最終話 小指の約束
2年後6月
気づくと随分と深く掘っていた、あの日のように全身ずぶ濡れで靴から水が染みて気持ちが悪い。矢張りと言うべきか遺体は見つからなかった。
別の場所も掘ることを一瞬思考したがすぐに掻き消す。これ以上は時間の無駄だ。スコップを手に山を下る。風も出てきた、後方で鳴り響く雨と風が女の叫び声に聞こえてならなかった。帰宅した頃には0:00を回っていた。
体が重い、玄関にタオルなど用意しておらずフラフラとした足取りで洗面所へと向かう。洋服ごと風呂に浸かってしまいたいぐらいだったが、風呂は溜まってない。泥にまみれた手を洗うべく洗面所の蛇口をひねる。水の流れる音はいつものもの、なのに、異様なそれに剛の体は固まった。赤い、蛇口から赤い液体が流れている。喉が引きつり声が出ない、硬直した体をなんとか動かすと洗面台の横に置かれたタオルに手が触れてばさばさと床に落ちる、同時に散らばる黒く長い髪。
「あ、あ、あ、あ」
がたがたと体が震えて一歩一歩と後ずさる。神経が高ぶり心臓がばくばく脈打っている。剛の耳に何か音が入ってきた。ざざざざ、ノイズ音。やめればいいのについ耳をそばだてしまう、ざりざりと耳障りなノイズ音の中に声が混じっていた。知っている、この声を知っている。
「どうして私を殺したの?」
喉から絶叫が溢れた。足跡を残しながら玄関へと向かう、扉に飛びつくとガチャガチャと乱暴にドアノブを回す。何時もなら簡単に開く玄関が開かない。
「なんっでだよ!!どうして!!」
声が震える、ドアノブの音がする、焦りで部屋を振り返る。雷が光った。瞬間に目にしたのは捨てた筈のあの指輪。
近くで雷鳴が鳴り響く。
逃げなくては、彼女から、ここから、逃げなくては。ドアが開くと足がもつれるようにして外へと飛び出した。ただ足が勝手に動いた、雨の中、靴も履かずにただ走った、雨の音も、冷たさも何も感じない。甲高いブレーキの音で我に返える、剛の目の前には大型のトラックが迫り、気づいた時にはもう既に体は宙を浮いていた。
◇
明るい日差しを感じて剛はゆっくりと目を開けた。白いカーテンが靡いて、緩やかな時間が流れていた。病院だ。体を起こそうとしたところでうまく動けないことに気づいた。
足にギプスが嵌められていて、どうしてこんなことになっているのだろうとぼんやりと考えて目を見開いた。自分は霊である綾奈に襲われて交通事故に遭ったのだ。雨の音も雷鳴も鮮明に思い出し、体を震わせた。
「目が覚めたの?」
白い扉が開いて涼子が入ってきた。長かった髪は出会った当時のようにショートカットになっている、涼子には長い髪よりもショートカットが似合っているな。とぼんやりと思い。彼女に会えたことで剛の恐怖もゆっくりと溶けていった。
「良かった、良かった」
言葉が漏れる。雨が止んだこともあってかもうこれ以上は悲劇が起こらないようなそんな安堵感が剛を包んだ。
「トラックの目の前に飛び出したんだって?」
「あぁ」
「生きているのは奇跡だって先生が言ってたよ」
「そうか」
剛は一息ついて再び涼子に会えたことを噛み締めた。
「なぁ、やっぱり一緒に住んで欲しいんだ。あの時はどうかしてたんだ、許してほしい」
剛は涼子が頷くだろうと確信を持って話しかけた。けれど涼子は沈黙する、剛は焦った。あの時怒鳴ったのがそんなに心を傷つけていたのかと。
「……」
ぼそりと呟く声。
「え?なんて?」
「死んでしまえば良かったのに」
涼子の言葉に硬直する。彼女が何を言ったのか理解出来ない、したくない。そのまま沈黙してしまった彼女のぎゅっと膝のうえで握られた小指には見覚えのある指輪が収まっていて剛は戦慄した。
◇
優しい陽だまりのなか、小さな女の子がふたり公園でシロツメグサを編んでいた。
近くの教会の鐘が鳴り響き、ふたりは顔を見合わせて音のした方へと駆けていく。幸せな光景がそこにはあった。白いドレスに身を包んでいる花嫁と幸せいっぱいに微笑んでいる新郎。それを祝福するものも皆笑顔だった。女の子はそれに目を奪われてしばし惚けて、ふたりで綺麗だね!と笑いあう。
「あたしが結婚式する時はお祝いしてくれる?」
「当然!でも、相手の男の人が綾奈ちゃんを泣かせたらこてんぱんにしてやるんだから!」
「こてんぱん? ふふっ、じゃあ私も、涼子ちゃんを泣かせたらこてんぱんにする!約束よ!」
「うん。約束」
女の子はお互いの小指を絡めて笑いあった。




