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〈肆〉1 夕刻の別れ

午後6:37。


陽もようやくビルに埋もれた地平線に沈み始め、赤々く染まった空と、深々く塗られた濃紺の空へと移り変わっていく時間。

場所は、街の真ん中にある山を、景観を損なわない程度に削って開拓した高台の公園。美しい夕陽が観れるこの公園は、デートスポットとして地元のカップルにかなり人気がある。…かと思いきや、隣接して造られた墓地のせいで訪れる恋人達は極僅か。夏場である今の時期に肝試しにくる若者の溜まり場と化している。

高台を囲む雑木林からは、一足遅い蝉の鳴き声が聴こえる。今年は環境破壊の影響か、例年よりも冷夏だとニュースで報じられていたし、本日の気温も三十度を下回っていたので、蝉が出てきたのは珍しかった。

彼もそう思ったのか、墓石から眼を離して、木々のざわめきに溶け込む蝉の声に耳を傾け、


「……………あ」


彼が俺の方に気づいて身体を向けた。

俺は墓地を囲む鉄柵の門をくぐった所で、彼は通路からやや離れた、天を見上げて祈りを捧げる天使の石像、その右隣にある立派な墓石の前に立っている。夕陽が俺のいる反対方向、つまり西から差して逆光になり、彼の姿が天使像の影に隠れてよく見えなかったが、何となくシルエットで彼が誰だか判った。

彼は、生花店で働いていた、好青年を絵に描いたような男だった。

俺は緩やかな足取りで彼に近づくと、彼は少し驚きながらも挨拶した。


「やあ、また会いましたね。君もお墓参りですか?」


客でなくなった分少し砕けた調子で、彼から数歩離れた場所で止まった俺も敬語なしで応えた。


「嗚呼、朝霧しおりって人のお墓に、ね」


「!」


しおりの名を出されて、彼はさらに驚いた様子で俺を眺める。偶然の巡り合わせ、と思ったかどうかはさておき、俺は彼の隣にあるしおりの墓石を見て、尋ねる。


「あんたもしおりの墓に? もしかして、しおりの彼氏とか?」


「……はい、彼女は僕の恋人だった人です。かけがえのない、人でした」


―――ふうん。かえがえのない人、ね。


「驚いたなぁ。花屋では恋人はまだ生きているような言い方してたのに。しおり、もう亡くなっているけど?」


少し皮肉混じりに聞くと、


「…………癖なんですよ。母が死んだ時も似たようなことを言って周りを混乱させてました。勘違いさせてしまってすいません」


「いや、別に良いんだけど。ところで…、」


場の雰囲気を最悪にしたところで、空気を入れ換えようと別の話題を出す。しおりの墓石に供えられた、数輪の白百合についてだ。


「この花は、あんたが?」


「はい。彼女が好きだった百合の花です。僕が初めてしおりに上げた花で、とても気に入っていたから……君もその花を?」


「ん、これは後で事故現場に寄った時に供えようかと。ここはもう満席みたいだし」


これまた皮肉混じりの冗談だったが、彼は苦笑してすいません、とだけ謝ってきた。

…何だか調子が狂う。好青年を絵に描いたような風貌だからって、ちと誠実過ぎやしないか? とか考えたけど、口には出さない。

しばらく黙っていると、今度は彼の方から話題を振ってきた。


「……お墓参りに来たのは、僕以外では、貴方が初めてです」


「?」


俺は意味が判らず、彼を見る。彼はその意を汲み取って、どういうことか説明した。


「お葬式があって、火葬されて、納骨されたのが三日前です。それから僕は毎日此処へ来ているけど、誰も来ないんでよね」


「それは……まだ三日だろ? 命日ならともかく、」


「納骨する時、親族縁者の方はしおりのお母さん一人だけでした」


「…………」


…そういうことか。納骨にすら立ち会っていないなら、墓参りにも来ない。彼はそう言いたかったらしい。

彼はしゃがんで、しおりのお墓を見つめて、訥々と話し続ける。


「………誰もお墓参りに来ないのは、彼女がずっと独りでいたことの代償なんですよ。しおりは誰にも心を開かないで、誰の前にも立たない。そしてそれを誰かのせいにしていつも逃げてばかりいた。だから、結局葬式に駆けつけたのは僅かな親類と僕だけで、こうしてお墓に来るのはさらに僕だけなんです」


「冷たいな。母親も来ないのか」


彼の話に割って入って聞く。

先刻見た限りではそういう風には見えなかったが、俺も別段人を見る目がある方ではない。実際はマンションで見せたアレ全てが演技で、実は本当にしおりのことを邪魔者扱いしていたという説もあり得る。

が、彼は首を振って母親を弁解した。


「しおりのお母さんは、ただ辛いだけだと思いますよ? 葬式の間、眼が酷く腫れるまで泣き続けて、しおりを介抱した僕に何度も礼を言ってましたし。でも、しおりを大事に思っていたからこそ、罪悪感に囚われてるんじゃないでしょうか。最後の最後までお互いの本音を伝えられずに、挙げ句に喧嘩したまま死なれてしまったんだから」


「そりゃ、会わせる顔が無いな。それであんた一人だけか。毎日大変だな」


そうお気楽に言うと、彼は、


「いえ、それも今日で終わりですよ」


立ち上がって俺の方を向いて、まるで以前からそう決めていたかのように宣告する。


「毎日来るのは、今日限りです。明日からは、もう来ません」


「…どうして? しおりのことはキッパリ忘れるのか?」


彼の一言を謎に思い、聞き返す。一連の会話から考えるに、今の彼の発言は余りにも突拍子ない。かと思えば、彼は早々に違いますよ、と否定してきた。

彼は夕陽を背にして語る。


「僕が来る必要が無くなったからですよ。…貴方がここへ来てくれたから」


「俺が?」


「しおりのお墓には誰も来ない。誰もしおりに会いに来ない。それで僕は毎日ここへ来ていたんです。しおりが寂しがらないように、しおりが独りにならないように。だけど、君が来てくれた。君はしおりの為に、ここまで足を運んでくれた。つまり、しおりはもう独りなんかじゃないということ。今日まで僕しか来なかったこの場所に君が来たことで、彼女はやっと、独りじゃ無くなったんだ」


独りじゃ無くなった? それはかなり矛盾してないか?


「…あんたは? ずっとしおりの墓の前に来て、しおりに会いに来てたんだろ? それならしおりは独りじゃなかった筈だ。他でもないあんたと一緒にいられたんだ。孤独な訳ない」


「そうですね。そうかも知れない。でも、そうじゃないかも知れない。……しおりが死んだ今、彼女が僕のことをどう思っているのかなんて、永久に知れない」


「だからもう会わないっていうのか。 いつまでも過去の女引きずってないで、明るい未来でも目指そうっていうのか?」


自分の言葉がかなり乱雑になってきたのを感じたが、気にせず続ける。

俺は知りたい。知らなければならない。目の前に立つ男の本音を。

彼女の生き方を否定した彼に、彼女のように逃げることは、許さない。


「………明るい未来。そんなもの、もう僕の中には無いですよ。僕にとって大切な、とても大事な女性が二人もいなくなったんだ。そしてその原因を、どっちも僕が作った。母さんもしおりも、きっと僕を恨んでる。二人の人生の節目で僕が自分勝手なことをして二人を死に追いやったんだから、それは当然のことです。だから、贖罪としてしおりのお墓に毎日訪れていた。だけど、」


「だけど?」


「だけど、それももう意味はないんじゃないかって、思うんです。君がここへやってきて、しおりのお墓参りに来たって聞いた時、もう僕は必要じゃ無くなったように感じた。僕がいなくても君がいる。君がいるなら、僕は要らない。しおりもきっと、僕の顔なんか見たくないと思っているだろうし」


自分を殺した人間だから、と彼は笑いながら綴った。

笑った、と表現していいのか判らないくらい歪な笑顔で。

皮肉にもならない冗談を口にして。

彼女と同じように、彼女より上手に、彼は逃げた。


「―――――」


………嗚呼。うん、こりゃ確かに似た者同士だな。しおりと彼、お互い惹かれたのがよーく納得がいったよ。

本当に、しおりと同じで、大馬鹿だ。


「…では、僕はこれで失礼しますね。もう陽も落ちますから。また、機会があったら会いましょう」


そう断りを入れて彼は、出会ってから終始笑顔のままの状態で俺に会釈し、横を通り抜けて足早に門へ向かった。

まるでこれ以上此処にいることは出来ないと言わんばかりに。

これ以上此処にいると、必死に隠し続けた自分の本音が俺に暴かれるのではと恐れるように。

そんな彼の後ろ姿を見て、俺は止めようとはしない。

正面から相手を見据えず、こそこそ逃げ回るような男を呼び止めたところで意味も価値も何も無い。俺はそんな卑怯者に救済を与えてやる程、善人では無いんだ。




けど、




けど、




けれど、




それでは彼女が浮かばれないだろう。


俺は今日一日ずっと、彼女と一緒に街を歩き回った。


彼女の記憶を取り戻して、彼女の未練を聞き届けて、


彼女を笑顔で成仏させてやると、約束したのだ。




だから、




だから、




だから。




「…―――最後にもう一つ、」




俺は、彼を呼び止める。

門の手前に差し掛かった彼は振り向いて、俺も歩いて彼の方へ歩く。


「もう一つだけ、聞いても良いかな?」


5m程離れたところで立ち止まって、そう前置きした。

返答は要らない。

俺はただ彼女が聞きたいことだけを、問うだけだから。


「もし―――、もしもの話だ。もし、今この場でしおりに逢えるなら、しおりと再会を果たせるなら、」


一呼吸入れて、彼に問い掛ける。


「あんたは、しおりになんて言いたい?」

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