不穏な足音
「お父様、お帰りなさい!」
ハインミュラー公爵が仕事を終えて帰宅し、屋敷の扉を開けると、娘のシャルロッテが駆け寄ってきた。
「シャルロッテは本当にお父様が大好きね。」
そう言って後から優雅な仕草できたのは、アレクサンドラ夫人。
「ただいま、シャルロッテ、アレクサンドラ。」
公爵も笑みを浮かべた。
「さあさあ、お父様はお疲れなのだから、ご迷惑をおかけしてはいけませんよ。」
「はーい。ねぇ、お父様。明日は何の日だかわかる?」
「もちろんだよ。明日はかわいいシャルロッテの誕生日だ。とびきりのプレゼントを用意したから、楽しみにしておいで。さあ、今日はもう寝なさい。」
「うん。おやすみなさい、お父様、お母様。」
そう言って、綺麗な淑女の礼をしてみせたシャルロッテは、部屋に戻っていった。それを笑顔で見送った公爵は、シャルロッテの姿が見えなくなると、ため息をついた。
「あなた…」
心配そうなアレクサンドラの視線をうけて、公爵は微笑んだ。
「ああ、すまない。今日はせっかく早く帰ってこれたのに。」
「いいえ。お疲れなのでしょう。フリードリヒが…陛下があの調子ですから。」
2年前にカミラ王妃が亡くなってから、国王フリードリヒは、政務に関心を示さなくなってしまった。当然、宰相であるハインミュラー公爵の仕事は増える。加えて、1年ほど前から、さらに公爵の頭を悩ませている問題があった。
「ベルクヴァイン侯爵の件もございますし。」
ベルクヴァイン家は、1年前まで一介の子爵家に過ぎなかった。しかし、話術に長けるベルクヴァイン侯爵は、言葉巧みに国王に取り入り、現在では副宰相の地位にある。国王も、最近は侯爵の進言しか聞かなくなっている。
「ベルクヴァイン侯爵か…あの者は陛下に様々な進言をしておるが、そのどれもが、貴族の利益を優先し、民のことを顧みないものだ。今までは何とかおさえてきたが、陛下もベルクヴァイン侯爵の言いなりになってしまわれている。だが、俺も宰相として、民を守る役目を果たさなければな。」
「あなたは、もう充分に頑張っておいでです。いつか、陛下もあなたの民を思う気持ちを、きっとわかってくださいますわ。」
そう言って微笑んだアレクサンドラを、公爵は抱き締めた。
「ありがとう、アレクサンドラ…さあ、私たちも、もう休もう。明日は、シャルロッテの誕生日だ。」
その言葉に、アレクサンドラも頷く。夫がいて、娘がいて…この幸せがずっと続いていくことを、アレクサンドラは心から願った。
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「陛下、ハインミュラー公爵には横領の疑いがございます。処断せねば、民に示しがつきませぬ。」
「そうか…よく知らせてくれた。お前に任せる。」
「はい。万事この私にお任せくださいませ。」
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