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死体漁りの日常


 治療院の古びた扉を押し開けて外に出ると、辺境の街特有の乾いた風がシカクの頬を撫でた。

 空はどこまでも高く、突き抜けるような青色をしている。遠くには、万年雪を戴く雄大な山々が連なり、その向こうには冒険者たちが夢を追う広大な世界が広がっているはずだった。吟遊詩人が歌うファンタジーの物語に出てくるような、美しい世界。

 だが、シカクにとっての『世界』は、この薄汚れた街の路地裏と、血の匂いが染み付いた地下室だけだった。


 シカクは血にまみれた布と道具が入った重い木桶を抱え、治療院の裏手から数本通りを隔てた場所にある共同の水汲み場へと歩き出した。

 十五歳の少年としては平均的な背丈だが、日差しを浴びていないせいで肌は青白く、腕や脚の線は頼りないほど細い。重い木桶を抱えて歩くだけで、息が上がりそうになる。


「あら、見なさい。またあの子よ……」

「近寄っちゃ駄目。穢れがうつるわよ」

「死体漁りの子が、こんな昼間から何のご用かしらね。あそこの家には関わらない方がいいわ。死人の呪いが憑いてるって噂だもの」


 大通りを横切ろうとした瞬間、道端で立ち話をしていた主婦たちが、汚物でも見るような目を向けてひそひそと囁き合った。

 彼女たちの声は、わざとシカクに聞こえるような大きさだった。

 シカクは咄嗟に視線を落とし、肩をすくめて足早にその場を通り過ぎる。


(……慣れてる。こんなの、いつものことだ)


 心の中で自分にそう言い聞かせる。

 昔は、どうして自分がこんなに嫌われなければならないのかと、理不尽さに泣いた夜もあった。

 だが、今はもう何も感じないように心を麻痺させている。彼らにとって、シカクの家は「街の汚物を片付けてくれる便利な存在」であると同時に、「決して自分たちと同じ人間として扱ってはいけない底辺」なのだ。

 関われば穢れる。その絶対的なカーストが、この街には根付いている。


 コツン、と。

 背中に、軽い衝撃が走った。


「痛っ……」


 振り返ると、路地裏の木箱の陰に隠れていた数人の子供たちが、シカクに向かって小石を投げてゲラゲラと笑っていた。シカクと同年代か、少し下の子供たちだ。


「おい見ろよ、死体漁りがこっち見たぞ!」

「ゾンビの仲間だ! こっち来んな、血生臭い!」

「やーい、弱虫! 気味の悪いガキ!」


 彼らは次々と小石を拾い集め、面白半分にシカクに向かって投げつけてくる。

 額に石が当たり、ピリッとした痛みが走る。

 普通なら怒って怒鳴り返すか、石を投げ返す場面だ。しかし、シカクにはその勇気すらなかった。

 もしここで反撃すれば、彼らの親が出てきて「うちの子に死体漁りが暴力を振るった」と大騒ぎになり、父親の仕事にも影響が出る。いや、それ以前に、ひ弱なシカクが彼らと取っ組み合いの喧嘩をして勝てるはずがなかった。


「……」


 反撃する気力もないシカクは、ただ黙って痛みを堪え、彼らに背を向けて小走りで逃げ出した。

 背後から「逃げた逃げた!」「あっははは!」という無邪気で残酷な笑い声が聞こえてくる。


(怖い。痛いのは嫌だ。……早く、早くここから離れたい)


 逃げるようにして辿り着いた共同の水汲み場は、幸いなことに誰もいなかった。

 シカクは重い木桶を石畳の上に下ろし、古びたポンプをギコギコと押して冷たい地下水を汲み上げた。

 桶の中で、赤黒く染まった布をゴシゴシと洗い始める。水が血に染まり、それを流してはまた新しい水を汲む。その単純作業を繰り返しながら、シカクはぼんやりと考えた。


 頭が良い自覚はあった。

 父親から教わった医学の知識も、人体や魔物の構造に関する分析力も、同年代の誰よりも優れている自信はある。さっきの商人が見落とした奴隷の肋骨のヒビを一目で見抜けるだけの観察眼もある。

 この街のヤブ医者たちよりも、よほど正確な診断ができるはずだ。


 けれど、それが誰かに認められることは絶対にない。

「死体漁りの子」というレッテルがある限り、どれだけ正しい知識を持っていても、人々はシカクの言葉に耳を傾けることはない。


(俺には、何もない)


 力がない。剣を振る筋肉もない。

 魔力もない。簡単な火を起こす魔法すら使えない。

 勇気がない。子供の投げた小石にすら反撃できず、逃げ出すことしかできない。


 何より、この穢れた血筋に生まれた時点で、自分は一生誰からも期待されないのだと、シカクは痛いほど理解していた。

 もし自分に、剣の才能があれば。

 もし自分に、強大な魔法の才能があれば。

 誰かに認められて、「すごいな」と褒めてもらえる日が来たのだろうか。


「……無理だよな、そんなの」


 シカクは冷たい水で布を絞りながら、自嘲気味に笑った。

 痛いのは嫌いだ。怖いのはもっと嫌いだ。

 戦う力なんて持ったところで、魔物と戦うなんて想像しただけで足がすくんでしまう。

 自分は一生、この薄暗い治療院で、誰かに蔑まれながら血と死体の処理をして生きていくのだ。親父と同じように、感情を殺して、日陰でひっそりと息を潜めて。


 英雄が魔王を倒す冒険なんて、自分には縁のないおとぎ話だ。

 勇者に選ばれるのは、生まれながらに才能と勇気を持った、光り輝く特別な人間だけ。

 泥と血にまみれた自分のような人間に、世界を救う資格なんて、あるはずがないのだから。


 洗い終わった布を干すために見上げた空は、シカクの沈んだ心とは裏腹に、今日もどこまでも青く澄み渡っていた。


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