黒い瞳と赤い瞳
街から帰ってきた、その日の夜、皆が寝静まった時間に、ディアナはジークフリードの私室の前にいた。
王宮に戻ってきてから、ずっと考えていた。殿下があの時の男かどうか確かめる方法を。そして、ふと気がついた。
ーー異国にある、瞳の色を変えられるもの。でもそれは、ずっとつけているには目に負担がかかるはず。だから、寝る時には外さなければいけないのではないか。
ジークフリードの私室の扉を開けようとして、手が止まる。
ーー人違いに決まってる。殿下はそんな人じゃない。
スカートのポケットに手を入れる。中には小ぶりのナイフ。
ーーでも、もし本当に殿下があの時の男なら…
一度大きく首を横に振ってから、扉を開けた。
「ディアナ…」
その場から動けなかった。私が部屋に入ったことで目を覚ました殿下が起き上がってこちらを見る。その瞳はーー
血のように真っ赤だった。
「あ……あ…」
言葉にならない声が漏れる。そんなはずないと思いたかった。だって、殿下はあんなにも優しいのに。どうして。
「黙っていてすまなかった。」
そう言って寂しそうに微笑んだジークフリードの顔が、5年前の少年と重なる。
「…っ!」
次の瞬間、ディアナは走り出し、ジークフリードをベッドの上に押し倒して、その喉元にナイフを突きつけた。非力なディアナのことなど、払いのけようとすれば簡単にできただろう。だが、ジークフリードは抵抗しなかった。
「俺が、お前が探している両親の仇だ。」
そう言いながら、ジークフリードは思う。これは罰なのだと。彼女の大切なものを奪っておきながら、彼女が自分に見せる笑顔が、いつまでもそばにあってほしいと願ってしまった。この胸が張り裂けるような苦しさは、その報いなのだと。
ディアナは、ふるえる手を押さえつけようと必死だった。目の前にいるのは、探し求めていた両親の仇。この手を振り下ろすだけで、仇が討てる。それなのに…
ーーどうして振り下ろせないのーー
その時、ジークフリードが突きつけられているナイフを握った。その手からぽたぽたと血が滴る。
「俺は、今ここで死ぬわけにはいかない。俺には為すべきことがある。この国を…ここに暮らす民を守らなければならない。」
ジークフリードがナイフを離してディアナを見る。強く真っ直ぐな瞳。それでいて、深い哀しみをたたえた瞳。
「だが、お前が俺を殺したいと思うのは当たり前だ。だから…すべてが終わったら、お前に俺の命をやろう。」
その言葉を聞いた瞬間ーー
ドスッ…
ディアナはナイフを振り下ろした。ジークフリードの顔のすぐ横にナイフが刺さる。ディアナは身を翻すと、部屋から走り去っていった。
「ディアナ…すまない。」
暗い部屋に、ジークフリードの呟きは飲み込まれていった。
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ディアナは走っていた。頭も心もぐちゃぐちゃで、どうしたらいいのかわからなかった。
ーーどうしてっ…!どうしてっ…!
そんな思いばかりが何度も心に浮かぶ。走っている途中に人にぶつかったが、気にしている余裕はなかった。
どのくらい走っただろうか。気がつくと、自分の部屋の前にいた。いつの間にか戻ってきていたらしい。
部屋に入ると、ベッドに倒れこんで泣いた。
殿下が5年前の赤い瞳の少年だった。それはもちろん、ショックだった。でもそれよりも、両親の仇と知ってなお、ナイフを振り下ろせなかったことが、ディアナの心をかき乱していた。それは、ディアナにジークフリードへの思いをはっきりと自覚させるには充分であった。
ーーどうしてっ…!
やがて、泣き疲れたディアナは、気を失うようにして眠りに落ちた。
ドンドン!
激しく部屋の扉を叩く音で、ディアナは目覚めた。昨夜ひどく泣いたため、頭は痛いし目は腫れぼったい。のろのろと起き上がり、扉を開けると、そこには王宮騎士がいた。
「ディアナ・アルムスター。貴様には王家の宝である宝石を盗んだ疑いがかけられている。我々と一緒に来てもらおう。」
何を言っているんだろうとディアナはぼんやりする頭で考えたが、反論する間もなく騎士たちに連行されたのだった。
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