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魔導書

 悲鳴が聞こえた方向を見ると、城壁の外側で松明か何かの灯りが動いているのが黄都の目に入った。灯りの近くには大きな黒いものがおり、灯りはそれから逃げるように移動していた。


「イグニスさん、あれは」

「獣人がカリュボアに追われてるようだな」


 カリュボアは火を吐くでかい魔猪だ、とイグニスは続けた。黄都には、遠すぎて何かが動いていることしかわからなかったが、彼女には二足歩行の犬が魔猪に追いかけられているのが見えていた。


「い、急いで助けを呼びましょう! 害獣駆除業者などはありますか?」

「助けを呼ぶ? 必要ない」


 そう言いながらイグニスがカリュボアに向かって手をかざすと、瞬間、空中に魔法陣が浮かび上がり、光線が放たれた。カリュボアは一瞬で貫かれ、絶命した。エッグがイグニスに促され、カリュボアの死体の近くへ向かった。

 地面に降り立った黄都は鉄臭さに顔をしかめた。はじめ、黄都はカリュボアが匂いの発生源であると思った。しかし、匂いは座り込んで肩で息をしている獣人に近づくごとに強くなっていった。


「君、どうしたこんな所で」

「す、すいやせん。助かりました。夜に森に入っちゃぁまずいってのはわかってたんですが、子供がなくしたおもちゃを探しに勝手に……」


 平然と会話しているイグニス達を、黄都は信じられないという様な目で見ていた。匂いの発生源の正体は、獣人が抱えている腕であることに気づいたからだ。獣人の腕は両方しっかりついているので、他人の腕なのであろう。まだ千切れてからさほど経っていないらしく断面から血が滴っていた。黄都が驚愕し固まっている間にも話は続いており、村まで送ろうかとイグニスが提案していた。獣人は少し悩んだ後、お願いしますと答えた。


「了解した。では空間を接続する。しばし待て」


 そう言ってイグニスが準備を始めたころ、ようやく状況を吞み込んだ黄都はなぜそんなに冷静でいられるのかと尋ねた。


「なぜとは? ……ああ、オート君は血を見るのは初めてなのか?」

「そ、そうじゃなくて、人、ひと? ……生き物が死んだらもっと、こう、取り乱すのでは!?」

「は、死ぬ? 生前葬はしていないはずだが」


 話がかみ合わず黄都が混乱していると、背後から幼い声が聞こえた。振り返ると獣人は腕ではなく、子供を抱きかかえていた。イグニスもそれに気が付いた様子で「ああ戻ったのか」と呟き、接続が完了したことを獣人の親子に告げた。彼女の隣にはいつの間にか、空間は四角く切り取ったようなゲートが出現しており、その向こうには庭付きの家が見えた。


「ありがとうございます! ほら、お前もお礼を」

「かみさまありがとー!」


 そうお礼を言いながら親子がゲートを潜り抜け、家に入るのを確認すると、イグニスは空間を元の状態に戻した。そしていまだに混乱している黄都をエッグに乗せ、城に向かって飛び立った。


「――つまり、君がいた所では知的生命体であっても計画的に一生を終わらせることは難しい、と?」


 イグニスは眉をひそめた。国を運営できる程度の知能を持つ生き物は、ある程度の年齢で死亡する時期を決定し、死期を定める儀式を行うことにより死亡できるようになる、というものが彼女の世界における常識であった。しかし黄都の世界では日々を真面目に生きる善き者が若くして亡くなり、他者を虐げる者が長く生きる、という不条理が珍しくないらしいと知り、そんな世界で本当に社会の形成は可能なのかとイグニスは疑問に思った。


「信じ難いな……善き行いをしている者に対してすら、安らかな死を確約できない社会の規則など守ってもらえるのか?」

「さぁ、どうなんでしょう……あの、さっきの子があなたのことを神様と呼んでいましたが、イグニスさん、そうなんですか?」

「私の種族の名称だ。先生と同じ……で……」


 突然イグニスが話しを止め、上を向いたまま動かなくなった。黄都は不思議に思い彼女の視線の先を見ると、灰紫色の髪をした男がいた。


「イグニス、ただいま。隣の子はどなたですか?」


 男の口調は穏やかであり、黄都に興味を持っている素振りはなかった。男――エヴォルは、イグニスが先生と呼んでいた人物であった。黄都が異世界人だとばれていない様子にイグニスは安堵しつつ、嘘を交えて状況を説明した。


「……喧嘩」

「はい先生。ご両親と言い争いの後、家を飛び出し森に入ったはいいものの、迷って帰れなくなってしまったようで」

「それでは送って差し上げます。坊や、家はどちらですか」

「いえ!そのっ、彼は、喧嘩したばかりで気まずいので、帰りたくないらしく……」

「そうですか。では今晩はこちらに泊まりますか?」


 明日には頭も冷えるでしょうし、とエヴォルは続けた。イグニスは内心ガッツポーズをしながら黄都に返答を促した。黄都が「お言葉に甘えます」といったのを聞くと、エヴォルはエッグをしっかり畜舎に戻すように、と言い残し飛び去って行った。


「何とかなって良かったな……」


 エッグを畜舎に帰し終わったイグニスが呟いた。先生の面倒見の良さに心から感謝をしていた。ふと、隣を歩く黄都を見て、彼のいた世界について思い返す。聞いた限り、かなり過酷な世界のようだった。


「オート君、君は帰りたいか」


 急に問われた黄都は眼を見開いてイグニスの顔を見た。黄都は、もとの世界に帰りたいとは思っていなかった。しかし、帰るべきだと考えていた。禁止されるのには理由がある。もしかしたら、異世界の存在である自分がいるだけで知らないうちに迷惑がかかっているのかもしれない。


「……僕は」

「僕は、帰った方が、いいと思います」


 空には雨雲が出てきいた。輝く星々は雲で隠され、城の窓からもれる灯りのみが黄都たちを照らしていた。


「そうか、では明日でさよならだな。客室はそこの階段から2階に上がったところにある、花の模様が彫られてる扉だ。おやすみ!」


 そういうとイグニスはどこかへ走っていった。おそらく自室に戻るのだろう。黄都はその姿を見送った後、内ポケットにしまった箱を見やった。やはりこれ以上長居をするわけにはいかない。箱は、城のどこかへこっそりおいて帰ると決め、与えられた部屋へ向かった。



 2人が寝静まったころ、エヴォルは談話室にて葡萄酒を飲んでいた。ふと、部屋の空気が揺れたように感じ辺りを見回すと、椅子の上に見知らぬ分厚い本が置いてあるのが見えた。それはイグニスが燃やした魔導書だった。先刻、灰になり散った魔導書は、何事もなかったかのようにきれいな状態でそこにあった。

 エヴォルはいぶかしみながら魔導書を開いた。そこにはイグニス達には読めなかった、エヴォルにとっては懐かしい文字が記されていた。彼の額に嫌な汗がにじむ。表紙を見た瞬間から、嫌な予感はしていた。彼はこの魔導書の製作者を知っている。この魔導書が途中から白紙なことも。それは製作者が執筆の途中で殺害されたからであるということも。

 エヴォルは、道具に刻まれた記憶を読み取ることができる。落とし物を持ち主を見つけることや、その道具を前に使っていた者を調べることは、彼にとって造作もなかった。

 魔導書の記憶から、イグニスが召喚魔法を使用し黄都を異世界が呼び出した、とエヴォルは気づいた。

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