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「魔王様、先ほどの件ですが」
「うん?」
僕らは森の出口(いや、入ってきた時は入り口と呼んでいたんだけど)を目指して歩いている。コーナに腕を組まれているせいで歩きづらく、急ぎたい気持ちはあるものの、あまり速度は出ない。
「我々にもいただけるんでしょうか。20万クロナは」
ライオネルが言っているのはリウナス隊長に提案した『A1名につき20万クロナ』のことだろう。ライオネルとコーナもA――つまり勇者の仲間と思しき人間をそれぞれ1人ずつ葬っているのである。そんなことを聞いてくる割に、彼自身はそれを期待なんてしていないような、何となく茶化すような口調である。
「もちろん」
「やったぁ!」
コーナは僕の腕にぎゅっとしがみつき、顔をこすりつけた。7匹の尻尾蛇達もまたグルグルと喉を鳴らしながら僕にすり寄ってくる。
「魔王様、お腹が太いですねぇ」
「コーナ、そこは『太っ腹』でいいんだよ」
「そうですよ、コーナ。その表現ではまるで魔王様がお太りになられたような――っ?」
ヒュッと風を切る音が聞こえた。僕とコーナの間を何かがものすごい速さで通過していったのだ。それは僕らの前を歩いていたライオネルの頬をかすめ、一筋の赤い線を引いた。そしてそれは、カッ、という音と共に数メートル先の大木の幹に突き刺さる。
その筋を指でなぞったライオネルは、その指に付着しているのが自身の血液であることを確認するとニヤリと笑った。「――ほぅ。忍者か」
「忍者?」
僕は声を潜めて辺りを見回す。しかし、どこにもそれらしき人影は見えない。冷静になって考えてみればそれもそのはずである。どこの世界にほいほいと姿を表す忍者がいるのか。忍んでいないだろ、それじゃあ。
「厄介ですね、忍者は」
指先の血を大きな舌でべろりと舐めとる。そう話す彼の声は何となく楽しそうだった。おいおい、まだ浮き足立ってるんじゃないだろうな。
「厄介? 何で?」
「あやつらは私よりも素早いのです。それに、いまのような暗器の扱いにも長けております」
「やばい? 負けちゃう?」
「まさか。私が案じているのは魔王様ですよ」
「僕?」
僕はどきりとして、また辺りを見回した。周囲の色彩は葉の緑と幹や地面の茶色。それにちらほらと薄紅や黄色の花が咲いている。日の光があまり届かない鬱蒼とした森ではあるが、不気味な美しさがあると思う。視線の先にある大木にぐさりと刺さった手裏剣を見て、僕は気が付いた。僕の身体は魔物達には傷付けられないけれど、人間なら容易にそれが出来るのだ。そして、彼らの目的は『この森を突破すること』ではない。それはあくまでも手段である。
――ただ1つの目的である『魔王(僕)討伐』のための。
「だぁ~いじょうぶ! 私がついてるですよ!」
コーナはまた僕の二の腕にぎゅっとしがみついてくる。「きっちり殺してやる」
にこやかな笑顔が邪悪な笑みへと変わり、温かかった彼女の体温は徐々に低くなっていく。心臓に悪いので、出来ればこんな至近距離では戦闘形態に切り替わらないでほしい。
彼女は僕から離れると、長い爪を顔の前で構えながらそろりそろりと僕の背後へ回った。僕の前にはライオネルが立ち、彼もまた金色の鬣を揺らめかせている。間近で見るとそれはバチバチと音を立てて発光していた。雷を纏っているというのは本当らしい。
「やつめ、匂いを消しているな……。コーナ、魔王様を遠くへ。あぶり出してくれる」
「わかった」
僕はコーナに抱き抱えられた。いわゆる『お姫様抱っこ』の状態である。僕はたしかに小柄な方だし、太ってもいなければ大して筋肉もない。つまり、痩せている。しかし、それでもそれなりに重量はあるのだが、コーナはそんなことを微塵も感じさせないほどのスピードで走り、僕らはあっという間にライオネルから遠ざかって行った。
「ねっ、ねぇ! どこ行くんだよ! ライオネルは?」
情けない声を出す僕に、真っ赤な目を爛々とさせたコーナが耳まで裂けた口を開く。
「人間がどこに潜んでいるかわからんのでな。あの辺一帯に雷の雨を降らせるのだ」
「雷の雨?」
字面では『雷雨』なのだが、僕らの考える雷雨とは全くの別物であることは、コーナの背中越しに確認出来た。
耳をつんざく轟音と共に、目が眩みそうな程にまばゆい光の雨が真っ黒な雷雲から降り注いでいる。雨の中に雷が交ざっているのではない。雷が雨のように降ってくるのだ。魔王である僕の鼓膜は破れないし、目だって潰れない。それでも僕の耳に入ってきたその音は、まるでピンポン玉のように頭蓋骨中を跳ね回り、わんわんとこだまする。目は何度瞬きをしても閃光が焼き付いて離れず、うまく機能しない。
地響きを伴うその雷鳴に混じって、男性の叫び声が聞こえたような気がした。
「馬鹿なやつめ」
先ほどからコーナは腕の中にいる僕のことを魔王と認識していないのか、『もどき』だった敬語は『もどき』の範疇をとっくに飛び越え、僕以外の者と話す時の口調になっている。まぁそれはそれで構わない。
雷の雨から2キロは離れただろうか、コーナは僕を大木の下に下ろし、キョロキョロと辺りを警戒している。「まだいるな」
――いる? 何が?
それは聞くまでもなく人間なのだろう。
しかし、僕はこの状態のコーナに問いかけるのが何だか恐ろしく、また、そのことが彼女の集中力を途切れさせてしまうのを恐れて口をつぐんだ。
彼女の蛇達もまた臨戦状態である。褐色肌のコーナに対して、尻尾蛇達はどれもが真っ白く、そのコントラストが美しい。よく見ると1匹1匹に異なる入れ墨のような模様があり、それが彼女達を見分けるための特徴となっている。
「ストリェラー・プラーミア!」
僕の後ろから矢の形をした炎が勢いよく飛び出し、7匹の尻尾蛇のうちの1匹、頭部に波のような3本の曲線模様が入った末摘花に突き刺さった。
「ギャ――――――――――!」
恐ろしい悲鳴を上げ、末摘花はぐったりと首を垂れた。白く美しい彼女の身体は一部が焼け焦げてしまっている。
「後ろにいたか。卑怯なやつだ」
コーナはゆっくりと振り向く。1匹がやられたくらいでは彼女にダメージを与えることは出来ないのだろうか。僕と目が合ったコーナは余裕たっぷりにニヤリと笑った。「案ずるな。すぐに片付ける」
あぁもうこりゃ僕のこと魔王だとかこれっぽっちも思ってないな。
「魔法使いか、魔法戦士か。よくも我が末摘花をやってくれたな。姿を見せろ、卑怯者め」
末摘花は弱弱しく首を持ち上げて口を大きく開け、懸命に威嚇している。良かった、死んでない。
コーナは右手を僕の背後にある大木に向ける。左手をその手首に添え、固定した。
「出て来ないのだな。後悔させてやる。――空蝉!」
そう言うと、尻尾蛇のうちの1匹――顎の下に小さな渦巻き模様のある空蝉がコーナの右手にくるくると絡みついた。空蝉は彼女の手の甲の上に首を乗せ、大きく口を開ける。喉の奥がきらりと光ったかと思うと、そこから勢いよく銀色の液体が噴き出す。「うわぁっ、何それ!」
空蝉が吐き出したその液体は命を持っているかのようにうねうねと動き、僕の鼻先を通過して真っすぐ上に向かって行く。音もなく枝の間をすり抜けて行ったかと思うと、急にガサガサと枝葉が揺れた。そこにいるのか? 僕は目を凝らしてみたが、葉の密度が高く、運の悪いことに太陽もすっぽりと厚い雲に覆われているせいで薄暗いため、その姿を確認出来ない。
ガサガサという音と、くぐもったような声が頭上からひっきりなしに聞こえてくる。そして、それが止んだかと思うと、大きな銀色の塊が上から降ってきた。
「おわぁっ! 何だぁ?」
足元に転がっているその銀色の塊はサナギのような形をしている。大きさはちょうど僕なんかがすっぽりと収まるくらいだ。
「コーナ、これ何?」
「これは空蝉が作りし愚かな人間の棺だ」
「棺……」
「中を見たいか? 開けてもいいが……」
「いい! いい! 開けなくていい!」
赤い目を妖しく光らせてコーナはニヤリと笑ったが、僕はそれを丁重に辞退した。この中で一体何が行われて絶命したのかはわからないが、とにかく中には死体が入っているのだ。好き好んで見たいものではない。
「さて――」
コーナはくるりと後ろを向いた。




