第94話 遠き日の思い出 2
試合開始の合図と同時にアーサーは呪文を唱え始める。
今まで幾度となく高速詠唱できるよう練習してきた呪文だ。
一言一句間違えることも詰まることもなく、よどみなく呪文はアーサーの口中で唱えられていく。
(お前に――ついてこられるものか――――)
アーサーには絶対の自信があった。
これまでの試合で、アーサーに勝てる早撃ちの術士などいなかったから。
だから、呪文を唱え始めたときすでに――アーサーは勝利を確信していた。
(すぐに参ったと言わせて――――――? ???)
呪文に集中していたアーサーは、一瞬の瞬きのあと、その違和感に気づいた。
魔力が明滅するその先に、シホ・ランドールがいたはずのその場所に、憎いその姿がないことに。
(!? どこに行った――――――!?)
慌てて周囲を確認する。
その時、頭上から急に松明の明かりが消えた。
「な――――」
見上げれば、そこにはひとつの黒い影。
修練場の上部に灯された魔術の明かりを遮るように、黒い影が上空を舞っていた。
アーサーは即座に魔法を切って跳びすさる。
黒い小さな影は地面に着地すると、次の瞬間、間髪置かず矢のように飛びかかってきた。
避け――――られない――――……!!!
獣のように鋭角で軌道を変えるその生き物は、およそ人間とは思えない速度でアーサーに接近したあと、その脇腹を盛大に蹴り飛ばした。
「――――っが、はっ……!!」
修練場の端まで勢いよく蹴り飛ばされて、アーサーは肺中の息という息を叩き出される。
肋骨も折れたかもしれない。
……そう感じるほど、その『蹴り』は強烈だった。
(こいつ…………人間か………………?)
そんな疑問を朦朧とした頭で覚えつつ、アーサーは意識を手放したのだった。
*
最後に見たのは、爛々と光る紅い瞳を湛えた黒い影だった。
魔物かと見紛うそれは、小さな少女の影を取っていた。
(う……ううーん…………)
悪夢のような光景に、どこからか澄んだ少女の声が聞こえてくる。
「――だから、魔法は一度も放っていません。ただ蹴っただけです」
「そうは言っても……フラムスティード君は実際寝込んでいるわけだし……」
「それはコレが虚弱なだけじゃないでしょうか。顔も青いし、まともに運動しているようにも見えません」
「それは……そうだけれど」
大人の足音が、どこかへと遠のいていくのが聞こえる。
ドアが開閉される音と同時に消えたそれは、足音の主がこの部屋から外に出て行ったことを示していた。
「………………あ、起きた」
「一体なんなんだお前は…………」
まだ痛む脇腹を押さえながら体を起こすと、そこは医務室だった。
どうやらあれから自分はここに運び込まれたらしい。
「どういうことだ?」
「まさかとは思ったけど……知らなかったの? 学院では私闘での魔法戦は禁止されてるんだよ」
「!!」
「そんなことだろうと思った……」
はぁ、と溜め息をついてその女――シホ・ランドールは哀れな者を見るような目でアーサーを見る。
「許可を取ってるって言うから、模擬戦の許可を取ってるのかと思ったら。そうよね、一年が入学早々取れるわけないもんね。……蹴りだけにしておいてよかった」
――つまりは、その心配があったがゆえに、こいつは魔法戦を挑んだ自分に対して、魔法すら使わずに片を付ける魂胆だったというのか。――――最初から。
「~~~~~~!!!」
「あー巻き込まれなくてよかった。入学早々問題児として目を付けられるなんてゴメンだもの。今度からは気をつけてよね、『お間抜けさん』」
「……っ!!!」
やれやれとばかりにシホ・ランドールは肩を回す。
その様は、この手の喧嘩にやたら慣れているように感じられた。
「っ、ちょっと待て……!」
「? 怪我は一応治療したはずだけど。別に骨も折れてなかったし、問題ないでしょう??」
「これが問題ないはずが……あるか!」
未だズキズキと痛む脇腹は、酷い痛みを訴えていた。
こんな所業が、およそ子供にできるものであるはずがない。
「お前……何をした」
ベッドの上から睨みつけると、見上げた少女はニタリとほくそ笑んだ。
「別に? 『魔法戦』に付き合ってあげようとしただけだよ」
その他者を蔑んだ侮蔑の笑みは、本物の悪魔のようだった。
――のちに、『呪紋』という無詠唱魔術の一形態、それによる運動能力強化だと知るその技が、非常に稀なものであるということ。
そしておそらく彼女くらいしか使い手のない稀有な魔術であるということを知る羽目になるのは――授業が始まってひと月とたたない未来の出来事だった。
「まぁやり過ぎたお詫びに、ひとついいことを教えてあげようか」
「……?」
「戦闘で大事なのはね、強大な魔術を派手にぶっ放すことじゃなくてね――――死なないことだよ」
何を当たり前なことを……そう考えて、気づいた。
自分は『強大な魔術』を『人より早く』『ぶっ放そう』としてはいなかったか――と。
「死なないためにはまずは守って相手の出方を見るか、相手より確実に早い攻撃で仕留める。攻撃は早ければ早いほどいいから、そのためなら手段は魔法でも剣でも、なんなら投石だって――なんでもいい」
だからこそ彼女は――目にも留まらぬ速さの近距離戦でアーサーを仕留めたのだ。
「くっ…………」
「あの時あなたが取るべきだったのは、強大な魔術ではなく、初歩的な魔術。それも詠唱に時間のかからない速射性の高い魔術。それで射貫いていれば――結果は変わったかもね」
そんなこと…………考えもしなかった。
相手が、自分と同じ飛び級で入学した秀才だったからか。
だから相手も、強大で高度な魔術で応戦してくると思ってしまったのか。
それとも、前衛に守られ、その奥から攻撃するという、魔術師の『常識』に囚われてしまっていたからか。
なんにしても、まるで自身を守るものなど何もないように振る舞う――――単身での戦闘を念頭に置いて揺るがない彼女の姿が焼き付いた。
「っ……! 次は、絶対に、負けないからな!!」
絶対……絶対に。
次こそは……必ず勝つ。
その日、アーサー・フラムスティードは、生涯において初めての好敵手と呼べる存在を得た。
どんなときも目の前に立ちはだかり、自身の行く手を阻む目を逸らせない存在。
その、鮮やかな紅い瞳と黒髪を持つ少女。
シホ・ランドール。
それが、アーサー・フラムスティードにとっての、彼女との衝撃的な出会いだった――――。




