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前編

「……ね、さくら覚えてる? 中学ん時のユミちゃん」

「うん、覚えてるよ」

「結婚したんだって」

「えーッ、早い!」


 年の瀬も押し迫った頃、中学生の時に同級生だった仲の良い友人、堀江さくらと久し振りに会った。高校は別だったけれど、中学を卒業して5年程経った今でも交流の続く貴重な友人だ。

 温かいキャラメルラテを啜りながら次々と湧いて来る話題に花を咲かせていたら、不意に彼女の携帯が震えだした。中々止まらない所を見るとどうやらメールではなく着信らしい。


「トモ、ちょっとゴメン」


 黙って震える携帯に視線を移した倫果——一ノ瀬倫果(いちのせともか)の名を少し略した愛称を呼んで、申し訳無さそうな表情をしたさくらに「いいよ」と促したら、頬を弛めながら電話に出て嬉しそうな声を出した。


「もしもし晴輝? ……うん、えっホント? 嬉しい!」


 楽しそうに会話をするさくらを横目に、気付かれない様に微かに溜息を吐き出した。

 さくらは本当に、彼氏と仲が良くて幸せそうで、それを隠さずに素直に表す彼女はとても微笑ましいと思う。それと同時に羨ましくもある。


 倫果にも「彼氏」と呼べる人は居る。

 過去に付き合って、誤解が元ですれ違い別れてしまった人と、何の偶然かさくらを介して出逢って再び付き合いだした彼が。しかし、過去の誤解が胸に刻まれているのか、元々の勝ち気な性格の所為せいか、さくらの様に感情を露にする事が苦手なのだ。

 電話等する事が有っても、何だか気恥ずかしくて居たたまれなくなり、結局短い会話だけで切ってしまう。


「………うん、じゃあクリスマスイブ楽しみにしてるね」


 終始弾んだ声のまま上機嫌で通話を終えたさくらを暫く眺めて呟いた。


「……イブの約束?」

「うん」

「良かったね」


 微笑んだものの少し沈んでしまった倫果を、さくらが心配そうに覗き込んだ。


「トモ……?」

「ご、ゴメン。何でも無いから」


 慌てて笑顔を浮かべ直した倫果にハッと気付いたさくらが、その白く細い手で口元を覆って申し訳無さそうに口篭もった。


「……あ、そっか……薫さん、仕事? ごめんね、あたし……」

「や、気にしないで。ずっと前から分かってた事だし、仕事柄しょうがないから」


 そう早口で告げた倫果は、誤摩化す為に目の前の紅茶に慌てて口を付けた。


 倫果の彼氏の名は江藤薫(えとうかおる)という。英国の祖母の血が入った見事な金髪ぶろんどに深めのグレーの瞳が印象的な、幼い頃に憧れた絵本の王子様のような外見に数年前の倫果は一目で虜になった。

 勿論今でも綺麗な顔立ちだと思っている。しかしそれ以上に彼の中身に惹かれていて、彼以外は考えられないのが正直な所だ。


 4歳年上の彼、薫はセレクトショップで正社員をしており、彼を目当てに来店する客も多い事から、掻き入れ時であるクリスマスに休みが取れる筈も無く、必然的に倫果の予定は宙に浮いていた。

(ホント言うと、そりゃ淋しいけど……家に居ると益々淋しいからバイトでも入れようかな……)

 溜息を噛み殺しつつ考えて、ふと目の前のさくらに視線を移した。

 そういえば、

「さくら、よくバイト休めたね」


 ファーストフードでアルバイトをしているさくらは同じく忙しい筈だ。よく休みが取れたなと思いながら訊ねると、答えは意外なものだった。


「休めないよ」

「え? だって……」


 キョトンと問い返した倫果にフーッと息を吐いたさくらが言葉を繋ぐ。


「頼み込んで朝イチから午後2時までのシフトにしてもらったの」

「朝イチって?」

「午前6時」

「うわ、ハード~……」


 辟易した倫果にフフフと笑ったさくらが威張って告げた。


「愛のためだよ」


 語尾が笑いで濁ったさくらにつられて軽く吹き出した。


「そっか、頑張って」


 お互いに堪えきれなくなって笑いが止まらなくなる。お腹が痛くなるまで笑えるこんな時間はやはり貴重で、そんな時間を共有出来る事が嬉しい。


 ひとしきり会話を楽しんでさくらと別れを告げた後、一人で家路を辿る倫果が何気なくボソリと呟いた。


「……愛の為、かあ……」


 イブにデートをする為に最大限の努力をしているさくらに感心すると共に、自らを振り返って溜息再び。

(わたし、薫と居れる様に努力してるかな)

 包容力の高い薫に甘えている自覚はある。彼が怒らないのをいい事に、恥ずかしがって意地を張ってばかりの倫果は、今に愛想を尽かされるんじゃないかと心の片隅で怯えていた。

(もし、そんな事になったら……)

 想像して、泣きそうになってしまって唇を引き結んで空を見上げたら、視界に拡がったどんよりとした雲に、益々ブルーになって歩みを速めた。


(……帰ったら電話してみようかな。でも、仕事中だし。そもそも、電話して何を話せばいいの……?)

 答えの出ない思考が頭の中をぐるぐる回ってしまって、口から零れるのは溜息ばかり。

 さくらみたいに可愛い事が言えたら、こんなに悩まなくて済むのに。

 付き合っている彼に電話1本かけるだけなのに、マイナスの思考が邪魔をして勇気が出ない。

 これでは駄目だと、道端で立ち止まったまま思い切って携帯を取り出して、薫の名前を開く。

 たった11桁の数字を穴が開く程見つめて深呼吸を繰り返す。そして、震える手を通話ボタンに掛けたまま、大分躊躇しつつ息を止めて指に力を込めた。


 機械の向こうで鳴る電子音に耳を傾けながら壊れそうに主張する自らの鼓動を数えつつ、お願いだから出ないで欲しいと自分で掛けておいて意味不明な祈りを込める。


『もしもし?』


 そんな訳の分からない願いも虚しく、大好きな声が耳元で響いて一際大きく鼓動が揺らいだ。


「……ッ」

『倫果? どした? 何かあった……?』


 柔らかく訊ねる関西訛りのイントネーションに、「何でもない」と消えそうな声で呟いた。語尾は本当に聞こえなかっただろうと思う。


「………いっ忙しいのにごめん!」

『…え、とも……』


 何を言おうかと考える程に頭の中は真っ白になってしまって、倫果は思わず通話終了ボタンに手を掛けていた。そしてそのまま思考が回復する事は無く、電話を切ってしまった。

 何をやっているのだろう。これでは悪戯電話じゃないか。

 薫に電話を掛ける前よりも更に泣きそうになってしまった倫果は、家までのみちを一目散に走って帰った。


 その帰路で、鞄に押し込んだ携帯が鳴っていた事は知っていた。おそらく相手は、先程悪戯電話まがいの事をしてしまった彼であろう。でも今、その電話に出てもまた同じ状況に落ちてしまう。出ようかどうしようか迷ってる内に鳴り終わってしまって、自己嫌悪でがっくりと肩を落とした。

(可愛い事を言うってレベルじゃないし……)

 大溜息を吐いて玄関を開けた倫果は、ブーツのままその場にへたりこんだ。

 そこから動く事も出来ず、暫く重い溜息を重ねて、そっと携帯を取り出した。画面に表示された、不在着信の薫の名前が胸に刺さる。


「……ゴメン……」


 溜息に紛れそうな声を微かに漏らした倫果は、込み上げる熱いものを呑み込んでメールの画面を開いた。電話では上手く謝れない気がしたからだ。

 そうして謝罪文を打ち始めたけれど、[さっきはごめん]から先に進めずに頭を抱える。

 メールで可愛い事なんて益々言えない。何せ、後に残ってしまうのだから。

 そんなこと、考えただけでも恥ずかしい。でも、ゴメンだけじゃ意味不明だ。


 メールの文面を何十分考え込んで居ただろうか。

 座り込んだ玄関は流石に寒くて手がかじかむ。握った携帯を落としそうになって、諦めて閉じて鞄に入れた。

 新たな溜息を零しつつ、のろのろとブーツを脱ぎ掛けたらリビングの方から来客を告げるインターホンが響いて、下ろしたファスナーを再び上げて立ち上がった。


「……ハイ……」


 そっとドアを開けて顔を覗かせると、そこに息を乱した薫が立っていて、倫果の思考回路は一気に爆発した。


「なっ何で!?」

「何でって、そりゃあ……何やねん、さっきの電話」

「………ごめん」


 困った顔で地面を見つめた倫果に、躊躇いがちな薫の呟きが落ちた。


「……何があったん?」

「……」


 可愛い事言おうとして失敗したなんて言えなくて、無言を返した倫果を暫く黙って見つめた薫が辛そうな声を絞り出した。


「………他に好きな奴でも出来た……?」

「え?」


 唐突に言われた言葉が理解出来なくて茫然と薫を見遣った倫果から視線が外された。


「……俺のこと嫌い?」


 どうしていきなりそんな話になるのか。

 考えるよりも先に倫果の手は薫の服を掴んでいた。溢れそうになる涙を必死で堪えて、首を横に目一杯振って否定する。


「じゃあ……」

「……ッこ声が……!」


 思わず張り上げた声に、キョトンと聞き返されて脚が震えたけど、ここまで言って引き下がれない。

 顔から湯気が出るのを感じながら深く息を吸い込んだ倫果は、薫の服を掴んだ手に力を込めた。


「……声が、聴きたかっ……だけ、なの……」

「……」

「薫を嫌いな訳、無……」


 最後まで告げる前に、温かい腕の中に包まれていた。


「……良かったー……」


 心底安堵した様な、薫の溜息と共に吐き出された言葉に涙が出てきた。


「……仕事中なのに、つまんない事でごめん……」


 薫の肩口に埋もれてバツが悪そうに呟いた倫果の髪はそっと撫でられて、耳元に艶めいた声と吐息が掛かる。


「全然。めっちゃドキドキした」

「……ッ」

「仕事放って飛んで来た甲斐があったわ」


 苦笑気味に告げられた薫の言葉に、倫果は弾ける様に顔を上げて訊ねた。


「え? だ大丈夫!?」


 勢いよく見上げた倫果の唇に降った柔らかい感触。


「ちゃんとバイト居てるから、大丈夫」


 不意のキスの後、目の前で微笑んだ薫に真っ赤になってしまって、慌てて視線を落とす。


「仕事中に、ホントごめ……」


 再度謝りかけた倫果は抱き締めた腕に力を込められて、一層動悸が激しくなった。密着した身体から、その鼓動が伝わるかと思うと益々心臓が暴れて止められない。

 何か言わないと壊れてしまいそうで、必死で頭を回転させた結果、倫果の口から出た台詞は。


「薫のバカぁ……」


 可愛げの欠片も無い言葉に苦笑した薫は、怒りもせずに倫果の頭を優しく撫でつつ小首を傾げてにっこりと微笑みつつ訊いた。


「何で?」

「……ッ」

「ん?」

「……そんな優しいともっと甘えちゃう……」


 額までも真っ赤に染めつつ、消えそうな声で呟いた倫果の言葉にふっと笑みを零す。笑われて更に顔を熱くした倫果に薫の頬はますます弛んだ。


「笑った……」

「や、ごめんごめん」


 ちょっと拗ねて頬を膨らませた倫果にハニカんで言った。


「甘えてよ」

「だって」

「こんなカワイイ我が儘やったらなんぼでも聞くわ」

「可愛くないし……!」

 声を上げた倫果に薫は数回の瞬きをして零れるように笑った。


「自覚が無いとこが、また……」

「え? 何?」


 薫の小さな呟きは倫果には届かず、聞き返すと何でもないと微笑まれて胸にモヤモヤが残る。少し不満気な表情で見つめた倫果の頬をそっと撫でた指に鼓動が跳ねた瞬間、甘いくちづけが落ちた。


「俺、そろそろ店戻るけど……」

「……」

「……めっちゃ後ろ髪引かれるわ。そんな淋しそうなカオ」


 確かに寂しく思ったが、指摘される程に表情に出ているとは思っても見なかった。恥ずかしくて、慌てて俯いて全力で否定をする。


「そんな事無いから!」

「……一緒に来る?」


 薫に優しく問われて、思いきり首を横に振った。


「あそ」

「……」

「じゃあ、また帰ったら連絡する」


 微笑んでもう一度倫果の頭を撫で撫でして去り掛けた薫の服を思わず掴む。


「あ、あのッ!」

「うん?」


 ここで伝えなければ帰ってしまうと、体中の勇気を振り絞って声を出した。


「……来てくれて、その……ありがと……」

「どう致しまして」


 にこやかに答えられて、二の句が継げずに黙り込む。


「終わり?」

「……ッう、嬉しかった……」


 たった一言発するだけなのに、倫果の鼓動は限界まで速く全身を廻っている。


「以上?」

 この状況を楽しむ様に含み笑いで言った薫を暫く見つめた倫果がやや躊躇して呟いた。


「…………イブ、仕事……?」


 困った顔をして無言を返した薫に慌てて前言撤回する。


「ッごめ……何でもない!」


 顔を見られない様に背中を向けた倫果は、後ろからそっと抱き締められて全身が熱くなった。


「……ごめんな」


 仕事だなんて分かっていた事なのに今更こんな事を言い出して、薫を困らせて……

 自己嫌悪で喉に何かが挟まった様な錯覚を覚える。


「ち、違うの。あたしもその日バイト入れようと思ってて。……何て言うか、その、只の確認で聞いただけだから……!」


 背後から絡む薫の腕から離れて、振り向いて早口で言い訳をぶつける。

 ここで淋しいと言えない自分はやっぱり可愛くない……


「……倫果ともか

「あ、ホラ薫、店戻らないと。ゴメンね? 引き留めちゃって」

「……」


 黙ってしまった薫の顔が見られなくて、ただひたすら地面を見つめていると、薫が静かに「……じゃあ」と言った。その言葉通り彼が振り返る事は無く、パタンと閉まったドアに胸が締め付けられる様に痛くなって、唇をぎゅっと噛んで座り込んだ。

 わたしと仕事とどちらが大事かなんて、そんな馬鹿な事を言うつもりは無いけれど。

 ……でも、ホントはやっぱり。


「……淋しいよ」


 寒い玄関で独り、座り込んでボソッと呟いた言葉が益々淋しさを増した。


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