110.それでも彼女のことは嫌いになるわけが無い件。
これはどういう状況下なのだろうか。責められるのか? それとも許されるのか、全く分からない。それにしてもようやくお出ましの池谷お母様である。
いや、さよりの家に来ている時点でどこかで会っでもおかしくないはずだったわけだが、避けていたのかあるいは、さよりといる時間が長かったから会わなかっただけなのか。
「どうぞ、お座りになって」
「は、はぁ……では」
「姫、お茶をお出しなさい。あなたにとっての大事な人ですのよ?」
「はい、母様」
「え? 大事な……? えーと、姫ちゃんのお母さんでさよりのお母さんですよね?」
「……申し遅れましたわ、わたくし池谷いさきと申しますわ。以後、お見知り置きをお願いしますわ。それと、さよりのことについてですけれど、お付き合いをなさっているのかしら?」
「あ、いえ……まだと言いますか、何といいますか」
嘘は言ってない。正式に彼氏彼女な関係にはなっていないのだからな。それにしても、家の中で着物姿とかどこのおかみさんかな? さよりに負けないくらいの長い髪を高そうな櫛で整えているし、真っ白すぎる肌が何とも艶めかしいぞ。目つきは姫ちゃん似か。さよりと違ってキリっとした感じではない。
「高洲、お茶」
「あ、ありがとう」
とは言うものの、口にしていいのか迷う。しかし姫ちゃんが淹れてくれたお茶だ。勢いよく飲み干してやろう。
「「……っ! あっっつぅぅぅぅ!」」
「言い忘れていたけど、熱湯……すごい、一気飲み。さすが高洲」
ワンテンポ遅いよ。よく考えなくてもお茶を一気飲みは無謀だろう。湯呑で持ってきた時点で悟れよ。うう、それはそれとして、お茶を少しだけこぼしてしまったじゃないか、それも白いシャツに。
「あらあら、高洲さんったらそんなに姫がお好きなのね。それにこぼしてしまうなんて、抜け目の無い男の子ですのね。姫、高洲さんと入ってらっしゃい」
「へ? 入る……とは?」
「もちろん、浴室ですわ。元より入るおつもりがあったのでしょう? いえ、そうなる運命でしたのね」
「ん。高洲と入る」
おおぅ……これはあかんやつ。いや、仮に妹と入るってことなら規制されないのか? 駄目だ! 姫ちゃんは大事な妹候補。ここで罪を作るわけにはいかんぞ。入るなら、残念だろうとさよりに限る。
「いえいえいえいえ、お気持ちだけで」
「将来は毎日入ることになるからお預け?」
「ハ? 毎日?」
「ふふ、高洲さん。そこまで姫のことを大事にされておられるのね。さすがですわ」
どうやらいさきさんは、さよりと俺の関係は認めていないようだ。それどころか、姫ちゃんも否定することなく、俺と一緒になる計画が決定しているらしい。何故意図的にさよりをシカトしているのだろうな。
「そういうことじゃないんですよ! あの、どうしてさよりじゃないんですか? 付き合ってるわけじゃないですけど、順当に言ってもさよりとそうなることが正しいのでは?」
「……姫は自分のお部屋にお戻りなさい」
「うん。高洲、またね」
姫ちゃんに聞かせたくない雰囲気になったか? ううむ、ダークな話にはしたくもないし、聞きたくも無いけど、この感じは間違いなく楽しい話じゃない。それも母親から聞くことになるとはな。
「高洲さんのお友達は、八十島浅海さんで合っているかしら?」
「え、あ、はい」
お? 浅海は有名人なのか。さすがダナー。さすが本物のイケメンにして男の中の男の娘。
「彼と知り合ったのは中学の時なのでしょう? それも女子たちに囲まれていた時の……」
「何でそれを?」
あぁ、もう嫌な予感当たったな。さよりから聞こうとしていたし、浅海もコレを言おうとしたんだな。
「さよりは、浅海さんを囲んで追い詰めていた女子グループの一員でしたの。リーダーは、海野ほたるという、とても下品な女子でしたけれど……さよりはその女子に従っただけ。ですけれど、何かしらの言葉を投げていたのは本人から聞き出しましたわ。浅海さんは綺麗な顔立ちの子で間違いないかしら?」
「は、はい……」
「そんな彼を救ったのが、高洲湊さん。そして、そのことがきっかけでさよりはグループから抜けたとも聞いているわ。高洲さんは、女子たちの顔や名前はご存じないのかしら?」
「はぁ、まぁ……そんな余裕は無かったですが。あの場にさよりがいたってことですか?」
あれか、俺に非モテのフラグを立てやがった女子たちだな。その中にさよりがいたのか。浅海と因縁というか、被害者と加害者ってやつか。オーマイガー!
「そのことはさよりから聞いていないのかしら? わたくしとしてはたとえ、直接的に手を下していなくとも、そのグループに関わっていたことが恥であると思っていますわ。このことが公に出てしまえば、池谷は……」
「だからさよりをいない者として扱っている……と?」
「高洲さんはこれを聞いても、さよりを嫌いにならないのです? 浅海さんとはお友達なのではなくて?」
思った以上にダークだったな。大方の予想通りだっただけに驚かないが、あの場にさよりがいたのは驚きだ。実は出会っていたわけか。という時点で、お嬢様ではないということが確定したわけだが。
「さよりは……さよりさんは、令嬢ではないってことで合ってますか?」
「……いいえ、池谷の長女である以上、間違いではありませんわ。ただし、確かにあなたや浅海さんと出会った時は、まだ普通の家庭だったことは否めませんわ。我が夫の活躍によって、池谷はその位置から上の階級に上がったわけなのですけれど」
社畜の親父さんの苦労の賜物か。中学から高校に上がるほんの短期間で、お嬢様にグレードアップとか。それは確かにあの言葉遣いは直らないわけか。デフォルトのお嬢様言葉も今思えばって感じではある。
「高洲さんは、さよりとどうするおつもりがあるのかしら?」
「それは……何とも言えないです。けど、嫌いになるつもりは無いです。関係は変わらずに過ごすかと」
「そう……それならいいですわ。駄目なら姫を貰って頂ければいいですし、そうでなければお友達としてお付き合い頂ければいいのですもの。わたくしとしても、さよりだけを冷たくしているつもりはありませんことよ? ですけれど、姫はさよりが良くない頃を覚えているだけに、好きにはなれないことでしょう」
「姫ちゃんのことは可愛いと思ってますけど、嫁とかっていうのはそこまでは。友達として仲良くし続けるのは間違いないので、そこは大丈夫です。いさきさんもどうか、さよりのことを構ってあげてください」
「いいですわ。高洲さんのお願いですもの。あなたにはあまりに強すぎる方が味方についていますものね……」
「へ?」
「それでは、高洲さん。さよりをよろしくお願いしますわ。ふふっ、廊下で聞き耳を立てていることですし、わたくしはこれで失礼しますわね。では、御機嫌よう」
「は、ど、どうもでした」
いさきさんの言葉通り、廊下にはさよりの姿があった。部屋から出て行って、そのまま姫ちゃんに引っ張られた時から後をつけていたらしい。どうやら話は聞こえてなかったらしく、ふくれっ面で俺に迫って来た。
「バカッ! 湊ってば、どうして勝手に人の家の中を歩き回るの? それに、お母様に会っていただなんて。まさか、お母様に求婚をしたわけじゃないわよね? そうだとしたら残念すぎるわ」
「アホか! 誰が好き好んでお前のお母さんに結婚を申し込まなきゃいけないんだよ!」
「お前って言わないでって何回言えば覚えてくれるのかしら! 湊はもう少し賢くなってもらわないと、将来が心配になってくるわ! と、とにかくこのままお風呂場へ行きましょ? そのシミのついたシャツも洗ってあげるわ」
シミ? あぁ、お茶のアレか。この流れで拒むのは流石に無理か。ええい、一緒に入るかどうかは流れに身を任せるしかない。あんな話を聞いても、嫌いになんてなるわけがないしな。




