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感受性がきっと人の3倍くらい豊かな母は、龍一と同じ所で憤慨し、同じ所でイオーネの言葉を遮った。彼と違う点は、彼女もまたイオーネと共に涙をにじませたところである。さすがに子ども達を失う悲しみというのは、男子高校生よりも現役の母親の方が強く感じるものだ。
話の途中で僕が移動させたゴミ箱の中は、彼女の涙と鼻水をたっぷり染み込ませたティッシュでいっぱいになり、半分くらい入っていたはずの箱ティッシュの中身は空になってしまっている。『にじむ』程度では収まらなかったらしい。僕は買い置きが入っている戸棚から新しい箱ティッシュを取り出し、母の前に置いた。
「でも、悲しい話ね」
目の端と鼻の頭を赤く染めた母は、声を詰まらせながらそう言った。
「だって、まだ12歳なんでしょう?」
「まぁね」
「それに、親戚だなんてぇ」
「そうなんだけどさ」
「話し合いでどうにかならないの?」
「努力はするよ」
「寧々様、魔王様は慈悲深いお方です。我々にとっても人間達にとっても最善の方法をお取りになりますよ」
「ちょっ、ハードル上げないで……」
プレゼンが終了したところでイオーネは僕を再び『魔王様』と呼び始めた。そして普段なら人間『共』と言うところを『達』にしたのは普通の人間である母への配慮だろう。いや、僕だって普通の人間なんですけど。
「それで? お帰りはいつなの?」
「えー……っと、2週間後……」
「に……っ?」
母は『に』の口のままで固まってしまった。
そりゃそうだろう、愛する父だけではなく、僕まで家を空けてしまうのだから。果たして宝咲歌劇団のDVDで僕ら二人分の穴は埋められるのだろうか。
しばし無言の時が流れ、僕は握りしめた手を膝の上に行儀良く置き、俯き加減で上目遣いに母を見る。
固唾を呑んで見守っていた僕らの前で、母は困ったように笑った。
「……仕方ないわねぇ」
僕とイオーネはホッと胸を撫で下ろす。いつも飄々としていたイオーネさえもがすっかり母のペースであった。
「パパに新しいDVDBOXおねだりしなくっちゃ!」
……父さん、ごめん! でもこれも(ここじゃないけど)世界のためなんだ!
胸の前で両手を合わせ、ウフフと笑う母を見て、確か茨城辺りにいるはずの父へ心の中で詫びた。
ハードな任務を終え、無事、母からの承諾を得た僕は、イオーネと連れ立ってヘクラカトラに戻って来た。『戻る』と表現してしまうほど、僕はここでの生活に馴染んでしまっているのである。
「魔王様ぁ~! お帰りなさい、でしたぁ!」
僕の姿を見つけるや否や、コーナが喜色満面の笑みで飛びついてくる。またもだらしなくはだけられた胸元はなるべく見ないように努めた。
「ただいま、コーナ。軍服は正しく着るようにね」
「はぁい。かしこまし、かりこまし、かしこまりました!」
コーナは100点満点の笑顔で僕の右腕に顔をこすりつけてくる。
彼女の口から『かしこまりました』なんて言葉が出て来るなんて、と僕は感動した。まぁ、2回ほど噛んでたけど。
「魔王様、視察はいつから行く、ます?」
「そうだなぁ。イオー……、ライオネル、いつから行ける?」
到着と共にいつもの獅子頭の獣人に戻っていたライオネルはパラパラと手帳をめくり、開いたページをトントンと長い爪で突いて何やら確認してから「明後日ですね」と言った。
「それから、コーナ。視察は視察ですが、最終日に予定が1つ増えました」
「予定?」
「勇者討伐です」
「おぉ! とうとうこの日が来たか! 待っておれ、裏切者めが!」
だらしなくしなだれかかっていた彼女の背筋は『勇者討伐』の言葉でぴんと伸びた。僕よりも小さな手を胸の辺りで強く握りしめ、口角をこれでもかというくらい上げ邪悪な笑みを浮かべる。もはや糸切り歯とは呼べない完全なる牙が、頬の辺りまで裂けた口の端から覗き、時折、チロチロと細く長い舌が顔を出す。彼女は大蛇の化身なのである。7匹の尻尾蛇達も鎌首をもたげ、シャーシャーと威嚇音を発し始めた。
「まぁまぁ、落ち着いてよ。ここで興奮したって仕方ないだろ」
彼女の滑らかな褐色の肌には蛇の鱗が浮き上がっており、戦闘形態に切り替わろうとしている。
僕はその鱗状の肌にそっと触れた。さっきまで僕の腕を温めていた彼女の体温はどこかへ消え失せ、ひんやりとしている。すべすべだった彼女の肌はザリザリとした質感に変わってしまい、僕は慣れない感触にほんの少し怖気付いた。
多くの魔族は平常時と戦闘時とでその形態が変わる。
人間と獣とをミックスしたような半獣人は、その獣度が一層濃くなり、気性も荒くなるのだ。コーナもこの系統の種族である。ライオネルのような二足歩行の獣――獣人も同様だ。それから、肌の色が変わったり、爪が伸びたり、あと、何があったかなぁ。とにかく、一目で『魔物です!』とわかるような外見になる。いや、半獣人でも充分『魔物』っぽいんだけど。




