第70話 魔道具パニック 4
ミリウスが、自称シホ・ランドールを名乗る見知らぬ人物に、彼女しか知り得ない事実を告げられた瞬間。
ぼんやりとしていたその存在が、まるで霧でも晴れていくかのように徐々にはっきりと存在を認識できるようになってきた。
すらりとした肢体に、見慣れた黒髪。
そしてうっすらと晴れる霧の合間からは、あの自分が彼女に贈った髪飾りが見えた。
(間違いなく……先生だ)
どうして気づかなかったのだろう。
あれほど日々、追い求め続けていたはずだったのに。
(とにかく先生が無事でよかった……)
先生の部屋に不審者を発見したときは肝が冷えた。
先生に限ってそんなことはないと頭では理解できるのに、食堂にも姿を現さなかった先生に、もしかしてどこかで負傷させられているのかもと生きた心地がしなかった。
ミリウスが安堵に浸っていると、先生は手に嵌めた指輪を掲げてみせる。
その見慣れない指輪を見せながら、先生は事情を説明し始めた。
「…………そんな絡繰りが」
「マジかよ。魔道具ってすげえんだな」
先生の手に嵌められた指輪は一見なんでもないものに見えるのに、驚くべき効果を秘めていた。
「でも外し方がわからなくて……」
このままでは会う人間全員に、自分がシホ・ランドールだと説いて回らなくてはならない。
そう、先生は困っていた。
「箱の中には、説明書きがあるんですよね?」
ミリウスは箱を覗き込む。
そこにはたしかに先生が言うように、不思議な図と短い文章が書かれていた。
「指輪を欲さぬ者は、石に触れるな。指輪を欲する者は、円環を時の流れに委ねよ――か」
ファビアンが考え込む。
「石に触れないように随分待ってみてるんだけど……何も変化がなくて」
先生は困り切っていた。
「もしかしたら、これは素直に解釈すべき文章ではないかもしれませんね」
「?」
「その昔ここに集った魔術師は、大層偏屈――個性的で、言葉遊びや知恵比べを好むような人種だったと聞きます」
「つまりは……変わり者ってこと?」
「まぁ、そうともいえますね」
まだ魔術が体系化されていない時代に、その理論を説き、探究に人生を費やした物好きともいえる集団だ。
ウィルテシアの魔法学に大変な貢献をしてくれた者たちではあるが、一風変わったところがあったのは事実である。
「あーそういや、この国の言葉遊びや謎解き玩具は魔術師が考案したものが多いって話も聞いたな」
「そうなの?」
先生は外国人だから知らないのだろう。
ウィルテシアとリンデールでは文化が違うのかもしれない。
「そうなんです。ですからこれには、彼らの遊び心が詰まっていると考えていい」
ミリウスは手の中の箱をぐるりと一回しすると、やはり、と頷いて、箱をファビアンに手渡した。
ファビアンもまた同様に、箱を矯めつ眇めつ一回ししたのち――『あぁ、なるほど』と、得心がいったように頷いた。
この手の玩具には興味がなかったのか、ラスティンと、文化が違う先生だけが首を捻っている。
「つまりこれはだな――――『逆さまの箱』なんだよ」
「?」
察しのいいファビアンは、ミリウスの一言で全て理解したらしい。
解説役を買って出た。
「この箱には内側に説明書きが書かれている。が、まず注目すべきは外側の意匠なんだ」
「意匠?」
「何が描いてある? 見てみろ、ラスティン」
ポン、とファビアンがラスティンに箱を投げて寄越す。
ラスティンは素直に、箱の表面に描かれた図像を読み上げた。
「植物の芽?と蔦と……あとは星? 月と太陽もあるな」
「植物と天体ってこと? 木と空――――風や光の魔術が関係あるの?」
「そうじゃない」
先生は根が魔術師だから、すぐさま魔術的な要素と結びつけてしまう思考があるらしい。
しかしこの図の意味は、そうではない。
「この図で見るべきなのは――――その位置だ」
「?」
「ラスティン。星や月は、箱のどこにある?」
「箱の…………下だな。植物の蔦の下」
「それは――――普通のことか?」
「?」
何を言われているのだろう? ラスティンが首を傾げた瞬間、シホが弾かれたように目を見開いた。
「そうか! だから『逆さまの箱』!!」
「そういうことだ」
――つまりは、こういうことである。
この箱には最初から、本来自然にあるべきものの位置とは逆の位置に、それぞれの図像が描かれていた。
天に植物を、地に星々を。
この現実ではありえないものの位置が意味するところは――『逆さま』である。
「つまりは、説明文も逆さまに――――反対に読み解けってことね」
『 指輪を欲さぬ者は 石に触れるな 』
『 指輪を欲する者は 円環を時の流れに委ねよ』
つまり、指輪を外したい場合、『指輪を欲する(欲さない)者は 円環を時の流れ(と逆)に委ねよ』ということになるはずだ。
「時の流れと逆……?」
先生は自身の指に嵌まったリングを矯めつ眇めつ眺めながらしきりに首を捻る。
「見せてください」
ミリウスはその手を取ると、同じようにリングの意匠をつぶさに観察した。
「あぁ……そういうことか」
「どういうことなの?」
先生が問いかける。
「先生はこの指輪の意匠に、おかしな変化を感じませんか?」
「?」
言われて再度先生は、指輪を調べる。
「あ…………」
「そうです。そこに『時計』が刻まれているんです」
リングには、縦方向に細かく刻まれた線上の模様があった。
一見ただの装飾、しかしよく観察すれば、その間隔は等間隔ではない。
中央の石を挟んで片側からぐるりともう片側へと向かって、徐々に間隔が狭まっていく細工だった。
「この線は、時刻を表します。線が1本は1時。次は2本で2時。線数が増えるほどに線の密度は高まり間隔は狭くなる――最終的には12時まで、つまりはこれが『時の流れ』です」
「ということは……」
自然界で、時を遡ることはできない。
けれど時計ならば、時を遡ることはできる。
つまりは――――針を動かせばいいのだ。
「針がついていないのなら――おそらくこの場合は、指輪の装着には欠かせない指、そのものが針になる……」
シホはぐるりと、その指先でリングの『時計』を反対になぞってみせた。
――カラン、と。指輪が床に落ちる。
先生はワアッと飛び跳ねてみせた。
「ありがとう! ありがとうミリウス!! おかげで助かったよ……!!」
喜びの勢いそのままに、先生は大胆にも抱きついてきた。
「ちょ……その……あの…………!」
内心では非常に嬉しいが、ほかの二人もいる手前だ。
抱き締め返すこともできなくて、ミリウスはただ呆然とされるがままになる。
こうして魔道具による、お騒がせな一日は幕を閉じたのだった。
ファビアンとラスティンが、それじゃあな、と部屋をあとにした研究室で、ミリウスとシホはひとつの指輪を眺める。
「つまりつけたいときは、この石に触れればいいんだよね?」
「そうなりますね」
試しにシホがもう一度触れると、指輪はきゅっとシホの指に合わせて小さくなった。
「便利ですね……」
「ほんとにねー」
「あれ?」
「どうしたのミリウス……」
どうやらこの指輪の効果は、一度正体を明かした人物にはもう通用しないらしい。
正しく先生を認識できている自分に、ミリウスはそう結論を出した。
「そうなんだ。じゃあ気をつけないとね」
「気をつける?」
「きみたちの前だと、知らない人のふりはできないってこと」
「それは……! やめてください」
先生が見えなくなる魔法なんて、金輪際勘弁だ。
「私だって寂しかったんだから……」
先生は口を尖らせる。
「せっかくお昼に誘ったのにさ、簡単に断られちゃって」
「!? いつの話です!?」
「今日だよ。きみがあんなに人を笑顔で突き放す人だとは知らなかった」
「それは……!!」
――それは、相手が先生じゃなかったからで。
そう口にしたいのに、言えば好きだという気持ちが漏れ出てきそうでミリウスは口をつぐんだ。
「学院を卒業しても、話しかけてもいいよーみたいなことを言っておきながら、あれだもん。……軽蔑した」
「!!?」
「嘘だよ。軽蔑なんてしない。……ただそれくらい、寂しかっただけ」
先生はまるで子供のようにコロコロと表情を変える。
「? ――待ってください、先生。その学院を卒業しても……という話は、いつどこで俺が言ったんですか?」
「あれ? 言わなかったっけ? たしかライオールの、星空の見える舞踏会場で……」
「!!!!!????」
心臓が、きゅっと握られたように時を止める。
呼吸が、ひゅっと喉の奥に詰まって唇が震えた。
「先生……いつ、それを思い出して…………」
「あれ? ちがった? そんなことを言われたような気がしたんだけど……うーん。記憶が曖昧だからなぁ……うまく思い出せない……」
「お、思い出さなくていいです! そうです! 俺がそう言いました!」
貴族や王族と、庶民の間に垣根はない。
少なくとも先生やこのクラスの皆の間ではそうだ。
「そうだ先生! お腹が空いているでしょう! 食堂に行きましょう! 今ならまだ先生の好きなメニューが残ってるかもしれませんよ!!」
先生には、いましばらくは。
あの夜の記憶は思い出さないでほしい。
思い出してもらえた瞬間、終わりを迎えてしまうかもしれないこの関係に、終止符が打たれるくらいなら。
(ずっと――――いまのままで――――……)
少なくとも、自分が、卒業するその日までは。
ただ大事なこの人と、笑い合って大切な日々を過ごしていたかった。




