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さすが氷河。辺り一面、白、白、白。行けども行けども似たような景色である。
念には念を、と、もうだいぶ走り、気付けば小さなかまくらの点在する集落に足を踏み入れていた。
「誰かいませんか。ヴァヴァさん、アラクネの手当をお願いします」
用心して控えめにそう声をかけると、かまくらの一つから、ひょっこりと顔を覗かせる者がいる。
「ジャックフロスト……」
僕というより、ぐったりした彼女を見て、彼――霜男という種族の小人はぴょこぴょこと飛び出て来た。一人が出てくると、後を追うように次から次へと飛び出して来る。あっという間に僕らはジャックフロスト達に取り囲まれてしまった。
「なぜ勇者がアラクネを助けるのだ」
その中の長らしき小人が一歩前に進み出、僕を詰問する。顔に刻まれた深いしわを醜く歪め、左右にカクカクと首を振った。
「信じてもらえないかもしれないけど、僕は勇者じゃないんだ。このアラクネをやったのは勇者だけど」
「ふん、信じられんな。そのアラクネは囮だろう」
「違うよ! 皆に何もしないって約束する。何なら手足を縛ってくれたっていい。とにかく、このアラクネを助けて! お願い!」
長は僕を睨みつけたまま、右手で斜め後ろの者に合図を送る。すると長よりもほんの少し若く見えるジャックフロストが彼のもとへ歩み寄った。長はなおも僕から視線を外さずにその小人に耳打ちをする。彼は小さく頷き、右手を高々と上げてから、その手を僕に向けた。その合図でジャックフロスト達は一斉に僕に飛び掛かって来る。
「わぁっ!」
瞬く間に僕の身体はオーナメントがたくさんついたクリスマスツリーのような、短冊だらけの笹のような状態になった。何十人ものジャックフロスト達が僕の身体中にへばりついているのである。一体、僕の総重量は何十キロになっているのだろう。それでも立っていられることと案外身動きがとれそうだという事実が逆に恐ろしい。僕の身体はどうなってしまったのだ。
「ホイト、ホイト。ホーイ、ホーイ」
長は、真っ青な顔で息も絶え絶えの彼女に触れる。彼のごつごつした手は額、それから、鼻、口元とだんだん下がっていき、喉に触れてから、大きな穴の開いた背にかざされた。
「ホイト、ホイト。ホーイ、ホーイ」
「ホイト、ホイト。ホーイ、ホーイ」
「ホイト、ホイト。ホーイ、ホーイ」
「ホイト、ホイト。ホーイ、ホーイ」
気付くと僕にぶら下がっているジャックフロスト達も、その奇妙な呪文を唱え始めていた。それは歌うように唱えられ、さながら合唱である。
思わず僕も歌い出しそうになり、慌ててかぶりを振った。彼らは僕を勇者だと思っているのだ。余計なことはしない方がいいだろう。
歌う度にヴァヴァさんの背の穴は小さくなり、顔色も戻ってくる。その穴が完全に塞がると、ぐったりとしていた彼女はゆっくりと目を開けた。
「ヴァヴァさん! 良かった……!」
「ここは……? ジャックフロストの集落か……」
「酷い傷だったな。もう大丈夫だ」
「すまない。恩に着る」
「礼ならあそこの勇者に言え。わけは知らんが、お主をここまで運んできたのだ」
「ゆう……? まっ、魔王様っ! ばっ、馬鹿者! あのお方は魔王様だぞ!」
彼女は慌てて数歩後退りし、僕に向かって深々と頭を下げた。
「魔王様だと? そんなことがあるものか。魔王様がお付きの者も無しに、なぜここへ来るというのだ。手配書に描かれた勇者そっくりではないか!」
「違うのだ、長よ。あのお方は間違いなく魔王様なのだ」
信じられん、と長は首を振る。そりゃそうだよなぁ。僕だってまさか1人でここへ来るとは思わなかったし。まぁ、はぐれるフラグはビンビンに立てられてたけどさ。
「あのお方はリヒト様の御手をお持ちなのだ」
「何だと!」
「何だってぇっ?」
僕は長と同時に口を開いた。まぁおわかりだろうが、素頓狂な声を上げた方が僕である。
「あれ、父さんの手だったの……?」
僕はデスクの上に無造作に転がっていた乾いた手を思い出す。用途は全くわからなかったのだが、ものがものだけに捨てるわけにもいかず、たまに文鎮代わりにしていたのだった。
うわぁ……、ごめん、父さん。言ってくれればもっと丁重に扱ったのに……。
「おっ、降りろ! お前達!」
長の声で、僕にへばりついていたジャックフロスト達は一斉に手を放し、氷の地面に着地した。何人かはうまく着地し損ね、尻餅をついている。そして彼らは慌てて長の周りに集まって3列に横並びし、手を着いて頭を下げた。
「真にご無礼を!」
「いやいや、ちょっと……」
「すべて私の命でございます! この者達はどうかご容赦を! 何卒! 何卒ぉっ!」
長は地面にぐりぐりと頭をこすりつけ、涙ながらに懇願した。
「容赦も何も。いいよ、仕方ないじゃん。僕も証明するもの持ってなかったしさ。ねぇ、顔上げてよ」
僕は長の前にしゃがみ込み、その小さな肩を撫でた。産まれたばかりの赤ん坊のような大きさである。
「僕、急ぐからさ。本当に気にしないで。それじゃ」
「まっ、魔王様、どちらへ?」
「デティの森に戻らなくちゃ。ライオネルとコーナが僕を探してるんだ。ちょっとはぐれちゃって」
「お待ちください! せめて氷河の出口までお送りさせてください!」
「危ないよ、いまこの氷河に勇者が来てる。君達は隠れた方がいい。本当に僕にそっくりだから、気を付けて」
「ならばなおのこと! 微力ながら我らジャックフロスト、ライオネル様とコーナ様に代わりまして、魔王様をお守り致します!」
「魔王様、私もぜひ!」
「困ったなぁ……」
多勢に無勢とは正にこのことで、結局僕は断りきることが出来ず、数えるのも面倒なほどのジャックフロスト達とアラクネのヴァヴァさんを伴って、保育園の引率よろしく、デティの森を目指すことになったのだった。
「ヴァヴァさん、ちょっと聞きたいんだけどさぁ」
氷の上にはさらさらとした雪が積もっている。スパイク付きのブーツでもつるりと滑ることがあるため、歩くのにはコツが必要だ。良かった、僕、雪国育ちで。
「なっ、何でしょうか、魔王様」
さんざん無礼なことをしてしまったアラクネのヴァヴァさんはびくりと身体を震わせた。
「そんな緊張しないで。僕怒ってないから。あのさ、何で父さんの手があんな状態なの?」
「ご存知ないのですか、やはり」
やはり? やはりって何だ?
「うん、情けない話だけど。僕、まだ父さんにも会ったことないし」
「リヒト様のお身体では、このフロージア・アイランドは狭すぎますから……」
息子なのに父親に会ったことがないという部分に対して、どうして突っ込まないのだろう。それも仕方ないと思えるほどの大きさなのだろうか。
「ライオネルにでも聞けば良かったんだけど、ついつい後回しになっちゃってて」
「魔王様はお忙しいですからね」
ヴァヴァさんは優しい声でそう言った。出会った時とは別人のように穏やかである。お忙しい……、まぁ否定はしない。忙しいのは間違いじゃない。来る日も来る日も書類に目を通し、数えきれないほどの判子を押して来たのだ。
彼女は、僭越ながら、と前置きしてから語りだした。




