密かに男子に人気があるが、話しかけたら以下略。




