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クラスの四割はどこかの世界を救いに行ってます。   作者: 宇部 松清
第1章 非日常的、日常生活
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 ただひたすら押印するだけの業務を淡々とこなし(いえ、ちゃんと書類の中身はチェックしてますよ)、僕は、ちょっと休憩、と言って部屋を出た。


「魔王様ぁ、魔王様ぁん」


 この世のおぞましいもののすべてを凝縮させたような装飾が施された廊下をてくてくと歩いていると、カツカツという足音と共に、コーナが駆け寄って来る。彼女はきっと人間が見ても「可愛い!」と太鼓判を押してもらえるだろうと僕も胸を張って言える魔族の少女(年齢は決して少女とは呼べないのだが)で、僕に仕える近衛第一師団の団長である。褐色の肌を持ち、ストロベリー・ブロンドの長い髪は左耳の後ろで1つに束ねられている。


 彼女は踊るようにふわふわとした足取りで僕の真横につくと、断りも無しに腕を絡ませてきた。そして、上目遣いで僕を見つめる。彼女のその大きな瞳は赤く妖しく光っている。紅玉ルビーのような、もしくは柘榴のような美しい瞳だが、長時間見つめ合うことはおすすめしない。なぜなら、石に変えられてしまうからである。

 ――僕? 僕は大丈夫ですよ。何たって魔王ですから。


「ねぇ、魔王様ぁ。今回はどれくらいここにいる、ます?」


 皆の憧れである近衛師団の軍服も彼女にかかればただの普段着である。胸元はだらしなくはだけられ、奔放な彼女にはちょっと意外な薄水色の下着が丸見えになっていた。


「いつもと同じだよ。一週間かな。それよりコーナ、前開けすぎ」


 僕は、多感な年頃にはやや刺激の強いヴィジュアルから視線を逸らしつつ指摘する。コーナは頬をぷくぅと膨らませながらボタンを留めた。しかし、彼女の右腕は僕の左腕にしっかりと絡みついたままである。


「ねぇ、いまは何のお時間です? ちょっとくらいお時間、いいですかぁ?」


 彼女は敬語が苦手だ。ライオネルの話だと、目下勉強中とのことである。別に僕は気にしないんだけどなぁ。


「お時間、いいよ」


 何だか移ってしまった口調に苦笑しつつ、「キャッフェーにでも行こうか」と言った。カフェをキャッフェーと呼ぶのは僕のこだわりだ。いや、いま思い付きました。


「キャッフェー?」


 案の定、コーナには伝わらなかった。何度も行った馴染みのカフェなのに。


「ごめんごめん、カフェのことだよ。いつも行くだろ、『ペルコ』だよ」

「あぁ! 『ペルコ』ね。行こう! 行くましょう!」


 コーナは一生懸命敬語らしき言葉を使って、楽しそうに僕の手を引く。彼女の気持ちの高ぶりに比例してにょきにょきと伸びてくる7本の尻尾が、既に先客のいる僕の左腕にうねうねと巻き付き、完全に捕捉された形となってしまった。

 コーナの尻尾は真っ白い蛇で、彼女と同じ真っ赤な美しい目をしている。そのうちの1匹、葵という名のその蛇の頭を軽く撫でると、その白蛇は気持ちよさそうに目を細めた。


 ちなみに、葵というのは僕が付けた名だ。葵のみならず、コーナというのも僕が付けた名前である。


 魔族の名前は濁点が多すぎる、と僕は思うのだ。

 キャラ守りすぎでしょ。言い難いし、呼んでるこっちが陰鬱な気分になる。だから、僕が何度もその名を呼ぶ可能性があるやつらは悉く改名させた。王としての権力を振りかざして、理不尽にも彼らから慣れ親しんだ名を奪ってやったのである。これぞ魔族の王。ちなみに残る6匹にもきちんと名前がある。たまたま鞄に入っていた源氏物語から、明石あかし花散里はなちるさと空蝉うつせみ、夕顔、末摘花すえつむはな、朧月夜とそれぞれ付けた。もちろん、葵というのも源氏物語から取ったものだ。


 名も無き尻尾蛇達はさておいて、ライオネルからゴンザーズという名を、コーナからゲジャナという名を奪った時、僕はやっと魔王らしいことが出来たと充足感を味わったものである。しかし彼らは自分の名というものに大した執着は無く、それどころか僕から名前を与えられたことを光栄だと言って膝をついたのだった。


 100歳を軽く越える2人(という数え方でいいのだろうか)が矮小な僕ごときに跪く様を見て、僕は、

「うっひょおぉ~、魔王最ッ高! 気ィ持ちいぃ~い!」と思う代わりに――、


「うわっ、何だよこいつら。……気持ち悪っ」と思った。


 だいたい僕は本気で魔王になりたかったわけじゃない。


 ただ、人と違うことがしたかったのだ。


 僕が小学生のころ、めちゃくちゃ流行ったRPGがあった。皆が勇者に自分の名前を付け、自己を投影させながら勇ましく魔王を討伐しに行く中、僕はクラスで一番嫌いなやつの名前を付けた。最終決戦で勇者を魔王にこてんぱんに倒してもらおうと思ったのだ。数々のイベントを攻略し、民から称賛される度、何とも言えないモヤモヤした気持ちになったものである。昔から僕は陰湿ネクラ野郎だったのだ。


 さて、最終決戦という段になり、冒険を進めていく中で半ば当然のように強くなっていた彼らはさほど苦戦することも無く、眼前に立ちはだかる絶対的な悪を葬り去った。やはりそれなりに戦わないとな、と攻撃なり回復なりをしたのが敗因であろう。


 その後、反省した僕は、ただひたすら棒立ちで魔王からの攻撃を受ける作戦に変更した。もちろん、あっという間に勇者一行は倒れ、ゲームオーバーである。


 世界を救う勇者が魔王に倒される。


 希望が、絶望に変わった瞬間だ。


 さぁ、これから一体どんなストーリーが始まるのだろう。僕はその先を期待し、胸を躍らせた。

 しかし、画面はそこで見慣れた王宮に変わる。何度となく叱咤激励してくれた王様がいつものように玉座に座っていて、勇者一行にこう言うのだ。「おお勇者よ、全滅するとは、情けない!」と。


 その先など無いのだった。正義が倒され、悪だけが残るストーリーの先など。


 だから、願った。


 魔王になって、勇者を倒せたらいいのに、と。あのストーリーの続きを作れたら、と。

 まさか叶うとは思わなかったけどさ。



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