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〈参〉4

◇ ◆ ◇ ◆ ◇







―――この席、空いてる?




最初は、何気なく挨拶する程度の間柄だった。




―――最初見た時、中学生かと思ったよ。……って、馬鹿にした訳じゃないんだけど………。ああ、ごめんごめん、ただ可愛いなって思っただけで……。




私が気にしていることを平気で言葉にする人だったけど、彼が困った顔で笑いながら謝ると何故か憎めなくて、




―――名前を聞いてもいいかな。たまに授業が一緒なのにあまり話したこと無かったし。……朝霧、しおりか。僕の名前は×××××。宜しく、しおりさん。




私は次第に、彼に惹かれていった。




―――お待たせ。遅れてごめんね、しおりさん。ちょっとバイトが長引いちゃって。やっぱり一つぐらい減らした方がいいかな。




彼と付き合い始めてから二週間。人を拒絶しがちだった私はことのほか明るくなって、悪い友達との付き合いも少し減った。

今までずっと独りだと思い込んでた私にとって、彼は、とても眩しい存在に見えていた。




―――はい、これ。バイト先の生花店にあった売れ残りなんだけど、白い花が好きって言ってたから。……どういたしまして。喜んでもらえて僕も嬉しいよ。




生まれて初めて男の人からプレゼントを貰った時は、嬉しさでどうにかなりそうだった。




彼はいつも私を見てくれていた。

いつも私を守ってくれていた。

それにずっと甘えていた私は、甘えたらいけないと知ってても、甘えられずにはいられなかった。


ずっと、彼と一緒にいたい。


ずっと、彼と共にいたい。


そう思い続けていたから、


だからあの日、




―――しおり。




デートに行く時は必ず最後に寄る高台の公園で、彼から花と一緒に添えられた指輪を渡されて、




―――ちょっと早すぎる気もするけど、付き合い始めて丁度一年だし、ね。




―――しおり。僕はしおりのことを愛してる。初めて会った時から一目惚れして、今じゃどう表したらいいのか判らないくらい君のことを好いてる。付き合ってまだ一年しか経ってないけど、就職先だってまだ決めてすらいないけど……、




―――けど、君のことを愛しています。ずっとずっと、愛し続けます。だから、




結婚して下さい―――、て言われた時は、涙で何も見えなくなって、それでもおぼろげに街に沈んでいく夕陽と、困った顔の彼を見つめて、力強く、頷いた。







―――結婚、ですって?







お母さんは認めてくれなかった。




―――何を考えてるのよ。たまに帰ってきたと思ったら……。




頭の奥で嫌な声が響いていく。



―――相手はまだ職にも就いていないじゃない。結婚するって言うなら、式のお金は……。




頭の奥で、お母さんの声がきれぎれになって反響していく。




―――私が今までどれだけ苦労して貴女を育ててきたと……。




嫌だ。

うるさい。

黙ってよ。

今までどれだけ苦労したかなんて関係ない。私はただ、お母さんに見て欲しかっただけなんだよ?




―――何が不満なの! 小さい頃から反抗して、何を買い与えても駄々をこねて……。




少し苦しい生活になってでも、お母さんと一緒に居られたら、それで良かったんだよ?




―――どうせその人も不良の仲間の一人でしょう。そんな人と付き合うだなんて……。




また、私を一人にするんだ。


これからは彼と、ずっと一緒に生きていけるのに。


私はもう、一人じゃ無くなるのに。


なのに、また、私を独りにするんだ。




―――いい加減にしなさい……。




いい加減にしてよ。




―――もう嫌! 何で貴女なんかの為に私がこんな悩まきゃ……。





もう嫌。こんな人の為に、また独りにさせられるなんて。




―――私の気持ちも知らないで……。




私の気持ちも、知らないで。




―――この……、




この、




―――この、親不孝者!




…この、子不幸者。







―――しおり? どうしたの、こんな雨の中びしょ濡れで……喧嘩? お母さんと?







気がついたら、彼の家の前に立っていた。

彼は、戸口に立つ私を見て、戸惑いながらも追い返したりはしなかった。




―――とりあえず、中に入りなよ。濡れてたら風邪を引くし、もう夜も遅いから。




何の違和感もなく迎え入れられて、凍えてた身体は、心は、急速に暖かさを取り戻した。彼の労る行動の全てが心地好くて、お母さんのことなんか、どうでもいいように思えた。


…そうだ。


お母さんの許しなんて、貰う必要なんか無いんだ。


このまま彼の家に住んで、


彼と一緒に暮らして、


彼と一緒に生きていけば、


お母さんを気にする必要なんか、私には無いんだから。


このまま、彼と一緒に、


生きていけば。







でも、







―――しおり。いつまでも部屋に閉じこもってないで、一度家に帰らないと。




―――しおり。家出なんてしたら駄目だ。きっとお母さんも心配してる。




―――しおり。よく話を聴いて。お母さんと喧嘩しても、家出をしても、何も解決なんてしないんだよ。もっとお母さんと話し合って、そうしたら理解してもらえるから。一人で行けないなら僕もついていくから、ね?




彼は執拗に家に帰れと言ってくる。


此処に居られたら迷惑だと言わんばかりに。


私のことなんてどうでもいいから、早く家に帰れと聞こえる。


彼の言葉が判らない。


彼の気持ちが分からない。


彼が全然、解らない。


わからない、わからない、わからない、わからない、わからない。




わからないから、かんがえるのを、やめた。







今度は彼と喧嘩した。


喧嘩と言っても、私がただ彼に喚き立てて暴れて、彼は必死で私をなだめただけだけど。


その時の記憶は、思い出せない。


きっと、思い出したくない。


馬鹿な自分が起こした馬鹿な出来事の馬鹿な発言の数々なんて、覚えていたくない。







数日閉じこもった次の日、彼が私に話し掛けた。私は喧嘩してからずっと黙っていて、また無視をしようとうつむいたけれど、




―――どうしてもしおりに見せたいものがあるんだ。着いてきて。




真剣な眼差しで言った彼に気圧されて、私は十三日振りに外の陽射しを浴びた。




―――しおり、こっちだよ。




彼は何処へ行くのかは告げないで、迷うことなく私を先導する。

住宅が軒並みに連なった場所を通って、坂道を上ってアパート群のある場所までくると、私は嫌な予感がして帰ろうとした。けど、




―――大丈夫。しおりのマンションに行く訳じゃないから。……こっちだ。




彼に案内されたのは、アパート群を抜けて更に上った所。


何時もデートの終わりに来る、高台だった。


でも彼は、高台に続く細道には入らないで、脇にある鉄柵に囲まれた、高台の反対に位置する墓地の方へ歩いていった。





―――着いたよ。自己紹介するね…………僕の、母さんだ。




墓石の一つの隣に立った彼はそう告げ、私は息を呑む。彼のお母さんが死んでいたなんて、彼は一言も喋らなかった。むしろ、まだ元気に生きているような素振りすらしていた。

ずっと、私に嘘を吐いていた…。




―――ごめんね。本当のこと、言えなくて。口にすると、どうしても耐えられなくなりそうで、つい生きているみたいなことを言ってしまうんだ。母さんが死んだのを認めたら、僕はきっと、立ち直れなくなりそうだったから。




耳を疑った。

いつも、いつでも明るくて、朗らかで、悩みなんてこれっぽっちも話したことのない彼が、太陽みたく眩しい彼が、こんなに惨めな表情で、泣きそうな表情で、陰りを見せた表情で、弱音を吐くなんて、

信じられなかった。




―――僕の母さんはね、昔から病弱で、よく床に伏せていたらしいんだ。そして僕を産んでから、病状はさらに悪化……僕が物心つく頃には、病院の狭い一室から出られない状態だった。




―――僕は毎日お見舞いに行ったよ。僕が来ると母さんは必ず笑顔で迎えてくれて、何か辛いことがあった時も優しくしてくれて、会える時間は限られたけれど、とても幸せだった。




―――けど。小学六年生になった頃、いつものように病室に見舞いへ行くと、偶然、父さんと母さんが話しているところを聴いたんだ。母さんの余命は残り数ヶ月も無い。そして、僕さえ生まれなかったら、もう少し長く生きられた、てね。




―――父さんは僕のことを必ずしも毛嫌いしていた訳じゃないけど、それでも、昔から仲が良い方じゃなかった。父さんは僕が生まれてくるよりも母さんが生き延びる方が良かったんだ。…ううん、それはどうでもいいことだよ。それより僕にとって一番ショックだったのは、僕がいなければ母さんは生きられた、ということ。




―――僕は自分を呪ったよ。大好きな母さんと一緒に、いつか元気になった母さんと一緒に暮らして、幸せにしてあげようと思っていたのに、誰でもないこの僕が、他でもないこの僕自身が、母さんから幸せを奪っていたんだ。




―――母さんはどんな気持ちだったんだろう? 自分の命を削った子供が、毎日毎日楽しそうに、無邪気にやってくる姿を見て、一体どんな心境であの笑顔を造っていたんだろう。そう考えたらとても恐ろしく思えて、僕は母さんに会いに行くのをやめた。もし不意に、誰でもない、他でもない母さんから憎しみのこもった言葉を投げつけられたら、僕は絶対に耐えられないと知っていたから。




―――それから数週間。お見舞いに行く時間に、家で何をするでもなくじっと座っていたら病院から電話が掛ってきて、母さんの容態が急変して亡くなったことを知らされた。




―――馬鹿だよね。後で看護師の人に聞いたら、母さんは僕が来なくなった次の日から、眼に見えて衰弱していったんだって。母さんは僕が会いに来るのを生き甲斐にしていたんだよ。僕が来るから、母さんは生きようという意思を保っていられたんだ。なのに、僕はその意思すら断ち切ってしまった。




―――僕が、母さんを殺したんだ。




私は何も答えない。

何を答えたらいいのか判らない。

西に傾いていく、鮮やかな橙色の夕陽に照らされた彼の言葉を、ただ黙って聴くことしか出来ない。




―――後悔してもしきれなかった。

どうして僕は母さんに会いに行かなかったんだろう? 時間が限られているなら、何よりもそれを大事にしないといけなかったのに。勝手に自分の中で決めつけて、自己嫌悪して、母さんの気持ちなんて何一つ聞かずに、そこで終わらせようとしたんだ。そして、本当に終わった。もう僕は、母さんに二度と会えないし、謝ることだって出来はしない。




―――ねえ、しおり。

しおりのお母さんはさ、しおりのことをきっと大切にしてるよ。ただ、大切にし過ぎて空回りしているだけなんだ。だから、しおりがお母さんの気持ちを理解してあげなきゃ。自分のことばかり考えて、相手のことを何も考えなかったら、僕のように取り返しがつかなくなる。僕みたいに、後悔することになるよ?




―――ねえ、しおり。もうそろそろ、“独りになるのを、やめよう?”

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