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寂しさと愛しさと

広い王宮の最も奥まった部屋。その場所を目指して、ジークフリードとディアナは歩いていた。

ベルクヴァイン侯爵を打倒してから2カ月が過ぎた。敵の刃に倒れたかに見えたディアナを救ったのは、ジークフリードが渡した懐中時計だった。敵の剣は、懐中時計に当たったことでその威力が削がれ、本来なら致命傷になるはずだった傷は、ディアナの命を奪うことはなかった。とはいえ、怪我をしたことに変わりはなく、完治するまでに1カ月を要した。ジークフリードのほうも、戦争の後処理に追われ、最近ようやく落ち着いたところである。

そして、2人は今、ジークフリードの父フリードリヒ国王のもとへ向かっていた。

国王は、国政に関心を示さなくなってのち、王宮の奥の部屋にこもりきりになり、息子であるジークフリードですらほとんど会っていない。ベルクヴァイン侯爵の傀儡となっていた王は、すべてに無気力になっていた。


「本当に私などが共に行ってよろしいのですか?」


隣を歩くジークフリードに、ディアナは尋ねた。相手は一国の国王。それに対して、ディアナは王太子付きの一介の侍女に過ぎない。本来なら謁見ができるはずもないのだ。


「いいんだ。お前に一緒に来てほしい。」


ジークフリードは微笑む。


「わかりました。」


ーー殿下が望むのなら、そうしよう。


やがて2人は、目的の部屋の前に着いた。


「失礼します。」


そう言って、ジークフリードが扉を開ける。


「お久しぶりです、父上。」


そう言ったジークフリードを、国王フリードリヒは虚ろな目で見た。その視線が、ジークフリードの一歩後ろに控えるディアナに移る。


「この者は、シャルロッテ・フォン・ハインミュラー。今は、ディアナ・アルムスターという名で私の侍女をしております。」


ジークフリードに紹介され、ディアナは腰を折った。


「お初にお目にかかります、陛下。」


だがフリードリヒは、ディアナに応えることはおろか、視線を合わせることすらなかった。


「何用だ。」


短く問うたフリードリヒに、ジークフリードは答えた。


「陛下に譲位をお願いに参りました。国を私物化し、民を虐げていたベルクヴァイン侯爵は斃れました。これからは、腐敗を改め、政を一新します。侯爵の傀儡であった貴方には、退位していただきたい。」


「好きにするがいいわ。儂には関係ないこと。カミラが死んだあの日から、儂はすべてがどうでもよくなった。お前のことも知らん。勝手にすればいい。」


「…ありがとうございます。では失礼します。」


フリードリヒの返事を聞いたジークフリードは、淡々と答えた。しかし、ディアナは見逃さなかった。ジークフリードの拳が、きつく握り締められているのを。


「お待ちください。」


「ディアナ?」


ディアナは、フリードリヒの前に進み出た。


「陛下、ご無礼を承知で申し上げます。陛下は卑怯です。」


「なんだと?」


フリードリヒは初めてディアナと視線を合わせた。


「陛下は王妃様を愛しておられたのですよね。ならばなぜ、王妃様の愛したこの国を守ることをお考えにならなかったのですか。陛下は、愛した方を失ってしまったことを理由に、国王としての義務を放棄された。それを卑怯だと申し上げているのです。」


「小娘がっ!貴様に何がわかるっ!」


フリードリヒは声を荒げた。


「大切な方をなくしたのは、陛下だけではありません。陛下、貴方がなくした大切な奥様は、ジークフリード殿下のお母様ですよ。」


その言葉にジークフリードはハッとした。


「王妃様をなくして悲しかったのは陛下だけではないんです。殿下だってすごく悲しくて、寂しかったはずです。それなのに、貴方は殿下の気持ちを考えもせずに、自分だけが悲しみに浸って。貴方が国政を放棄してから、民がどれだけ苦しんだか、殿下がどれだけ苦労されたか、貴方にわかりますか?」


ディアナは、青空の瞳でまっすぐにフリードリヒを見た。


「陛下、ジークフリード殿下は、貴方のご子息です。貴方は、ジークフリード殿下のことだって愛していたはずです。どうか思い出してください。そして、殿下に伝えてあげてください。」


ディアナは、腰を折った。


「儂は…儂は…」


フリードリヒの目に涙が溢れる。


「儂は卑怯じゃった。愛する者を喪う悲しみを抱いていたのは儂だけではなかったのに。儂は、己の悲しみに溺れて、他の多くの者を悲しませてしまった…」


フリードリヒは立ち上がると、ジークフリードのもとへ行き、彼を抱き締めた。


「すまなかった…ジークフリード。儂は、お前のことも愛しているのに…本当にすまなかった。」


その言葉を聞いた瞬間、ジークフリードの目から一筋の涙が流れた。


ーー父上に抱き締められたのは、何年ぶりだろう。


フリードリヒに抱き締められたまま、ジークフリードは思う。


ーーそうだ。俺は本当はずっと寂しかったんだ。


「父上っ…」


フリードリヒは、欠けていた時間を埋め合わせるかのように、ジークフリードのことを強く抱き締めた。


「…ディアナだったか。いや、シャルロッテ・フォン・ハインミュラー公爵令嬢と呼んだほうがよいか。」


しばらくして、フリードリヒがディアナと向かい合った。


「そなたにも、たくさんのつらい思いをさせた。謝って済むことでないことはわかっておるが…それでも謝罪させてほしい。本当にすまなかった。」


フリードリヒはそう言うと、ディアナに頭を下げた。


「国王としてではなく、ジークフリードの父親として、頼みたい。どうか、ジークフリードのことをよろしく頼む。側で支えてやってくれ。」


フリードリヒの言葉に、ディアナは深く頷いた。


「陛下、私はジークフリード殿下にお会いして、本当に救われました。殿下には、いつも助けていただいてばかりです。私も殿下のお役にたちたいと思っています。」


「ありがとう。そなたのような者が側にいてくれるジークフリードは、幸せ者だな。」


フリードリヒはそう言うと、優しく微笑んだ。







お読みいただき、ありがとうございます。

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