異世界の空
蒼霧黄都は首をかしげた。
先ほどまで彼は自室を掃除していた。床の掃き掃除を終え、ひと休みしようと顔を上げると、そこには見慣れたコンクリート壁はなく、古びた石壁があった。あたりを見回し、四方を石壁が囲んでおり窓が見当たらないことや空気感から、ここは地下室だろうと黄都は推測した。地下室にはいくつかの木箱と錆びた鎧があり、それらを石造りの階段に置かれたカンテラが照らしていた。そして、地下室には黄都のほかにもう一人、分厚い本を抱えた少女がいた。赤髪に金色の瞳を持つその少女は、黄都の顔を見ながら驚愕の表情を浮かべていた。
「えぇ、と?」
そう黄都が呟くと、少女は我に返り質問をしだした。
「私はイグニスという。君は?」
「え、あ、蒼霧黄都です」
「……オート君のところの相談所の職員の名前は?」
「そうだんじょ、しょくいん?」
「……君の、種族は?」
「種族、は、人間だと、思います、けど」
黄都からの返答を聞くごとに少女…イグニスの顔色は悪くなっていった。そんな彼女を心配しつつ、黄都はここは何処なのかと問う。
「ここは君の世界とは別の……あー、異世界だ。誤って君を連れてきてしまったようだ」
イグニスは、頭痛をこらえるかのように片手で頭をおさえながら答えると、黄都に背を向け階段に向かって歩き出した。
「ど、どこに行くんですか!?」
「君をもと居た場所に戻すための道具を探してくる」
イグニスが階段を二段飛ばしでのぼりその先にある扉を開いた瞬間、日光が地下室に差し込んだ。カンテラのみが光源であった薄暗い地下室は一気に明るくなり、あまりの眩しさに黄都は目を閉じてしまった。黄都が明るさに慣れ、目を開くころには、イグニスの足音は遠ざかり地下室は静まり返っていた。開いたままの扉を見つめ、少し考えた後、黄都は少女の後を追って階段を上った。
扉を抜けた黄都の目に飛び込んできたのは、見上げるほど大きな窓だった。黄都はとても驚いた。窓の大きさにではなく、窓から見える景色に、だ。
窓からは青い空、白い雲、そして雲を突き破りながら飛翔するドラゴンが見えた。
黄都は開いた口をふさぐのも忘れその光景に見入っていたが、どこからか爆発音が聞こえ、意識が現状に引き戻された。何事かと音がした方向を見ると、長い廊下の突き当りにある部屋から煙が出ているのが見えた。急いでその部屋へ向かう途中、廊下に敷かれた美しい模様の絨毯と天井のシャンデリア、そして真っ白な壁に掛けられた大きな絵画を見て、黄都は自分が城の中にいるのだと気づいた。部屋にたどり着き中を見ると、焦げた扉と分厚い本が床に転がっており、奥にはイグニスがいて収納棚の中身を片っ端から出していた。黄都は本を拾い上げ、表面についた煤を払いながらイグニスに声をかける。
「あの、探し物手伝いましょうか? 何を探せばいいんですか?」
「ん? あぁ、助かる。黄色い宝石がついている、細長い緑色の箱を探しているんだ。私はここを探すから、君はそちらの棚を探してくれ」
「その探してる箱ってたくさんあるんですか?」
「いや、1つしかなかったはずだ」
黄都はうなずき、指定された棚を開け、箱を探し始めた。しばらく棚の中を探していると、イグニスが示した特徴と酷似した箱を発見した。
(これかな、これだといいな)
心の中でそう祈りながら、黄都は上着の内ポケットに箱を隠した。
暫くして、イグニスは困り果てていた。箱は見つからないまま、時間だけが過ぎていった。探し始めたときにほぼ真上にあった太陽は沈みかかり、空には星が輝きだしている。イグニスはすでに箱をあきらめ、「先生」にどのような言い訳をすべきか考えていた。
「……よし、オート君!」
「は、はい」
ぼんやりと夕日を眺めていた黄都は、急に名を呼ばれ驚き、心臓をバクつかせながら振り向いた。
「ドラゴンに乗りたくはないか」
「はい?」
あれよあれよという間に黄都は庭に連れ出され、畜舎でのんびり草を食べていたドラゴンの背に乗り、空を飛んでいた。夜が浸みこみ始めた風を裂き、ドラゴン ―名前は「エッグ」という― は進む。風は冷たいが、エッグが温かいのでかなり快適であった。
「あの、イグニスさん、急にどうしたんですか?」
「気分転換だ」
「はぁ」
「おかげで案を思いついた。まず今の状況を説明するからしっかり聞いてほしい」
黄都は何についての案なのかもわからなかったが大人しく話を聞いた。イグニスの話の内容とは、まずこの世界には魔法が存在するということ。そして、異世界の存在を持ち込むことは固く禁止されているということ。イグニスはあの城で「先生」と暮らしており、黄都が異世界から来たと知られた場合、イグニスは怒られるということ。前例がイグニスが知っている限りでは存在していないため、黄都の処遇がどうなるかは不明であるということ。「先生」は今晩この城に帰ってくる……といったもので、黄都は「なるほど」と相槌をうった。
「オート君を帰すための道具が見つからないから、先生に作っていただくしかない。明日の昼までには作り終わるはずだ。それで、先生に見つからないよう今晩ここで野宿をしてもらいたい」
続けてそうイグニスに言われ、下を見ると鬱蒼とした森が広がっていた。黄都は生まれてから1度も野宿を経験したことがない。そもそもドラゴンがいるような世界での野宿は危険すぎるのではないか、とイグニスに問う。
「危険生物はこの森にはいない。城の敷地内だから結界がはってある」
その言葉を聞き、黄都が辺りを見ると城壁らしきものが確認できた。壁は森から庭園、城までをぐるっと囲んでいる。森がある庭など黄都は想像したこともなかった。呆気にとられ、持っていた本を落としそうなったがすんでのところでキャッチすることができた。なんとなく本を開き、ページをめくると、見たことのない手書きの文字や記号が並んでおり、途中からは何も書かれていない白紙のページが続いていた。
「わかりました。野宿すればいいんですね。……この本、完成してないのかな、イグニスさんのなんですか?」
「うん?」
「ほらこれ、地下室で持ってましたよね? 何が書いてあるんですか?」
「いや、私のものではない。森でみつけたんだ。内容は詳しくはわからない。その本に記されているのは私の知らない文字だ。渡してくれ、焼くから」
「あ、はい……焼く!?」
さらりととんでもないことを言い出したイグニスに、黄都は渡そうとした手をひっこめた。なぜ焼こうとするのかと尋ねると、異世界から生物を連れてくるような魔法が記載されている書物は禁書であり、即刻破壊すべき対象と定められている、という答えが返ってきた。
「知らない文字で書かれてるのに内容がわかったんですか?」
「その本は通常の本ではない。魔導書だ。魔法を使用する際に用いる。実力がなくとも文字をなぞるだけで魔法が発動できる便利なものなのだが、それで……」
イグニスはいったん口を閉じた。続く言葉、黄都が異世界に来てしまった理由を伝えるべきか否か数秒の逡巡の後、隠しているのは不誠実であると考え、話を再開した。
「……偶然、散歩中にそれを拾い、私の知らない文字にテンションが上がってしまい、ろくにその文字について調べもせず、いろんな魔法を発動させ遊んでいたんだが、多分、その内の、どれかが、君を、ここに、連れてきたようで……その、すまない」
話の途中からイグニスの声はどんどん小さくなっていった。あらためて自分の所業を並べてみると、浅慮にもほどがあり、涙が出そうになった。黄都は話を聞き終わると納得し、持っていた本――魔導書を手渡した。黄都の手が離れた瞬間、魔導書は燃え始め、数秒後には灰となって舞い散った。辺りはすっかり暗くなり、満天の星空が浮かんでいた。未だに目をそらし続けているイグニスの顔を見ながら、黄都は口を開いた。
「僕は、怒ってないですよ。むしろ感謝してます。いろんな、きれいなものが見れましたから」
黄都がさらに言葉を続けようとした瞬間、耳をつんざくような叫び声が響き渡った。




