5
「どうかなさいましたか、魔王様」
デティの森との境目で、ぴたりと立ち止まり、僕は振り返った。ほんの少し、空気が震えたのを感じたのだ。この感じ、どこかで……。
「いや、いま……」
そう言いかけた時、東の空に黒く分厚い雲が集まってきた。その中心から轟音と共に雨のような雷が降り注ぐ。
「――ライオネルだ!」
間違いない。あれはライオネルの『雷の雨』だ。
僕はジャックフロスト達が止めるのも聞かずに走り出した。
ライオネルがあれを使うってことは、人間と戦ってるってことだ。そして、もしかしたらそれは人間じゃなくて『勇者』かもしれない。
『ライオネルにだって勇者は倒せないんだし、捕まって心臓でもざくざく刺されたらさすがに死ぬでしょ』
『ご安心ください。たとえ勇者に捕まり、心臓をざくざく刺されたとしても、このライオネル、そう簡単には――』
――違うよな? これはフラグなんかじゃないよな? 僕、途中で止めたし! 立ててない、立ててない! 断じて死亡フラグなんて立ててないぞ! ライオネル! コーナ! どうか無事でいてくれ!
「――どぅっ!?」
僕は背中に強い衝撃を受けて吹っ飛んだ。ごろごろと雪を絡ませながら地面を転がり、勢いよく氷の壁にぶつかる。「な、何だ……?」
不意を突かれたというだけで、ダメージはほとんど受けていない。ただ逆に、ぶつかった壁の方は大ダメージを受けていたが。僕の身体はかなり頑丈になってきているらしい。衝撃の正体を探るべく辺りを見回してみると、雪にまみれた若いジャックフロストが目を回してのびていた。
「あれ? どうしたの? いまの、君?」
両手にすっぽりと収まる大きさの彼を抱え上げ、軽く揺する。
「ま……、魔王様……。お怪我はございませんか……?」
「僕は大丈夫……ていうか君が大丈夫?」
彼は僕を気遣うが、そもそも僕が怪我をしたとすれば、それは彼が原因なのである。まぁ、無事だからいいんだけどさ。
「だい……じょうぶ……です。長より……、命を受けました。お供させてください……」
「いいけど……。ちなみに、どうやって僕に追いついたの?」
「長が、こう……」
そう言いながら彼はボールを投げるようなジェスチャーをした。
あの爺さん、ぶん投げたのかよ! 元気だな、おい!
僕はギャロフェという名のジャックフロストを肩に乗せ、依然降り続いている雷の雨の方角へと走る。
「まっ、魔王様! 降ります! 降ろしてくださいぃっ!」
「ごめん、揺れるけど我慢して!」
「ちがっ、違いますっ! 魔王様の肩にだなんて、おっ、恐れ多くて……!」
ギャロフェは僕のマントにしがみつきながら答える。
「あ――……、成る程。でも、この方が早いからさ。君は軽いから平気だよ」
「ですが……っ!」
「向こうについたらその分活躍してよ。君は何が出来るの?」
「私は、というか、ジャックフロストは攻撃には不向きでして、回復魔法を……少々……それと……」
ギャロフェは恥ずかしいのかモゴモゴと口ごもりながら答える。最後の方は補助魔法がどうこうという部分しか聞き取れなかった。彼は仕草が大変可愛いらしく、さらさらとした白く長い髪という容姿も相まって、女の子のように見える。しかしジャックフロストは『霜男』という意味であり、つまり、男しかいない。
どこからどう見ても女の子なんだけど……。
この世界にも『男の娘』というジャンルは存在するのかもしれない。僕はそう思った。
ほとんど景色の変わらない氷河の上を、僕はきらきらと光る雷の雨と音を目標に走り続けた。雨の勢いは衰えない。それが彼の無事を知らせてくれ、僕は安堵する。賢い彼のことだから、どうにかして時間を稼いでいるに違いない。いや、もしかしたら僕が探しやすいようにわざとやっているのかも。だとしたらそこに勇者はいないということになる。それならそれでもいい。2人が無事なら。
あともう少し。もう少しであの雨の下に入れる。そう思ったその時、ふ、と音と雨が止んだ。僕は思わず足を止める。
轟音に慣れてしまった耳に風の音はほとんど無音に近かった。ぴんと張りつめた空気と、不気味なまでの静寂。僕の耳はまだあの轟音を覚えていて、名残惜しむかのように頭の中でリフレインする。
「ライオネル……?」
かなり近くにいるはずだから、きっと彼の嗅覚ならもう僕を捕えているはずだ。この声だってきっと聞こえてる。
「ライオネル……。いるんだろ、近くに」
僕はそう呟きながら、歩いた。雷の雨が降り注いだと思われる場所に着いても、ライオネルの姿はもちろん、コーナも見当たらない。その代わりにそこにいたのは――、
「あ~、いってぇ……。畜生……」
彼は氷の地面の上にごろりと転がり、手足を伸ばしていた。
「勇……者……?」
見るからに彼は全身に大怪我を負っていた。マントやその下の学ランのような衣服までズタズタに引き裂かれ、真っ赤な血が流れている。
同じ恰好の同じ顔が、そんな姿で倒れているのを見るのは決して気持ちの良いものではない。
しかし、一体誰が彼をここまで傷付けたのだろう。勇者を倒せるのは僕だけのはずだ。あぁ、もちろん、人間には彼を傷付けることは出来るけど、『勇者様』に刃を向ける人間なんているわけがない。と思う。思いたい。
――チャンスだ。いまなら僕にでも倒せるかもしれない。でも……。
僕はゆっくりと勇者に近づいた。傍らにしゃがみ込み、顔を覗き込む。彼は気まずそうにぷいと顔を背けた。「何だよ。殺るなら殺れよ」
彼は投げやりに言った。まぁ、この状況ならそう思うのも無理はない。この好機を逃すまいと、魔王が止めを刺しに来たのだと。「じゃ、遠慮なく」という代わりに、僕は肩の上のジャックフロストにこう言った。「ギャロフェ、彼を回復させて」と。
「えっ? いいのですか……?」
ギャロフェは目を見開いて驚いた。それは勇者にとっても同様だったようで、彼は背けた顔をこちらに向けた。
「うん。可哀相だよ」
「回復すれば、魔王様に向かって来ますよ」
「かもね」
「かもねじゃねぇよ、ばぁか! お前なんて八つ裂きにしてやるからな!」
自由に動けない身体で、彼は精一杯の虚勢を張って見せる。
「ほら。こんなこと言ってますよ、魔王様」
「出来るもんなら、やってみろ」
「……言ったな」
「いくらでも言ってやる」
「くそっ! おい! そこのチビ! とっととしろ!」
「はぁ~、やっぱり君はプライドってもんが無いんだねぇ」
「何っ?」
「そこは『敵の情けは受けん! 一思いにやれよ!』って言うとこでしょ。第一、本当に回復魔法をかけると思うの? 止めを刺すかもよ?」
「きたねぇぞ!」
「僕、魔王だもん」
僕はにこにこと笑いながら彼の脇腹を突く。ここは無傷のはずだ。内部は知らないけど。彼は苦痛に顔を歪めながらも、くすぐったいのか身をよじらせた。
――撤回。同じ恰好で同じ顔だけど、こいつならちょっとはいい気味って思った。
「で? 誰にやられたの?」
僕は彼の脇腹をくすぐりながら尋ねた。いまならやりたい放題である。
「ちょっ、止めろ、それ!」
「答えなかったら反対側も同時にやるよ」
「止めろ! お前の秘書だよ! あと蛇女! あいつらもうほんと何なんだよ!」
その答えに僕の手はぴたりと止まる。
そんなはずはない。あの2人にそれが出来るはずがない。
「まさか。嘘つくならやっぱり両脇攻撃だ」
僕は両手を大きく振りかぶり、指を大袈裟にわさわさと動かしてみせた。そしてそれを彼の両脇に配置する。
「止めっ! ちょっ、まじでひゃひゃひゃ! いてぇっ! ごひゃひゃひゃひゃ! い……っ! あひゃひゃひゃ!」
勇者はどうやら脇腹が弱いらしく、もぞもぞと動きながら脇を締めて何とか僕からの攻撃を防ごうとするものの、動けば身体が痛むようだ。顔をしかめつつも笑う様を見て、僕も何だか楽しくなってくる。あぁ、やはり僕は魔王なのだな。身体に悪の血が流れていることを実感する。
「……ふぅ。本当のことを吐く気になった?」
「……はぁ。……ゼェ……。だから、お前んトコの、秘書と蛇だって! お前、騙されてんだよ!」
「ライオネルとコーナが僕のこと騙すはずないじゃないか」
僕は彼の目の前でぽきぽきと指の骨を鳴らす。またされたいの? という威嚇行為である。彼はそれを見て、うえっ、と顔をしかめる。
「とにかく、君の怪我は治してあげるからさ。出直してきてほしいんだよね。一応こっちだって色々考えてるんだよ? 演出とかさ。君だって、魔王を倒すんならそれなりのムードとかあった方が恰好つくんじゃない?」
嘘だ。まだ考えてない。
「それは……、まぁ、そうだな」
「でしょ。じゃ、決まり。日時は……そうだなぁ、88日後の日没、場所はヘクラカトラ火山の頂きで。デティの森の罠は解除するように通達しとくから、調節して来て」
「何だよ、88日後って……。どんだけド派手な演出する気だよ」
「楽しみにしててよ。色々企画しておくからさ」
「しかも火山って……。思い切りお前に有利な条件じゃねぇか!」
「君は挑戦者なんだから、文句言わない! だいたいそういうもんだろ? ホームでやれると思わないでもらいたいね」
「仕方ねぇな……」
彼は渋々といった体で承諾し、ぷいと顔を背けて、早くしろ、と呟いた。
「ねぇ、ギャロフェ。さっきの長のやつ、君も出来る?」
「え? いえ、さすがに人間のサイズですと魔法を使わなければ……」
「何だ? 何の話だよ」
「んー? 用心に越したことはないってこと。じゃ、ギャロフェ、彼が回復したら、それで」
「かしこまりました。それでは……」
彼はひょいと僕の肩から飛び降り、勇者の周りをぐるぐると回りながら呪文を唱え出した。
「ホイト、ホイト。ホーイ、ホーイ」
「ホイト、ホイト。ホーイ、ホーイ」
「ホイト、ホイト。ホーイ、ホーイ」
「ホイト、ホイト。ホーイ、ホーイ」
「変な呪文だな」
「何だか楽しくなってくるでしょ。……どう?」
「どうって……。別に楽しかねぇや」
「違うよ、傷」
「あぁ? お? いいじゃんいいじゃん」
勇者は勢いよく立ち上がり、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねて見せる。こびりついた血のせいで全快しているようには見えないが、この様子だともう大丈夫だろう。
「さーて、とぉっ!」
ひゅっ、と空を切る音がした。
はらり、と雪の上に落ちたのは僕の前髪である。
案の定というか、予想通りというか、彼は全快した途端に目にも止まらぬ速さで剣を抜き、僕の額をほんの少しかすめて前髪にお洒落なカットを施した。どうしてくれるんだよ、このアシンメトリー。クラスの女子に笑われちゃうじゃないか。畜生。
「……やっぱりね。やれ! ギャロフェ!」
「レンタアー、レンタアー」
「レンタアー、レンタアー」
ギャロフェは僕と勇者の間に立ち、その場でくるくると回りだす。
「レンタアー、レンタアー」
「レンタアー、レンタアー」
勇者は突然割り込んできた小人を警戒しながら僕に向けて剣を構えている。僕はギャロフェの目が回らないかと冷や冷やしながら見守っていた。
「レレンタア、レンタア!」
やがて彼の回転はぴたりと止まり、勇者に向けて両手を突き出した。ギャロフェにとっては渾身の力で、しかし、勇者にとっては軽く触れられた程度の強さで、彼の脛にタッチする。
「ハッ、何かと思えば……ぁぁぁあああっ?」
勇者の脛に当てられたギャロフェの手の平から突風が起こり、彼の身体を吹き飛ばした。勢いよく飛ばされた彼の身体はあっという間に空の彼方へと消えていく。「覚えてろ!」くらいの捨て台詞を吐く余裕は与えてあげれば良かったかな、と思ったが、僕の耳に聞こえなかっただけでそれくらいのことは言ってるかもしれない。
「アクレリまで飛ばせる?」僕は、まだ両手を突き出したままのギャロフェに問いかけた。
「ご要望とあらば」彼はにこりと笑ってそう答える。
「アクレリまで飛ばしてくれたら、30万クロナ」
「かしこまりました!」
勇者との再戦は88日後だ。
それまでにしっかり準備しなくちゃな。




