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3 名探偵登場?

 折り目の美しい、真っ白なハンカチ。そこには律儀にも「Y.S」というイニシャルが刺繍されている。

 好敵手のサヤマから「ほらよ」と無造作に押し付けられた私は、素直に「ありがと」と呟いて遠慮なくそれを使った。自分の粗雑な性格を、ちょっぴり恨みながら。

 きっとユカなら、制服のポケットにハンカチがしっかり入っているはず。私のポケットには……残念ながら、特濃ミルク飴しか入っていない。

「しっかし、くだらねーことするヤツが居るもんだなぁ」

 消し切れなかったハートマークと、私たちの名字。それを見て全てを悟ったサヤマの呆れ声が、私を正気に戻した。

 ハンカチを借りられたことには感謝。でも、言うべきことは言っておかなければ。

「別に、コレのせいで泣いたわけじゃないんだからね! 目にチョークの粉が入ったから……」

「ベタな言い訳はいいから、さっさと目ぇ洗ってこいよ。ますます目が腫れるぞ? チワワちゃん」

 確かにその通りだなと思った私は、「本当だからね!」と負け犬の遠吠えをたなびかせながらトイレへ駆け込んだ。

 ノーメイクだと、こんなとき便利だ。じゃぶじゃぶと思う存分顔を洗って、目の中にも水をくぐらせて、目の痛みが消えたことにひとまず安堵。サヤマブランドハンカチで顔を拭くうちに、頭も冷えていく。

 こんなことで、アイツに借りを作るわけにはいかない。コレは洗濯してアイロンをかけて、ちょっとしたお菓子でもつけて返さなければ。今度ユカに、あの絶品クッキーのレシピを教えてもらおう。

 そんなことを考えながら、私は湿ったハンカチを元通りに折り畳んだ。顔を上げると……鏡の中に映るのは、まるで子犬のような自分。

 冷水のせいで血色を失った白い肌と、口紅をつけていないのに赤い色をした小さな唇。大きな二重の瞳は、泣いた後だとすぐ分かるくらい赤くなり潤んでいる。

「あんなこと、私は気にしてない。全然平気なのに……」

 漏らした言葉と裏腹に、鏡の中の私はどうしようもなく弱さを訴えてくる。そういう風に見える。

 いつもそうだ。私は見た目のイメージで判断されることが多い。本当は弱いくせに強がって、キャンキャン吠える子犬としか見られない。

 今だって、クラスの皆は誤解したはず。私があの嫌がらせにショックを受けて泣いたのだと。そうじゃないと叫んだところで、きっとその認識は覆らない。

 何かが足りないんだ。私には、皆に認められるような何かが……。

「くっそー、覚えてろよっ!」

 自分の頬を、両手で思いっきり叩いてみる。熱くヒリヒリする痛みが、私を現実に引き戻した。

 そうだ、早く教室へ戻らなければ。

 もう休み時間ギリギリだし、サヤマだって次の授業の準備もあるだろう。せめてもう一度、しっかりお礼だけでも言わなくちゃ。

 再び長い廊下をダッシュした私が、はあはあと息を切らせて教室に飛び込むと、サヤマはまだそこにいた。

 というか……教卓の前に、堂々とふんぞり返っている。当然、不愉快な黒板の落書きはきれいさっぱり消されていた。

 サヤマの横には、副担任の鈴木先生。気弱で舐められがちな新人社会科教師だ。

 バレー部のコーチもしているらしいけれど、そのひょろっとした身体つきからは、スポーツをする姿が全く想像できない。特徴の無い顔立ちのせいもあり、サヤマの隣に立つと悲しい程に存在感が薄くなる。

 私は鈴木先生に近寄り「スミマセン、おトイレ行ってました」と報告する。と、鈴木先生のリアクションを遮るようにサヤマが声をかけてきた。

「チビ子、大丈夫か?」

「うん、へーき。さっきはありがとね。ハンカチ、ちゃんと洗って返すから」

 私はサヤマに強気な笑みを向けた。あとは教室の一番後ろ、窓際隅の席にいるユカにも。

 例のアイアイ傘を見逃したのだろうか。ユカは、何があったのか分からないといった表情で、不安げに眉根を寄せている。私は笑顔をキープしたまま、ユカに力強く頷いてみせた。

「とりあえず席戻れよ」

 それは、鈴木先生ではなくサヤマの命令。私が「何よ、偉そうに」と呟きつつも素直に席へ戻ると、授業開始のチャイムが鳴った。

 クラス全員大人しく着席しているものの、高揚した気持ちは静まり切っていない。特に、派手女子グループのものと思わしきひそひそ声が止まない。

「皆、静かにしてくれ」

 鋭く響き渡る、サヤマのハスキーボイス。全員の視線が、教卓の前に立つサヤマへ集中する。

 サヤマは皆を一瞥すると、隣でおろおろするばかりの鈴木先生に、軽くアイコンタクトを取った。

 そして。

「鈴木先生に許可を取ったので、今から臨時ホームルームを行う!」

 それは決して異論を許さない、リーダーの声。

 羽織っていたブレザーを無造作に脱ぎ捨て、汗ばんだ額をワイシャツの肩でグイッと拭う。そんなしぐさ一つが、やけに大人びて見える。やっぱりサヤマは『トクベツ』なのだと思わされる。

 不安と緊張と、説明がつかないたくさんの気持ちが胸に溢れて……私は、サヤマのハンカチを強く握りしめた。


  * * *


 サヤマはふざけてばかりいるけれど、実はかなり頭が良い。

 入試の成績上位者から自動的に選ばれる一学期のクラス委員を努め、教師からの信頼も厚い。そしてタイミングが良いことに、サヤマのクラスは自習らしい。

 かくしてサヤマは、隣のクラスに乗り込んで〝学級会〟を開くことになった。

「えー、今回のホームルームの議題は他でもない。俺のポメちゃん……いや、チワワちゃん……おい、どっちがいい?」

 かしこまったようで、しっかりふざけたサヤマ。麻痺していた私の心が一気に緩む。

「どっちでもいい! ていうか、余計なことしないで!」

 私のリアクションなんて、サヤマにはお見通しだったらしい。したり顔で、さらりと切り返す。

「バカだなぁ。こういうのはソッコー処理しないと、お前後々までいじめられるぞ?」

 サヤマの発した〝いじめ〟という言葉に、静まり返っていた教室はザワついた。

 私自身も「まさか高校生にもなって……」と一瞬否定しかけたものの、まだ高校生が全然子どもだってことは、先ほどの低レベルな落書きで証明済みだ。サヤマ一人だけが、余裕シャクシャクな大人の顔をして、動揺する皆の様子を高みから眺めている。

「ま、俺も今回のイタズラの被害者なわけだし、何よりうちのチビ犬をいじめようとしたヤツを見つけて、きっちり更正させたいってわけですよ。ね、先生?」

 突然こんな問題が持ち上がったせいか、鈴木先生は怯えまくりだ。ポロシャツの襟元に首を埋めるように縮こまりながら、出席簿を胸に抱いてこくんと頷くのみ。

「じゃあ、まずは人間性善説に基づき、犯人には自首を求めたいと思う」

 ただでさえその図体と鋭い目つきで怖がられているサヤマが、強烈な眼光でクラス内を見渡す。すると、派手女子軍団の一人が「犯人はアタシじゃないけどぉ」と前置きして手を挙げた。

 バレーのチームメイトであり、アイアイ傘を見てニヤついていた感じの悪い女だ。

「あのぉ、アタシたちぃ、けっこう早めに教室戻って来たんだけどぉ……ねっ?」

 厳正な席替えくじ引きを、どう見てもインチキしただろうという配置で固まった、派手女子軍団。そのメンバー同士でいちいち頷き合いながら、もたもたと話し続ける。

 サヤマは無表情を装いつつも若干イラついているのか、教卓を長い人差し指でトントンと叩いている。

「だからぁ、アタシたちが戻ってきたときには、もうアレ書いてあったしぃ」

「あー、分かった。お前の言いたいことは」

 サヤマは、発言した女子に「サンキュ」と笑いかける。途端に彼女は目尻を下げ、上目遣いの写真撮影仕様スペシャルスマイルを作った……ものの、残念ながらサヤマのハートには届かなかったようだ。

 彼女からあっさり視線を外したサヤマは、再び全員の顔を見回した。

「つまり、このクラスが体育だと知っていた何者かが教室に忍び込み、あの落書きをしたんじゃないかってことだな?」

 ドクン、と心臓が高鳴った。身体から一気に血の気が引いていく。

 そんなドロボウみたいな真似をしてまで、他所のクラスからイヤガラセをしに来る人物が居るとしたら……怒りを通り越して、ちょっと気持ちが悪い。

 私はサヤマの後ろにある、深緑色の黒板から目を背けた。そこにはもう何も書かれていないというのに、見知らぬ犯人の怨念が残っているようで。

「その意見が出ると思ったんだ。とりあえずコレを見てくれ」

 唐突に後ろを向き、チョークを手にしたサヤマ。手のひらに直接ペンで書き殴った文字を見ながら、一組現国、二組数学……と、黒板に各クラスの授業内容を書いていく。

「これがさっき俺たちが体育をやっていたときの、他のクラスの授業だ。この通り、全て通常教室で行われるものばかり。一人の欠席者も居なかったことも全クラスに確認した。授業中トイレに行くとか、途中退席も無かった」

 淀みなく告げられるサヤマの話に、皆真剣に聞き入っている。

 誰よりも集中していたのが私だ。サヤマの台詞から、誰も居なくなったこの教室を取り巻く状況を、リアルにイメージしていく。

「そして、今日の体育はいつもより早く終わったから、俺たちが戻るときには他のクラスはまだ授業中だった。つまり、俺たちが更衣室に移動してからここに戻ってくる間、うちの学年の奴らは全員自分の教室の中に居たってことだ」

 クラスメイトたちが「オオー!」とどよめいた。私は驚き過ぎて、瞬きもできずにサヤマを見つめるばかり。

 私が顔を洗いに行っている間に、それだけのことを調べたとしたら……この人、何者?

「これだけじゃまだ甘い。犯人は、うちの学年の生徒に限らないしな」

 緩みかけた空気が、一気に引き締まる。

 部活をやっていない私に、上級生の知り合いは一人も居ない。でもサヤマ側は兄弟そろって有名人だし、もしかしたら……?

 再び湧き上がる不安を吹き消すような、サヤマの低い声が響く。

「皆も知ってのとおり、この学校は一年だけが旧校舎で、二年と三年は新校舎。渡り廊下は職員室から丸見えだから、わざわざ別学年のヤツが、授業を抜け出してここまで来るとは思えない」

 うんうん、と全員が頷く。サヤマはなおも自論を展開する。

「憶測だけじゃなく、軽く裏は取ってある。毎日午前中に、この旧校舎を掃除してる用務員のオッチャンが居るだろ? さっきの授業中、誰か怪しい人物を見かけなかったか聞いてみたんだ」

 ズボンのポケットから携帯スマホを取り出し、ひらひらと振ってみせるサヤマ。どうやら、用務員さんとも携帯番号を交換する仲らしい。

「オッチャンがこのフロアに来たのは、体育の授業が始まってから間もなく。それから授業が終わる直前まで廊下のモップがけをしてたけど、その間に他の学年も含め、生徒の姿は一人も見かけなかったってさ。何より、この教室の前を通ったとき、黒板には何も書いて無かったことを証言してくれた。オッチャン自身はチビ子のことを知らないし、こんなことをする動機も考えられないから、まあ容疑者から外していいと思う。――どうだ?」

 全く、どれだけ人を驚かせれば気が済むんだろう……。

 今までは憎たらしいだけだった、人を見下すような態度は相変わらずなのに……なんだか、胸がドキドキする。

 そう感じていたのは、どうやら私だけではなかったようだ。

 いつの間にか、クラスの全員がその話術に引き込まれ、瞳を輝かせながらサヤマを見つめていた。


「ここまでの話を一旦まとめてみよう。体育の授業中、あのアイアイ傘は書かれていなかった。その間、他の生徒は誰もこの教室に来ていない。つまり、容疑者はだいぶ絞り込まれる。怪しいのは、体育の授業を受けた後、真っ先に教室へ戻って来たヤツら……」

 サヤマの言葉が、皆の心に一つの疑惑を浮かびあがらせた。

 確かあの派手女子は『早めに教室へ戻った』と言っていた……。

 疑惑の矛先が一点に向かいかけたとき、サヤマは次の命令を下した。

「では、これから全員目を閉じてもらう……チビ子、お前もだ」

 私は口を尖らせるも反論できない。皆もサヤマの声に操られるかのように、次々と机に伏せた。

「よし、全員目ぇ閉じたな……さっきの落書き、身に覚えのあるヤツは手をあげろ。素直に自首するなら、このことは俺の胸にしまっといてやる」

 普段なら吹き出してしまうような、本格的な小学校の学級会だった。そんな展開にも関わらず、全員がその言葉を真剣に受け止める。

 そしてしばしの静寂。

「……よし、顔をあげていいぞ」

 緊張し過ぎて胃がキリキリしてきた私に、サヤマが労わるような柔らかな眼差しを向けてくる。その頭が、軽く横に振られた。

「残念ながら、自首するヤツは居なかった。よって、これからアリバイ確認に入る」

 サヤマが声のトーンを少し落とす。それだけで言葉の重みが増して、教室の温度が三度くらい下がる気がする。

「体育の後、この教室へ最初に足を踏み入れたのは誰だ?」

 全員の視線が一ヶ所に集中する。ほんの数分前は自信満々で発言していた女子が、今度は追い詰められる番になる。

「えっと、それはたぶんアタシたちだけどぉ……そのときにはもう、アレ書いてあったし? っていうか六人一緒だったし、アタシたちは別にそんなこと」

「――てめーら、佐山のファンだろうが! いつも相川さんのことねちねち悪口言ってんの、俺ら皆知ってんだぞ!」

 突然放たれた、怒りに震える声。派手女子グループが、「キャッ」と短い悲鳴を上げる。

 声の主は、彼女たちの後ろの席にいる大森君だった。

 鈴木先生とタメをはる地味顔ながら、天然パーマのナチュラルアフロで、密かに『アフロ大森』と呼ばれている。喋ったことは無いけれど、自分より残念なあだ名をつけられているという点で、勝手に親近感を持っていた男子だった。

 性格は大人しく温厚……なはずが、どうやらかなりストレスを溜めていたらしい。

 今回の事件とは関係ない、授業中のコソコソお喋り、メモ回し、携帯いじりなども取り上げ、大森君は彼女たちを非難した。そのうち「ヒドイ」と言って一人が泣き出すと、派手女子軍団メンバーにもらい泣きが伝染していく。

「えーと、アフ……大森、だっけ? そのことは良く分かったけど、今は堪えてくれ、な?」

 サヤマがなだめると、大森君はしぶしぶといった風に頷いた。大森君に同調していたクラスメイトたちも、同じように頷く。

 私だけが怒り心頭のまま、派手女子軍団の後姿を睨みつける。

 すると、サヤマはあっさり言い放った。

「とりあえず落ち着こう。実は俺、彼女らは犯人じゃ無いと思うんだ」

 ――何っ?

 息を呑む私の前で、サヤマがちょいちょいと手招きする。呼び出したのは、派手女子軍団の中で唯一泣いていない子だった。たぶん他のメンバーも泣きまねだろうけれど……。

 ともかくその気丈な女子に、サヤマは新品のチョークを一本手渡した。

「これ使って、さっきみたいな〝太字の〟アイアイ傘を書いてみてくれないか?」

 頭のてっぺんをワックスとブローでこんもりと膨らませた彼女は、不思議そうに小首を傾げると、サヤマの言うとおり横向きにチョークを摘んだ。そのまま、黒板にハートマークを書こうと腕を伸ばしたけれど。

『――カツンッ!』

「あっ……ゴメン!」

 見事に指を滑らせ、床に落ちて砕けた長いチョーク。落とした理由は……。

「分かっただろ? あれだけ長く爪を伸ばしてたら、チョークを横向きに持とうとすると、爪が黒板に当たっちまうから、太字を書くことはできないんだ」

 泣いていたはずの派手女子軍団は、自分たちのキラキラ輝くネイルを見せ合いながら「キャアッ!」と黄色い声をあげた。

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