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僕はコーナと腕を組んでカフェ・ペルコに入った。
カランカラン、と鈴鳴鳥の骨で作られたドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ――。あら、魔王様。それにコーナ団長」
応対してくれるのはここの看板娘、サイクロプスのルウカである。「いつもありがとうございます。お席はいつものところでよろしいですか?」
笑顔で頷くと、彼女は僕らを店の奥の窓際の席へ案内する。コーナは僕が座るのをじっと待ってから席に着いた。こういうことは出来るのに何故敬語は学んでこなかったのか。
ルウカは手に持っていたメニューをテーブルの上に起き、エプロンのポケットから伝票を取り出すと、ペンを構えて待つ。
「僕はコーヒー。コーナはどうする?」
僕らのテーブルに置かれたメニューはコーナ専用だ。僕はコーヒーしか頼まない。そろそろ「いつもの」でも通用しそうなものだが、それを言うのは何だか恥ずかしい。
「むむぅ……。どうしよう、ですねぇ」
そこは敬語いらないでしょ。
「ルウカ、おすすめは?」
助け舟を出すつもりで、ルウカに尋ねる。すると彼女は人差し指を顎に当ててほんの少し考えてから言った。
「この時間ですとケーキセットがおすすめです。本日の日替わりはケルベロスとオルトロスを模した兄弟のケーキ、それから、100%の柘榴ジュースですね。いかがですか、コーナ団長」
「では、兄弟のケーキと柘榴のジュースをいただこうか。魔王様ぁ、私と半分こします!」
ルウカと僕とで器用に口調を変えて、コーナは顔を上げた。
「はいはい。じゃ、それで」
かしこまりました、と言って、身長3メートル半のサイクロプスはカウンターの奥へと消えていった。可憐な少女である。彼女を目当てにやって来る者も多くいるらしい。
店内をぐるりと見渡すと、僕らのように小型の魔族(いや、僕は一応人間なんだけど)用に作られたテーブルの他に、中型、大型の魔族用、それから、浮遊を常としている者用の空中席や、エラ呼吸する者用の水中席なんてものまである。時間的には平日の午後なのだが、それなりに客は入っていて、恐らくそのほとんどがご婦人だ。有閑マダムってやつなんだろうか。
奥様方、お夕飯の準備は大丈夫ですか?
コーナは足をばたつかせてご機嫌である。それは間違いなく、目の前に僕がいるからだ。彼女は僕のことが好きなのだ。それは僕が魔族を統べる王だからだろう。そんな肩書が無ければ、こんな捻くれたネクラ眼鏡を好きになるやつなんていない。
「ねぇ、魔王様。王都以外へは行ったことある、ます?」
いい加減、そのおかしな敬語止めてくれないかなぁ。それか完全にマスターしてほしい。いや、何も尊敬語謙譲語丁寧語を完璧に使いこなせだなんて言わない。せめて、せめて中学生の敬語レベルくらいには。それも望みすぎかな。
「いや、まだだよ。ライオネルからのOKがもらえなくて。そもそもキャヴィックだって、王宮の近辺しか行ったことはないんだ」
「くそっ、あの、石頭め!」――違う、彼は獅子頭だ。
「まぁまぁ。僕はライオネルがいないと何も出来ないからね。それで? 王宮の外にはどんな面白いことがあるの?」
ギリギリと歯軋りをし、忌々しそうにテーブルに爪を立てたコーナをなだめるように、僕は穏やかに問いかける。すると彼女は、よくぞ聞いてくれました、とでも言わんばかりに真っ赤な目を輝かせながら両肘をついて身を乗り出してきた。
「ライオネルもキャヴィックくらい自由にさせてくれたらいいのに、ですよ、全く! えーっと、ヘクラカトラには間欠泉がたくさんあって、その中でも最大の『王の間欠泉』はすっごいのですよ!」
「すごいって、どんな風に?」
僕が首を傾げながらそう尋ねた時、ルウカが注文の品を持ってやって来た。彼女は僕らの会話の邪魔にならないように、と、目配せをしながら配膳をしていく。そんなことをしなくても、コーナの視線は可愛らしいケルベロスとオルトロスに釘付けで会話などとうにストップしていたのだが。僕と半分こすると言っていたのをきちんと覚えていたのか、取り皿とフォークを余分に置き、最後にコーナの柘榴ジュースを置いてから、ルウカは小声で「ごゆっくりどうぞ」と言って、頭を下げた。
「魔王様、ケーキ、すごいですよ! 半分こする、です!」
ルウカが立ち去るや否や、コーナはだいぶデフォルメされたケルベロスとオルトロスに興奮し、皿をくるりと回して僕に見せてくる。その無邪気な様子に僕は苦笑する。
「コーナが好きなだけ食べなよ。僕は一口でいいから」
その言葉にコーナはほんの少し不服そうな顔をしたが、僕が彼女のフォークを取って、ケルベロスの頭の一つを口へ運ぶと、にんまりと笑った。
「魔王様、美味しいですよね~?」
コーナは首を左右に振りながらにこにこと笑っている。
ちょっと待て。お前はまだ食べてないだろう。恐らく「美味しいですか?」と言いたかったはずだ。
「美味しいよ。コーナも食べなよ」
備え付けられたホルダーからナプキンを1枚抜き取り、フォークにわずかに残ったクリームと僕の唾液を丁寧に拭き取り、取り皿の上に置いた。ケーキの向きを変えると、彼女はこれまたいい顔で取り皿の上のフォークをつかむ。僕は口中の甘味を苦いコーヒーで洗い流した。
ちなみにこのコーヒーだが、魔界で採れる特別な豆で作られており、色は赤く、わずかに粘性もあって、ヴィジュアル的にはまんま血液である。
――わけはない。
ただのコーヒーだ。普通の。たぶん、ブルマンとか、そういう類の。




