3 料理屋
根来と祐介は、その海の見える料理屋の座敷に上がり、欲望にまみれた笑顔の尾上家の人々に迎えられた。
「どうも、どうも。皆さん。出発はいつですか」
根来が尋ねると、
「出発なんて後でいいじゃありませんかぁ。第一まだ、東三さんもそのお兄さんの双葉さんもまだいらしてませんよ。それよりもお二人に海鮮丼とお酒を! ね? 女将さぁん」
英信はにやにやと薄笑いを浮かべながら、女将さんを呼ぶ。
「おい、ソーヨーって誰だよ」
根来は眉をひそめて、祐介に尋ねる。
「幸児さんが言ってたじゃないですか。例のおじいさんが愛人を三人作って、子供を一人ずつ産んだって、その二番目が支倉双葉さんって言うんです」
祐介はさっぱりとした表情で語った。
「そうか。しかし、なんだ、ソーヨーって。なんで音読みばかりなんだ。戦国武将かよ、まったく」
「おじいさんの和潤さんが、渋い名前がお好きだったのでしょう。あるいは家柄のせいでしょうか」
「ひいじいさんはメイアン、その子はワジュン、愛人の子供は、ジュンイツ、ソーヨー、トウザンか。それで、正妻である早苗さんの子供だけはヒデノブ……。こいつも戦国武将みてえな、名前だ」
根来はもごもごそんなことを不満げに語る。後にこれが重要な手がかりになることも知らずに……。
英信は、こそこそ会話をしている二人のことが、心配でならない。オロオロと膝立ちになって、手をこねまわして、
「ね、根来さん? は、羽黒さん? 何かご不満なことでも……」
「ああ、いやいや。別になんてことねえんだ。それやりも海鮮丼と酒があんのか。いいねえ」
根来は嬉しそうに言った。祐介はやれやれと言った顔をして、
「根来さん、仕事なんですから」
「俺は仕事じゃねえよ。仕事はお前だろ。俺は休み取ってきてんだからさ。これぐらいされて当たり前だぜ」
と言う。それもそうか、と祐介は思い直して、だんだん自分も旅行気分になってゆく。
「海鮮丼頂きましょう。すると、東三さんと双葉さんが到着してから、島に出発するんですね。それで漁船は?」
「そこの漁師の浜松さんに頼んであるんですよ」
すると、部屋の隅に丼を片手に、ガツガツと掻き込んでいる顎髭の濃い漁師風の男が座っていた。頬に米粒を付けたまま、ぺこりと二人にお辞儀をすると、
「この度は、法外なお金を頂きましてありがとうございます」
と言って、さも嬉しそうに笑った。
「い、いくら積んだんですか」
根来は驚いて、すぐさま英信に尋ねた。
「へへっ、まあ、これぐらいです」
と自慢げに右手を開いて五本の指を立てた。
根来は、それを見ても、桁がまったく分からなかったが、いちいち尋ねるのも貧乏人臭いので、
「ああ、なるほど……」
と、とりあえず分かった風に頷いておいた。
見れば、英信の隣に座っている品の良い、しかし、なんとなく冷たそうな印象を受ける年長の女性が、英信の正妻の時子である。面白くなさそうな顔をして座っている。
それと幸児の隣にいる色の焼けた男が、英信の長男である元也に違いない。
そして、隣りに座っているのが、その妻の富美子なのだろう。すると残りの次男、幸児の恋人である未鈴と、幸児の妹、沙由里を合わせて、美女三人が、その場にずらっと並んでいるのが大変に艶やかだった。もっとも、この三人は誰が誰なのかは分からない。三十代ぐらいの年背格好の一段と大人っぽい美女が、おそらく富美子なのだろう、と根来は勝手に想像する。
この集団が皆、物欲にまみれてヘラヘラと笑っているのが、根来にはなんとなく不気味に思えた。よくよく考えても見れば、こいつらは金に困っているものでもないのに、さらに巨万の富を手に入れようとしているのだ。貧乏な家に産まれて、苦労して育った根来はその金持ちの傲慢さに、たまらなく虫酸が走るのであった。
「ううっ、くそ……」
「どうしたんですか、根来さん」
祐介は驚いて尋ねた。
「何でもねえ、ただちょっと古傷が痛むんだ……」
するとそれを聞いた英信はオロオロして、
「ふ、古傷ですか? それならお酒は止めておきますか」
「俺の古傷は酒飲んだ方が治んだ。さあ、一気にあおるぞ!」
根来はそう言うと、日本酒をさも美味そうに呑み込んだ。
役に立たない根来は放っておいて、祐介は英信から話を聞いた。
「それで、この話は東三さんの方から提案されたんでしたね」
「ええ、手紙でね。あの時は驚きましたよ。私はそれまで東三と会ったこともなかったのですから。それで、この度、潤一さんが亡くなられたということで、それまで潤一が持っていた暗号文を東三さんが受け取ったと言うのですよね。私ども、そう言う暗号文があることは知っていたのですが、父の遺言では、それは一族の抗争の元だから出してくるんじゃないよ、ということだったんです。どこにしまわれているのかも私は知らなかったんですよ。それで、どういう訳か、愛人の子の潤一さんが預かっていたと言うんですよね」
「はあ、それで今回、東三さんはその暗号文を持ってくるのですね」
「そうなんですよ」
しかし、東三はなんで暗号文をこの場に持ってくるのだろう。その存在を、英信なんかに教えないで、自分一人で解いてしまえば良いものを。それとも埋蔵金を独り占めするのが嫌だったのだろうか。だとしたら、その暗号文のことも教えずに捨ててしまえば良いのに。まあ、それは埋蔵金を見つけて、一族で公平に分けようとでも提案するつもりなのだろう。
祐介はまだあまり関心が湧かず、適当なことを考えていたのである。