告白労働組合
「平林!」
授業が終わったばかりの教室で、思いのほか響く俺の声。
クラスのみんなも何事かと視線を向けてくる。その中で一人だけ、はっきりと不快そうに振り向くやつがいる。
俺に名を呼ばれた平林ユカ本人だった。
「なに……」
不機嫌さを隠さない声音。
クラスのみんなも突然の出来事に驚いている。ニヤニヤと笑うやつもいる。
俺と平林がそういう関係だと知っているから。
俺が何かを押っ始めることを期待していたのだろう。
すぅ~~~、はぁ~~~。
深呼吸をして息を整えた。それから俺は心の中で決意する。
見ていろ。驚いているやつも、笑っているやつも、お前らの想像を上回ることをやってやる。そんでもって、みんなの度胆をぬいてやろうじゃないか。
そして俺は大声で宣言する。
「一週間後の放課後、俺はお前に告白するぞっ‼」
静まり返る教室。それからしばらくして、
「「「「な、なにーーーィ!!!」」」」
みんなの叫声が教室のみならず、学校中に響き渡る。
教室はずっとどよめいていた。突然の告白、いや告白宣言か。俺が彼女にそれをすることが、どれだけイレギュラーな事態なのか―――それを実に明快に物語っている。当の平林自身も、状況理解が追いついていないのか、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
それを見て、俺は一人ほくそ笑む。今までのことは、今日この瞬間のためにあったのだ。
さて、ことの発端を知るためには、少し時間をさかのぼる必要がある。
俺が何をしてきたのか。何と戦ってきたのか。二項対立上等!な交渉の日々を語る必要がある。
そのためには今朝の出来事から見てもらうのがいいだろう。
これは俺の戦い。俺の野望が果たされるまでの、ほんの軌跡の物語である。
★
「だぇあーへんだ! でぅえーへんだ!」
「うるさいクズ! 黙れ!」
「ひでえーッス!」
眠気の残る朝一番に叫ばれては、これくらい言われて当然だ。
やってきたのはアーノルド光本。テンパると滑舌が乱れるのはハーフだから云々(うんぬん)という設定は至極どうでもいい。ともかくこいつが来たということは、なにかよくないことがあったということだ。
「で、どうした?」
「そうッス! 女子労働組合の連中が、今月分の供給率を見直したいと直前になって言ってきたッス!」
「あのアマ……!」
俺の頭の中に、一人の女子生徒の顔が浮かび上がる。
「すぐに議場に向かう。支度しろ光本!」
「はいッス!」
そうして俺と光本の二人は執務室を後にした。
さて、俺が会場につくまで、少し説明をした方がいいだろう。俺たち、彼女たちのことを。そして、この国の話を。
俺たちが住む日本。そこでは少子高齢化問題が深刻な事態となっていた。
国としてはなんとかして人口を増やしたい。そのためには依然として低い傾向にある合計特殊出生率(total fertility rate、TFR)を改善せねばならない。しかし現状は人口と共に一般世帯総数が減少する一方で、単独世帯数は増加し続けていた。
つまり人口は減っているのに、結婚もせず子供も儲けない独り身の人が増えているということだ。
政府も相当頭を悩ませただろう。けれど抜本的な対策は一向に打てずにいた。
そんなとき、ひとつのこんな提案が出たらしい。
結婚する人が減っているのなら、今いるカップルを結婚させればよくね?―――と。
大雑把に言えばこのような発想の下、政府は対策に乗り出した。
具体的には学校という教育現場がその対象となった。
晩婚化が進む中、若いうちからカップルをもっともっと増やそう―――教育基本法が改正され、男女それぞれが在学中にパートナーを持つことが推奨された。
そのための法整備として、カップルには《デートで発生する諸費用を国が負担する》《カップルの男女それぞれに税制上の優遇措置が適用される》といった施策が取られることとなった。結婚に次ぐ、結婚顔負けの、次世代疑似婚姻制度の始まりである。
もちろん優遇措置だけではない。たとえば《カップルを解消する際には、役所に必要書類を届け出てその承認を受けなければならない》《カップルとなって一定の年数が経過した場合、両者は必ず結婚手続きを踏まねばならない》といった義務も生じる。
法案としての審議段階では、人権の侵害だとか自己決定権を脅かすなど反発が根強かった。しかし人口の減少が、日本において目下一番の課題という認識は共有されており、最終的に可決される運びとなった。
と、ここまでが国家単位での話だ。ここからは俺たち学校単位での話となる。
見てきたように国は色々と法律を作ったが、その中の一つにこんなものがあった。
それは《カップル成立に尽力し、男女を斡旋した法人に対しては、その活動実績に応じて助成金を交付するものとする》というものだ。
つまりどういうことかといえば、「君たちはカップル作りに協力してくれたからお金あげるね。これからもどうぞよろしくね」という制度である。
ここで一度考えてみて欲しい。
学校というのはもちろん教育を受ける場であることは言うまでもない。しかしそこに通う生徒たちが日々何について考えているかというと、答えは『勉強……、ではなく“性”について』である。
ある調査によると、学校は教育を受ける場であると認識している生徒が大半である一方で、生徒たちは常日頃から「あー彼女欲しい。セッ〇スしてえ」とか「彼氏とこの前初体験しちゃった♡」とかそういうエロいことばかりを考えているということが判明したのである。統計などはないが信用に足る情報である。
学校とはそうした「教育」と「性」の二面性が浮かび上がる場所といえるだろう。これでは生徒なのか、“性”徒なのかよくわからない。
話が少しそれたが、要は普段からエロイことばかりを考えているセイ徒たちにとって、カップル作りを促す法律は、一種の大義名分を与えてしまったわけである。それからどうなったか。
一言で言えば、労働組合が発足した。
企業相手にではない。パートナーの性別に対して、つまり男子労働組合と女子労働組合がそれぞれ設立されたのである。
仕組みとしてはこんな感じだ。
まず男女ともに彼氏や彼女は欲しい。エロイからである。そこで組合は組合員のメンバーの中から彼氏・彼女が欲しいという人間を選抜する。そして互いの組合から選ばれた男女で会合を行い、カップル成立を模索する。無事カップルが誕生すれば、それぞれの男女を輩出した組合には助成金が入るという具合だ。
このように説明すると、組合が金儲けをするだけで、個人に利益はないように思える。
では個人が組合に入るメリットは何か。前述の通り、一度カップルとなれば優遇措置と共に多くの制約を課されることとなる。従って告白する相手は慎重に選ぶ必要がある。
そこで労働組合の出番だ。
組合にはカップル候補のプロフィール・人格・来歴などの情報が表ルート・裏ルートを問わず中枢に集められる(特に我が校の女子労働組合は口コミによる情報収集能力がずば抜けて優れている)。これはかなり役立つものであり、もし組合に入らなければこうしたサポートをほとんど受けられずにカップル候補を探さねばならない。そのため生徒たちは必ず組合に所属する。エライからである。
このような組合発足の動きは、法律の制定と共に全国の学校へと広がった。
部活や同好会などに入らない生徒も、組合には必ず加入する。なぜなら彼ら・彼女らの目的はカップル候補を探すことであり、その至上命題を果たすには組合に所属するしかないからだ。
この組合制度ができてからは、部活などに所属する生徒の割合が減ったという話を聞いたことがある。それもそのはず。中高生にとっての部活など、所詮はカップル候補を探すための代替手段に他ならないということなのだ。
そしてだいぶ遅れてしまったが、自己紹介をさせてもらおう。
俺、海堂シンこそ、この旺州学校における男子労働組合の代表なのである。
「ちーッスっす!」
「あ、海堂くん! それにアーノルドくんも」
「おお。戻っていたか、湯山」
俺と光本が会議室の前にやってくると、湯山ロンと鉢合わせした。ということは、他の組員も全員揃っているのだろう。
「さて、どうだった?」
「うん、海堂くんの言った通りだったよ!」
ニコっと純粋極まりない笑顔の花を咲かせる湯山。……相変わらずの美少女っぷり。知らなければそのまま抱きしめたくなる。いや本当に男にしておくのがもったいない美貌である。
「そんな、抱きしめるなんて……」
え、嘘? 今声に出てた? 今声に出てた? どうしよう、どうしよう……、
うん、結婚しよ。
「ぼく、困っちゃうよ~」
しかし今度は声に出ていなかったようで、湯山は相変わらず妄想にとらわれたままくねくねと身をよじっていた。
そんな湯山を目覚めさせ、三人で室内へと向かう。
「「「代表、お疲れ様です!」」」
「おお。苦しゅうないぞ」
手前の長机に座る男子組員たちが一斉に挨拶してきた。対して反対側の机はというと、
「……十分遅刻。話し合う気、あるわけ?」
中央に座るのが女子労働組合の代表である平林ユカ。彼女が凍てつかんばかりの冷たい視線を向けていて、他の男子組員たちはひどく萎縮している様子だった。
他の女子組員も睨んできたりとしていたが、平林のそれに比べれば遠く及ばない。
「あるよ。あるから来たんだろ?」
俺が目配せすると、司会役の生徒が慌てて手元の紙に目を落とす。
「ではこれより、両労働組合による定例会議を執り行います!」
そして、交渉が始まった。
「じゃあ、さっさと議題を提出してもらえる?」
「そっちが提案してきたんだろ? なら出すのはそっちだ」
「あ?」
俺と平林が早速火花を散らすと、慌てたように光本が立ちあがった。
「きょ、今日の議題は女子労働組合の供給率の見直しについてッス! どうして今月から急に輩出数を減らすなんてことになるッスか!?」
少し解説をしよう。光本の言う「輩出数」とは労働組合がカップル候補として送り出す人員数のことである。また「供給率」は組合の総人員数に対する輩出数の割合のことを指す言葉である。この供給率は毎月ごとに話し合われて決めるのだが、それはあくまで形式的なものであり、基本的にこの数字が大きく変わることは今までなかった。
「ああ、それなら議題でも何でもないよ。ただウチの方から希望者が減ってしまってね。だから輩出数も落ち込んだ。それだけの話」
「そんな! こっちの希望者の数は減っていないのに!」
「こっちはただでさえ選考で何人もふるいにかけてるんだ! そっちだってもっと希望者を募ってくださいよ!」
男子組員たちからは悲痛な声が上がるが、平林の一睨みに引っ込んでしまう。
「……希望者がいない、ね」
男子組員たちが切実そうに俺を見つめてくる。いやまあ確かに平林と対等にやれるのは俺くらいなものだが。……もっと頑張ってくれよ、情けない。
「お前らが供給率下げるのは勝手だが、それならこちらだって輩出数を押さえなきゃならん。そしたらカップル数も減ってもらえる助成金も減る。それでもいいのか?」
組合には継続的に安定した額の助成金を得るため、成立させるカップル数のノルマが存在する。もし元本となる輩出人数が減れば、カップル成立数もそれに応じて減少する。するとどちらも手に入る助成金の額が減り、活動資金も限られてくるのだ。
「なぜかこちらばかりが非難されてるみたいで、気に食わないんだけど。こっちにも文句があるからこの際言ってもいい?」
平林の言葉に俺をはじめ、男子一行は首を傾げた。特に向こうが気に障るようなことをした覚えはないからだ。
「じゃあ言わせてもらうけど、おたくが出してくる男子、☆3以下に偏りすぎてるんじゃない?」
またまた解説しよう。これは各労働組合が独自にそして非公式に行っていることだが、組合はカップル候補者をその容姿・性格・成績などに応じてランク付けしている。☆1がもっとも低く、☆5は最上級。たとえば、☆5ならイケメン・優しい・成績優秀・スポーツ万能、☆3ならフツメン・成績は中の下、☆1ならキモイといった具合である。
「……確かにこっちで出す男子みんながイケメンだとは言わないよ。けど俺はどんなやつにだって、チャンスは平等にあってしかるべきだと思う。だからこそ、☆1~5までバランスよい配分になるよう、毎回調整している。このことは俺、海堂シンの名にかけて誓うが嘘じゃない」
「「「だ、代表……!」」」
男子組員たちが尊敬の念が込もった目で見つめてくる。やめろよ、照れるぜ。
「いや、どう見ても☆2レベル以下しかいない」
男子組員たちが死んだ魚みたいな目で見つめてくる。やめろ、そんな目で見るな!
「は、ハァ!? あれで☆2以下とか、誰だそんなふざけたことぬかすやつは!」
すると平林は両脇を指差した。女子組員たちはためらいながらも次々と口にする。
「だ、だってみんなキモイし……」
「うん、あれと付き合うとか~マジありえない!」
「……さすがに洗面器みたいな顔面の方とはちょっと、」
「「「ぐわああああああああああああ!!!」」」
発狂する男子組員たち。というか、ひどい言われようである。
「あの~前回だったら吉永くんがいたと思うんだけど。彼は長身だし格好いい方じゃないのかな?」
湯山がそっとフォローを入れてくれる。ナイスだぞ湯山!と心の中でサムズアップ。
「……あー彼ね。あの人はダメです。ずっと携帯いじってて喋らないし、たまに喋っても電車の話しかしない。付き合う以前に、会話が成立しません。問題外です」
吉永、お前を☆4に回した俺を許してくれ! あとお前降格だゾ!
俺も思わず頭を抱えてしまう。要はお互いの需要と供給がかみ合っていないということだ。だが、このままというわけにもいかない。
「わかった。そっちがいうようにランク付けとその配分については見直させてもらう。だから供給率を下げるな。もし落とすというのなら、こっちは男子全員が登校拒否してやる。ストライキだ!」
「だ、代表! いくらなんでもそれは……」
「無理ですよ! せめて組合に持ち帰ってから相談しないと、」
「……お前らこのままでいいのか? 要はなめられてるんだよ、俺たちは。俺は自分のことならいくら馬鹿にされても文句は言わねえ。けどな、他の男子全員コケにされてなにもしないなら、なんのための労働組合だ? 気に食わないことがあったら交渉する。そうだろ?」
「「「代表、カッコいい!」」」
「さあ、どうする? 男が一人もいなくなってもいいのか? ええ?」
俺は一転攻勢を狙うが、
「私は構わないけど」
「「「えええええええええええええええ!!!」」」
「うん、そうかそうか。やっぱ男がいないと…………えっ、マジで?」
「マジで」
「………………っ!」
「ちょっと、代表!? 机の上で力尽きて泣き崩れないでくださいッス!」
えーだって無理じゃん? 勝てないじゃん? 交渉決裂じゃーん!
「ホントに良いんですか? 男いなくなりますよ?」
「そうだ! 共学なのに女子高になるんだぞ!」
対して女子はというと、
「そっか。女子だけっていうのも悪くないわね!」
「あーあたし中学は女子校だったから懐かしいわ~」
「……っていうか、男なんて別に大多数いなくても問題ないんですよね。一握りのイケメンさえいれば」
「ぐぎゃああああああああああ!!!」「やめろその発言は俺に効くううううう!!!」「言ってはならないことをおおおおおおおお!!!」
男子組員たちが撃沈する。というか、何気に最後のやつが一番ひどいな。
「ぐっ……、平林、お前もこいつらと同意見か?」
俺はなんとか立ち直りつつ問いかけた。
「……私はそもそも学内だけでカップル成立にこだわることが疑問だった。なら他の学校と交渉をしても、なんらおかしくはないでしょ?」
「なに? まさか……」
「そう! 組兒山学校の男子労働組合と!」
「げっ! 組兒山といったらうちより上位のエリート校じゃないッスか!」
「やっぱ~これからは男探しもグローバルな時代っしょ~」
「グローバルって言っても隣の市じゃないか……」
なるほど、そういうことか。つまり平林ら女子組合はうちへの輩出数の一部を、組兒山の方へと回したということなのだろう。他校とはいえ、女子側も新しい出会いを期待できるわけで、メリットもそれなりに大きいはずだ。
「……考え直しては、もらえないか?」
「言ったはずだ。これは議題ですらないと。もはや決定事項であり、交渉の余地はない」
俺の懇願さえ、平林は冷酷にも切り捨てた。
「「「だ、代表……!」」」
男子組員たちのすがるような眼差し。だが今度はその期待に応えられない。
「くっ、ここまでか……!」
このまま俺たちの負け。そう思われたが、
「……あ、ちょっとすみません」
突然女子組員の一人が着信を受けて、通話を始める。というか会議中なのだから携帯の電源くらい切っとけよ、と心の中で負け惜しみ交じりに毒づいた。
「………はい、はい。……え、そんな急に困ります! ちょっと……!」
しかし電話は思いのほか早く終わった。当の女子組員は肩を落としてうなだれている様子だった。
「その、組兒山の男子組合からです。以前結んだ協定は締結できなくなったと……」
「えええええええええええええ!!!」「そんな、なんでっ!?」
唐突な協定破棄に、動揺する女子組員たち。
「……海堂、貴様の差し金か?」
そんな中、平林が俺を睨み付ける。
こうなったということはつまり、間に合ったということなのだろう。
「ふふふふふふふふふふふっ、ハハハハハハハハハハハハァ!!!」
俺のいきなりの高笑いに、女子・男子の両陣営ともに呆気にとられていた。
「そうだ! お前たちが他校の組合と協定を結ぶことなど、最初から予測できたことだ。なら、こちらがなんの対策も打たないはずはあるまいっ!」
「まさか、あんたが組合に働きかけて協定を破棄させたってわけ!?」
「そう! 全ては俺の策略だ」
「で、でも、それならこっちはまた別の組合と協定を結ぶだけです!」
「俺がそんな甘い考えを許すと思うか?」
女子組員たちはすがるように平林を見つめる。しかし平林も俺の術中にはまったことを理解したのか、顔を歪めるだけだった。
「そうだ! もはやこの旺州市だけではない。隣接する市やさらにより広範な地域で、我が校の組合に賛同し共に歩むこと決意した団体が続々と現れているのだ!」
今度は女子側が追いつめられる。そう、向こうはこちらを出し抜いたつもりでも、実際のところ包囲網を敷かれていたのはそちらの方なのだ。
「別にまだ俺の息がかかっていない組合と交渉してもいいんだぞ? だがその場合は新幹線や飛行機を乗り継ぐことになる。遠距離カップルを成立させたとして、その交通費やコストに見合うだけの額かもらえるどうかは俺も知らないがな」
「「「代表、さすがです!!!」」」
男子組員たちも息を吹き返した。形勢逆転である。
「……でも、あんた一体どんなせこい手を使ったの? そんなにたくさんの組合が協力するなんて話、今まで聞いたこともないわ!」
「ふっ! 知りたいか? ならば教えてやろう、我が策を!」
俺は嬉しさのあまり立ち上がると、その種明かしをしてみせる。
「といっても、別に特別なことも卑怯な手も使っていないぞ。俺はただ自分の個性を打ち明けた上で、みなに結束を呼びかけただけだからな」
「個性?」
「知りたいか?」
もったいぶる俺に女性陣はなにも応えない。唯一湯山だけが小声で「知りたーい」と言ってくれたので、俺は仕方ないなーと思いながらも答えた。
「俺の個性、つまり、俺が童貞だということだ」
…………あれ? なぜか急に静かになってしまった。どうして、ホワイ? みんな知りたそうだったじゃーん。
しばらくして、平林は頭を抱えながらその沈黙を破った。
「……はァ。どうして今ここで、その情報をカミングアウトする必要がある?」
「いやいや、むしろこれこそが重要なのだよ」
呆れる平林に俺は反論する。
「いいか? 童貞っていうのは単なる状態を指す言葉じゃない。男子にしてみれば、童貞であり続けることは一種のトラウマとなりうるほど、忌避すべき対象だ。いわばババ抜きのジョーカーみたいなもんで、早いところ捨て去りたくて仕方がない代物なんだよ」
男子組員たちはうんうんと頷いている。一方女子組員たちは……、汚物を見るみたいな目で見つめてくる。いやいや、こっちだって真面目な話さ。
「俺がやったのは童貞に対するネガティヴな心証の払拭だ。イメージの転換といってもいい。童貞であることは別におかしなことでもなければ、なんら不自然なものでもないということを説いたのさ。現に俺がその事例だと喧伝してな。そしてこうも続けた。俺はあらゆる童貞の味方であると。童貞の、童貞による、童貞のための政治を、新組織において実行すると約束したんだ」
「ちなみに代表がこの前出張して話した演説の音源が、ここにあるッス! 聞いてみるッスか?」
光本が手元のレコーダーを再生させる。
『諸君、私には夢がある。それはいつの日か私の組合の童貞たちが、容姿の良し悪しによってではなく、人格そのものによって評価され、女子と手をつなぐことができる日々を―――』
「もういい! 充分だ」
「え、もういいッスか? ここからがいいところなんッスけど……」
「話を続けろ、海堂」
「そうか。ではお言葉に甘えて」
俺はごほんと咳払いすると話を続ける。
「俺の方針に多くの童貞たちが共感を示してくれた。その証拠は賛同してくれた組合の数の多さにも表れている。ゆえに、俺は立ち上げた! 28にも及ぶ組合を統合し、旺州を中心にひとつの巨大な労働組合を設立した。
そう! それこそが、男子労働組合旺州連合(danshi union、DU)、通称『童貞連合』だ!
ふふふひゃはあははははははっ! ハハハハハハハハハハハハァハ!!!」
達成感のあまり笑いが止まらなくなる。そんな俺に女性陣はドン引きしているのだろうが、知ったことではない! ここまでこぎつけるのに、それなりの労苦と時間を費やしてきたのだ。今くらいは自分に酔いしれても許されるはずだ。
「そんな、どうして童貞ってだけでそこまでのことが……?」
「童貞ってだけで? あなたたちは大きな勘違いをしてるッス! 童貞であることも重要ッスが、ここでは代表が言うからこそ大きな説得力が生まれるッスよ!」
「そうだ! 代表はな、実は学業優秀で顔もイケメンの部類に入るのに、中身がこんなんでアレだから☆5認定されない人なんだ! だから俺たちの共感を得られるんだ!」
「そう、俺たちは代表に一生ついて行くんだ! 今は代表という肩書があるからこんな横柄な態度だけど、普段は女子と話す時小声になる・目も合わせられないという典型的なコミュ障なんだ! そんなコミュ障の代表だからこそ、信じる気になれるんだ!」
「代表って絶対ヘタレだよな! 好きな人出来ても絶対告白とかできないタイプだよな。どもって何言ってんのかわからない感じだよ、きっと。でもそんな代表だからこそ、俺たちの代表にふさわしいんだ!」
「みんなフォローしてるんだよね!? さっきから貶してるようにしか見えないけれど、フォローしてるつもりなんだよね!?」
「……要は男からは絶大な信頼があるってことだけ、はっきりとわかったわ」
「そういうことッス! ……それから代表、さすがに長いッス!」
「―――ハハハハハハァっ! ……ふう、そうだな。交渉に戻ろう」
俺は現実に帰ると、席について改めて問いかける。みなが何か言っていた気もするが、よく聞こえなかったしまあいいだろう。
「さあ状況が変わったな、平林。改めて聞こうか、俺たちと交渉する気はあるか?」
今度はこちらが優勢。主導権は俺の手の中だ。
「こちらの主張は変わらない。交渉はしない。何度も言わせるな」
「そうか。だが現状は直視した方がいいぞ。他校と協定が結べなくなった今、供給率を落とせばそちらの助成金は減る。それにそっちは元から随分と資金難に苦しんでいるようだしな。それで組合の運営は回るのか?」
「なんのことだ?」「ええええーなんで知ってるんですか―――ぐうえっ!」
つい本音がこぼれた組員に平林がチョップを入れるが、無駄なことだ。これはブラフではなく確かな情報筋から得たものだ。
「ちっ! どこで知った? そのことは集会のときに触れはしたが、密告があったとは思えん」
平林が睨みを利かせると、湯山が慌てたように視線を外した。
「……密偵か」
「そ、そんな……! 確かに女顔だからと言って、」
「女子会って制服着用ですよね? まさかスカート穿いたんですか!」
マジか湯山! そこまで体を張らせてしまうとは……、ぜひ生で拝みたかった。
「ともかく、交渉する気がないなら会議はここまでだ! だが覚えておけ。このままで不利になるのはそちら側だということ、女子労働組合側ということをな」
「代表はやっぱすげえよ! こんなにも簡単にこちらが優勢に立つなんて、」
「ああ、向こうの平林代表の顔見たか? あんなに悔しそうな表情、初めて見たぜ!」
「これも全ては代表のおかげですよ! DU設立も代表がいなければ絶対に成し得なかったでしょうし」
「代表は男子の救世主! いや童貞たちの希望の星ですよ!」
会議が終わり、組員たちと別れてから俺は授業へと向かう。
あいつらは口々に俺のことを褒め称えていた。俺は男子や童貞たちの心強い味方であると。
……本当にそうだろうか?
廊下に一人、取り残された俺は自身に問いかける。
なぜなら、俺はあいつらのために行動したことなど一度たりともない。
いつだって、今だって、俺は自分の中の欲望に、忠実に従い生きてきた。
だが、もし今回その願望を叶えようとするならば……。結果として、俺はあいつらの信頼を裏切ることになる。
……いや、何を迷うことがある。今まで通りじゃないか。それに俺は初めからあいつらのために事を成したわけじゃない。俺が自分のためにしたことを、あいつらが勝手に勘違いしてはやし立ててきただけだ。
それなら、やはり構わないよな……。
教室に着いた俺は、一足早く戻っていたらしい平林の姿を、その視界に収めていた。
「くぅーだめだァ……」
あっという間に三限の授業も終わり、既に四限目へと突入していた。
その間、俺は今からやろうとしていることのシミュレーションを、ずっと頭の中で繰り広げていた。
落ち着け、落ち着け……、ひとまず冷静になるために素数を数えるんだ。2、3、5、7、11―――、
――― 4119113、4119119、4119133、4119149……。あれ、もう授業終わる時間じゃないか! ヤバイ、心の準備が……、
そうこうしているうちに授業が終わってしまった。まずい、今言わなければ一生言えない気がする! ええいとりあえず呼び止めねば……、
「平林!」
声の加減がわからず、思いのほか大声になった気がする。しかし、正直に言って緊張のあまりよくわからなかった。
「なに……」
不機嫌そうな様子の平林。当たり前か、朝の会議ではコテンパンにしたからな。
だがそれも、全てはこの状況への伏線。この瞬間のための布石、だった。
すると不思議なことに緊張も和らいできたようだった。無論、まったく緊張してないというわけではないが、これならいける!と自分を奮い立たせる。やっぱり素数は偉大だね。
息を吸って吐いて整える。いけ! これは厳密には告白ではない。告白宣言だ。幾分か、ハードルは低い! だから、俺でも言える!
「一週間後の放課後、俺はお前に告白するぞっ‼」
「「「「な、なにーーーィ!!!」」」」
言えた、言えたぞ! ついに成し遂げたぞ! もう後戻りはできない。あとは前に進むしかない。
平林は……、動揺?しているようにも見える。いや今の俺がそうだからそう見えているだけかもしれない……。まあいいや。目的は果たしたさ。今日はもう十分だ。俺、頑張ったさ。
外面だけは余裕たっぷりに、俺は教室を後にした。恥ずかしさのあまりそのまま早退したため、うまくできたのかはよくわからないが。
ともかく、ここまでが前置き。ここからが本題だ。
俺の告白の命運を決める交渉が、ついに始まった。
―――告白まで、あと一週間
★
平林に告白宣言なるものをしてから二日後。
俺はついに学校へと行くことにした。
どうして場面が一日余計に跳んだのかって? そんなの恥ずかしさのあまり仮病で休んだからに決まっているだろ言わせんな恥ずかしい!
俺が学校に着くと、
「代表! なにやってたんッスか!? 自分、今まですごく大変だったんッスよ! とにかく執務室まで! 事情を聞かせてくださいッス!」
光本は俺を見つけるやいなや、すぐさま執務室に連行した。
ちなみに執務室というのは、組合の代表である俺個人のために学校に設けられた一室である。どうして一介の学生がそんな部屋を持てるのか―――世の中金さえあれば飛ぶ鳥も落ちるって言うだろ? つまり、そういうことさ。
光本の話によると、俺の行動はすぐさま学校中に広まったらしい。
言っておくが告白だけなら別段珍しくもない。カップルというものの在り方が変わっても、好きなやつができれば告白はするだろうし、組合を介さずにその実行に踏み切るやつもいないわけではない。
ただ、今回は俺と平林の立場上、状況は大きく異なる。
俺は男子労働組合のトップ、平林も女子労働組合のトップ。本来はカップル作りを推進する立場である組織の代表が、よりにもよって自ら告白しようというのだ。混乱が広がっても無理はない。
そして、実はもう一つ重要なポイントがある。それは組合に所属する男女がカップルとなったとき、彼らがどのような処遇を受けるのかという点である。
まず一般的な平組員の場合。前述の通り、生徒たちはカップル候補者を探すというただ一点の目的のために組合に加入する。つまり一度カップルとなりさえすれば、既にそれは用済みとなるわけである。組合側から見ても、動機を失った組員はもはやお払い箱であり、脱退を止める理由はない。
では今度は組合の仕事に積極的に関わる、幹部クラスの場合はどうなるのか。実のところ、幹部クラスにもパートナー持ちの人間はいる。しかしそれはあくまで例外的存在であり、マイノリティーである。それは繰り返しになるが動機が薄い人間が働くメリットが特にないこと、また他の組員たちから見て、パートナー持ちより独り身の人間の方がウケがよいという事情などが背景としてある。
このことから組合の人間同士がカップルとなったとき、ほぼ組合から去るという結果が待ち受けるということは、統計上明白な事実である。
つまり、もし俺と平林がカップルとなった場合、両名ともに代表の座を引退する可能性が濃厚だということである。組織代表の二人が同時に辞職すれば、大混乱は避けられない。ゆえに、この告白の行方は、今後の組合運営にも関わる重要な出来事なのである。
「代表、教えてくださいッス! どうして平林代表に告白したんッスか?」
「人が人に告白する理由など、ひとつしかない。つまり、好きになったからだ」
「そういうことじゃないッス! どうしてあんな告白の仕方をしたのか、その理由を聞いてるんッス!」
「あれは告白ではないだろう。厳密には告白をするっていう予告宣言だ」
「はぐらかさないで欲しいッス!」
「まあ落ち着けよ。そんなに興奮しちゃあ、役立たずが余計に役立たずになるぞ」
「~~~~~~~っ!」
光本は顔を真っ赤にして黙りこくる。しかしやがて落ち着くと、目を閉じ深呼吸をして気持ちを整えているようだった。その証拠に、再び目を開けたときには、いつもの光本に戻っていた。
「……感情的になって申し訳ないッス! まず一つだけはっきりと確認させてほしいッス! ホントに平林代表のことが、好きなんッスか?」
「……ああ。好きだよ」
「……そうッスか」
光本は納得したように目を閉じた。
「ひとまずは現状の報告をするッス! 代表の告白……、もとい告白宣言によって、校内の組員たちに動揺が広がっているッス! 代表がどんな意図で告白をしたのか、説明を求める運動が加速しているッス! それからDUについて。つい先日調印式を済ませたばかりだというのに、DUの最高議長でもある代表の今回の一件。いきなりのスキャンダルで、DUという組織運営にも支障をきたす恐れがあるッス!」
「まずDUについてだが、しばらくは問題ないだろう。俺が育てた童貞官僚(Doteicrat)たちが、その実力を発揮してうまく機能してくれてるしな。問題はむしろ組員たちの動きだ」
「……はいッス」
「組員たちに伝えろ。宣言通り平林への告白は実行する。ただし事情については当日になってから説明するとな」
「そ、そんなっ! それは単なる問題の先送りッス! 組員たちがそんな説明で納得できるわけないッス!」
「納得できるかどうかは問題じゃない。とにかく当日まで説明する気はないと伝えろ。それに、どうせあと5日間しかないんだ。それまでははぐらかし続けろ。いいな?」
「…………っ!」
光本は今まで見たことがないような表情で、唇をかみしめていた。
「代表。自分は代表のことを信じているッス! 今回のこともきっとなにか考えがあってのことだと思うッス! でも、今の代表の姿は、私情のために組織を利用しているようにしか見えないッスよ!」
「……光本、」
光本、お前は知らない。俺が端から利用するつもりで組合の代表にのし上がったということを。最初から使い捨てにするつもりで、DUを立ち上げたということを。
そしてそれは、お前が知らなくてもいいことだということを。
「光本、俺は今まで己の私利私欲のためだけに、組織を利用したことが一度たりともあったか?」
「……いいえ。代表はいつだって男子のために、他のみんなのためだけに行動してきたッス! だからこそ、みんながついてくる気になったんッス!」
「そうだろう? だから、今度も信じてくれないか? 俺がやろうとすることを」
そう、俺は一度だって組織を利用したことはない。最後の最後の、一回を除いて、な。
「……わかったッス。でもせめて会議には出て欲しいッス!」
「もちろんだ。定例会議にはまだ早いが、招集をかけられるか?」
「今朝代表を見つけた時点でかけておいたッス! 今日の昼休みには集まれそうッス!」
「そうか。ではそのときに改めて説明させてもらうよ」
そうして、俺と光本は執務室を後にした。
会議室。組合同士の交渉の場として設けられた部屋。
そこには二日前と同様のメンバーが、変わらずみな勢ぞろいしている。
一つ異なる点があるとすれば、俺への風当たりの強さくらいだろうか。
二日ぶりに見た平林の姿。その凄みは以前よりも増していて、親の仇でも目の当たりにしたかのように、俺への睨みがこれでもかと利いていた。おお、怖い怖い。
「……一昨日は随分とふざけた真似をしてくれたな、海堂。今日はその弁解があると期待していいんだろうな?」
「安心しな。そのことも含め、きっちりと説明してやるよ」
「ではこれより、両労働組合による臨時会議を執り行います!」
そして、交渉が始まった。
「まずは突然の招集に応じてくれたことに対して、みなに感謝の意を示したいと思う。今日はどうもありがとう。その上で今回の議題は先日の俺、海堂シンが平林ユカに行った告白宣言について、みなに申し開きをしたいと思う」
「そうですよ! あれは一体何の真似ですか!?」
「代表に告白するなんて、身の程知らずもいいところよねー」
「いや、あれは告白じゃないだろう。正確には告白宣言であって、」
「いやいや大して変わらんだろう。結局、告白するって言ってんだから」
会議はいきなり紛糾した。いや、こうなることはわかってはいたのだが、
「……それで、あの発言の意図を聞かせてもらおうか?」
「マジ同感っしょー。あれもなんかの策略の一部だったりしてー」
様々な発言を受けて、俺はついに説明をする。
「言葉通りの意味だ。俺、海堂シンは今日から見て五日後、平林ユカに告白をする。この場でもって、改めてそのことを宣言させてもらう」
沈黙。それからしばらくして、
「ふざけんなっ! なんの説明にもなっていないでしょうがっ!!!」
「そうですよ! 結局この前の発言を繰り返してるだけじゃないですか!?」
「代表! 告白って結局どういうことなんですか? 俺たち意味がわからないですよ!」
「なにか事情があるんですか? 俺たちにも説明してください! 代表!」
がなりあう両陣営。それを受けて光本が場を収めに入った。
「まあまあ皆さん、落ち着いて欲しいッス! ……代表、その言い方だと皆さんにはうまく伝わらないと思うッス! 少し言い方を変えた方がいいと思うッスよ!」
「……それもそうか。いや、すまない。俺の釈明の仕方に非があったな。ならば、言い方を変えようか」
俺は緊張に震えながらも、その言葉を口にする。
「俺、海堂シンは平林ユカに対して、明確な好意を持っている。……ライクじゃないぞ、ラヴな方だぞ。その上で、彼女に告白する」
静まり返る室内。そして、
「「「「「「ええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」」」」」」
いつかの叫声を思わせる、驚きのリアクション。これも学校全体に響く勢いである。
「えっ! あの海堂が平林代表を好き!? なんで、どゆこと!?」
「っていうか、この時点でもうこれ告白なんじゃないんですか? ねえ、告白なんじゃないんですか!?」
「いや落ち着け! 告白ではないだろ! 好意があると伝えただけで、告白ではないだろ!?」
「いや、それを告白というんじゃないの!?」
混乱する組員たち。彼らはよそに、俺はそっと平林に目を向ける。
平林はしばし固まっているようだった。だがやがて復活すると、今まで見てきた中でも最上級の恐ろしい形相で俺を睨み付けてきた。
「……海堂。貴様、私をおちょくっているのか……!?」
その冷たい視線のおかげで、幾分か緊張しないで済んだ気がした。俺は改めて告げる。
「いやこれは嘘じゃない。偽らざる本心だ。俺は平林ユカに明確な好意を抱いている。このことは俺、海堂シンの全人生にかけて誓ってもいいが、嘘じゃない」
そこまで言ってみなようやく納得したようだった。俺が平林を好きであるという事実に。
「……マジかよ?」「まさか、本当に……」「信じられん」
そんな声が周囲から漏れる。
「ようやく信じてもらえたようだな。だが本題はここからだぞ。俺は女子組合側に次のことを提案する。すなわち、平林に俺の告白を受け入れさせろ、とな」
「はあ?」
みなが呆気にとれているのがわかる。だが、ここからだ。
「何を言ってるんですか、あなたは? 告白の件なら平林代表とあなたの個人間での話でしょう? どうしてあなたの私的な告白なんかのために、組合がわざわざ動く必要があるんです? そもそもそんな無茶苦茶な要求が仮に通るとして、なんのメリットもなしに組合が動くわけないでしょう?」
「それはどうかな?」
「?」
俺はついにその計画の全貌を明かすことにした。
「いいか? これは俺の個人的なお願いではなく組合としての交渉だ。ゆえにそちら側にも明確なメリットを用意した。と、その前に確認したいことがある。光本、組合内での俺個人のランク付けはどうなっている?」
「はいッス! 代表は容姿や成績に関しては最高レベルなんッスけど、性格に問題アリとして、相殺され☆3評価となっているッス!」
「ふむ。では女子組合からの俺の評価について、情報開示を求める。構わないか?」
「……そちらと似たような理由から☆2だ。だが一昨日から☆1に降格とした」
おいおい、それはどんな私的な理由からだ? まあいいか、大した問題じゃない。
「ではもう一つだけ聞こう。平林ユカの組合内でのランク付けについてだ。ちなみにこちらでは最高の☆5評価だ」
「決まっているでしょう! 代表は才色兼備・文武両道・純情可憐にして、文句なしの☆5評価ですよ!」
おいおい、最後のはちょっと違うんじゃないか? 私的評価混じってるんじゃないのそれ、と思ったが、
面倒なのでここではあえて指摘しなかった。
「……まあいい。ともかく互いの組合内での俺と平林の評価については、おおよその一致を見たわけだ。では最後にもう一つだけ尋ねよう。光本、俺の学外からの評価については、どのように判定される?」
「―――っ! 海堂、貴様っ……!」
気付いたか、平林。だがもう遅い。すでにチェックメイトだ。
「代表の学外からの評価、つまり国からの評価としては、眉目秀麗・成績優秀・運動神経抜群、さらには男子労働組合代表、DUの最高議長を務めるなど、目覚ましい経歴が書類上は記載されることとなるッス! そこには性格などの主観的評価については度外視されるので、文句なしの☆5評価となることが見込まれるッス!」
「そう! そして平林も同様に☆5評価を問題なく受けるだろう。つまり、もし俺たちが結ばれるとなれば、史上最高評価のカップルが誕生するというわけだ」
「あ!」「それって、まさか!」「ってことは……」
ここまできてみなもようやく気付いたようだった。
そう、助成金には二つの種類がある。一つは今まで説明してきた成立カップル数とその輩出数に応じた助成金。そしてもう一つが、
「優良カップル成立に貢献した際にもらえる助成金。より優秀な遺伝子を残すことを目的に作られた、優生学的見地に基づいて設立された制度。もっとも、今でも批判が絶えないそうだが、そんなことはどうでもいい! 確かなことは、通常の助成金をはるかに上回る金額が支給されるということ。そしてそれは、女子組合の資金難を容易く解消するだけの額だということだ!」
「「「!!!」」」
女子組員たちの顔つきが変わる。しかしその誘惑を断ち切るように反論してくる。
「でも、それって要は代表を金で売れ!ってことじゃないですか! そんな要求呑めません! それに、あわよくば平林さんを代表の座から引きずり落とすことが真の狙いじゃないんですか?」
思った通り反発はあった。だがそれは予想の範疇を超えるものでもなかった。
「おいおい。俺は平林に代表を止めろ、なんて一言も言ってないぜ。そもそも前例がないだけで、パートナー持ちが代表を務めることは制度上なんの不都合もない。むしろ、平林をそこまで買ってるなら、それこそ何の問題もないはずだぜ。今まで通り代表を続けさえすれば、なにも変わらないわけだしな」
「そ、それは……」
「つーかさ、告白は代表個人の意思で応えるものっしょー? なら組合が出る幕はそもそもないんじゃね? お金もらえるのは確かにありがたいけど、それだけのために―――」
「それだけではないぞ!」
「え?」
俺は立ち上がると、全員を見渡してから手を挙げて宣誓する。
「もし平林が俺の告白を受け入れ、カップルとなった暁には、俺、海堂シンは組合、並びにDUの代表を引退し、今後とも一切の組合活動への介入を放棄することをここに約束する!」
「「「「「「な、なにーーーィ!!!」」」」」」「代表、やめるって、自分らを見捨てるつもりッスか!?」
驚愕する両陣営。特に男子組員たちは、俺に質問を浴びせかけるがここは無視する。
「俺が代表の座を降りれば、そっちが警戒するDUにも壊滅的な打撃となることは確実。そうすれば傾いた組合のパワーバランスも解消される方向に向かうだろう。よく考えろ。平林が告白を受け入れさえすれば、全て丸く収まる。これが俺の提案する交渉の全容だ!」
「……確かに、資金難も解消、DUの台頭も阻止できる。これほど魅力的な提案はないんじゃないかしら?」
「……お、おい! お前ら……」
自陣の風向きの変化に、平林も動揺している様子だった。
「私も代表にはそろそろ素敵な相手を見つけてもらって、落ち着いてもらうのがよいと思っていました。これもいい機会じゃないですか? 代表、全然浮いた話が出ないから、心配していたんですよ」
「つーか、海堂も黙ってればそれなりにイケメンだしねー。案外お似合いなカップルになりそうで、ちょっとウラヤマー」
「………くっ!」
くくくっ。哀れだな、平林。自分が今まで尽くしてきた仲間に、裏切られようというのだから。……対してこちらは、裏切った側だがな。
組員たちや光本は、今にも掴みかかってきそうな勢いだ。ここはさっさと退散するべきか。
「話はここまでだ! 交渉の件、しっかりと議論して見極めるんだな。どちらの答えが最良かを。もっとも、すでに答えは出ているがな。では、俺はここで失礼する!」
「待てやコラァ、海堂!」「説明しろ、クソ代表!」「待ってくださいッス! 代表!」
後ろから迫る声を振り切って、俺は部屋を出てドアを勢いよく閉めた。
「……悪いな、お前ら」
俺は会議室に背を向けると、そのまま廊下を駆け抜けた。
もう後戻りはできない。今まで慕ってくれた男子たちも、みな俺を敵視することになるだろう。だがそれこそが俺の選んだ道。俺が手に入れたいと望んだものの代償だった。
「海堂くんっ!!!」
会議室からは随分と離れたはずだった。しかし、そこには確かに湯山の姿があった。
「湯山……、俺を糾弾しに来たのか?」
無理もない。湯山はずっと俺に力を貸してくれた初期からの仲間。先の会議中にまったく発言がなかったのも、それだけ湯山にとってはショックが大きかったのだろう。
「……違うよ。でも、ちゃんと確かめたかったんだ。平林さんのこと」
「ああ、俺はあいつが好きだ。その平林に告白を受け入れさせるために、組合もDUも利用した。……俺はヘタレだからさ。確実に成功する保証がないと、告白のひとつもできないんだ」
贖罪のつもりなのか、俺はいつも以上に饒舌に、本音が口からこぼれ出ていた。
「みんなには、どう説明するの?」
「説明しようがないだろう? 言えば殺されても仕方がないとわかっているからな。自分の欲望のためだけに、あいつらの好意も利用した。俺は最低なやつさ」
「そんなこと……」
「そんなことあるさ。だからあいつらの元に戻って、説明をする気はない。光本たちにはそう伝えてくれ。じゃあな、ごめん!」
「海堂くん!」
呼び止める湯山の声を振り切って、俺は人生で二度目の早退をすることとなった。
―――告白まで、あと5日
★
『さあ、お昼の放送の時間がやって参りましたァ! 司会進行は私、最近つまようじのくびれに言いしれぬエロティシズムを感じようになりました、DJ加藤がお送りします。早速ですが今日のゲストをご紹介しましょう! どうぞォ!』
『みなさんこんにちは。つまようじより丸型ポストの方がエロいと思いますよ、男子労働組合代表、海堂シンです。本日はどうぞよろしく』
『ありがとうございます! 思わぬ大物ゲストの出演に私、校内放送始まって以来一番の緊張に見舞われておりますよォ!』
『ご謙遜を。賄賂の金額にだって、ケチつけてきたじゃないですか』
『おっと出演料の間違いでしょう? ウチは金と話題さえ提供してくれれば誰だってウェルカムです! その点で言えば、あなたは最高の顧客ですがねェ』
『正直でなによりだ。で、早速だが放送借りるぞ。構わないよな?』
『どうぞどうぞ。それだけのものはしっかりもらってますからね』
『ごほんっ。 えー改めまして海堂シンです。本日は全校生徒のみなさんにお知らせがあって来ました。ご存知の方も多いと思いますが、俺、海堂シンは女子労働組合代表である平林ユカさんに告白することになりました。その実施は二日後、放課後グラウンド上にて行うということをここに表明しておきたい。ギャラリーは歓迎します。是非生徒のみなさんにはこの告白の行く末を見届けていただきたい。またこの告白についての釈明は、繰り返し述べている通り、当日その場で発表させていただきたく思う。以上だ、マイクは返すぞ』
『ありがとうございましたァ! サラッと重大イベントの告知だけして、放送室を立ち去る姿は実に清々しいですねェ。ではDJ加藤の〈熱血サラマンドラお悩み相談教室〉のコーナーへ行く前に、一旦CMでーす!』
放送を終え、俺は廊下を歩いていた。
教室に戻るには抵抗がある。男子たちの視線も気になるし、なによりあんな放送の後では余計に平林と顔を合わせづらい。俺はあの日を境にあらゆるものから逃げ続けていた。
前回の交渉の後、光本ら組員たちは俺を捕えて追及しようと追いかけ回してきた。しかし俺は彼らから逃げ回り、説明も謝罪もせずに「当日に説明する」の一点張りで凌いできた。今では光本らも諦めたのか、無闇に追いかけることはしなくなったのだが。
唯一の幸いは、他の男子たちが俺を断罪しに来なかったということか。もちろん、俺の告白の真意を聞こうとする輩は何人もいた。しかしそこから察するに、光本たちは俺の本心を他の組員たちに口外していないようだった。まあ確かに、俺が組合そのものを利用していたと知れれば、組合もDUそのものも立ち行かなくなる。組織を守るための苦肉の策といったところだろう。おかげで俺は気まずささえ気にしなければ、なんとか平穏な学校生活を過ごすことができていた。もちろん、ただ過ごすだけではない。少しでも告白の成功率を上げるため、先の放送のような工作活動に勤しんでいたのだ。
「じゃ、そういうことでひとつよろしく」
「ええ。あなたもせいぜい告白頑張ることね」
俺は走り去る女子生徒を廊下で見送った。すると、
「ご苦労なことだな」
後ろから突然平林に声をかけられ、俺は驚きのあまり飛びのいた。
「おうっ! どうした、平林! 奇遇だな」
「なにをまあ白々しい。今の女生徒は佐伯だな? 彼女とは以前に組合代表の座を巡って争ったことがある。大方私を代表の座から引きずり落とす見返りに、自分の告白のサポートを頼んだ―――こんなところか?」
……よくもまあおわかりで。まあ、今更隠すほどのことでもないが。
「嫌味でも言いに来たのか? 裏でこそこそ根回ししないで、男らしく真正面から告白しろってか」
「誰がそんなことを言った。むしろ努力もせず運に丸投げするような輩より、最後まで人事を尽くすやつの方がまだ好感が持てるぞ」
あれ、意外と好評価? これは海堂シン、脈ありですか?
「まあ、貴様は当てはまらないがな」
がっくし。これは最後まで人事を尽くさなきゃダメそうだ。
「だがお前は誇るべきだろうさ、平林。女子たちの中で代表の座を狙う輩はいても、平林ユカ個人が嫌いだからといって貶めたいというやつは皆無だった。それは俺みたいに綺麗ごとや詭弁で得た人気ではなく、地道に女子たちの恋愛相談に応じてきたお前の人徳のなせる結果だろうよ」
「……どうしてそんなことまで知ってる?」
平林は呆れたように言った。
「告白しようとしてる相手のことだぞ? なら色々と知りたくもなるさ」
言ってみてから、自分でも少し恥ずかしくなってしまう。
「……いつからだ? いつから私のことを、その、好きになったのは?」
そのせいだろうか? 心なしか、平林も少し緊張しているように見えた。いや、俺の思い過ごしだろうか。
「初めて見たときから」
「え、一目惚れ?」
「べ、別に良いだろう! 好きになっちゃったんだから!」
…………。なにか、変な空気になった。
「……その、あれだ。一年の時、お前が組合の仕事をしているところを見て、なんかいいなって思ったんだ」
沈黙に耐えられず、俺はなぜか当時のことを語りだしていた。
「それまで組合運営に関わる奴は権力や成績目当てか、お相手探しが目的かの、二種類しかいないと思っていたからな。事実早々にパートナーを見つけて、引退する先輩だって何人もいた。そんな中で、そのどちらにも当てはまらないお前が、珍しいって思いながら見ていたんだよ。そしたら、いつの間にか俺も組合の仕事をやるようになって、」
「ちょっと待て! 貴様が組合に入ったのは私がきっかけということか? ……はあ、だとしたら罪な女だな、私は。これほど面倒な男を生み出し、相手にする羽目になったのだからな」
「ははっ、違いない!」
平林は俺の横を通り過ぎる。そのまま立ち去るのかと思いきや、振り返ってこう宣言してきた。
「だが、私も早々に告白を受けて引退というわけにもいかない。男子の組合連合――DUとか言ったか――あれが勢力を増す中で私が引退すれば、混乱によって女子組合の影響力が相対的に弱まるのは必定。ただでさえ不安定な均衡が、完全に崩壊するだろう。だから、私が告白を受けるわけにはいかない」
「さすがにそこまでは考えてないって。俺のシナリオはあくまでお前への告白の達成まで、その先のことなんて、知ったこっちゃねえよ」
「ふん、どうだか」
今度こそ立ち去る平林の後ろ姿を見送りつつ、俺は廊下に立ち尽くしていた。
突然の出来事に驚きはしたが、どこかほっとしている自分がいる。
それは久しぶりに話した彼女が、俺の知っているいつもの平林ユカその人であったからだろう。
告白宣言までしたのに、いつも通りの態度というのも少し複雑ではあるが、今はそんな彼女と話せたことの喜びが勝っていた。
「ああ、確かにお前は俺が好きな平林だよ」
だからこそ、この告白は成功させなければならい。
でなければ、俺が迷惑をかけた者たち全員に申し訳が立たない。
許してもらいたいとは思わない。しかし、せめてこの告白を成功させて、その上であいつらに好きなだけ殴られたいと思う。
「うしっ! やってやるよ!」
俺は来る日に向けて、新たに決意を固めた。
―――告白まで、あと2日
★
そして、ついにその日はやってきた。
俺が平林に告白をする日が。
当日の学校はどこか異様な雰囲気に包まれていた。
いや学校そのものはいつも通りなのだろう。ただ俺と平林が在籍する教室では、妙な緊張感が張り詰めていた。みないつも通りを装っているようで、俺と平林にそれとなく視線を向けている。たかが男女の恋愛ごととはいえ、それぞれの労働組合の代表という肩書の前では、一種の決戦のように捉えられている節もあるかもしれない。……もっとも、大半はゴシップ的関心がほとんどだろうが。
チャイムが鳴ると同時に教師が教卓の前に立つ。この空気があと何時間も続くと考えると、気が滅入りそうになってしまうが仕方ない。告白のシミュレーションと素数を数える行為を、繰り返しやって凌ぐしかない。
そうして今までの学校生活の中で、もっとも長い一日が始まったのだった。
そして放課後。
「よく来たな、平林」
「そちらこそ、よく怖気づいて逃げなかったものだな」
待ち構える俺のもとに、平林が満を持して登場する。
グラウンドの中央には俺と平林の二人が、その周辺には全校生徒のギャラリーが集っていた。
ギャラリーは退路を断つ檻であり、告白を見届ける証人でもある。どんな結果になろうとも、ここで起こった出来事をなかったことにはできない。
「全校生徒の諸君! よく集まってくれたな! 宣言通り俺は今から平林に告白をする! その行く末、しかとその目で見届けてくれ!」
ギャラリーは大いに沸いた。見世物である以上、それは至高のエンターテイメントであるべきだ。これでもう逃げられないぞ……、俺!
「行くぞ平林! これが最後だ!」
そして、交渉が始まった。
「平林! 俺は―――」
「貴様がその続きを口にする前に、一つ指摘しておくべきことがある!」
出鼻をくじかれ、目を丸くする俺をよそに、平林が全校生徒に向けて宣言する。
「私は告白法第4条に基づき、この告白の成立そのものを疑問視する!」
告白法第4条―――組合主導による告白行為が、特定の利益誘導に利用されることを防ぐために定められた条文。元々は組合が過度な利益を上げるために、無理やり不必要な告白までも斡旋することを禁止した法律だ。
「そこの男、海堂シンは男子労働組合とDUの代表の地位を利用して、私に告白の受諾を迫ってきた。この当該行為は告白法第4条が禁じる自身への利益誘導に他ならない。よって、この告白は違法であり無効だ!」
まさか告白が違法とまで言われるとは……。だがしかし、そんな有名無実と化した規則を持ち出すとは、随分と回りくどい手を使ってきたものである。もちろん、俺もこんなところで立ち止まるわけにはいかないが。
「ただいま俺の一連の行動が告白法第4条に違反するとの指摘を受けたが、その批判は全く当たらない! ここでいう利益誘導とは、助成金の支給対象となる組合をはじめとした法人を想定としたものであり、俺個人はそこに含まれない。そもそも告白法第四条はあくまで倫理規定であり、そこに明確な罰則はない」
もっとも現状を見ればいずれは罰則規定が付きそうものだが……。今のところ法律上は問題ないのである。
そして、そこから俺と平林の激しい論戦が繰り広げられた。
「告白法が定める告白事業者である以上、個人であっても利益誘導の対象となりうるのではないか?」
「組合は告白法2条で定められた告白委託事業者にあたり、第3条によりその告白は何人からも干渉されず、また規律されることはない。そもそも告白法第1条には告白という形の表現の自由の確保が明記されている」
「しかし表現の自由は公序良俗に反する行為を免罪するものではない」
「さらっと人の告白を公序良俗に反する行為に含めるなっ! そもそも告白権は幸福追求権の一つして認められており、憲法によって保障されている」
「ならばそちらの組合の不正な資金の流れについて。貴様の飼ってる官僚たちが予算の一部を着服した疑いがある。これは組合資金規正法違反だ」
「無用なレッテル張りはやめろ! 今は告白が成立するかどうかの審議中であるはずだ。その話は関係ないだろ!」
「貴様が代表を務める組織の話だ。関係ないことはないだろう」
「それを言うならお前らだって不透明な会計処理の痕跡が残っているぞ。どうやったら喫茶代にあれだけつぎ込めるんだ! 驚きのあまり地球何周分もできる勢いだぞ!」
「貴様もほかの組合から不適切な金銭受け取りの疑いがかかっているが?」
「それは全部秘書(光本)が悪い」
かくして、俺と平林の激しいバトルは小一時間ほど続いた。
「なあ、もうやめないか。この不毛な議論」
俺と平林は息も絶え絶えになりながら、立ち尽くしていた。ずっと休みなく議論をしていたため、そろそろお互いに限界が近かった。
とはいっても、平林の狙いはわかっている。こうして時間稼ぎをすることで、この場をうやむやにしようとしているのだ。だがそうはいかない。
「わかったわかった。告白手続きの是非については、後日告白審査会を立ち上げて厳正な調査を行うとしよう。資金の流れについても同様だ。処罰はそれぞれの組合の中で決議を取ればいい。それより―――」
俺はすっかり飽きてしまったギャラリーに向かって呼びかける。
「平林、お前が俺に訴訟を起こすのは勝手だが、みんなが見たいのは裁判ではなくこの告白の行方のはずだぜ。そうだろ、みんな!」
沸き上がる歓声。少し人数が減ってしまった気がするが、まだまだ充分な数の生徒が残っている。
そもそもこの告白が本当に無効になるのなら、平林は組合の中で決議を取り、告白の差し止めをすればいい。だがそれをしなかったということは、可決に必要な人数を確保できなかったということだ。
俺がふと横目で見やると、佐伯と目が合った。どうやら妨害工作もうまくいったらしい。
「おとなしく俺に告白されろ、平林」
そもそも、平林には告白を断る最初にして最大の手がある。
簡単なことだ。俺のことが嫌いだから、俺のことが好きではないからと告白を拒否すればいい。だがあまりに容易なその手段を、平林は使えない。
平林はいつだって、自分のことよりも他の女子たちのために動いて来た。もしここで平林が自身の都合のためだけに告白を断れば、それによって女子組合が得られるメリットを棒に振ればどうなるか。
たとえ俺からの告白を躱しても、平林は今まで積み上げてきた女子からの信頼を失い、結果として代表であり続けることはできなくなる。いや、さすがにそこまではいかずとも、今までの平林の信念を裏切ることになるのだ。だから彼女は断れない。彼女が他の女子たちのために、今まで通り行動するのであれば。
だからこそ、平林はその最強のカードが切れず、俺に告白をさせないという、回りくどいやり方しかできないのだ。もっとも、それも無駄な努力ではあるが。
「……俺の勝ちだ」
俺は確信を持ってその続きを、告白の言葉を口にする。
そのときだった。
「待って!!!」
驚き振り返った俺の背後に立っていたのは、湯山ロンだった。
「ど、どうした、湯山?」
完全に予想外の人物の登場に、俺も動揺を隠しきれなかった。
「ぼく、本当は陰からずっと見守っているつもりだった。でも、もう自分に嘘はつけない、つきたくないから……」
なんだ、湯山は何を言っている?―――俺の疑問をすべて吹き飛ばすように、湯山は校庭の真ん中で思いっきり叫んだ。
「ぼくはっ、海堂くんのことがっ、好きなんだああああああああああああああああああっ!!!」
………………え?
ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ?!?
「ゆ、湯山が俺のことを好き? ほんとに?」
「……うん」
「ライクじゃなく?」
「うん、ラヴな方で」
「………………」
まったく予想もできなかった事態に、呆然としてしまう。だって、告白しようとしたら逆に告白されたんだぜ。しかも見た目は美少女とはいえ男から。
しかし動けない俺とは対照的に、平林はしっかりとした足取りで湯山の前へとやってきた。
「ごめんなさい、湯山くん。本当のところ、この手は最後まで使いたくなかった。あなたの気持ちを利用することになるから。でも、こうでもしないとその鈍感男は一生気づかないと思ってね」
その発言から、平林は湯山のことを知っていたのだと理解した。だが、一体いつから?
「海堂くんが学校お休みしたときに、平林さんから声をかけてくれたんだよ。でも本当は結構前からの付き合いなんだ。ぼくが男の子を好きだってことを知っていたのは、彼女くらいだったしね」
先ほどから驚くべきことでいっぱいだった。しかしようやく俺も状況を飲み込むことができてきた。
「…………ごめんな、湯山」
そして、俺の第一声がそれだった。
「……ううん、こちらこそごめんね。謝るべきはぼくのほうなんだよ」
湯山は俺の目を見て、ゆっくりと話し始めた。
「ぼくは海堂くんが好きで、海堂くんのそばにいたくて、組合の仕事に携わった。最初から下心があって、組合に入ったんだ。でも海堂くんはぼくのことを信頼してくれて、それが嬉しい反面、つらくもあったんだ。なんだか、海堂くんの好意を利用しているようで」
……そうか、湯山も俺と同じ気持ちを抱えていたのか。
いつだったか、俺が会議室から飛び出したとき、湯山と話した時のことを思い出した。
思い返せば湯山は組合に所属しながらも、女子との会合には積極的ではなかった。一度説得して参加してもらった際には、女子よりも男子にモテることが判明し、それ以降はやめてしまったのだが。
そんな湯山の気持ちに気付けず、俺は今まで何をしていたのだろう。
いや、それどころか、湯山はどんな気持ちで組合に参加していたのだろう。男子と女子、男と女のカップルを斡旋していたその労働組合に。
「湯山、お前はどんな気持ちで組合に……!」
「ぼくにとってはカップルなんて、空想にしか思えない、どこか遠い存在だったよ」
そのときの湯山は笑っていた。笑いながら、その目には涙を浮かべていた。
ずっと近くにいたのに、きっと湯山はその感情を一人抱えて、孤独に生きてきたのだろう。
「……………………」
まさか、最後の最後で、俺の計画をひっくり返したのが、俺がもっとも信頼する仲間の一人である湯山だったとは……。いや、湯山の気持ちを見抜いた、平林の戦略勝ちか。
「海堂」
平林が、俺の名を呼ぶ。動けない俺は、彼女を見上げた。
「この状況でも、まだ私と交渉する気はある?」
「……できるわけないだろ」
目の前で泣いている仲間一人に気付けないで、なにが組合の代表だよ。
「だけど、この状況で何もしないわけにもいかないでしょ」
周囲のギャラリーは先ほどの興奮も冷めて、どこか困惑している様子だった。まあ突然第三者が飛び込んできて告白したんだから、無理からぬことではあるが。
もはやこんな状況では、今更平林に告白することもできはしないだろう。……まあヘタレてるとも言うんだが。
それでも俺がこの状況から生き延びるには、一つしか道はない。湯山を助け、この国のルールを変えるには、俺が平林への告白を諦めてそれを実行するしかない。
俺にはその手しかないとわかったうえで、平林は俺からそれを切り出すように仕向けたのだ。
完敗だよ、平林―――俺は心の中でそうつぶやいた。
湯山はずっと苦しんでいたんだ。自分の気持ちに、そしてこの労働組合という規則にがんじがらめになって。
目の前の仲間が困っているのなら、それを助けるのが俺たちの仕事だ。
「なあ平林。色々あったがここは一時休戦して協力しないか?」
「別に構わないけど。こっちもいずれはやるつもりだったし」
状況が掴めていないのか、「えっ、え?」と首を傾げる湯山。
俺は湯山に手を差し伸べる。
「わかんだろ? 気に食わないことがあったら交渉する。それが俺たち組合だ」
湯山は涙を拭って笑みを浮かべると、俺の手を握った。
「じゃあとりあえず交渉すっか、国に」
その後しばらくして、「カップルが“男女”だけに限定されるのはおかしい」として、旺州市を皮切りに全国で一斉に抗議運動が行われるようになるのは、また別のお話。
この作品はフィクションです。実在する人物・団体・法律・その他名称などとは一切関係ありません。