第76話 生徒同士
給仕服を脱ぎ捨て学生服に着替えると、ミリウスはシホを追いかけた。
交替で給仕に入ったエメリーたちによると、先生はこのあと見回りの仕事があって、その前に一度寮に寄ると言っていたらしい。
ミリウスはリースター寮を目指して駆け出した。
庭園を抜け、学園祭の喧噪とは無縁な、静かな寮の扉を押し開ける。
「先生!!」
普段は欠かさぬノックも忘れ飛び込んだサロンには、一人の女子生徒がいた。
(先客か――――)
ミリウスが顔をしかめた瞬間、女子生徒が振り返る。
「――――!」
――――彼女は、先生の顔をしていた。
「先……生…………??」
あれほどシホの顔を見つめ続けた自分が間違えるはずがない。その女子生徒は、紅い大きな瞳を持っていた。
髪も光の加減でよくわからなかったが、近くで見れば間違いなく、先生の髪と同じ黒色をしていた。
先生と同じ色形の魅力的な容貌が、いまは驚愕に見開かれた瞳でわなわなと小刻みに震えている。
「ミリウス……」
その震える唇から出た声色で、ミリウスは目の前の人物が自分の探していた先生――シホ・ランドールであることを確信したのだった。
「先生、その姿は……」
「聞かないで。言いたいことはわかるから。年甲斐もなく似合わない格好をって……一番恥ずかしいのは私だから!」
――そうじゃない。
ミリウスは内心、即座に否定する。
シホが頑なに否定するその格好――学生服姿は、とても彼女によく似合っていた。
溌剌とした澄んだ瞳。健康的な血色の頬。
引き締まり適度に筋肉のついた活動的な手足は、まさに学生服を身に纏うに相応しい若者の象徴だった。
(そうだ、先生は俺たちと変わらない――――たった2歳違いの……女子だったんだ)
その証拠に、先生の学生服姿にまったく違和感はなかった。
髪型も普段と変えていたせいで、ミリウスですら一目でシホ本人だとわからなかったくらいである。
それほどまでに先生は、自分たちと近しい存在だった。
「いえ、よく似合っていますよ」
「嘘。お世辞はいいから……」
「お世辞じゃありません」
本心だった。
本心からミリウスには、その姿が好ましく思えた。
たった2歳差。その事実に胸が勇気づけられる。
運命の歯車がもう少し違っていれば、同時期に同じ学院に生徒として通っていたかもしれない年の差だった。
(そうしたら自分は…………声をかけただろうか)
朝、違う教室へ向かう先生に。いや、シホ・ランドールというただの女子生徒に。
彼女に惹かれ、目を奪われ、こうして声をかけたいとあらゆる切っ掛けを模索しただろうか?
……違う運命の結果を想像しても、答えは出なかった。
(そもそも、ただの生徒同士でないからこそ、先生はこうして俺を気にかけてくれるわけで……)
ただの後輩でしかない自分が、彼女の気を引ける自信はなかった。
「……ミリウス?」
自分を真摯な眼差しで見つめたまま、急に黙り込んだ生徒に居心地が悪くなったのだろう。
シホは明後日の方向に視線を逸らすと、うんうんと頷いた。
「わかった。うん、ミリウスがそこまで言うなら気にしないことにする。ただ、これにはわけがあってね……?」
決して自分の趣味で着ているわけではない、と強調するかたちで、シホは事情を説明する。
「学長からの依頼ですか……」
「そうそう、そういう理由なの」
それでせめてもの変装のつもりで、シホは髪型まで変えていたらしい。
普段のまとめ髪とは違う姿は――ライオールにいたときも思ったが……とても新鮮だった。
「たしかにその姿なら、普通の生徒や教職員には先生だとばれないでしょうが…………」
しかしそれはそれで心配なものがある。
(変な厄介ごとには……巻き込まれないよな?)
自分の贔屓目かもしれないが、先生はその…………とても可愛らしかった。
いまの自分なら間違いなく声をかけたいと思ってしまうほどに魅力的だった。
……そんな先生を、一人で学院内に放つ?
いまの学内には、学園祭気分に浮かれた男子生徒のほかにも、学外から一般客や卒業生、多くの来客が訪れていた。
なかには娘や妹の保護者として来場しながらも、その実真の目的は、自身や親戚の伴侶選びだという者さえいる。
………変な虫が寄ってくる未来しか想像できなかった。
「先生、学内の見回りですが、俺と一緒に行きましょう」
「ミリウスと?」
ミリウスは自身も監督生の役割で、学内の見回りを任せられていることを説明した。
「でもそれって非効率じゃない? 二人で同じ場所を回るなんて」
「いえ、却ってそのほうが合理的なんです」
ミリウスは授業で習った警戒訓練を例に出して説明した。
「万一異常事態に遭遇した場合、一人がその場の対応にあたり、もう一人が応援を呼びに行くことができます。『巡回は複数人で』これは先生が授業で教えていたことです」
授業で教えたことを例に出されるとさすがに反論できないのか、シホはむぅと黙り込んだ。
(よし…………)
なんとしても先生を一人で巡回に出させるわけにはいかなかった。
未だレナードがどういう動きをするかもわかっていない。
万一遭遇した場合、すぐに引き離せるよう自分がついていなくては……。
「でもきみといると、すぐにバレそうなんだよね~」
シホは『うーん』と天井を見上げて悩む。
「うっ……」
自身が衆目を集めてしまうのは、ミリウスにも自覚があるだけに痛いところだった。
先生一人だけなら問題ない巡回も、自身と二人並んで歩くとなると、すぐさま『あれは誰だ』と詮索が始まってしまうだろう。
「……あ、そうだ!」
先生がぱっと表情を明るくする。
何かを思いついたらしい。
「ちょっと待ってて!」
言うなり先生は寮の二階へと駆け上がっていってしまった。
「……お待たせ!」
しばらくして戻った先生は、手の平に小さな小箱を乗せていた。
「これは……」
嫌でも見覚えのある小箱。
それは、つい数週間前、ミリウスの目から先生を奪った、あの『装着者を誰か認識できなくする指輪』だった。
「これを使えば、皆きみのことがわからなくなるんじゃない?」
そうすれば自身も安心して歩けると先生は満足そうだ。
「本当なら貴重そうなものだし、学長に返そうと思ってたんだけど……返すのが少し遅れるくらい、いいよね」
元々は学長から譲り受けたものだし、その点は問題ないと思うのだが…………。
ミリウスは受け取った指輪をまじまじと見つめる。
(これを嵌めれば、先生と二人で学園祭を散策できる……)
それは夢のような光景だった。
学内には、ここに来るまでの間だけでも、何組かの最近急にできたのだろう初々しいカップルが、睦まじそうに歩いていた。
(…………よし)
ミリウスは意を決してその指輪を嵌めた。




