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「でもさ、それがそう簡単じゃないんだよなぁ」
「そりゃそうだろ、勇者だもんな。強いんだろ?」
「それだけじゃないんだ」
僕は大きくため息をついた。
そう、勇者が強くてなかなか討伐出来ない、ということであればまだ簡単だったのだ。それなら、RPGの展開のようにラスボス一体、もしくはプラス少数のお付きの者達で臨むのではなく、魔王軍の全勢力をもって叩きのめせば良い話なのである。どうせ正々堂々なんて元々求められていない。
卑怯上等。僕らは魔族だぞ。
じゃなくて問題は、勇者が年端もいかない少年――どうやら12歳くらいらしい――という点と、そいつがどうやら僕のはとこらしい、という点である。
いい年した大人が子ども相手にムキになっていいのか、という部分ももちろんあるのだが、それ以前に、魔王の血縁者はただの魔族には傷を付けられないのである。それは高貴な血筋だから恐れ多くて、とかそういうことではなく、彼を覆っているオーラというのか、薄いベールのようなものが魔族のいかなる攻撃をも無効化してしまうらしい。だから魔王軍が出来ることといえば、勇者の仲間をひたすら攻撃して時間を稼ぐか、彼らのルートに罠を張って足止めをするくらいなのである。
王の血を引く勇者の身体に傷を付けられるのは、同じくその血を引く者だけ。――つまり、勇者に関しては僕が倒さなければならないらしかった。
たしかに僕は、魔王になって勇者を倒してやりたいと思っていた。そして、正義が悪に倒れた先を見たいとも。
しかし、蓋を開けてみれば、どちらが正義だか悪だかわからないような世界で、しかも相手は親戚の子どもときている。何だ何だ。僕はこんな難解な世界を望んだ覚えはないぞ。
「じゃあ、どうするんだよ」
「どうって……、やるしかないでしょ、僕が。いくら親戚ったって、勇者は『裏切者』だからね。殺すなり、封印するなりするよ」
「随分簡単に言うんだな。まぁ、12歳の子どもだしな」
「ですが、いくら勇者が魔王様より年下だといっても、幼い頃よりそのための訓練を受けてきたわけですから。いまの魔王様では到底勝てる相手ではありません」
そう、勇者は強い。僕より。
そして、この瞬間も僕を倒すためにずんずんと先を進み、どんどんと敵を倒して経験を積んでいく。
勇者の仲間は魔族の刃に倒れるかもしれないが、彼は無傷なのだ。いまはキャヴィックの遥か東にあるデティの森でリウナス隊長率いるトロル部隊とやり合っているだろう。彼らはゲリラ戦のエキスパートだという話だから、そう簡単にはあの森を抜けられないはずだ。
僕は何度か会ったことのあるトロルのリウナス隊長を思い出す。
最初に会った時、ザンガーという名前だった彼は6メートルの身体を窮屈そうに折り畳んで僕の前に跪いていた。頭の位置が僕よりも高くならないようにと首だけを上げて顔を見せる。
僕はそのために設えられた4メートルほどの高さがある玉座に座って彼を見た。
余分な肉など確実に無いであろう鍛え上げられた緑色の肉体に、ハロウィンのかぼちゃよりも大きなぎょろりとした1つ目。深緑の頭髪はまるで森林をそのまま被ったようである。どうやら彼がトロル族ではかなりのイケメンに属することを知ったのは、行きつけのカフェ・ペルコでサイクロプスのルウカにその話をした時である。彼女は彼に対して同じ単眼種族として並々ならぬ親近感と憧憬の念、そして淡い恋心を抱いていたらしく、大きな(いや、彼よりはだいぶ小さいのだか)瞳を潤ませ、薄紫色の頬をほんのりとドドメ色に染めていた。可憐な少女なのである。どうやら、彼のファンクラブなるものまで発足されているらしい。それに加入しているかどうかまでは聞かなかったが。
「ですから、100日ほどこちらに来ていただきまして、ヘクラカトラの各地を視察しながら力の増幅を行っていただきます」
「……ということ」
「成る程」
イオーネ、いや、ライオネルは『視察』そのものに反対したわけではなかったのだ。
魔王の力を急速に増幅させるには、ヘクラカトラに点在しているラグーンに浸かる必要がある。いつもは王宮内にある小さなラグーンに浸かるのみだったのだが、各町村から寄せられる最近の被害状況や勇者の進行状況から、そんな悠長なこともしていられないと、ライオネルも思っていたらしい。しかし、僕がまだまだ魔王になりきれておらず、『視察』だなんてもっともらしいことを口にしたものの、あっさりと承諾してしまっては物見遊山に終わるだろうということを懸念していたようだ。
さすが有能な秘書、わかってらっしゃる。
「てなわけで、母さんをどうにか説得して、向こうでの100日分、つまりこっちでの約2週間ほどをどうにか都合付けられないかなって。明日から夏休みだろ? 学校の方はこれでクリアなんだけどさぁ」
僕はそういって居住まいを正し、大きく伸びをした。「いまのプレゼンで、僕の母さんが納得すると思う? 龍一の母さんだったら、どう?」
「ウチ? ダメダメ、参考にならねぇって。現に俺、3週間くらい異世界行ってたんだから」
「あぁ、そっか。そうだったね、メシア様」
「だぁーっ、止めろよ、それ。結構恥ずかしいんだからな! まぁ、ウチみたいにさ、俺にまーったく興味なくて『ハイハイ、いってらっしゃーい』って言う親だったら楽勝なんだろうけどな」
「そっちの方が有難いよ、いまは」
「そうかぁ? 3週間ぶりに会った息子が『ただいま』つっても、『あら、お帰り』って、こっちを見向きもしねぇんだぞ」
救国のメシア様も家に戻ればただの男子高生なのである。可愛かった頃はとっくに過ぎ、いまは身体の至る所に毛が生えて、汗臭い学ランを纏い、汚れたジャージを持ち帰ってくる、ただの息子だ。
僕らは目を合わせ、現実にため息をつく。何が救世主だ魔王だ。僕らはこの世界じゃ親の判子無しでは古本すら買い取ってもらえないお子様なのだ。




