4
ダメで元々。
この言葉を旗印に、僕とイオーネは敵陣(という名の僕の家)に向かった。
芸能人かと見紛う金髪美女を侍らせているネクラ眼鏡への好奇の目が痛い。もしかしたら僕はとんでもない金持ちの息子で、金の力をもって彼女を従わせているのではないか。そんな錯覚まで起こしそうになる。
もちろん、そんなことはない。
僕の父親はごくごく普通のサラリーマンだし、母親に至っては……、まぁちょっと変わってはいるけど、普通の主婦だ。ただ、いまは父親が長期の出張というのか、短期の単身赴任というのか、とにかくふた月ほど家を空けているため、その分、僕への執着が酷い。母はか弱い女性なのだ。そういうところに父は惹かれたのだという。余談だけど。
「本当に大丈夫かなぁ……」
僕は幾度となくこの言葉を吐いた。
僕から吐き出された弱気の発言は、イオーネの耳には届かないシステムになっているようで、いつもはどんな小さな発言でも華麗に拾い上げる名レシーバーである彼女からの返答はおろか、相槌さえも無い。
「ねぇ、イオーネ。やっぱりさ、別の方法はないかな」
意を決して名を呼び、そう提案してみる。
「別の方法ですか?」
さすがに名前を呼ばれたとあっては無視出来ないようで(そもそも僕に対して無視するというのもなかなかだが)、イオーネは首を傾げながら言った。
「何ていうかさぁ、僕がいきなり金髪美女を連れて帰って来たら、それだけでも母さんびっくりなのに、『魔王だから、勇者を倒しに行くので、2週間ほど家を空けます!』なんてさ」
せめて、僕が勇者だったら印象も違ったかな、などと考えて、この際どっちでもさほど変わらないだろう、と僕は頭をぶんぶんと振った。
「大丈夫ですよ。このイオーネにお任せください。きちんとご理解いただけるようにご説明致します」
「いや、君の秘書としての能力は買ってるよ。でも、そうじゃなくてさ。一体どこから出てくるの、その自信」
「私は人間との交渉も何度か行ったことがありますし、大丈夫ですよ」
「いや、そうなんだろうけど、ウチの母さんはさ……」
「――あらぁ、のんちゃん?」
背後から聞こえてきた声に僕はぶるっと身震いをする。
身体はまるでメドゥーサに見つめられた人間のように固くなり、その声の主を確認するために振り返ることも出来ない。いや、確認するまでもない。この声は間違いなく母のものだ。
僕はやっと少しだけ動くようになった首を数センチずつ回して後ろを見た。そこにはエコバッグを右手に、18ロールのトイレットペーパーを左手に持った母親がにこやかな笑みを湛えて立っていた。
「そちらはぁ? お友達ぃ?」
心の準備が完全に整う前に出くわしてしまったラスボスを前に、僕の脳内では昔やったRPGのラスボス戦のBGMが鳴り響いている。
ゲームなら、こんなフィールド上で出くわすことなんて無いのに。
ラスボスはラスボスらしく、ダンジョンの最上階か地下深くの玉座でじっと待っていてほしい。僕はいつもの倍の働きをする心臓をなだめながら、この場を打開する言葉を探していた。
「えっと、その、母さん、かのっ、じゃなくてこちらは……」
この母親に単なる代名詞としての『彼女』は通じない。『彼女』という言葉が母の耳に入ったが最後、鼓膜と蝸牛を伝わったその単語は、その過程で代名詞の『彼女』と名詞の『彼女』とに振り分けられ、さらに網膜に映るイオーネの姿を唯一の判断材料として、不必要な方を破棄する。母の脳へ到達するのは恋人という意味を持つ名詞の『彼女』という単語のみだ。
「私は、紀生様の秘書です」
焦る僕、微笑んでいる母、この2人の間にずずいと割って入ってきたのは、宝咲歌劇団の男役のような良く通る、低めの声である。
まずい。本当に。イオーネじゃなく、ライオネルの方が良かったかもしれない。――い、いや、どっちだ?
「あらぁ、素敵な声ぇ。京極芙蓉様みたいねぇ」
やっぱり――――――……!
母は呆気にとられている僕の手にエコバッグとトイレットペーパーを持たせると、踊るような足取りでイオーネの腕を取った。
僕は荷物のせいだけじゃない重さで肩をがっくりと落とす。『様付け』且つ『秘書』などという、およそ高校生には無縁なワードに何の疑問も抱かないのだろうか。『彼女』よりも余程突飛だと思うのだが。
「紀生様、お荷物なら私が……!」
イオーネは自由な方の手を僕に伸ばすが、それを制したのは母である。
「いいのいいのぉ。男の子なんだからぁ。さぁ、お家に行きましょ~」
「しっ、しかし……! 母上様……!」
「んもぅ、堅苦しいのは無し無しぃ! 寧々さんって呼・ん・で」
「ねっ、寧々……様……!」
「いや~ん! 芙蓉様ぁ~!」
弾むような足取りでイオーネを導く母。後方をとぼとぼと歩く僕をちらちらと気にしながらも成すがままのイオーネ。
僕はからりと晴れた空の下、曇天をぎゅうぎゅうに詰め込まれたような重苦しい頭の中で、どうしたらいいんだと、そればかりを反芻していた。
――撤回。
母は『ちょっと』変わってるんじゃない。『かなり』変わっている。




