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「あぁ、いた。隊長! リウナス隊長!」
「魔王様!」
2、30メートルはあろうかという木々に囲まれたその巨大な迷彩柄のテントの中に、彼はいた。巨大とはいってもそれは僕の主観なだけで、6メートルもの身長を持つ彼にとってはかなり狭いものであることは、窮屈そうに折り畳まれた彼の体勢から見てとれる。リウナス隊長は、そのテントに身体がぶつからないよう、ゆっくりとそこから出ると、テント内よりもさらに身を低く――身長1メートル65センチたらずの僕よりも頭を低くしなくてはと地面に這いつくばろうとした。ちなみに、これでも彼はトロルにしてはかなり小柄な方だ。昔からチビとからかわれ、帰省するといまでも「お前みたいなチビ助に隊長が務まるなんてな」と揶揄されるらしい。隊長職というのは身体の大きさで決まるわけではない。戦闘力はもちろん、下への手本となるような勤勉さ、実直さ、的確な判断力、その他諸々。とにかく、彼は小柄なトロル達の希望の星らしい。
「いいよいいよ、そんなことしなくて。穴でも掘らないと絶対に無理だし」
僕は苦笑しながらポンポンと彼の身体に触れる。その大きさを除けば身体の作りは人間とほぼ変わらないのに、彼の筋肉はまるで弾力が感じられない。皮膚としての柔らかさというのはたしかに感じられるのに、その硬さはコンクリートのようである。
「恐れ多いことでございます」
「気にしないで。ライオネルだって僕より背おっきいしさ」
そう、ライオネルは鬣の分も含めると優に2メートルはあるのだ。ちょいちょい膝をつくけれども、平常時は常に僕を見下ろしている。コーナは軍靴の踵のせいでほんの少し僕よりも高い。脱げば僕より低いだろう。
「首尾はどうだ、隊長」
「は! 勇者一行がこの森に足を踏み入れてよりかれこれ13回ほど捕え、アクレリへ送還致しております。仲間と思しき人間はAが28名、Bが5名、Cが6名でございます」
リウナス隊長は僕らの前に跪き、戦況を伝えてくる。……が。
「ねぇ、ライオネル」
僕は斜め前に立っているライオネルの左腕を突いた。「AとかBとかって、何?」
「あぁ、魔王様にはお伝えしておりませんでしたね。Aというのは倒した――つまり殺した者、Bは重傷、Cは軽傷を負わせた者でございます。それに至るまでには様々な過程がございますが、そこはあまり重きをおいておりません。結果がすべてですから」
「まぁ、たしかにね。ねぇ、褒賞金とかって無いの?」
「これまでは、特に……。もちろん、優秀な者は階級を上げておりますが」
「えーと、じゃあ、Aは1人につき20万クロナ、Bは5万、Cは1万……。安すぎかな? 命張ってもらってるのに。あともちろん、勇者を捕らえて送還した者には30万」
「そんなことはございません。部下達の励みになります」
「それから、Aは10人でその月の給与を10%アップ。Bは5人、Cは10人でA1人分。どうかな」
「よろしいのではないでしょうか。では隊長、そのように伝えておくように」
「ありがとうございます!」
彼は深々と頭を下げた。深緑色の頭頂部が見える。森の中では完全なる保護色だ。
「魔王様、すぐに発たれるのですか」
「そのつもりだよ。回らなきゃいけないラグーンがあと5つあるんだ。早いとこ力を完全にしないとね。僕が勇者を倒さないと、君達も大変だろ。あともう少しだから、交代するなりして家族にもちゃんと顔見せてあげて」
「何とお優しい……。我々は大丈夫です。魔王様がお身体を整えられるまで、我々が必ず足止め致します!」
そう言うとリウナス隊長は顔を上げて胸を力強く叩いた。
森の出口まで送る、という彼の申し出を辞退し、僕らは来た道を戻る。彼の姿が見えなくなると、コーナはまた再び僕の腕に絡んできた。一応、リウナス隊長の前では自粛していたらしい。
『勇者様発見。K―E地点に集合。』
『了解。お1人か?』
『魔物に捕まっている。どこかへ連れていかれるようだ。』
『それは大変だ。我がリュシュカ組の意地にかけてもお助けしなくては。』
『もちろん。』
『命を捨てる覚悟で臨みます。』
『魔物は2匹。トロルではなく、恐らく獣人と半獣人だ。』
『獣人は鼻が利くから厄介だ。準備は入念に。』
『リュシュカの背中が見えてきました。囮役はいつもどおりセージですか?』
『もちろんだ。素早さで大和島の忍者に敵う者などいない。』
百文字足らずのメールしか送受信出来ない旧式の携帯電話をセージは懐に入れた。もちろん電話であるからには通話機能も備わっている。が、声を発すれば魔物に気付かれてしまうかもしれない。トロル達はそれ程聴覚が優れているわけではないのだが、この森にはそれ以外の魔物もいるのだ。そこでやり取りはすべてメールを使用するようにしている。
セージはパーティーの長であるリュシュカと入ったばかりのキルヒャにメッセージを送信した。返事がすぐに来たことにひとまず安堵し、息をひそめてそぅっと前方10メートル先の一行を目で追う。
――早く。早く来い、二人共。
徐々に小さくなっていくその人影にやきもきしながら二人を待つ。彼らは食料と水を調達しに別行動をしているのである。キルヒャは無事リュシュカと合流出来ただろうか。彼は粗忽者の気があるキルヒャのことを思い出し、ふぅ、とため息をついた。どうしてもと懇願されてパーティーに入れたはいいが、やることなすこととにかく粗がある。彼は戦士だから多少の無骨さは目を瞑る気だったのだが、まさか想定を大きく上回ってくるとは。そう思い、セージは軽く苦笑する。それでも攻撃力はこれまた彼らの想定を大きく上回り、いままで出会った者達の中で一番であった。魔法戦士のリュシュカは、戦士とはいってもただ多少剣が扱えて体力が魔法使いよりあるというだけで腕力もあまり無い。忍者の自分は隠密行動に特化していて正面から戦うことは不得手である。だから、少々粗忽者であってもキルヒャのように真正面から敵と戦う戦士の存在は正直有難い。
『着いたぞ。いま後ろにいる。』
懐に感じるバイブレーションで携帯を取り出し、画面を見る。やっと来たか。そう思って、セージは振り向いた。そこには簡素なチェーンメイルに身を包んだ赤髪のリュシュカと、それとは対照的に重厚なプレートアーマー姿のキルヒャが並んで立っていた。
「あれか?」
リュシュカは最大限に絞った音量で声を発する。
「そうだ。間違いない。勇者様だ」
「なぜあんな魔物に。勇者様は無敵なのではないのですか」
キルヒャもまた彼女に倣って声を潜めた。
「なぜかは俺にもわからん。もしかしたら仲間を人質に取られているのかもしれない」
「くそっ! 卑怯なやつらめ!」
忌々しそうにそう言って、キルヒャは右手で作った握り拳を勢いよく左手に打ち付けた。
「落ち着け、キルヒャ。セージの想像だ。とにかくあの2匹を倒し、勇者様を奪還しなくては」
「でも、その『もしかしたら』が本当だったら――? あの2匹を倒してしまったら、お仲間はどうなりますか」
「構わん。魔物に捕まるようなやつは一度助けてもどのみちまた捕まるのだ。そんなやつらはむしろ足手まといになる。ならば我々が勇者様のお仲間になればいい」
「成る程!」
「2人共、皮算用は後だ。いいか、俺があの2匹の気を引く。その隙にリュシュカが勇者様を救出しろ」
「俺は? 俺は何をすれば」
「キルヒャはここで待機だ。俺が2匹をここまで誘導する。――後はわかるな?」
キルヒャはゆっくりと頷いた。
自分はセージのようにすばしこく動くことは出来ないから囮には向かないし、リュシュカのように細やかな気遣いも出来ないから勇者様を救出するなんて大役も難しい。出来ることといえば、魔物を打ちのめすことだけだ。そう思い、キルヒャは仁王立ちになり、深呼吸をした。
「では、行って来る!」
そう言うとセージはその場から消えた。




