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クラスの四割はどこかの世界を救いに行ってます。   作者: 宇部 松清
第1章 非日常的、日常生活
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「――魔王様、スキャゥル川の治水工事の件ですが」


 そう言って膨大な量の書類と共に入室してきたのは獅子の頭を持つ獣人の魔族である。名はライオネルと付けた。もちろん、ライオンっぽいからだ。彼は執事服である黒い燕尾服に身を包み、二足歩行で僕の前までやって来ると、深々と頭を下げた。

 僕はライオネルから手渡された書類に目を遠し、深くため息をつく。


「予算が厳しいな……」

「そうなのです。人間被害対策本部から大変有難いお小言をいただきました」

「どうせ下級魔族の育成がどうたらこうたらってやつだろ。ほっとけばいいよ」

「そうなのですが」

「前線にも出ずにデスクワークしてるやつらが、身体を張ってるやつらに口を出すなんてもっての他だよ」

「それを皆の前で仰っていただけたら士気も上がると思いますが」

「そうかなぁ」


 しかし……、


「しかし、問題はこの金をどこから捻出するか、だなぁ」


 スキャゥル川の工事に必要な額は3000万クロナ、円で換算すると約3億である。

 治水工事やら舗装工事というのはどうしてこんなに金がかかるのだろう。絶対どこか無駄な金が使われているに違いない。僕は目を皿のようにして書類を読む。わからないところは素直にライオネルに聞いた。聞くは一時の恥だ。

 所詮魔族なんだから、魔王に対しても何かしら悪どいことをしているはずだ! と完全に色眼鏡で見ていたのだが、意外なことに怪しいところは一つもなく、人間世界よりも余程クリーンなのだった。


 僕は心の中でこう思うのだ。「どうして、僕を欺いて一儲けしてやろうとか考えないんだ」と。



「どうして、僕を欺いて一儲けしてやろうとか考えないんだ」


 魔王へ就任した直後、やはりこうして書類に目を通していた僕は、ポツリとそう漏らした。


「何を仰っているのですか」


 その時はまだゴンザーズという酷い名前だったライオネルは、不思議そうに首を傾げて僕を見た。「なぜ魔王様を欺かなければならないのです」


「なぜって……。悪いことをするのが魔族だろ?」


 そう、だから『魔』族なんだ。辞書を引けば、悪い意味ばかりが連なっている。


「悪いこと、と仰られましても」

「だからさぁ、人間を襲ったりするわけでしょ?」

「それは、人間共が我々の持つクロナを奪いに来るからです。正当防衛ですよ」

「正当防衛って言ったって、殺しちゃったりするわけじゃん」

「元々の力の差があるわけですから、そこは。第一、人間共だってそれなりの装備をして、我々を殺しに来ているのですよ?」

「こないだオイストルの町に火を放ってたじゃないか」

「あそこは流行り病で全滅した町ですよ。ああやって焼却しないと、近くの町へも移ってしまうんです。人間共がやらないから、我々が渋々尻拭いをしてやったのですよ」

「何か変な感じ」

「何がです」

「想像してたのと違うんだよなぁ」

「一体どんな想像をなさっていたのです」


 ライオネルがため息まじりに呆れたような声を上げる。僕はデスクに両肘をつき、頬杖をついた。デスクの上には、一体どんな鳥かも(何なら本当に鳥なのかも)想像がつかないようなどぎつい色の羽がついたペンが、小鬼と思しきドクロに刺さっている。それから、何に使うのかわからないオブジェのような(恐らく)事務用品がきちんと並べられている。からからに乾いたこのミイラの手は一体何に使うというのか……。

 ここまできっちりキャラを守っている癖に、何だかいまいち『魔』な感じがしない。


「僕って、必要?」


 僕はライオネルの問いに答えずに、問いかける。彼は、一瞬目を見開き驚いた表情をしてから、小さくため息をついて、また呆れたような声を上げた。


「当たり前じゃないですか。どうしてそのようなお考えになるのです」

「だってさぁ、思ったよりきちんとしてるんだもん」


 そう言って手渡された鉱山の拡張工事に関する書類を突き返す。ライオネルはこの書類をさんざん見ているはずなのだが、素直に受け取ってまじまじと見つめた。誤植でも探しているのだろう。


「僕がやることって、もう判子押すだけだよね」

「ああ、そうですね。魔王様の決済無くしてはいかなる業務も遂行出来ませんから」

「そうかもしれないけどさぁ、何ていうのかなぁ。それって、ライオネルでも出来ることじゃん。内容確認して判子押すって」

「何を仰います」

「いやいや、マジで。だって僕より内政に詳しいでしょ」

「それはそうですが……」

「シンボルとしての魔王だったらいらないよ。僕はとにかく前線に出たい」

「ダメですよ。いまの魔王様なら、勇者どころか村の力自慢程度でもあっさりですよ」

「そうなの?」

「そうです」

「そうなのかぁ。何かがっかり~」

「では、いちいちあちらの世界に戻らず、ここへ常駐なさってください。魔王様が短期間しかいらっしゃらないので、どうしてもこういった業務ばかりになってしまうのですよ」

「毎日通ったら、前線に出られる?」

「通いですか……。いまよりは力の増幅に充てられる時間が増えますが……。すぐには厳しいと思いますよ。やはり出来れば、ここへずっと住んでいただけると」

「それは無理。僕だって学校もあるし、友達とも遊びたいしさ」

「では、このままです」

「ちぇー」


 物事って本当にうまくいかない。

 自分の願った世界にいるはずなのに、どうしてだろう。

 他のやつらもこんな感じでもどかしい思いをしているのだろうか。



「僕も大人になったと思うよ」


 僕は書類から目を離さずに呟いた。まだここへ来て1年も経っていないが、だいぶ諦めがついてきたのだ。相変わらずここへは毎週土曜日に、図書館へ行くと母親に嘘をついて通っていた。実母に嘘をつくだなんて、僕の方が余程『魔』なのである。


 僕がいなくても魔族達は規律を守って生活をしている。それを人間が脅かす時のみ、その相手にだけ牙をむく。

 魔族は人間達と共存を望んでいるわけではないが、ごく一部の者を除いては、必要以上に敵意を持っているわけでもなかった。ただ、どうしてもヴィジュアルがよろしくない。いや、魔族視点では決して悪い容姿ではないのだ。とびきり美人の魔女もいるし、うんとイケメンなトロルもいる。しかし、それが人間の美と合致しているかと問われれば、ねぇ。加えて、基本的なスペックがどうしても人間のそれに勝る。一対一で互角にやり合うには余程訓練を積んだ戦士であるとか、魔法が使える者でなければ厳しいだろう。


 見た目と力の差。これが魔族を畏怖の対象たらしめている要因なのである。


 さらに言うと、我々が所持しているクロナという通貨も良くなかった。

 これは魔族が住む『ヘクラカトラ』の鉱山でしか採れないクロナマイタルという鉱石を元に作られており、その鉱石は僕らにとっては石ころ同然の代物なのだが、人間の方ではそうでもないらしい。100クロナあれば5人家族が余裕でひと月暮らすことが出来るらしいと聞き、僕は耳を疑った。そんなの、こっちでは仕事帰りにパブにでも寄って一杯ひっかけたらお終いである。いや、僕は行ってないですよ、未成年ですし。ライオネルがそう言ってたんです。まぁ、そんな大した額じゃないからといって、自分よりも力の弱い強盗にほいほいと手持ちを差し出せるわけもない。


 というわけで、人間の住む地域との境目の村や、森に居を構えるような魔族は恰好のターゲットにされた。人間の目にはそれが大人なのか子どもなのかなど見分けがつかないだろうから、足の遅い幼子ほど餌食となる。

 僕が魔王になる前、集団登校していた初等学校の子ども達が1人残らず惨殺されたという事件が起こった。それはさすがに先代の魔王の逆鱗に触れ、親達を伴ってその近くの村を襲撃し、壊滅させる結果となった。誰がやったとか、そんなものは関係なかった。親達の怒りは村の1つでも壊滅させないと収まらなかったのだ。

 いま紛争が起こっている地域というのも、発端は似たようなものである。


「それは結構なことでございます。して、何が?」

「え~? だいぶ諦めがついたってこと」

「……まだ前線に出たいと思ってらっしゃるんですね」

「そりゃあね。……それがしたくて願ったんだから」僕はポツリと呟いた。

「……何か?」

「ああいや、こっちのこと。それより、予算のことだけど」


 僕は手に持っていた書類をライオネルの方に向けてデスクの上に置いた。彼は少し腰を落としてそれを覗き込んだ。


「とりあえず、僕の貯金から出すよ」


 僕の貯金というのは、まぁ平たく言えば民から集めた税金で、国庫とはまた別のものだ。もちろん、徴収した税金すべてが僕の懐に入るわけじゃないんだけど、それでもこの治水工事を20回くらい行えるだけの額はある。


「しかし……」

「いいんだよ。別に僕困らないし。ここで買いたいものがあるわけでもないしさ。皆が便利になるんでしょ」

「慈悲深きお言葉、痛み入ります」


 ライオネルは膝をついて深く頭を下げた。いや、そんなに低くされちゃうとデスクの影に隠れちゃうからね、君。


「いいから、そんなことしなくても。ねぇ、それよりさぁ、勇者っていま何してんの? どこまで来てる?」


 僕は身を乗り出し、跪いているライオネルに問いかけた。

 ライオネルは立ち上がると同時に胸ポケットから携帯電話を取り出す。折り畳み式のその携帯は、すっかりスマートフォンが主流になってしまった僕からするとかなりレトロな代物に感じられる。彼は携帯を開き、その鋭い爪で器用に何やら操作すると、画面を僕の方へ差し出した。前線部隊からのメール受信画面が表示されている。


「だいぶ苦戦しているようです。またデティの森まで来ているようですが、あそこにはリウナス隊長率いるトロルの精鋭部隊がおりますからね」

「そっかぁ。んじゃ、まだまだ先かぁ」

「まだまだどころか、まだまだまだまだ、ですよ。ご安心なさってください」


 ライオネルは恐ろしい牙を見せながらニヤリと笑った。



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