第81話 魔物屋敷
老婆の占い処を出て、しばらくのち……。
シホは焦っていた。
(これってどのタイミングで指を解くべき――――!?)
ミリウスと繋いだままの指を解く切っかけを失って、付き合い立ての恋人よろしく、手を繋いだまま校内を巡回していた。
おかげで周囲はそれとなく視線を逸らしてくれるので、それはそれで却って変装が目立たず都合がいいのだが、もしミリウスも解きたいのに切っかけを失っていた場合、どちらから言い出すべきかとシホはずっと悶々としていた。
(ミリウスに頼まれて繋いだ以上、こちらから切り出すのは突き放すようで悪いよね……)
それは気が引ける。すごく引ける。
しかしミリウスだって、さすがにこれほど長く繋ぐのは想定外だったんじゃないかなー…………。
そんな祈りにも似た感情でちらとミリウスを見上げれば、彼はこの上ない笑顔を返してきた。
(……どういう意味!?)
気を遣ってくれているのか、はたまたこの状態がそれほど安心できるのか。
たしかにドラゴンから彼を守って以来、彼に特別懐かれているような自覚はあった。
が、そんな親鳥につく小鳥のような懐き方をされて嬉しいかというと…………嬉しいのだが。
どうにも落ち着かない気分になった。
「シルヴィ、次はどこへ行きましょうか?」
これでは完全にデートである。
いや、デートを装った巡回ということなら体裁は整うのだが……。
「シルヴィ?」
ミリウスは完全にその役になりきっているのか、きょとんとした表情でこちらを覗き込んでくる。
「…………!!」
この恋人状態で見るミリウスの至近距離顔というのは、直視できないものがある。
なんというか……すごく心臓に悪いのだ。
ミリウスは意外と悪戯心があるのかお茶目なのか、時折ぎゅっと指先を握り込んでくるから更に心臓に悪い。
シホは顔から火が出そうなほど緊張していた。
……なんとかこの状況から、逃げ出したい。
「……シルヴィ?」
「あ、あれ……! あの修練場の出し物って、アレじゃない!?」
シホが指差した先には、おどろおどろしい文字で、『魔物屋敷』と、そう書かれていた。
シホに魔物の監修を頼んできたあのクラスの出し物である。
聞いた話では演劇担当の先生と同じく、舞台に並々ならぬ情熱を注ぐ貴族出身の教師によって、相当凝った内装に仕上がっているという噂である。
「わー楽しみー!!」
シホはどさくさに紛れ両手をパンと打ち鳴らすと、繋いでいたミリウスの手を自然に振り切った。
「ほら、ミリウス! あれも大事な視察だよ!」
嘘ではない。魔物の監修を頼まれた以上、その最終的な出来を確認してこそ監修者といえよう。
あとで『先生、うちの展示どうでした?』と聞かれたとき、『見てないの、ごめんね』と答えるのは、あまりに可哀想だ。
だからこれは当然の業務の一環だ。
「………………わかりました」
ミリウスはどこかやや不満げな残り香を残しつつも、シホの提案に乗ってくれた。
「モンスター・ハウス。魔物が出てくるお屋敷って設定だっけ」
「設定上は。ただしどうやら、舞台監修の先生の意向で、神殿や宮殿に使用される古代建築風の内装が採用されたようですよ」
「わあ……」
舞台観劇が趣味の先生がいるとは聞いていたが、そこまで凝り出すとは……。
「なんでも街の劇場から舞台のセットを借りてきて、職人を総動員して本物そっくりに仕上げたそうです。音響にもかなりこだわったようで、舞台の役者まで駆り出して――――」
さすが金持ち貴族。やることが徹底的に派手である。
「それなら期待できそうね」
あちらの『お化け屋敷』とはすでにまったく別物になっているような気がするが、気を取り直してシホは入り口を目指した。
入り口が薄暗かったからか、シホの変装が上手くいっていたからか――。
モンスター・ハウスの入場は、生徒たちに気づかれることなくすんなりと中に入ることができた。
(万一バレたときはどう言い訳しようかと……。まぁこれも仕事なんだけど)
理由はあるが、説明するのも恥ずかしい。
そんなことを考えながら入場したモンスター・ハウスは、事前の触れ込みどおり、本格的な内装だった。
先の通路が見えるか見えないかの微妙な光源に、ところどころ人の返り血を表しているのだろうか? 赤黒い塗料がべったりと古代神殿風の柱に塗られている。
足下にはぴちゃりと謎の水たまりまで用意されている始末で、シホは謎の驚異的なこだわりように露骨に恐れおののいていた。
「なんか……すごい力、入ってるね」
「そうですね。湿度といい、謎の霧といい……」
目を凝らした通路の先には、薄い緑色の靄が漂っていた。
「あは……あはは……こだわり過ぎじゃない?」
「あの先生は凝り性の完璧主義者で有名なので……」
こんなところでその無駄に立派な個性を発揮しないでもらいたい!
シホは先ほどからどこからともなく聞こえてくる風の音に『ひっ』と身を竦めた。
「…………シルヴィ、もしかして…………」
「もしかしても何もないよ!? 何もないからね!!?」
「………………」
ミリウスが何か言いたげな瞳で見つめてくる。
――魔物屋敷。
そう聞いていたから、高をくくっていたのだ。
魔物と森で散々戦ってきた自分なら、恐れるものではないと。
……が、想像以上にこの屋敷には『雰囲気』があった。
そう、ちゃんと『お化け屋敷』なのである。
(あっっの先生……! そんなところは無駄に再現しなくていいのに……!!)
自分でもよくわからないが、胸の動悸がすごいことになっていた。
「おかしい……夜警も野営も、全然平気なはずなのに……」
魔物屋敷など、夜間の魔物か、盗賊退治の延長戦だろう。そう安直に考えていた。
が、こうして実際に屋敷内に突入してみると、どうしてか心臓は破れんばかりに早鐘を打っていた。
――ぃやぁぁあぁぁぁ――――――……。
どこからか細く長く、掠れた女の悲鳴が木霊する。
「っ!!」
シホはびくりと、その場に竦んだ。
「シル……ヴィ……?」
「っ…………」
まさか自分がこんなに情けないとは。
案ずるミリウスの視線がいたたまれない。
「っ! だって……しょうがないじゃない!! リンデールには怪談なんてなかったんだもの!!」
少なくともシホは知らなかった。
もしかしたら、怪談をし合うような友人がいなかっただけかもしれないが。少なくともシホはこれまでの生涯、怪談という類いの話を聞いたことがなかった。
「リンデールは魔物の国で、危険はいつだって身近だから! だからいるかどうかわからない幽霊よりも、魔物や人攫いのほうが怖かったのよ!!」
「お、落ち着いてください……!」
シホの肩をさすりなんとか宥めようとするミリウスに、シホはやんわりとその手を押しのけた。
「本当に、落ち着いてください。ここは魔物屋敷です。出るのは幽霊ではなくて、先生のよく知る魔物です」
「…………魔物。幽霊じゃない…………」
そうだ。そう聞いていたはずなのに。
なのに何故自分は、幽霊やもっと怖いものが出てくると、そう思ってしまったのだろう。
「どうします? 戻りますか??」
「いや…………大丈夫」
戻ることも一応考えたが、そうすると今度は下手に入り口で目立ってしまう。
変装のことを勘付かれる恐れもあった。
「大丈夫。ミリウスの言葉で、少し落ち着いたから……」
胸の動悸は相変わらず治まらなかったが、それでも幾分かましになったような気がした。
「無理なようなら、いつでも言ってくださいよ……」
心配そうなミリウスが前に立つ。
そして再び、そっとシホの手を握り込んだ。
「これならいくらかはましでしょう? あなたを勇気づけられる日が来るなんて……光栄です」
二人はさらに奥を目指して、通路を進んだ。




