32 ダイイングメッセージ
根来と祐介はリビングのソファーに座って事件のことを考えていた。この事件は、どう展開してゆくのか、どうすれば止めることができるのか。ところが、考えても考えても埒が開かなかった。
とにかく、今日の午後四時になったら、天狗岩に行ってみようということだけは決めていた。
そこに、ふらふらと元也が歩いてきた。
「あの、刑事さん……」
「どうしました?」
「妻がいないのですが……見かけませんでしたか?」
その言葉に、根来と祐介は顔を見合わせる。
「先ほどダイニングルームにいたのは覚えていますが……」
「それぐらいは私も覚えていますよ。みんな、あの場にいたじゃないですか」
と元也は腹立たしそうに言うと、一人でさっさと出て行った。それを見送ると、
「どこに行ったんだろうな、富美子さん……」
根来は祐介に心配そうに尋ねた。
「心配ですね。ちょっと捜してみましょうか……」
そういうことで、二人は立ち上がって、まずは玄関に向かった。そこで富美子の靴があることを確認し、二人は一階の部屋を見てまわった。
「いませんねぇ……」
二人はそうぼやきながら、地下室に通じる階段の前にやってきた。根来と祐介はしばし、その階段を見つめていたが、
「一応、確認しますか」
という祐介の言葉によって、二人は階段を降りて行った……。
地下室のドアを開ける。ぼんやりと薄暗い地下室である。室内はよく見えない。しかし、根来は妙なことに気付いた。
「なんか、変な匂いがするな……」
それを聞いて、祐介も顔をしかめる。
「これは、血、の匂いじゃないですか?」
根来ははっとして祐介の顔を見る。根来は急いで手さぐりでスイッチを押して、天井の電灯を点けた。その瞬間。
「しまった!」
根来が叫んだ。そこには、床にうつ伏せになって、すでに冷たくなっている富美子の姿があった。苦しみに歪んだ表情を浮かべたまま、血の通わぬ死体と化していたのである。
酷たらしくも、その首元からは赤黒い血肉が見えていた。そして、床には大量の血が拡がっていた。赤い電灯のせいで、それは黒っぽく見えていた。
「ひでぇな……」
根来はその無残な姿を見て、ぽつりと呟いた。
ところが根来はその直後に、富美子の枕もとの床に何か妙なものが描かれていることに気付いたのであった。
「おい、羽黒。ちょっと来てくれ。こいつを何だと思う」
祐介が言われて床を見てみると、そこには血文字で「▽▽」と、逆三角形がふたつだけ並んでいるのだった。
「何ですかね……これ……」
「おい、もしかしたら、あれじゃねえか。死に際のメッセージ……」
「ダイイングメッセージですか?」
祐介は半信半疑で、その血文字をまじまじと確認する。
確かにダイイングメッセージなのかもしれない。しかし「▽▽」には、一体どういう意味があるのだろうか。
祐介は、その逆三角形の真下の先端が、直線で真横に途切れていることに気付いた。ここには何かが置かれていたのだろうか。
根来は、眉をひそめながら死体を確認する。
「どうも、殺されてからそんなに時間は経っていねえようだな……しかし、なんで殺されちまったんだろう。こりゃあ、また元也が荒れるんだろうな……」
根来は、心の底からため息を吐くと、死体のポケットをまさぐって、そこから携帯電話を取り出した。
「死ぬ前に携帯電話を使ったかな……?」
根来はとりあえず、その中身を確認する。すると、最初に出てきたのはメモ帳の画面だった。そのメモ帳の画面に書かれていたのは、次の文だった。
鼻の先にある岩の
北から数えて子丑寅
右の手
地獄ゆき
これを見た根来は思わず声を張り上げる。
「お、おい! これって暗号じゃねえか!」
「ええ。間違いありませんね。おそらく、富美子さんは死ぬ直前、第三の暗号を見つけたのです。それをメモした。そして、その為に犯人に口を封じられたのでしょう……」
祐介があまりにも淡々と語るので、根来は少し不満そうな顔を浮かべた。
「すると、犯人もこの携帯電話に暗号がメモされているところまでは気付かなかったんだな」
「今は暗号のことを考えている場合ではありません。それよりも、この血文字の問題を考えた方が良いでしょうね」
そう祐介に言われて、根来もじっくりとその血文字を確認した。これは犯人の名前なのだろうか。逆三角が二つ……。
こうして、事件はいよいよ最終局面を迎えようとしているのではないか。これで死体は四体となったのである。まだ人が殺されるのだろうか。それは分からない。しかし、いよいよ手がかりも揃ってきたというものである。
もう一度、あの第一の密室も調べた方が良いだろう。そして、第二の事件も考え直すんだ。そして、そのトリックを暴かねばならない。
さらに、この血文字「▽▽」は何を意味するのか。
それに、これで暗号も三通揃った。この時。祐介の推理によれば、この暗号は、和潤が実子である三人に暗号を三等分して、一枚ずつ配ったもの。実の子ではない英信には渡されていなかったという推理をすれば、この三枚だけで暗号は完成するものと言えるだろう。
問題なのは、この三枚をどのように並べてゆくかということである。
それについても、まだ考えなければならない。
しかし、祐介にとって、それは簡単な作業に思えていたのであった……。




