追放されたS級清掃員、配信切り忘れで伝説になる ~「ただのゴミ掃除」と言って神話級ドラゴンを消し飛ばしていたら、世界中がパニックになっていますが?~
【おしらせ】
続編追加しました。
https://ncode.syosetu.com/n6134ls/
第1話:その男、視界不良につき
「灰坂ソウジ。君の『視界』は、もう時代遅れなんだよ」
2026年、東京。
国内最大手の探索者クラン『レイディアント』の支部長室。
冷徹な新リーダー・剣崎は、デスクの上に黒光りする球体を置いた。
「軍事用自律清掃ドローン『SAMBA-Mk V』だ。処理速度は君の150倍。判断ミス率0.001%。君のような『職人の勘』に頼る不確定要素は、今の経営戦略には不要だ」
対する俺――灰坂ソウジ(38歳)は、顔の半分を覆う無骨な『ゴーグル』の位置を直しながら、困ったように頭をかいた。
「支部長。そのドローン、確かに速いですが……『未知の汚れ』に対応できますか? ダンジョンの穢れは、マニュアル通りにはいきませんよ」
「そのアナログな思考がコストだと言っているんだ!」
剣崎が吐き捨てる。
俺はため息をついた。彼には分からないのだ。
俺がこの『真実の魔眼』――通称・解析ゴーグルを通して見ている、世界の本当の姿が。
俺の視界には、常に無数のウィンドウが重なって見えている。
このゴーグルは、かつてダンジョンの奥底で拾った呪いの遺物。
あらゆる敵意や脅威を「汚れデータ」に強制変換し、最適な清掃手順をナビゲートしてくれる代物だ。
おかげで俺は、どんな怪物が相手でも恐怖を感じずに「仕事」ができる。
だが、その代償として――俺にはもう、世界が「汚部屋」にしか見えなくなっていた。
「分かった。権利書を置いて出ていけ。退職金代わりの『廃棄ダンジョン』だ」
「……例の、新宿地下の不法投棄エリアですか?」
「ああ。AIですら処理不能と匙を投げたゴミ溜めだ。時代遅れの人間にはお似合いだろう?」
剣崎は嘲笑った。
だが、俺のゴーグルが弾き出した『廃棄ダンジョン』の評価データは、彼の認識とは真逆だった。
【警告:S級汚染源を探知】
【推奨:直ちに入店し、完全洗浄を行ってください】
【報酬予測:測定不能(極大)】
(……マジかよ。宝の山じゃないか)
AIが処理不能と判断したのは、汚れが頑固すぎるからだ。
つまり、俺のようなプロの腕の見せ所ということだ。
「ありがとうございます、支部長! 最高の現場ですね!」
「……は? ショックで回路がイカれたか?」
俺は満面の笑みで深く一礼し、足取り軽く部屋を出た。
早く行かなくては。
俺のゴーグルが、真っ赤なアラートで「早く綺麗にしてくれ」と叫んでいるのだから。
***
新宿地下、深度2000メートル。
防毒マスクが必要な廃棄エリアに到着した俺は、慣れた手つきで愛用の機材を展開した。
「まずは現場保存っと」
ヘルメットに装着したアクションカメラ『ComePro』のスイッチを入れる。
……つもりだった。
ゴーグルの分厚いレンズ越しだったせいで、俺の指は「録画」ボタンの隣にある「緊急災害配信」ボタンを押し込んでしまっていた。
だが、今の俺にそれを確認する余裕はない。
なぜなら、目の前のヘドロの海が割れ、とてつもない「汚れの塊」が出現したからだ。
「GYAOOOOOOOOOOO!!!」
地響きのような咆哮。
一般人の目には、それは全長50メートルの神話級モンスター『ダスト・ドラゴン』に見えるだろう。
しかし、俺のゴーグル越しに映る姿は違っていた。
【解析完了:有機性油膜の集合体】
【汚染レベル:S(災害級)】
【弱点:強アルカリ性洗剤にて被膜を中和可能】
敵のHPバーは『汚れ残存率』として表示され、
敵のブレス攻撃は『悪臭ガスの噴出』として警告される。
俺にとって、これは命がけの死闘ではない。
ただの、ちょっと手ごわい「業務」だ。
「うわぁ、酷いこびりつきだな……。換気扇の油汚れよりタチが悪い」
俺は腰のホルスターから、黄色いボトルの『スライムキラー・ハイパー(業務強酸性モデル)』を抜き放った。
同時に、世界中の端末に「緊急配信アラート」が届き始めていることなど知らず、俺は職人の顔でトリガーに指をかけた。
「さて、大掃除といきますか」
第2話:それは戦闘ではない、ただの『染み抜き』だ
その時、日本中のスマホが震えた。
D-Liveの緊急災害チャンネルが、新宿地下で発生した異常事態を通知したからだ。
『S級災害認定:ダスト・ドラゴンの覚醒を確認』
お昼時のサラリーマン、授業中の学生、家事の合間の主婦。
数千万人が一斉に画面を開く。
そこに映し出されていたのは、地獄のような光景だった。
腐敗したヘドロの海から鎌首をもたげる、ビルほどもある巨大なドラゴン。
そして、その足元に立つ、くたびれた作業着姿の小さなオッサン。
『は? 誰これ』
『一般人!? 逃げろオッサン死ぬぞ!』
『いや待て、あれダスト・ドラゴンだぞ! S級モンスターじゃねえか!』
『終わった……これ国家転覆レベルの災害だぞ』
絶望的なコメントが流れる中、灰坂ソウジだけは冷静だった。
いや、彼の目には「絶望」など映っていなかった。
彼の装着した『解析ゴーグル』のレンズには、無機質なARウィンドウがポップアップしていたからだ。
【警告:特大の「複合汚れ」を検出】
【種別:換気扇の油汚れ(数百年モノ)】
【推奨:強力アルカリ洗浄剤による中和】
「うわぁ……やっぱり油汚れか。しかも層が厚いな」
ソウジは眉をひそめた。
彼には、眼前の神話級モンスターが「キッチンの換気扇にこびりついた、茶色いネバネバの塊」にしか見えていない。
数百年蓄積されたドラゴンの魔力障壁も、彼にとってはただの「頑固な油膜」だった。
「グルルルルゥ……!!」
ドラゴンが大きく息を吸い込む。
口腔内にどす黒い紫色の霧が充満する。触れれば骨まで溶ける、即死級の腐敗ブレスだ。
『ブレス来るぞ!!』
『アカン』
『グロ注意』
視聴者が画面から目を背けようとした瞬間。
ゴーグルが赤いアラートを点滅させた。
【警告:悪臭ガスの噴出を確認】
【対処:消臭および除菌を行ってください】
「ったく、換気もしないで焼き肉したのか? 臭うんだよ!」
ソウジは腰のホルスターから、黄色いボトルを抜き放った。
トリガーに指をかけ、ドラゴンの口内めがけて一気に噴射する。
「くらえ、『スライムキラー・ハイパー(業務強酸性モデル)』!」
シュッシュッ、と軽快な音が響く。
ノズルから放たれたのは、彼が独自に調合した、界面活性剤濃度99%の特製洗剤だ。
それがドラゴンの口内に着弾した、次の瞬間。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
鼓膜をつんざく絶叫が響き渡った。
洗剤に含まれる成分が、ドラゴンの魔力障壁(油膜)と化学反応を起こし、激しい白煙を上げて分解(乳化)していく。
『!?』
『ファッ!?』
『何が起きた??』
『今、洗剤かけただけだよな? なんでドラゴンが悶絶してんの?』
『目に入ったんじゃね?』
『いや、HPバー見てみろ! 「魔力障壁」が全損してるぞwww』
視聴者の混乱をよそに、ソウジはゴーグルの表示を見て「よし」と頷いた。
【進捗:表面コーティングの剥離に成功】
【ステータス:汚れが浮きました】
「うんうん、いい感じで汚れが浮いてきたな。やっぱプロの洗剤は違う」
彼にとっては、相手の悲鳴は「汚れが落ちていく音」にしか聞こえない。
激痛に狂ったドラゴンは、なりふり構わず巨大な前足を振り上げた。
質量数トンの踏みつけ。
物理的な破壊力が、ソウジの頭上に迫る。
だが、ゴーグルの解析は冷徹だ。
【警告:泥汚れの付着を予測】
【対象:泥だらけの靴】
【推奨:モップによる拭き上げ】
ソウジの目には、それが「掃除したばかりの床を汚そうとする泥だらけの靴」に見えていた。
「あーっ! こら! そこワックス掛けたばっかりだぞ!」
カッッッ!
ソウジの愛用モップが閃いた。
それは剣術のような鋭い一撃ではなく、あくまで手首のスナップを利かせた「床拭き」の動作。
だが、スキル【完全清掃】の概念干渉が乗ったそのモップは、ドラゴンの前足を「床に不要なゴミ」と判定した。
――ズンッ。
床に叩きつけられたのは、ドラゴンの足首から先が消失した断面だった。
血は出ない。
切断面は、まるで最初からそこになにも無かったかのように、ピカピカに磨き上げられていた。
「GYAGYAAAAAAAAAAAA!!!」
バランスを崩し、巨体が横倒しになる。
『うおおおおおおおおおおおおおお!』
『足消えたああああああああああ!』
『斬ったんじゃない、拭き取ったんだ! マジで何者だこのオッサン!?』
『背中のロゴ見ろ! レイディアントの清掃員だぞ!』
『同接100万人突破www』
画面の向こうで世界中が熱狂し、スパチャの雨が降り注ぐ中。
当のソウジは、消しゴムで消したように消滅したドラゴンの足跡を見て、ゴーグルの中で深いため息をついていた。
【評価:拭き残しあり】
「はぁ……やっぱり安物のモップじゃ、キレが悪いな」
彼は額の汗をぬぐい、倒れ伏すS級ドラゴンを見下ろす。
「さて。こびりついた汚れの核(心臓)、ピンセットで摘出するか」
彼が腰のポーチから工具を取り出したその姿は、英雄というよりは、精密機械の修理工そのものだった。
第3話:AIの敗北、職人の勝利
「さて、最後は『ゴミの分別』だな。新宿区のルールは絶対だからな」
S級モンスター、ダスト・ドラゴンの巨体が横たわる中、灰坂ソウジは事務的な手つきで作業を進めていた。
彼はドラゴンの胸部に手を突っ込むと、赤黒く脈打つ心臓を、まるで古くなった乾電池でも抜くかのようにスポンと引き抜いた。
その瞬間、ゴーグルの解析ウィンドウが緑色の文字を表示する。
【解析:高純度エネルギー結晶体】
【分類:資源ゴミ(リサイクル可)】
「よし、これは資源ゴミっと」
核を失ったドラゴンの巨体は、さらさらと光の粒子となって崩れ落ちた。
同時に、ダンジョンの壁や床を覆っていたヘドロや瘴気が、ソウジのスキル【完全清掃】の余波によって一気に浄化されていく。
数分前まで地獄のような汚泥にまみれていた廃棄区画は、今や高級ホテルのロビーのように、クリスタルの輝きを放つ聖域へと変貌していた。
『うっわ、画面が眩しい』
『ビフォーアフターの匠かよ』
『これ、俺らが知ってる廃棄ダンジョンか?』
『ドラゴンの心臓を資源ゴミ扱いすんなwww』
『同接150万人突破! トレンド1位キタコレ!』
視聴者数が爆発的に伸びる中、ソウジはピカピカになった床に腰を下ろし、腰のポーチから缶コーヒーを取り出した。
一仕事終えた後の至福の一杯。
背景には、ダイヤモンドのように輝くダンジョンの壁。
その優雅な姿は、まさに『王の休息』だった。
――一方その頃。
地上の別の場所では、本物の地獄が展開されていた。
***
「ええい、動け! 動けええええッ!」
千葉県にあるB級ダンジョン『翠玉の樹海』。
大手クラン『レイディアント』の新リーダー、剣崎の絶叫が木霊していた。
彼らが挑んでいるのは、本来なら余裕でクリアできるはずの中難易度ダンジョンだ。
しかし現在のパーティの状態は、壊滅寸前だった。
「リーダー! 盾役の鎧が謎の粘菌でドロドロです! 予備はありません!」
「ポーションが尽きました! 状態異常が治せません!」
「くそっ、おい! 自慢のドローンはどうした! 『SAMBA-Mk V』は何をしてるんだ!」
剣崎が怒鳴りつける先には、泥濘にはまってその場でウィーンウィーンと空転している、黒い球体ドローンの姿があった。
「ダメです! エラーを吐いて停止しました!」
部下が蒼白な顔でタブレットを差し出す。
画面には、無機質なエラーログが表示されていた。
『Error:未定義の汚染物質を検知』
『Error:マニュアルNo.404に該当なし』
【解決策:管理者へ問い合わせてください】
「ふざけるなッ! 一機一億だぞ!? なんでただの泥汚れに対応できないんだ!」
剣崎は泥だらけの顔でドローンを蹴り飛ばした。
最新鋭のAIは、過去の膨大なデータから「最適解」を導き出すことには長けている。
だが、ダンジョンは常に変化する生き物だ。
昨日なかった場所に苔が生え、見たことのない粘菌が湧く。
これまでは、そんな「データにないイレギュラー」を、一人の職人が黙々と処理していた。
マニュアルにはない経験則と、指先の感覚だけで。
だが、その職人を、剣崎は数時間前に「データ上のノイズ」として切り捨てたばかりだった。
「ぐわっ!?」
足元のヘドロに足を取られ、剣崎が無様に転倒する。
高価なミスリルの剣が泥水に沈み、錆びついていく。
「ちくしょう……なんでだ、なんでこんな簡単な攻略ができないんだ……!」
***
その醜態は、皮肉にもD-Liveの『レイディアント公式チャンネル』で配信されていた。
そして、視聴者たちは残酷なほどに敏感だ。
彼らはすぐに、二つの画面を見比べ始めた。
片や、B級ダンジョンの泥沼で、最新鋭メカと共に泥まみれになり、悲鳴を上げるエリート集団。
片や、S級ダンジョンの最深部で、神話級ドラゴンを瞬殺し、宝石のような空間で優雅にコーヒーを啜るオッサン。
そして、誰かが気づいてしまった。
『おい、おっさんの背中見ろ』
『ん? ツナギのロゴ……』
『あれ、泥まみれになってる剣崎のとこのロゴと一緒じゃね?』
『R……Radiant……【レイディアント】だ!!』
コメント欄が一気に加速する。
ネット探偵たちの特定作業は早かった。
『特定しました。このおっさん、レイディアントHPの職員紹介の端っこに載ってた「清掃担当 H.Souji」だわ』
『でもさっき、HPから名前消されたぞ?』
『つまり……クビになったってこと?』
『【悲報】レイディアントさん、S級戦力を追放して、代わりに役立たずのドローンを導入してしまう』
『うわぁ……今のレイディアントの配信見た? 「マニュアルにない!」ってキレてるよ』
『答え合わせ完了じゃんwww』
情報のパズルが組み合わさり、一つの真実が浮かび上がる。
「数値」しか見なかったクランが没落し、「現場」を見続けた男が評価される。
それは、現代社会に疲れた人々が最も求めていた、痛快な逆転劇だった。
『ざまぁwwwwww』
『逃がした魚がクジラすぎた件』
『剣崎オワタwww おっさん、戻らないでくれよ頼むから』
『↑大丈夫だ、おっさん今、コーヒーのおかわり入れてる』
SNSのトレンドワードが塗り替わっていく。
1位:#清掃員のおっさん
2位:#スライムキラー最強
3位:#レイディアントの没落
世界中がソウジを称賛し、かつての古巣を嘲笑する中、当のソウジはゴーグルの中にポップアップした文字を見て、のんびりと独りごちた。
【休憩時間終了】
【次の業務を開始してください】
「さて、と。残りのシミも落として帰りますか」
彼が立ち上がると同時に、世界中からオファーのメールが殺到し、端末が震え始めた。
しかし、ソウジは眉をひそめただけだった。
「うわ、なんだこの通知量。……仕事の邪魔だから、通知オフにするか」
彼にとっては、世界からの賞賛よりも、目の前の「汚れ」の方がよほど重要な関心事だったのだ。
第4話:通知オフの英雄
「ふぅ……。休憩も終わったし、残りの業務を片付けるか」
ピカピカに磨き上げられたダンジョンの深層で、灰坂ソウジは腰を上げた。
彼がモップを握り直したその時だった。
ブブブブブブブブブブブブブブブブッ!!!
腰のスマホが、壊れたマッサージ機のような勢いで振動を始めた。
同時に、彼の視界を覆うゴーグルの内側に、真っ赤な警告ウィンドウが大量発生する。
【警告:外部通信の過多を確認】
【着信数:9,999+】
【システム負荷:増大中】
「うおっ!? なんだ、ウイルスか!?」
ソウジは慌てて画面を覗き込む。
そこには、世界中の重要機関から送られたオファーメールが滝のように流れていた。
『件名:【至急】呪われた国宝の洗濯依頼について(差出人:王立博物館)』
『件名:核汚染迷宮の除染見積もりの件(差出人:米国政府)』
『件名:魔王城のトイレ掃除をお願いできませんか(差出人:魔王軍・総務課)』
だが、ソウジのゴーグルは、これら全てのメールを【業務外のノイズ(スパム)】として自動分類していた。
彼には、それが世界を揺るがす依頼ではなく、ただの迷惑メールに見えているのだ。
「参ったな……。どこの業者がメアド漏らしたんだ? 『魔王城のトイレ』とか、最近のスパムは手が込んでるな」
彼が呆れてつぶやくと、コメント欄がどっと沸いた。
『スパム扱いワロタwww』
『米国政府からの依頼だぞwww』
『魔王軍、トイレ掃除で困ってるのかよ』
『おっさん、その依頼受けたら国家予算レベルの報酬だぞ!』
視聴者の興奮をよそに、ソウジはふと思い出したようにカメラに向かって語り掛けた。
「ああ、そういえばさっきの汚れ(ドラゴン)のことですが。あれはキッチンの換気扇によくある『酸化した油汚れ』ですね。スライムキラーを原液で使わないと落ちませんでしたから、皆さんも掃除の際は換気を忘れないように」
『ドラゴン=油汚れ』
『名言きたwww』
『S級ドラゴンを換気扇扱いする人類、こいつだけ説』
『謙虚すぎるだろ……! 一生ついていきます!』
ソウジのゴーグル越しの認識と、世間の認識。
その決定的なズレが、新たな信者を生み出していく。
その時だった。
スマホの画面が切り替わり、通話着信が表示された。
ゴーグルが発信者IDを解析し、情報をポップアップさせる。
【発信者:元・雇用主(剣崎支部長)】
【危険度:D(無視推奨)】
「げっ」
ソウジは露骨に嫌な顔をした。
数時間前に自分をクビにした元上司だ。
出たくはないが、退職手続きの不備か何かだろうか。真面目なソウジは、渋々通話ボタンを押した。
「……はい、もしもし」
『おいソウジッ!! 今すぐ戻ってこいッ!!』
スピーカーから、鼓膜が破れそうな絶叫が響いた。
背景からは「ギャーッ!」「溶けるゥ!」という悲鳴と、何か(おそらく一億円のドローン)が爆発する音が聞こえる。
『大変なんだよ! ドローンが全滅した! 床は滑るし、罠は作動するし、装備は腐るし……もう限界なんだよぉ!』
剣崎の声は涙声だった。
エリートのプライドなどかなぐり捨て、必死に懇願してくる。
『給料は倍……いや、3倍出す! 幹部待遇で迎えてやる! だから今すぐそっちの掃除をやめて、こっちに来てくれぇぇぇ!』
その言葉は、常人なら心が揺らぐかもしれない。
しかし、ソウジの視界には、ゴーグルが映し出す「現在の業務ステータス」が表示されていた。
【現在のタスク:巨大粗大ゴミ(未知の鉱石)の研磨】
【進捗率:15%】
【警告:ここで中断した場合、汚れが再付着する恐れがあります】
職人として、仕事を途中で放り出すこと。
それは、彼にとって最も許しがたい行為だった。
それに、ゴーグルも「中断するな」と警告している。
「あー、すみません支部長」
ソウジは、まったく悪びれずに言った。
「今、ちょっと立て込んでるんで」
『はぁ!? ゴミ掃除と俺たちの命、どっちが大事だと思って――』
「ここの汚れ、かなり頑固なんですよ。あと3時間はかかりそうなんで、失礼しますね」
『待て! 切るな! おい、ソウジぃぃぃぃぃ――!』
ピッ。
ソウジは無慈悲に、通話終了ボタンを押した。
ついでに、ゴーグルのメニュー画面を操作し、【集中モード(全通知ブロック)】を起動する。
「ふぅ。集中力が途切れちまったな」
彼はスマホをポケットにしまい、再びモップを握り直した。
全世界が見守る前で、元上司からの「給料3倍オファー」を、目の前の汚れ仕事を優先して秒速で切り捨てたのだ。
『うおおおおおおおおおおおお!』
『ガチャ切りwww クソワロタwww』
『「立て込んでるんで(世界救済中)」』
『3倍の給料より掃除を優先する男』
『これがプロフェッショナルか……!』
『剣崎ざまぁぁぁぁぁぁぁ!』
コメント欄の興奮が最高潮に達する中、ソウジは眼前の巨大な岩山(と彼が認識しているもの)に向き直った。
ゴーグルが、その対象物をターゲットロックする。
【ターゲット:未鑑定の巨大鉱石】
【汚染度:表面に酸化被膜あり】
【推奨:全力研磨】
「さて、と。このデカい粗大ゴミも片付けないとな」
彼が見上げているのは、ただの岩山ではない。
ダンジョンの最深部に鎮座する、国家予算数年分の価値を持つ超レア素材――のちに彼を億万長者にする『オリハルコンの山』だった。
第5話:世界で一番きれいなもの
「よし、これで粗大ゴミの処理も完了っと」
灰坂ソウジは、目の前にそびえ立っていた「黒ずんだ岩山」を、愛用のモップと研磨剤で磨き上げていた。
ゴーグルの視界には、作業完了のステータスが表示されている。
【タスク完了:表面酸化被膜の除去】
【輝度:S+(鏡面仕上げ)】
数分前まで薄汚れた岩塊だったそれは、今や鏡のように光を反射し、虹色の輝きを放っていた。
『目が、目がぁぁぁ!』
『眩しすぎて画面直視できねえwww』
『これ、ただの岩じゃないぞ……鑑定スキル持ちの俺が断言する』
『これ全部、純度99.9%のオリハルコンだ』
『【速報】おっさん、掃除のついでに国家予算レベルの資産(数兆円)を発掘する』
コメント欄が「億万長者確定」「石油王ならぬ清掃王」と騒ぎ立てる中、その「岩山」から突如として淡い光が溢れ出した。
光は人の形を成し、一人の少女の姿となる。
透き通るような青い髪、宝石のような瞳。
このダンジョンの管理者――ダンジョン・コアの精霊だ。
彼女が現れた瞬間。
ソウジの視界を支配していた無機質なゴーグルが、異変をきたした。
【解析中……】
【解析中……】
【エラー:汚れデータを検出できません】
「……え?」
ソウジは息を呑んだ。
この呪いのゴーグルをつけてから数年、彼の目には世界中のあらゆるものが「掃除対象」か「汚れ」にしか見えなくなっていた。
花を見れば「枯れ葉ゴミ」と表示され、人を見れば「皮脂汚れの塊」と表示される。
色褪せた、灰色の世界。
――だが、目の前の少女だけは違った。
【対象:Unidentified(未確認)】
【判定:Pure Light(純粋な光)】
無粋なウィンドウの奥で、彼女だけが鮮烈な色彩を放っている。
汚れなど一つもない。
ただただ、美しかった。
「……あ、あの」
少女は頬を赤らめ、モジモジしながらソウジを見つめた。
「こんなに優しく磨かれたの、生まれて初めてです……♥」
通常、探索者たちはコアを破壊するか、乱暴に採掘しようとする。
しかしソウジは、傷一つつけず、ただひたすらに「綺麗にする」ことだけを考え、慈しむように磨き上げたのだ。
その職人愛に、ダンジョンの意志そのものが陥落した瞬間だった。
「……お嬢ちゃん、綺麗だな」
ソウジの口から、無意識に本音が漏れた。
それは数年ぶりに、彼が世界の美しさを認めた言葉だった。
「へっ!? き、綺麗だなんて……!」
「ああ。こんな綺麗な場所に一人でいたのか? 迷子か?」
しかし、そこはやはりソウジだ。
彼は感動しつつも、相手を「ダンジョン撮影中に迷子になったレイヤーの女の子」だと勘違いし、親切に声をかけた。
「ここは空気が悪いから、早く地上に出たほうがいいぞ。あ、そうだ。このキラキラした石ころ、邪魔ならあげるよ。漬物石にでもしてくれ」
『!?』
『オリハルコン(数兆円)を漬物石扱いwww』
『精霊ちゃんにあげちゃうのかよ!』
『プロポーズかな?』
『精霊ちゃんの好感度がストップ高です』
少女は目を輝かせ、オリハルコンの欠片を胸に抱きしめた。
「はい! 一生大事にします! 一生ついていきます、マスター!」
彼女の笑顔が弾けた瞬間、ソウジのゴーグルに小さな通知が表示された。
【新着タスク:迷子の保護】
【難易度:S(一生モノ)】
「やれやれ。手のかかりそうな案件だ」
ソウジは苦笑しながらも、その視界の端で、久しぶりに世界が少しだけ輝いて見えるのを感じていた。
***
それから、数週間後。
日本のダンジョン業界は激変していた。
かつて最大手と呼ばれたクラン『レイディアント』は、主力メンバーの離脱と攻略失敗が重なり、事実上の解散状態に追い込まれていた。
元支部長の剣崎は、責任を問われて更迭。今は地方の小さなダンジョンで、エラーを吐き続けるポンコツドローンと共に一からやり直しているという噂だ。
対照的に、都内の一等地に新しいビルが建った。
ビルの屋上には、モップと『ComePro』、そして『スライムキラー』のボトルをあしらったユニークなロゴマークが掲げられている。
【株式会社 クリーン・ファンタジー】
それが、灰坂ソウジが立ち上げた新しい会社だ。
業務内容は「ダンジョン内の環境美化」および「特殊清掃」。
しかし、世界中から舞い込む依頼は「S級ドラゴンの討伐(清掃)」や「呪いの解除(漂白)」ばかりである。
「社長! アメリカ政府から『エリア51の地下倉庫を片付けてくれ』って依頼が来てます! あと、魔王軍から『定期清掃契約』の打診も!」
秘書として雇われた青髪の少女(元ダンジョン・コア)が、分厚い書類を持って駆け寄ってくる。
彼女はもう、ソウジのゴーグル越しでも「綺麗な存在」として認識される、唯一無二のパートナーだ。
社長室のデスクで、ソウジは新しいツナギに袖を通しながら苦笑した。
「やれやれ。どいつもこいつも、掃除くらい自分でやればいいのになぁ」
彼はデスクの上に置かれた『ComePro』を手に取り、ヘルメットに装着する。
今度は、ちゃんと録画ボタンと配信ボタンの位置を確認して。
「よし、行くか。世界を綺麗にするのが、俺たちの仕事だ」
ソウジはデッキブラシを剣のように肩に担ぎ、颯爽と歩き出した。
向かう先は、人類未踏の難攻不落ダンジョン『パンデモニウム』。
彼にとっては、ただの「やりがいのある汚部屋」に過ぎない場所だ。
「あ、社長! また配信ボタン押してますよ!」
「え? 嘘だろ!? この機種、やっぱ設計ミスだって!」
『知ってたwww』
『待ってました社長!』
『さあ、今日の大掃除(伝説)の始まりだ!』
画面の向こうで数百万人の視聴者が見守る中、伝説の清掃員の新たな一日は、いつものドタバタと共に幕を開けるのだった。
【完】
読者のみなさん、こんにちは。
株式会社クリーン・ファンタジー代表の灰坂ソウジです。
このたびは、私の業務記録……あ、いえ、物語を最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。
正直なところ、いち清掃員にすぎない私の日常が、なぜこれほど注目されているのか未だにピンときていません。
コメント欄やSNSで「神話級ドラゴンを倒した!」とか「伝説の英雄だ!」といった声を多数いただいていますが、改めて訂正させてください。
あれはただの「長期間放置された換気扇の油汚れ(強固)」です。
ドラゴンに見えたとしたら、それは恐らく照明の当たり具合か、皆さんの集団幻覚かと思われます。
しっかり換気をして、定期的にアルカリ性洗剤で拭けば、誰でも落とせるものです。
あと、配信の件については本当に申し訳ありませんでした。
『ComePro』のメーカーには、「録画ボタンと配信ボタンが近すぎて、グローブをした指だと誤爆する」というクレームを入れておきました。
次回からは気をつけるつもりですが、もしまた配信が始まってしまったら、「あ、また誤操作したな」と生温かい目で見守っていただければ幸いです。
それと、新入社員(元ダンジョン・コアのお嬢さん)のことですが、彼女は非常に優秀です。
何より「汚れがない」のがいい。
私のゴーグル越しでも光り輝いて見えるので、暗いダンジョンでの作業中、懐中電灯代わりになって助かっています。
本人は「懐中電灯じゃないです!」と頬を膨らませていますが、まあ、やる気があるのは良いことです。
余談ですが、これだけは伝えておきたい掃除のコツを一つ。
「汚れは、溜めるな。すぐ落とせ」
心の汚れも、換気扇の油も一緒です。
時間が経てば経つほど酸化して、強酸性の劇薬を使わないと落ちなくなりますからね。
それでは、次の現場の予約時間が迫っているので、この辺で失礼します。
あそこのトイレ、数千年も掃除されてないらしいんで、骨が折れそうです……。
あ、魔王軍の方、もしこれを読んでいたら「魔王城の窓拭き」のオファーメールを送るのはやめてください。
スパムフォルダがいっぱいです。依頼は正規のフォームからお願いします。
最後になりますが、 今回の「清掃作業」の結果に不備がなければ、下の星を最大出力(★★★★★)にして承認をいただけると助かります。
以上、業務完了報告でした。
皆さんの部屋が、明日もピカピカでありますように。
灰坂ソウジ




