36 永眼寺の和尚
すみれは山の上へと連なる石段を見上げた。中途に厳かな山門が立っている。この上に本堂があるのだろう。ここが潤一の実家、永眼寺なのだ。
すみれはやれやれ、と思いながら石段を登って行った。
山門の陰で一息つく。見れば、隆々とした金剛力士が宙を睨んでいた。
また気合いを入れ直して、石段を登る。その上に本堂はあった。わりに大きな本堂である。ふと池のほとりを見れば、庭を箒で掃いているスキンヘッドに白髭の老人を見つけた。すみれは近づいて行った。
「すみません。ご住職は中にいらっしゃいますか」
老人は、すみれの顔をじっと見つめると、
「ふうむ。その顔には、何か深い悩みがあるようじゃ。暗い顔じゃ。こわいこわい……」
と言いながら、また箒を掃きだすので、すみれは腹が立った。
「あの、ご住職、中にいますか?」
「……住職とは、鉄海和尚のことかね」
「はい」
「お主がじっと見つめておるわしがそれじゃ」
なるほど、すみれは合点がいった。この白髭の老人がこの寺の住職、西岡鉄海なのだ。
「ちょっとお尋ねしたいことがあって……」
「言わんでも分かる。失恋でもしたのだろう。まあ、中に入ろう」
和尚は箒をひょいと肩に乗せると、のんびりと本堂に入っていったのである。
鉄海和尚は、しばらくの間「男はいくらでもおるのじゃ」という言葉を、壊れたラジオのように繰り返していた。すみれは腹が立ってきて、何度も「そうじゃないんです!」を繰り返した。
「私がお聞きしたいのは、潤一さんのことです」
和尚は眉を吊り上げた。
「潤一のこと……お主、なんじゃ、潤一の知り合いか」
「そうじゃありません。訳あって、尾上家のことを調べているのですけど、潤一さんのお話を聞かせて頂けませんか?」
和尚はようやく合点がいったように頷いた。
「そうか、そうか。確かにお主、訳がありそうな顔をしておるわい。そうか。失恋ではなかったか。わしゃ、てっきり……そんなことはもう良い。それで、確かに潤一は尾上和潤の息子だった。そして、潤一の母親はわしの娘の吉子じゃ。あれは和潤が三十六の時じゃった。あの男がこの寺に出入りしていたかと思うと、ある日、吉子が身籠っておった。わしゃ、何も気付かんでな。そうして産まれてきたのが潤一じゃった。産まれながらしても、大変な業を背負ったものじゃ。吉子は和潤のことが忘れられないが、和潤は世間をはばかって、吉子に会いに来ることもなくなった。なんだか、わしゃ、吉子のことが心配になったものじゃ。その後で、吉子は病に倒れてしもうた。わしゃぁ、和潤はひどい男だと思った。吉子は和潤のことを一言の恨み言も言わずに、極楽に旅立っていってしもうた。わしゃ、それがかえって可哀想に思ったものじゃ……」
すみれは何も言えずに、ただ頷いていた。
「潤一は、母のことを思って生きておった。どうにか、救いたいと思っておったようだが、どうにかなる前に、吉子は死んでしまったのじゃ。潤一は、ただ母があの世で苦労することがないようにと、お経と念仏ばかり唱えておった。その潤一もこの前、病に倒れて、しばらく闘病しておったが駄目じゃった……」
和尚は何かしみじみと語っている。すみれは、重い口を開いた。
「お葬式には弟の東三さんがいらしたのですね?」
「弟? 東三は潤一の弟ではない。兄じゃ。なんでも東三は和潤が三十三歳の時の子じゃ。潤一は和潤が三十六歳の時の子。潤一は東三より三つほど若いのじゃ」
また勘違いしていた。すみれはてっきり潤一が兄なのかと思っていた。なんだか無性に恥ずかしくなった。
「わしは潤一が死におった時、まっさきに東三や双葉に知らせたのじゃ。和潤の意思は、この三人が力を合わせて生きていってほしい、というところにあった。母は違えどもの。このこと三兄弟の分裂自体が、そもそも和潤の欲望が生み出したものじゃ。本来、一つのものが三つに分かれてしまっておる。和潤はわしにこう言ったことがある。三兄弟が力を合わせてほしい。あの三人は三本の矢なのじゃ、と……」
その言葉を聞いて、すみれはすっかり舞い上がった。私が閃いたものと一緒じゃないか、と。
「しかし、双葉は葬式には来んかった。わしは本当は東三よりも、双葉の方に来てほしいと思っていた。東三という男は、どうにも埋蔵金のことばかり考えていて、好きになれん」
すみれはじっと和尚の顔を見つめていた。
「双葉さん、というのはどういう方ですか」
「あれがこの寺にはじめて来たのは、もう五年も前のことじゃ。一言尋ねてすぐに分かった。兄を探しているという。わしはそれを聞いた時に双葉だと分かったよ。すぐに二人は面会した。それからというもの、二人は実に仲が良かった。それだのに、葬式には姿を見せんかったのお……」
すみれは何か合点のゆかぬことがある気がしていた。
「あの、ちょっとお尋ねしてもよろしいですか?」
「先ほどから尋ねているではないか」
「ええ……あの、双葉さんってどういう男性ですか?」
和尚はその言葉に、少し笑った……。




