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クラスの四割はどこかの世界を救いに行ってます。   作者: 宇部 松清
最終章 物語のその後
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「ちょっと、ちょっとってば」


 僕は、蹲り、石のように固くなっている勇者の肩をゆすった。


「キリノくん、大丈夫?」


「ふぇ……? ふぇっ? い……、生きてる……?」


 彼は気の抜けた声を発しながら、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を上げた。「お……ばさん……」


「風邪、引いちゃうわよ」


 間欠泉の水蒸気から彼を守ったのは、火の粉避けの大きな傘であった。サイカ女王――つまり僕の母が、勇者の背中を優しくさすりながら微笑む。えーと、息子の方はびしょ濡れなんですけれども、こっちは無視ですか?


「畜生……」


 ささやくような声でそう呟き、勇者は袖で自分の顔を拭う。あーあー、そんなことしたらカピカピになっちゃうぞ、と思っていると、母がにこりと笑ってハンカチを差し出した。きちんとアイロンのかけられた真っ白なハンカチである。彼は小さく頭を下げてからそれを受け取り、気まずそうにまだ残っていた顔の水分を拭き取ると、僕からぷいと顔を背けて言った。


「……大臣の件はまだ有効か?」


 僕は耳まで真っ赤になっている12歳の少年に向かって最高の笑みを返す。彼はそんな僕の顔をちらりと見て、ホッとしたような表情になった。いやいや、そうはいくか。


「ちゃーんと皆の前で土下座したらねっ」


 らしくないほど弾んだ声でそう言い放った時の彼の絶望に歪んだ顔を、僕は生涯忘れることは無いだろう。


「ほぉ。うまく収まって良かったな」


 夏休み最終日、ヘクラカトラから無事帰還した僕は、宿題を見せてもらうために大量の菓子を手土産に龍一の家に来ている。のほほんとした私立の馬鹿学校でも、一応、夏休みの宿題というものはあるのだ。ただ、ウチのクラスは量が少ないのが救いである。どうやら我が愛すべき高階先生が、日々様々な『事情』で多忙な僕達のために、特別に減らしてくれたらしい。ありがとう、高階先生!


「んで? そのコーナちゃん? 可哀相なことしたな、お前」


 龍一は空のグラスにペットボトルのオレンジジュースを注いだ。彼は僕のスマホの待受け画面を見ながらため息をついた。そこには僕の従者に両脇をしっかりと固められ、ふてくされた表情の勇者がいた。ちなみにこれは彼がまた謀反を起こしたりしないようにと、『友好の証』、または脅しとして残したものだ。フロージア・アイランドのみならず、全世界中にこの写真が出回っているはずだ。


「どうぞ、イオーネさん」彼はそう言って、イオーネの前にジュースの注がれたグラスを置く。彼女はありがとうございます、と言って、遠慮なくそのグラスを手に取った。おいおい、主人より先に飲むのかよ! まぁいいけどさ。僕はどうぞとも言われずに置かれたグラスに手を伸ばした。


「コーナは元気だよ。今日だってついてくって騒いでたんだから」

「え?」

「大変でしたね、振りきるの」

「そうだよ。コーナは興奮するとすぐに尻尾大きくしちゃうからさ。隠しきれないからね、そうなると」

「いやいや、何? コーナちゃんってラグーンってやつに浸かって溶けちゃったんじゃねぇの?」


 僕は喉を鳴らしてジュースを飲み干し、床に置かれていたペットボトルを取った。蓋を外して、空のグラスに注ぐ。


「僕、コーナが溶けたなんて一言も言ってないよ。ていうかさ、さっきから見てるその待受けにコーナ写ってるし」

「うぇっ? まじ? こっちのライオンがイオーネさんってことは……? 何だよ、めちゃくちゃ可愛い子じゃん! 何だよ、連れて来いよ、阿呆!」


 そう、そこに写っている従者というのは、ライオネルとコーナである。さすがにこの2人じゃないともしもの時に彼を止められない。


 

『コーナには実験台になってもらった』


 これは本当だ。


『ラグーンに浸かってもらった。遠縁なら、無事なのかなーって知りたくてね』


 これも本当。ただ、全身浸からせたとは一言も言っていない。


『ねぇ、ラグーンに浸かった魔族がどんな風に死んでいくかって……、君は見たことある?』


 僕は見たことないです。報告を聞くだけですから。



 僕はコーナにお願いしたのだ。ちょっと実験したいから、髪と爪を少しだけもらえる? って。


 結果はドロドロに溶けた。成る程、いくら親戚でもさすがにラグーンに浸かることは出来ないらしい。これはもしもの時の切り札として持っておこう、と僕は思った。

 そんなに凶悪な湯が、たかだか火の粉避けの傘なんかで防ぎきれるのかと、疑問をお持ちの方も多いだろう。


 僕が嘘をついたのはここだ。


 確かにあそこは『王の間欠泉』で、ヘクラカトラ最大の間欠泉である。

 どこかで聞き覚えはありませんか? 


「その中でも最大の『王の間欠泉』はすっごいのですよ!」


 カフェ・ペルコでコーナが僕に言った言葉である。あの時は愛らしいケーキの登場によって途中で切られてしまったのだが、僕は何がどう『すっごい』のか気になり、帰り道で再度聞いてみたのである。


「あれは、ただの魔族が浴びても何ともないのだ、ですよ!」


 彼女は興奮気味にそう話し、「今度2人で行きましょうねっ」と語尾にハートマーク付きの台詞で締めたのだった。


 つまり、あの間欠泉から噴き出したのは、ラグーンの湯でも何でもないただの湯だ。なので、あの傘が無くたって、彼の身体は溶けたりしない。さすがは『王の間欠泉』。慈悲深い。


 いくら勇者って言っても、12歳の少年だし、粋がってるだけじゃないのかなぁと考えた僕は、この作戦で臨んでみたのである。結果は成功。もし、通用しなかったら、その時はライオネルに再度瀕死の状態にまで追い込んでもらってから僕が止めを刺すという血生臭い方法を選択することになっていた。うまいこといって良かったです、本当に。



 ね。血生臭い部分は多くなかったでしょう? もう一度言いましょうか。盛り上がるところも無く、のんびりとした、割と平和な話なんです。僕はまぁ平和主義なんでね。


「で? どうすんだ?」

「どうするって、何が?」


 僕は顔も上げず、ひたすら答えを書き写す。本当はイオーネにも手伝ってもらおうと思ったのだが、字が上手すぎてこりゃバレると思い、止めた。


「いや、解決したんだろ? もうアッチには行かねぇの?」

「解決したけど、終わりじゃないから」

「どゆこと?」


 そこで僕は顔を上げた。目の前には眉をしかめて首を傾げている龍一がいる。


「僕は王なんだよ? 勇者討伐はまぁおまけみたいなもん。治世が本来の仕事なの。平和になったらお役御免のメシア様とは違うんだよ」


 ため息まじりにそう言うと、僕の隣でイオーネが満足気に頷いた。


「ここ数日のごたごたで雑務が溜まっております」

「そうそう。来年度予算についても詰めなきゃいけないし、携帯電話の基地局増設とか、無利子の奨学金制度も作りたいしさぁ」


 僕も結構忙しいんだよ、と言って、3杯目のジュースを口に含む。


「結構地味なんだな、魔王ってやつも」

「……まぁね」


 勇者が魔王に倒された。

 それでも人間からの襲撃は止まらなかった。

 彼は人間達の代表ではあったが、そのたった1人が倒されたところで、人間達は次の勇者を擁立するだけなのである。魔王が存在する限り、それを倒す勇者というシステムは無限に産み出されるのだ。でも、大丈夫。勇者がただの人間なら、僕が手を下すまでもない。秘書課にでもやらせるさ。


 これが、あのストーリーの続きだった。


 正義が倒され、悪が残っても、また新たな正義が産まれる。自分達だけが正しいと思い込んで、異種族の生活など一切無視する、身勝手な正義が。

 

 向かってくるがいい、人間共。

 僕が魔王であるうちは、決してこの国を渡したりはしない。

 

 僕は、残りわずかの宿題を片付けながらそう誓った。




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