11.姫のご指名、有難き幸せなわけがない件。
生きてると色々なことがあり、最後の時にはその全てを思い出すことなくあっさりと逝くらしい。と、死んだじっちゃんが言っていた言葉だ。もちろん、俺のじっちゃんとは無関係の近所のじっちゃんの言葉である。
なぜこんなことを思い出したかというと、とにかく昨日は色々なことがありすぎたからであり、強烈すぎるご近所付き合いにほんのちょっぴりだけ挫折しかけたということが関係している。
そんな時、ふと思い出したのがまさに、俺とは何の関係もない無縁のじっちゃんの言葉なのである。名も知らぬじっちゃんに敬礼!
「あなた……湊は、か弱い女子の歩幅に合わせる気は無いのかしら?」
「はて、どこからか幻聴が聞こえるな。それもか弱いなどと、まったくもって当てはまらないワードが聞こえてくるぞ」
「速いのだけれど、もう少しゆっくりと歩いてもらえないかしら?」
「ふぅむ……一体どこから聞こえてきているのだろうな」
「おい! 聞こえてんだろ? 湊、こっちを向け! いや、こっち見んな!」
「どっちだよ! というか、何でお前は俺の後ろを歩くの? いくら隣の家だからって、合わせて登校しなくてもいいんだぞ? というか不自然すぎるだろ! 鮫浜はさっさと登校……もしくは遅刻か分からんけど、お前みたいに俺の近くを歩くとかはしない子だぞ? 何なのお前?」
本当に何でなのでしょう? 闇天使の鮫浜は朝はさすがに闇度が落ちるのか、俺なんかに構ってられないのかは分からないが、一緒に登校するといったことは無い。
だが池谷は何故か、俺の後ろを付いて歩いてくる。あれですか、何度歩いても学園までの道順を覚えられない弱い子ですか。
少しはそういったことを素直に認めてくれれば、俺だってキツイことは言わないのに。そして暴力性の言葉さえ出さずにいてくれさえすれば、可愛げがあるというものなのに。
どうやら思った以上にアホの偽お嬢様のようだ。口も開かずに黙って歩けば、確かに清楚なお嬢様に見えなくもない。しかし、お前は駄目だ。
行きも帰りも俺の背中を目印に歩くせいか姿勢がよろしくない。それはつまり、本物のお嬢様ではないということになる。しかも背中に視線を集中しているので、俺が曲がり角を曲がったら途端に行方不明になる。
どれだけ弱いの? 浅海に言い訳した俺の傍にいないと生きていけない発言を、マジに実践してどうするつもりなのかね。それも好きでもない奴に。
「ふ、ふん。家が隣なのだから仕方がないでしょう? それにあなたは幸運なのよ? こんなにも極上の美少女でお嬢様のわたくしが傍にいるのよ。お礼こそ言われても、非礼を言われる覚えはないわ! 湊こそ、あゆの家に入ってナニをしていたというのかしらね。ここでは言えない擬音が入るようなことでもしていたのかしら。あぁ、これだから野蛮で下賤な輩は――」
話を黙って聞いてるほど俺は優しくないし、優しくもなりたくない。そう思った俺は、歩く速度のギアを上げてかなりの早歩きを開始した。さすがにこの速さでは背中に集中できまい。
俺はお前の為にしてやっているんだ。そうでもなければ俺の背中を見て育つ、よろしくない未来が待っているのだぞ。
「あっ、あらっ? み、湊! ねえ、ど、どこなの? ねえ、待ってよぉ……わたしを独りにしないでよ。湊ぉ。わたし、湊の後ろを歩きたいだけなのに」
ほぅ! ついに幼馴染風なキャラが降臨したか。この話し方は正直言って萌える。好きになってもおかしくないし、胸に関係なく思いきり抱き締めて頭をなでなでしてあげたい。そういう衝動に駆られてしまう。
だが、俺はあえて鬼となる。出会ってまだそれほど日が経っていないというのもあるが、甘やかすのは池谷にとって良いこととは限らない。しかし俺にも善なる心はある。
さすがにあんな泣きそうな声を出されては、通学路で石をぶつけられるかもしれない。石をぶつけられる運命よりも、池谷に多少の慈悲を与える方が生きていきやすいだろう。
「池谷、こっちだ。早く来いよ」
「湊! も、もう。先に行かないでよ。わたし、まだこの辺りの地理を覚えていないんだからね?」
「そうだな、気を付けるよ。ごめん」
「――分かればいいのよ! ほら、さっさと歩きなさいよ!」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
「あっ! ま、待って」
いや、もう目の前に学園の門が見えてますからね? あまり近づいていると野郎どもはもちろんのこと、鮫浜に何て言われるか、悪寒しまくりなんだからね。
俺と池谷と鮫浜がお隣同士なのを知られるわけにはいかない。知られていいのは浅海だけだ。気を許せる奴じゃないと、ああでもないこうでもないことを延々と愚痴られるのがオチだからだ。
朝のホームルームを終えて机に伏していると、何やらひそひそ話と、ざわ……ざわ……とかいうモブたちによるざわめきが、教室内を賑やかにさせているようだった。
俺はこう見えても真面目な学生であり、無意味にうるさく騒ぐ輩ではない。浅海以外では、野郎……いや、男子の友達は皆無ということもあり、自分から誰かに話しかけることが無い。
これについては鮫浜と似た者同士かもしれないが、コミュニケーションっていうのは、「おはよう」というそれだけのことで成立するものである。
だから机に顔をベッタリとつけて、俺は一限が始まるまでの休み時間は、眠りにつくことをルーティンとしている。
昨日が色々ありすぎたこともあり、この日の学園生活は、朝の萌え萌えな池谷騒動以外は特に何も起きなかった。鮫浜も何も言ってこなかったのが、かなり怖れを感じてしまったがあちらから話しかけてこないということは、何も用事が無かったのだろう。
なにせ、俺から話しかけてはならないという暗黙のルールが彼女にはあるのだから。何事もなくスムーズにバイトに直行できるとは、なんていい日だろうか。などと思っていた俺だったが、帰りも奴は後ろにいやがりましたよ? 暇なの? そうなの?
「……何でかな?」
「き、気にしては駄目よ。いいじゃない、帰る方角方向が一致しているのだから!」
「いや、不一致だぞ? 俺はバイトがあるんだよ。俺に付いて来てもいいけど、帰りは面倒見きれないぞ」
「えっ? そ、それは聞いていないわ。湊、あなたそのバイトの時間までには余裕があるのではなくて? それならわたくしが分かる場所まで導いていただきたいのだけれど?」
「断る! ってことで、行く。じゃあ、また明日な!」
「えええっ? そ、そんな……湊。あっ! あの子と鉢合わせてしまうわ。ま、まずい。湊、バイト頑張ってね!」
容赦なく俺は早歩きを実行した。また泣きそうで、か弱い池谷の声をBGMに、俺の優しさを出してあげてもいいかな。なんて思っていたが、気づいたら後ろにはいなかった。まさか行方不明になったのか?
それにしては自らどこかへいなくなったようにも思えたが。少しだけ不安にもなりかけたが、目的地のバイト先に到着していたので、このまま何事もなかったように店内に入ることにした。
「おはようっす!」と、軽めの挨拶をしたものの、無反応だ。なにこれ、シカト週間? ってことではなく、休憩室から何やらキャピキャピな声が多数聞こえてくるではないですか。
バックヤードツアーでもやってるのかね? とにかく俺は勢いよくドアを開けた。悲鳴でも聞こえてくると思ったが、声がピタっと止んでしまった。
誰もいなかったなどとオカルトな展開でもなく、突然入ってきた見知らぬ男に怯えまくる女の子たちが、部屋の隅に集合しちゃってたよ。随分と小柄な女の子たちだが、店長の隠し子か?
「高洲君。今何か失礼なことを思い浮かべた?」
「いえいえいえ、何も」
「この子たちは中学生の女の子たちで、今日から数週間になるけど、ウチで職場体験をしてもらうことになったから。だから、キミもこの子たちの面倒を見てあげてね」
「はっ? あれ、今日からバイトが一人入るって言うのは?」
「この子たちのことだね。あぁ、彼がそう言ってた? じゃあ聞き間違いだね」
あの野郎! 絶対名前なんか覚えてやらねえぞ。バイト一人どころじゃないじゃないかよ。どうすんの、こんなに女の子集結させて。面倒見るとか、俺の得意分野じゃないしホールだし。
「おいそこのお前。名前はなんだ?」
「ん? あぁ、俺は高洲湊だよ。キミは?」
「姫だ。高洲! お前を指名する。お前はあたしに仕事を教える。返事は?」
「店長の許しが無いと勝手に決められないんだよ?」
「あのオッサンなら自由にしていいって言った。だからお前にする!」
「マ、マジで? 姫ちゃんだね? 俺はホールなんだけど、接客出来る?」
「お前にくっつくから問題ない」
何だこの子。姫? それは名前か? それともお姫様? どっちにしても中学生なのに随分と言葉が荒れているぞ。もちろん許せる範囲だけど。
それにしてもバイトでも楽は出来なくなったのか。これは参るね。




