2
*
「ねぇ! お願い、信じてよ! 僕、魔王なんだって! 証明出来るものは落としちゃったんだけど……」
「話にならんな!」
「えーっと……、そうだ! 王家の紋章なら知ってる! ミノタウロスに、ドリアスの花! ね?」
「そんなもの、この国の者は誰だって知っている」
「そっか……。あ! キャヴイックのカフェ、知ってる? 『ペルコ』って言うんだけど。僕、あそこの常連なんだよ。ルウカっていうサイクロプスのウェイトレスがいるんだ」
「勇者は変化の魔法が使えるという噂だからな。どうせ魔族に変化して出入りしているのだろう?」
「もぉ~っ! こんな時ライオネルがいてくれたらなぁ……」
コーナなら問答無用でこのアラクネを不敬罪により極刑に処す! とか言って切り捨てそうだけど、きっとライオネルなら顔を知らなかったんだから、と許してくれるはずだと僕は思った。そして、国民にその名を知られているライオネルなら、きっとあの懐中時計が無い状態でも僕が魔王だって証明してくれるはずである。
「ライオネル……。ゴンザーズ様のことか? なぜお前がその新しい名を知っている!」
「そりゃ知ってるよ。僕が付けたんだから」
「何?」
僕を押さえつけていた手の力が弱くなった。イケるか、これ?
「コーナもリウナス隊長の名前も僕が付けたんだよ」
「そんな、まさか……」
人間達は魔族に個々の名があるのを知らない。
知らないというか、1日に何十種類もの魔族と遭遇するのである、いちいち名を覚えてなんていられないだろうし、トロルが3体いればABCで括って終いだ。顔だって見分けられないだろう。せいぜい、でかい方と小さい方くらいの認識なのである。ていうか、僕がそうだった。いまではちゃんと見分けられるし、美醜の判断だって出来るようになり、先月行われたゴブリンのイケメンコンテストの審査員長まで務め上げたのだ。
ましてやライオネルに至ってはほとんど前線に出ない。というより、王都から出ない。それでも王都から遠く離れた地にもその名と顔を知られているのだから、僕なんかよりもよっぽどすごいのである。
「しかし! 知る方法はいくらでもある!」
ヴァヴァさんは首を振り、再度手に力を込めた。僕はまた網袋の中に押し戻されそうになる。本気で信じられないのか、はたまた認めたくないのか。
「困ったなぁ……。何を話したら信じてもらえるかなぁ」
何か打開策は無いかと僕の頭はフル回転する。しかし、所詮は『受け皿校』の頭脳である。そう簡単に難局打開のアイディアが出てくるはずも無い。
「えーっと、魔王の1日は、専用ラグーンに浸かることから始まり……」
「何を言ってるんだ」
実際、僕も何を言ってるんだろうと思う。とりあえず、知ってることをぺらぺらと話していけば、何か引っ掛かってくれるかもしれない。溺れる者は藁をもつかむ、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、あと何だろう……。いや、そもそも、これ、合ってますか?
「午前中はデスクワーク、とは言っても専ら渡された書類を確認して押印するばかり」
「魔王様の仕事がそんなに地味なものか!」
悪かったね、地味で。僕だってそう思ってたさ。しかし、何だかんだ言っても耳を傾けてくれている。その間はほんの少しだけ押さえつける力が緩まるのだ。
「僕のデスクには色んなものが置いてあるんだ。小鬼のドクロに刺さった羽ペンの正体はわかった。あれはガルーダの羽みたい。あんな色なんだなぁ。それから未だに使い方がわからないのがね、からからに乾いたミイラの手なんだ。あれ何なんだろう」
「ミイラの手だと?」
彼女は僕の頭の上から手を離し、目を細めて少しだけ身を引いた。何となく顔が青ざめているように見える。何? 何なの、このアイテム?
「うん、ミイラの手。薬指に指輪しててさ、材質はたぶん金かな。それで、真っ赤な石がついてんの」
「あぁ……」
ヴァヴァさんはそう言うと網袋に繋がる糸を放し、その脚で顔を覆った。
「え? 何? 何? どうしたの? 僕何かまずいこと言った?」
僕は網袋から脱出し、ヴァヴァさんの正面に回って顔を覗き込んだ。彼女は首を振りながら嗚咽を上げている。
「申し訳ございません、魔王様……」
「えぇー? 信じてくれたの?」
ミイラの手で? 何なの、アレ、本当に!
「――見つけたぁっ!」
そのフレーズに僕は安堵の息を漏らした。やっと見つけてくれたか。そう思った。しかし、それはライオネルの声でも、コーナの声でもないことに気付き、僕はハッとして声の主を探す。そこにいたのは――、
黒の詰襟風の衣服は、縦に3つ、金色のボタンのようなものが並び、同色のスラックスにレザーブーツ。恐らくこれも防寒用であろう、真っ赤な天鵞絨のフード付きマント……。
「僕と同じ恰好だ……」
その時僕は悟ったのだ。あぁ、これが勇者なのだ、と。と同時に、これだけ似た恰好してりゃ、そりゃ見間違うよなぁと思った。
「魔王だな?」
無邪気な声で彼はそう言い、目深に被っていたフードを少しずらして顔を見せた。
「……驚いたな。顔までそっくりだ」
そっくりというか、瓜二つだった。あれ、僕って双子だったっけ? 違う点といえば、彼は裸眼というところと、僕の方がやや背が高いというところくらいだろう。
氷の壁からひょっこりと現れたラスボスに、僕は身構えた。しかし、どうしよう。僕の力はまだ完全じゃない。まぁ、完全不完全に関わらず、僕はそもそも自分の戦い方というものを確立しきれてすらいないのだった。
「困った……」
勇者の方でもラスボスにエンカウントしているにも関わらず、僕が何も仕掛けてこないのできょとんとした顔をしている。まぁ、無理もない。本来であれば、それなりの台詞を吐きつつ、この衣服をビリビリに引き裂くなりして『本来の姿』を現し、炎の1つ2つ吐きだしているところなのだ。そうだよ、力がどうこうってのもそうだけど、僕は魔王として、それなりに威厳のある台詞なんかも吐かなくてはならないのだ。すっかり忘れてたよ。ムードも大事だよなぁ。
しかし、僕が不完全であることを悟られてはならない。こちらの都合など聞いてくれる相手ではないだろうし、弱い魔王なら願ったり叶ったりだろう。
「おかしいな、仕掛けて来ないのか? 先にお付きの者から殺らないとダメか?」
勇者はそう言って華美な装飾の施された鞘から何かしらの曰く付きであろう剣を抜くと、ヴァヴァさんに向かって上段の構えをとった。
「ダメ! 違うんだ! 彼女は関係ない!」
僕のその言葉よりも速く、勇者の剣は彼女の背に突き刺さった。
「ごああぁぁ…………っ!」
墓標のように突き立てられた剣の根元からはごぼごぼと緑色の血液が噴き出している。彼女はピクピクと痙攣してはいたが、まだうっすらと意識があるようだった。
「魔王様のお付きとして死ねるなら、本望……っ!」
「ヴァヴァさんっ! 死んじゃダメだ! 家族がいるんだろっ? ダメだ! 死ぬなぁ――――――っ!」
「数々のご無礼……どうか……お許し…………」
「もうしゃべらないで! 許すよ! 知らなかったんだもん! 仕方ないよ! ねぇっ! 死なないで!」
彼女の身体から流れる血の量はだんだん少なくなり、噴き出す勢いも失われていった。勇者は「なぁんだ、お付きの癖にあっけねぇの」と言いながら、彼女の身体からずるりと剣を引き抜く。べっとりと絡みついている彼女の血をまるで汚らしいものでも見るかのような目で見つめ、積もった雪の中に何度も突っ込んできれいに落とした。
僕は彼女の身体をそっと横たえた。かすかに呼吸をしており、弱弱しくではあるが心臓も脈打っている。RPGでいうところのライフが1くらいの状態なのだろう。大丈夫、まだ助かる。……ただし、現状を打破することが出来れば、だけど。
勇者は薄笑いを浮かべ、こちらを見ている。何だよこの状況! どっちが魔王だよ!
「魔王の割に大したお付きもいないんだな。もしかして、アンタ、弱いんじゃないの?」
12歳らしいその少年は、少年らしい全能感を持ち、尊大だった。
なかなか鋭いところをついてくるやつである。
「君はさ、僕を倒したら、その後はどうするの」
僕は立ち上がり、彼と対峙して、そう問いかけた。
「後? 決まってんじゃん。魔族を殲滅して、人間だけの世界を作る。その世界で、俺は王になるんだ」
そう、ゲームの中でもラスボスを倒した後はどういうわけかモンスターもいなくなる。そういうシステムなのか、はたまた、省略されているだけで軍隊でも派遣して殲滅したのだろうか。トップがいない組織というのはもろいものだしな。
やっぱりこの世界でもそうなのか。
僕がゲームの中の魔王だったら、そんな運命でも受け入れるのだろう。物語の中では、悪は正義にやられるために存在しているのだから。
しかし、ダメだ。
僕は魔王だ。魔族の王なのだ。
僕が倒れたら民はどうなる。
僕が頭を撫でた、あの鬼の子どもの未来は。
魔法医学者になるのだという、ヴァヴァさんの息子の夢は。
僕が守るんだ、皆を。
「世界の半分を、お前にやろうか」
どこかで聞いたような台詞が僕の口からつるりと出た。
「半分?」
「そう、半分。悪くない話でしょ。君は人間の世界の王になったらいい」
「それで? アンタはいままでどおり魔王のままってこと?」
「そう」
「嫌だね。全部寄越せ」
「欲張りだなぁ」
「だって俺、元は魔族だし。この世界は元々魔族のものだろ」
「それを言っちゃったら僕の方が『全部寄越せ』だよ。僕は現役で魔族だし、魔王なんだから」
だいたい、『元・魔族』が魔族に反旗を翻すなよ。
退職したサラリーマンが起業して元の会社に喧嘩売るみたいな話だな、と僕は思った。その例えだと、勇者は社長兼社員の会社(オフィスも自宅と兼用だったりする)で、こちらは世界中に支店を出しまくってる大企業である。そんな出来たばかりの小さな会社に到底勝ち目は無い。無いのだが、これが漫画の世界だったりすると、何やかんやあって結局は大企業が負けたりするのだ。
そして、現在、このまま戦闘になると、そうなる可能性が高い。
「俺は魔族として、愚かな人間を統治する。そうだ、お情けで魔族も生かしといてやる。魔族は俺らの奴隷だ」
「君が欲しいのは、世界? それとも、自分の思い通りに動く駒?」
「どっちだろ。わかんねぇな」
「残念だけど、あげられない。人間の王になりたきゃ勝手にすればいい。でも、僕はこの座を明け渡したりなんかはしない。僕は、魔族の王だから!」
頬に刺さるような冷たい風が、『ような』ではなく実体となって、勇者に襲い掛かっていった。
「く……っ!」
形を持ったとはいえ、風は風である。剣で切れるものではないし、盾で防げるのはせいぜい頭から胴体までである。へぇー、僕って、こんなこと出来るようになったんだなぁ。
「ヴァヴァさん、一旦逃げよう!」
勇者が風に翻弄されている間に、僕は彼女を担いで駆けだした。自分でも驚くほどのスピードで。
遠くで、「逃げる気か!」という声が聞こえる。そうだよ、逃げる気だよ。悪いか。




