後編
「有難うございました」
クリスマスイブ当日、淋しさを紛らわす為にびっしり入れたバイトの合間、倫果はこっそり溜息を吐き出した。
(何でわたし、本屋なんか選んじゃったんだろう)
いっそケーキ屋みたいに死ぬほど忙しかったら、きっと余計な事を考えずに済むのに。
日曜日とはいえ、クリスマスイブに本を買いに来る人はそんなに多くない。代わりに、いかにも冷やかしな感じのカップルが5割増し。
(わざわざ見せつけに来ないでよっ!)
理不尽だとは分かっているが、思わず内心八つ当たりをしていると、真剣に絵本を選んでいる若いパパが視界に入って倫果の表情が和らいだ。
きっと子供にプレゼントするのだろう。いいな。薫は将来こうして絵本を選んでくれるだろうかとふと考えて、慌てて首を振った。
何を考えているのだろう。薫との子どもが居る前提で出て来た思考に熱が駆け上がる。かつての同級生の結婚話を聞いたからだろうか。今まで結婚願望など特に無いと思っていたのに。
気を抜くと勢いよく頬が染まりそうな状況をどうやって遣り過ごそうかと思っていたら、丁度棚卸しを頼まれてホッとした。
作業している間に赤面も治まるだろうし、仲良さげなカップルを見て嫉妬する事も無い。少しは薫と過ごせない淋しさも紛らわせそうだ。
そうして山積みの商品と格闘していたら、いつの間にか辺りはすっかり暗くなって、壁に掛けられた時計は勤務時間の終わりを告げていた。
「お先に失礼します」と店の外に出ると、そこには頬を切る様な風が吹いていて、ぎゅっと肩を竦めた。
そんな中、嫌でも目に入る煌びやかなイルミネーションと、寒いのすらも楽しそうなカップルが倫果の寒さを増した。
(……早く帰ってお母さんの手作りクリスマス料理でも食べよ)
溜息を呑み込みつつ、色とりどりに輝く光に背を向けて家へと歩みを速めた。
暫く歩いて地上の星が視界から消えた頃、ふと立ち止まって見上げると、澄んだ空にオリオン座が輝いていた。
それから数時間後の午後10時。
流石に薫の仕事も終わったかと、倫果はそわそわと何度も机上の時計に視線を送っていた。
手元にある小さな包みを弄びつつ携帯を開いたり閉じたり、電話をするか否か悩む。
クリスマスには渡せないかも知れないけど、一応プレゼントを用意したのだ。以前贈った指輪に合わせた、シンプルなシルバーのペンダント。
とりあえず連絡しない事には渡せない。それは痛い程分かっているが、先日失敗しただけに今度こそマシなことを言わなければと妙に気負ってしまって益々連絡出来ずに居た。
……近いうち時間ある?
……ちょっと、渡したい物があるんだけど。
……今度の休み、ご飯でも食べない?
幾つか考えてみたものの、どれも何だかしっくりこなくて溜息が溢れる。誘われるのも緊張するが、自ら誘うのは比較に成らない程の緊張を伴う。
手にじっとりと滲む汗を感じて、持っていた携帯とプレゼントを机上に一旦並べる。そして、服の裾でそっと手を拭った倫果は一際大きな溜息を放った。
幾つか考えた口実をシミュレーションしてみたけれど、どれもやっぱり何だか違う気がする。
そんな事じゃなくて、ただ……
逢いたいんだ。
「……薫……」
そんな簡単な事が言えない自分が情けなくて泣けてくる。
目頭にじんわり浮かんだ涙を指で拭った時、目前の携帯電話から着信音が鳴った。
「……も、もしもし……?」
『あ、倫果?』
「薫……どしたの?」
耳元で響いた声にうっかり泣きそうになった倫果は、それを誤魔化す為に心にも無い冷たい対応をしてしまい、直後に後悔で更に熱いものが込み上げた。
すごく嬉しいのに、素直に弾んだ声が出せない。
言った傍から沈んだ倫果をまるで気に留めない風で、薫は変わらず柔らかく声を掛けた。
『うん、あの……もう時間遅いけど、今からちょっと出られる?』
「……え?」
『無理やったらええけど……』
「い、今どこ……?」
怖ず怖ずと尋ねた倫果に薫は、ふっと笑いを零して言った。
『窓の下』
予想外の返答に、携帯を握ったままの倫果が窓から顔を出すと、道路から倫果を見上げて、軽く手を上げつつにっこり微笑む彼がそこに居た。
びっくりして無言で固まった倫果の耳元で甘い囁きが紡がれる。
『……メリークリスマス』
そう言った薫に熱い想いが込み上げた倫果は、窓を開け放したまま、そこにあったコートを勢い良く羽織った。
そのまま、ポケットにプレゼントと携帯を突っ込んで階下へと駆け下りる。
途中から足音を殺しながらそっと玄関を開けて外に出ると、白い息を携えて先程まで倫果が居た場所を見上げている薫が居た。
「薫……何それ?」
ただ先刻と違うのは、頭にお馴染みの紅白の帽子が乗っている事で。
「サンタ」
悪戯っ子みたいに笑った薫に、自然と笑みが込み上げる。
クスクス笑ったまま、何も言えなくて佇んでいた倫果は、薫にちょいちょいと手招きされて、疑問符を浮かべながら近付いた。
何だろうと首を傾げた瞬間、薫の腕にきゅっと包まれて息が止まる。
「……ッ!」
「温かい」
そんな薫の囁き声に倫果の鼓動は一気に加速して、顔が物凄く熱くなった。
「……逢いたかった」
それは倫果が伝えたくて伝えられなかった台詞。先に言われてしまった事に何だか胸が詰まって小さく溜息を吐いた。
薫の胸の中で固まった倫果に、少し不安そうな声が落ちる。
「……やっぱ、こんな時間に迷惑やった?」
違う。迷惑なんかじゃない。
慌てて首を横に振った倫果の髪や耳を、冷たい指先がそっと滑る。
「……良かった」
ふわっと微笑んでおでこに触れた薫の唇に反応して、耳まで真っ赤に染まった倫果を嬉しそうに眺めた薫が頬を弛めた。
「…可愛」
どうにも恥ずかしくて薫の顔を見る事が出来ない倫果は、ふと手に触れたポケットの塊を無言で押し付けた。
「え? くれんの?」
驚いた薫に頬を染めて頷いた。すっかり容量オーバーな倫果は「開けてもいい?」との問いにも無言で頷くだけ。
だって、いま言葉を発したらきっと声は震えてるし、噛み噛みになってしまうから。
「わ、めっちゃ嬉しい」
包みを開けた薫が嬉しそうに早速目の前で着けてくれて、ようやくちょっとホッと安堵の息を吐いた。
「似合う?」
「うん」
見立て通り、いやそれ以上に似合う薫に素直に頷けた。やっと緊張が弛んで僅かに微笑んだ倫果を暫く無言で眺めた薫が、やがて自らのポケットを探った。
「ハイ」
何かを握った手を突き出されて思わず両手で受けると、倫果の掌に小さな箱がころんと転がった。その箱を目の前でそっと開けられると、中には小さな煌めき。
「……これ……」
「小っちゃいけど一応ダイヤ」
その石が埋まったホワイトゴールドのリングをそっと手に取った薫が、ゆっくりと倫果の左手薬指に嵌めた。
「……受け取ってくれる?」
「いいの……?」
まさか、こんなものを貰えると思っていなかった倫果が瞳を丸くして呆然と聞き返すと、
「勿論」と微笑んだ薫が彼女をそっと抱き寄せた。
「俺の愛のシルシ」
「……」
「……何か反応無いのん?」
無言のうえ無反応な倫果を、自らの身体から少し離して苦笑しかけた薫の動きが止まる。
彼の腕の中の倫果はボロボロと頬を濡らすままにしていたから。
「え、ちょっ……倫果?」
少し困惑気味に、よしよしと倫果の背中を擦る薫の手に押されるように、再びそうっと抱き着いた。
「……とも……」
「……だいすき……」
重なる鼓動の音に紛れて囁くように告げた言葉の後、より一層強く抱き締められた倫果は、溢れんばかりのドキドキに呑まれて、自らの身体を包んでいる薫の体温だけをずっと感じていた。