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第82話 亡霊とウサギ



「あれはラクーン・キャット。小型の魔物で、人間の住処にッ…も紛れ込んでくる魔物の――典型例ね。弱い魔物だけど、普通の野生動物っ――に混じって現れる上に、鋭い牙や爪があるから危険よ」


 暗い通路を進みながら、シホは目に映る魔物の模型について解説する。


「あれはファット・クラブ。それ自体に危険はないけど、ほかの魔物の餌っっっ……になって、より危険な魔物を呼ぶから、見つけ次第駆除するのがオススメね。1匹いたら近くに10匹はいるから気をつけて」


 時々上擦る声で、なんとか意識を魔物に集中して語り続ける。

 こうしていれば、いくらか怖さが紛れるような気がした。



「シルヴィ……それほど無茶をしなくても……」


 そうは言うが、こうでもしていないと頭がより悪い想像ばかりしてしまうような気がした。


 あの次の角から何かが飛び出してくるのではないか。通り過ぎた背後から、より怖い何かが追いかけてくるのではないか。

 そんなことばかり考えてしまうようになっていた。


 それもこれも、ここの環境が無駄に雰囲気があるせいに違いない。

 


 通路を進むと、ふわりと甘い香りが鼻についた。

 ――花の香りだ。

 屋敷に入ってからずっとかすかに感じていた甘ったるい香りが、湿気を帯び、より濃く感じるようになっていた。


(カビ臭さやセット特有の鉄錆臭さに混じって気持ち悪い……)


 あらゆる臭気が混じって、五感が乱されようとしていた。

 異質なものの混在に、ここがどこだかわからなくなりそうになる。


 暗闇でシホはぎゅっとミリウスの手を握り込んだ。


「シルヴィ……。わかりました、早く抜けましょう」


 ミリウスの歩調がわずかに早いものに変わる。

 足下に雰囲気作りのための小道具――模造刀や絵画――魔物に襲撃された屋敷らしさを出すためのものが落ちているので気をつけなければならないが、ミリウスは出来うる限りの範囲でシホのために早くここから出ようとしてくれる。


 そんな二人の正面から、ふらつく一人の女が飛び出した。




 長い黒髪を顔面に垂らし、異国か古代の装束だろうか、白い長衣を引き摺りながらこちらに向かって歩いてくる。

 その肌は、暗闇でもわかるほど土気色だった。


「――――――ッ!!!」


 足を引きずり、肩が抜けたように歩く女は、胸元をべったりと赤黒く染めていた。


 真白くなった乾いた唇がかすかに動き、黒く覗いた空洞から、何事かを紡ぎ出す。


「~~………~~~……」



 それは歌だった。

 途切れ途切れに、細く掠れた息で紡がれる子守唄。

 それが血染めの女の唇から、場違いに濡れた地面に漏れ落ちる。


 女が足を一歩踏み出す。

 水溜まりが、濡れた水音を響かせた。


「~~~~~~~~!!!!!!!!」


 見えない視界。

 溢れる臭い。

 体全体に纏わり付くような重い湿気に。

 反対にどこかから降りてくる冷気を帯びた冷たい風。


 すべてが、シホの五感を掻き乱す。



「――――シルヴィ!?」


 ミリウスの手を振りほどき頭を抱えたシホに、彼が弾かれたように振り返った。




 暗いのは嫌だ。




 怖いのも嫌だ。




 苦しそうなのも嫌だ。





 助けられないのも――助けが来ないのも嫌だ。






 嫌だ。……嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――――――……。




 女が、こちらを覗き込んで口を開く。




「しル…………ヴィ…………?」




「!!!!!!!!!!!!!!」



 頭の中で、何かが音を立てて弾け飛んだような気がした。


 何もわからない、ここがどこだが、いま自分が何をしているのか。

 この女は誰で、自分は何で、どうしてここで相対しているのか。

 何が、どれが、どうして、なんで、今になって――――……。



「――シルヴィ!!」



 取り乱し髪を掴んだまま座り込んだ自分に、ミリウスは駆け寄ってその両手を握り締めてくれた。


「シルヴィ……いやシホ。大丈夫……大丈夫です。ここにいるのはすべて、作り物の偽物ですから……」


 言って、そっと体を抱き締める。

 子供をあやすように何度も背を撫でてくれた。


「大丈夫…………大丈夫…………」


 耳元に、落ち着いた低い声音が滑り込む。


 それはシホが落ち着いたのを見計らって、しっかりとしたものへと変わった。


「大丈夫? 立てますか?」

「……うん」

「なら走りましょう。つかまって」


 ミリウスは差し出した手をシホに握らせると、


「俺の背中だけ見ていてください。…………大丈夫です、あなたは俺が守ります」


 そう言って、それきり振り返ることなく駆け出した。







 それから――――出口の扉をくぐり抜けるまで。


 屋敷の内部には様々な魔物やその被害者たちがいた。


 ミリウスは『何もそこまで拘らなくてもいいのに……』と、魔物への警鐘を促すために凝りすぎた演出に苦言を呈しては、人目につかない木洩れ日のベンチで、シホの気が休まるまで付き合ってくれた。


「……大丈夫ですよ。あの亡霊は役者です。その証拠に、あなたの偽名に気づかなかったでしょう? 俺が呼んだ名を、そのまま繰り返しただけです」


 そう言われれば、当然そうなのだろうが……。


 シホは完全にシルヴィ役に成りきってしまっていただけに、まるで自分を見透かされたような気がして恐怖を覚えたのだった。


「ごめんね……」

「何がです?」

「こんな情けない教師で……」

「おや?」


 隣に座るミリウスは、珍しく茶目っ気を出して微笑んだ。


「今日俺の隣にいるのは、同級生のシルヴィですよ。先生のことは――そういえば今日はずっと見ていませんね?」


 ……今日の醜態を、見なかったことにしてくれるらしい。


「…………ありがとう」


 シホにはそう感謝することしかできなかった。




「あの……手、もういいから」


 魔物屋敷を出て以来、ミリウスはシホの震える指先をずっと握ってくれていた。


「もう、大丈夫だから」

「まだこんなに冷たいのに?」


 ミリウスが確認するように両手で包み直す。

 自分では自分の指先の温度などわからないが、彼に言わせればまだまだ冷たいとのことだった。


「なに、まだ急ぐほどじゃありませんよ。クラス当番の時間まで、まだ余裕があります。ゆっくり日向ぼっこでもしていきましょう?」


 そう言って彼は、シホの手を握ったまま、気持ちよさそうに天を仰いで目を閉じる。


 その姿を見ると、先ほどまでの恐怖が、ゆっくりと、本当にゆっくりとだが、次第に溶けていくような気がした。


 陽光が、冷え切った体に染み渡る。


 シホもまた、しばし目を閉じて、この柔らかで安らぎに満ちた時間に身を任せるのだった。





           *





 クラス展示『ティーハウス・リースター』の午後の当番に駆けつけ、忙しく働ききった学園祭。


 その翌日、シホは熱を出した。



「んー…………」

「まだ熱いですね。水を飲みますか?」


 ベッドサイドに座り、シホの熱を測ったミリウスは、水差しから注いだ水をシホに差し出した。


「ごめんね。何から何まで」

「先生は働き過ぎなんですよ」


 言われて『ぐっ』っと、何も言い返せず言葉に詰まる。

 たしかにここ数週間は、自分でも詰め込み過ぎだと自覚するほど忙しく働いていた。


「自分の学級の展示に、学院中のクラス展示の監修まで……。おまけに学長からの仕事まで引き受けて、いくら体があっても足りないはずです」


「うぅ…………」


 小言を言われても仕方がない。自己過信と体調管理不足の結末だった。



「何か食べますか? 胃には何か入れたほうがいいと思いますが」

「それじゃあ…………」


 シホは脳裏に浮かんだ食べ物をぽつりと呟く。


「林檎が食べたい」

「――そう言うと思っていました」


 ミリウスはひとつ頷くと、準備がいい――部屋の外からすぐさま林檎を持ってきて、器用にナイフで剥き始めた。


「はい、どうぞ」


 ポンと、目の前の皿に紅い耳をした兎が現れる。


「…………あれ? 上手くなってない??」


「練習しましたから」


 ふい、と手元に視線を戻して、ミリウスは黙々と林檎を剥いていく。

 それはつい数ヶ月前の危なっかしい手つきとは違って、たしかな、安心して見ていられるものに成長していた。



「――――フフッ」


「何がおかしいんです?」


「何でもない」



 ただ、この数ヶ月のできごとが走馬灯のように駆け巡って、その度に一生懸命物事に取り組んできたミリウスの姿が脳裏に浮かんだ。



(昔は私が助ける側だったのになぁ……)



 なのにいまでは、自分が彼に助けられる側になっている。




 そんな彼の成長が、尊い日々が。

 シホはただただ愛おしく感じるのだった――――……。








青春あふれる(?)学園祭編、これにて終了です。

次章は二人にとって大事な章になる予定……。

少しいつもと違う雰囲気の章ですが、よろしくお願いいたします。

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