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第91話 校内見学 2


「アーサー先生!」


 そう腐れ縁の旧友が呼ばれるのを耳にして、シホは思わず振り返った。


「なんだ。アーサーと呼べと言ったろう」

「えへへ。先生に質問があるの」


 シホたちに断りを入れて少し席を外す旧友を、信じられないものを見た気になってシホは呆然と見つめた。


(あの…………アーサーが?)


 アーサーからすればシホのほうが信じがたいと言うだろうが、学生時代ツンケンしていた旧友が、自分より遥かに知識も実力もない生徒たちに、優しく丁寧に物事を教えているさまは目を疑うものがあった。


(時間は人を変えるのね…………いや、そうでもないか)


 きっと環境が違うのだ。

 あの頃は互いに、周囲の学生よりはるかに若い年齢で入学し、常に周囲と戦っているようなところがあった。

 その奇異や嫉妬からくる纏わりつくような視線と戦うように、二人して常に気を張っていたところがあったように思う。


(それがいまでは……先生ね。不思議なものね)


 頼られることが心地いい。

 戦うのではなく、守れることでこれほどまでに満たされる日々がくるとは思わなかった。

 それに彼も気づいたのだろうか。

 学生に慕われているらしい彼を前に、シホは自然と笑みが頬に乗っていた。



「…………先生」

「ん? どうしたの、ミリウス」


 振り返れば、眺望台へと続く階段からミリウスたちが降りてきたところだった。


 まだラスティンなどは、街を一望できる眺望台から降りるのを渋っているらしく、階段の上のほうでファビアンと言い合うような声が聞こえる。


「大丈夫よ、急がなくても。アーサーもいまはまだ戻れないみたいだし」

「………………」

「ん?」


 いつもはハキハキと明るいミリウスにしては、どこか浮かない面持ちだ。


「大丈夫? まさか高山病じゃないよね?」


 シホが顔色を窺うように距離を詰めると、ミリウスは口を真一文字に引き結んでほんのりと顔を紅くする。


(顔色は悪くなさそうだけど……)


 いつも一歩身を引いて、周囲を優先させてしまうミリウスだ。

 本当は眺望台のほかにも、行きたい場所があったのかもしれない。


「ミリウス。何か希望はある? あるならできる限り叶えるけど……」


 何しろ今回の旅路は、ミリウスを主役とする親善外交である。彼の見たいものを見せ、見聞を広めることこそが重要だった。



「それは…………」

 ミリウスが何事か言いかけたとき、戻って来たアーサーが呟いた。


「何してんだ、お前ら。……距離が近くないか??」


 訝しげに、眉根を寄せてそう言った。



「え……そ、そう?」


 第三者の目から指摘されるとは、そうなのかもしれない。

 すっかり長い学院生活で麻痺していた感覚に、『適切な距離』を取り直そうとシホは物理的に距離を取る。


 ミリウスから一歩後ろに下がろうとして――――はしっと、服の袖口をつかまれた。


「え、ええと…………」

「先生。学院内の学習施設についてはおおまかに理解できました。あとは…………ここの学生たちが、授業以外の時間どう過ごしているか、それを見てみたいです」

「………………な、なるほど」


 たしかに授業関連のことについてなら、明日以降の説明でも自ずとわかってくるだろう。

 だからこその、それ以外。

 学生たちの生活環境が知りたいというわけだ。



(けどそれは…………)


 シホは天を仰ぎ、うーんと頭を悩ませる。


 ここは陸の孤島。そして熾烈な成績競争まっただ中の戦場である。

 アーミントンのような優雅な憩いの場もなければ、娯楽施設などもってのほか――何もない場所なのである。


(えぇ……どこかあるかなぁ……)




 散々迷って。そしてシホは、仕方なくある場所に案内したのである。



 ――――それは、通称『穴ぐら』のなかの『穴ぐら』。


 リンデール魔法学院の『学生寮』だった。





           *




「……ほら、ここよ」


 シホは遠い目をして、学生寮の一室を案内する。


 ミリウスたっての希望で訪れたそこは、ちょうど数年前、シホが居室として使用していた学生寮の部屋だった。


 もちろんいまは住人もおらず、学院側の許可も取っての立ち入りである。

 もともと講義棟からも遠い辺鄙な場所で、隙間風も吹く問題アリ物件だっただけに、現在住み手はついていないようだった。



「ここが……先生の…………」


 何がそれほど興味深いのか、ミリウスは目を丸くしながら古びた木の扉を押し開ける。




 それは、暗い洞窟に照明代わりのランプが点々と灯された廊下の先にあった。

 素焼き煉瓦と漆喰で塗り固められた通路の両脇にはずらりと古い木製の扉が並び、そのすべてが学生用の寮室になっていた。


 造りは基本的にどの部屋も同じで、くり抜いた岩肌に古びた木製のベッドと机。わずかな衣類を入れる箪笥。そして小物や照明を置ける飾り棚が、壁に彫られているくらいだ。


 なんとも質素な……はっきりいってウィルテシアの囚人でももう少しマシなんじゃ?と疑ってしまうような簡素過ぎる部屋なのである。



「はは……ホント、何にもなくてごめん……」


 彼らから見ればここは犬小屋同然だろう。

 だがここでシホは4年間、間違いなく過ごしたのだった。


「ここはあまり娯楽とかもないし、授業の成績次第で将来が決まる場所だったからさ。授業がないときは部屋で勉強したり、本を読んでいることが多かったかな……」


 きっとシホ以外の者たちも、そうだったはずである。


 この場所には、アーミントンのような『輝かしい学生時代』などは、どこにもない。



 そんな夢のない場所だというのに、ミリウスは小さな部屋のなかに立って、愛おしそうに部屋の飾り棚を撫でる。


 こんな何もない穴ぐらだというのに、彼にはそれでも、新鮮な光景に映るらしかった。



(まぁ、リンデールの実情というか……庶民の生活を見てもらうのも大事なことだしね……)


 綺麗で輝かしいものだけを見せ続けることが、彼にとって良いことになるとは思わない。

 将来大事な立場になるミリウスには、きちんと『本当のこと』を知っていてほしいのだ。



 ひとしきり部屋を見て満足したらしいミリウスは、まだ部屋のなかで物当てクイズをしているらしいラスティンたちを残して先に出てくる。


「…………満足した?」

「ええ、とても」


 それならいい。

 連れてきた甲斐はあった。

 何が今後のミリウスに役立つものになるかはわからない。

 自分が少しでも彼に与えられるものは、惜しまず多くを与えておきたかった。



「シホ」


 アーサーが呼ぶ。『なに?』と答えながら彼に向かう。

 するといつしかのように、はしっと袖口をつかまれた。


「……?」


 つかんだミリウスは無言である。

 が、離すどころか、つかんだ袖口をぎゅっと握り締める。


 そしてしばし躊躇って…………パッと離した。


 その目は、何かに耐えるように揺らいでいた。


「???」


 きちんとミリウスの意図を確認すべきだろうか――?


 そう思ったのも束の間、再度シホを呼ぶアーサーの硬い声が飛ぶ。


「ごめんね、また後で」



 シホの背中を見送り続けるミリウスを残し、シホはアーサーへと向かう。


「……………………」


 駆け寄った先にいたアーサーは、なぜか不機嫌だった。

 腕を組んで仁王立ちをして、眉間に皺を刻んでいる。


「どしたの?」

「…………お前………………」

「?」

「なんか厄介な奴に付き纏われてないか??」

「???」


 一体何を突然に。

 まったく心当たりのない問いかけに、『まさか先月の魔物屋敷の幽霊が!? ……いやいや幽霊なんて本当はいないし、そもそもリンデール人は怪談なんてしないし……』と一人自問自答したところで、アーサーはふんすと鼻息を荒くそっぽを向いた。


「まぁいい。お前はいつもそうだからな」

「……?」

「気にするな。――次に行くぞ」



 そうしてシホたちは、慌ただしい校内見学を終えたのだった。






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