第77話 祭りの魔法
寮を訪れたミリウスに魔法の指輪を渡し、彼がそれを指に嵌めるのをシホは見守った。
(どんな変化が起こるんだろう?)
自身が装着者となったときはとくに変化は感じなかったが、外から見る側になった場合どうなのか、一度見てみたいと思っていた。
興味津々とミリウスの手元を覗き込む。
彼がゆっくりと魔道具の指輪を指に嵌めた瞬間――――突然、周囲の空気が揺らいだ。
視界に靄がかかり、目の前のミリウスの気配が一瞬で別のものに切り替わる。
見上げればそこには、まったく知らない別の人物が立っていた。
(ミリウス……なのよね??)
頭では理解している。が、体がそれに追いついていかない。
突然至近距離に見知らぬ人物が現れたことに、無意識のうちに自然と半歩身を引いていた。
「……待ってください!」
ぱしり、と腕をつかまれる。
瞬間、ぞわりと背筋に緊張感が走った。
反射的に振り払おうとして――――……
「俺です! ミリウスです!!」
必死な声音に、溶ける視界に、ようやく戻ってきた見慣れた生徒のその姿に――――シホはホッと安堵の息をついた。
「ミリ……ウス…………。そうよね、最初からそうだったわよね」
頭ではわかっているのに、体はそう判断しない。
それほどまでに指輪の効果はすごかった。
「……? ミリウス、どうしたの?」
魔法は解けたというのに、ミリウスの表情がやや暗い。強ばっていると言ってもいい。彼は何やら落ち込んでいた。
「大丈夫?」
「いえ…………先生の言っていたことがよくわかりました」
「?」
「先生に拒絶されるのは…………とても辛い」
拳を握り締めるミリウスは、まるで頬でも打たれたように項垂れていた。
(ああ、そういえば……)
自分が彼らに話しかけてそっけない反応が返ってきたときも、それは胸が痛んだものだった。
シホはそっと手を伸ばす。
強ばる頬に手を伸ばし、片頬をそっと包み込むと、強ばっていた筋肉がゆっくりと解けていくのが感じられた。
「……大丈夫だよ。私はきみに何を言われても、何をされても。きっときみを拒絶しない」
おそらく、きっと。
「――ただし、悪いことや叱らなくちゃならないことは駄目だけどね?」
いたずらっぽく付け加えると、ミリウスの目元がふっと緩むのが見えた。
「それなら――――安心です」
その泣きだしそうな笑顔の意味はわからなかったが、ひとまずミリウスは落ち着いたようだ。
指輪の効果も検証できたことだし、これならば安心して学院内を歩けるはずだ。
「じゃあミリウス、行きましょうか」
「はい!」
シホはミリウスとともに、学園祭の熱気漂う学内へ繰り出した。
*
学園祭の活気に沸く大通りには、色とりどりの屋台が並んでいた。
食品系から雑貨販売まで、いつの間にここまで膨れ上がったのかという規模の店がずらりと出店していた。
そんな通りをミリウスと共に連れ立って歩きながら、シホは感嘆の息を吐いた。
「は~すごいねぇ。まるで街の中にいるみたい」
市街の、それも祭りの時期のように、校内は人でごった返していた。
(でもやっぱり、あの指輪はつけてきて正解だったかも)
シホはちらりと隣のミリウスを見上げてそう思う。
興味深そうにあちこちの屋台を観察するミリウスは、いつもより伸びやかに羽を伸ばしているような気がした。
(やっぱり王子様は大変なんだなぁ)
学内でも注目は集めるし、それが外部から貴族の保護者が訪れる日となればなおさらだろう。
常に王子として自己を律することを求められ、それに応え続けることなど、シホには到底想像もつかないような努力に思えた。
(でも、せめて今日一日だけでも。ただの学生として過ごせる日があったなら……いい思い出になるといいな)
それだけでも今日一日、この騒々しい学園祭を実行した甲斐があった気がした。
「先せ……」
ミリウスが何事か言いかけて言いよどむ。
「?」
シホはすぐにその原因に思い至った。
――呼び名だ。
姿かたち気配までが、まったくの別人として認識されるミリウスと違って、シホはあくまで変装しているだけである。
いつものように『先生』と呼ばれてしまっては、すぐに周囲に気づかれてしまうだろう。
「どうしたの?」
ミリウスに連れられるまま、ひと気のない静かな場所に退散して作戦を練る。
「さすがに学生服を着た人間に『先生』はないよね……」
「あだ名、にしても無理がありますよね……」
「じゃあ名前呼び……も無理か」
「先生の名前は珍しいですからね……」
だからこそ覚えられやすいという利点もあるのだが、『シホ』という名前は、この学院内で使うにはあまりに浸透しすぎていた。
「となると偽名か……」
あまりセンスのない自分には自信がないのだが……。
「シホ……シオン……シフォン…………。駄目ね、だんだん犬みたいになってきた」
隣でプッとミリウスが小さく吹き出す。
彼は目尻に浮かんだ涙を拭いながら、ひとつの名前を提案してきた。
「それでは『シルヴィ』なんてどうでしょう?」
「シルヴィ?」
「これなら先生の元の名前と近そうで、でも一度聞いたくらいではまず先生とはわかりません」
たしかに、自分が考えた偽名よりは、ずっとましそうな気がした。
「よし、じゃあその名前で」
「よろしくお願いします。シルヴィ」
そう柔らかな笑みで微笑まれると、まるで本当に自分が彼の同級生になったような気がしてしまう。
「よ、よろしく……」
シホことシルヴィは、戸惑いながらやっと、ぎこちない笑顔を返したのだった。
*
なるべく学生らしいフリで巡回を。
その目的を達するべく、自然と通りを歩くうちに、ミリウスの口調も教師に対するものから、同級生へのものへと変わっていった。
「シルヴィ、次はどこへ行きたい?」
まるでずっと昔からそうしていたように、ミリウスは親しげにシホに向かって語りかけてくる。
「そうね……」
屋台通りはひととおり確認したが、特に変な物を売っている店などはないようだ。
来場客同士の揉め事なども発生していないようだし、ここは大丈夫だろう。
すると次は…………。
考え始めたところで、ぐぅと腹の虫が鳴った。
「……!!」
「ぷっ……」
再びミリウスは吹き出すと、くつくつと肩を揺らして笑っている。
「そんなに笑うことないじゃない! もうお昼なんだもの、仕方がないでしょ!?」
「そうですね……なら俺が、何か食べられるものを買ってきましょう。先ほど屋台で見ていたパンケーキでいいですか?」
「!」
まさかそんなところまでよく見ていたとは……。
内心『おいしそうだなぁ』と指をくわえていたのを、ミリウスにはしっかり見られていたらしい。
「じゃあそれでお願い……」
「飲み物は紅茶ですね。わかりました」
さすがミリウス。何でもお見通しである。
シホは小さく人混みに消えていくミリウスの後ろ姿を見送って、広場の噴水横のベンチに腰かけた。
いつもなら昼休みに、雑談を楽しむ生徒や教職員で賑わう広場である。
それが今日は、見知らぬ外部からの来場者たちで広場中のベンチが埋まっていた。
彼らは皆幸せそうで、家族や恋人たちで仲睦まじく笑顔を交わしている。
学園祭は彼らから見ても満足いくものだったらしい。
(開催してよかったな……)
このまま問題なく終わってくれれば、それで十分なのだが。
シホは小さくひとつ息を吐いて、気配を消す。
そして、しばらく経ったときだった。
『それ』が目の前に現れたのは――――……。




