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第66話 贈り物


 ライオールから帰ってしばらくしたある日のこと、ミリウスは担任教師シホに呼び止められた。


「ミリウス。今日の放課後、時間はある?」

「ええ、特に用はないですが……」


 なんだろう?

 魔術の個人授業の日は明後日である。

 突然呼び出される理由がわからず、ミリウスは戸惑った。


「放課後、寮に来て。待ってるから」


 それだけを言い残して、シホは去ってしまった。


(なんなんだ…………?)


 戸惑いとともに、ドキドキと胸が高鳴っていく。

 あり得もしない期待に高鳴る胸を必死に落ち着かせ、ミリウスは突如決まった予定に、放課後の訪れを心待ちにするのだった。






 放課後、リースター寮を訪れたミリウスは、がらんとしたサロンに佇んで、一人首を捻った。

 扉は開いていたし、ドアベルの音も聞こえていたはずだ。なのに先生の姿だけがない。


(2階か……?)


 いつも個人授業の際は2階の研究室を使っていた。

 そのときも度々、先生は他のことに集中してドアベルの音が聞こえていないこともあったから、今日もそうかもしれない。

 ミリウスは勝手ながら2階の研究室を目指すことにした。


 階段を上りきり、室内を覗く。

 書架の陰で死角の多い部屋だったが、室内を探しても先生の姿はどこにも見当たらなかった。


(留守……なんだよな?)


 ならばここでしばらく待つしかない。

 ミリウスは手持ち無沙汰に室内を見渡す。

 その部屋は至るところに先生の気配が漂っていて、ミリウスはこの部屋の空気が大好きだった。


「あ………………」


 日頃なら読みかけの魔法書が積まれている机の上に、見慣れない物を発見した。


 封筒だ。


 上質な紙で作られた品の良い封筒が、彼女の作業机の上に置かれていた。


「……………………」


 そのまだ開けられていない封蝋の印璽を目にして、ミリウスの息が詰まる。


 ――――ライオール家の紋章。


 ならばこれは、おそらくレナードからのものだろう。

 先生宛に差し出されたその封書の中身を思って、ミリウスはぐっと胸元を握り締めた。


 レナードには忠告したはずだ。

 先生を惑わし利用することは許さない、と。

 自らが伴侶にしたい相手だとも伝えた。


 ならばこれは純粋な友好の手紙で、先生もまたそれを受け取ることを承知していたということだ。

 ライオールでの別れ際、レナードが先生に手渡した指輪。

 ……あれは封蝋用の印璽だった。


 つまり先生とレナードは、互いに文を交わすことを承諾し合った間柄だということだ。

 レナードのほうの考えることは想像できるが、先生の考えがまったく読めない。

 どういうつもりであの指輪を受け取ったのだろう。


 もんもんと一通の封書のせいで頭を悩ませながらミリウスは先生を待った。






「……遅くなってごめんねー! 急な呼び出しがあったものだから」


 しばらくして部屋に駆け込んできた先生は、そう言いながらぴたりと足を止めた。


「あ、お茶飲む? 持ってこようか?」

「いえ……お構いなく」


 ミリウスの内心など露知らず、先生はいつだって元気だ。

 この胸の内のひと欠片でも先生に伝えられたらいいのに……と思うのに、そうすれば先生は逃げていくのだから、ミリウスはひとり気持ちを抱え続けるしかない。

 その甘い疼きは、幸福の証のようで、同時に報われなかった場合の痛みと恐怖を孕んでいて、手放しに喜べるものではなかった。


「ミリウス…………大丈夫? 調子が悪い?」


 暗い顔をしていたからだろう。先生がこちらを覗き込む。

 気を持ち直して明るい表情を見せて、ミリウスは笑った。


「大丈夫です。なんでもありません」


 そう言うと、


「あのねぇ、きみがそう言うときは……何かあるんだよ?」


 生徒のことなどお見通しだ、と言わんばかりに、シホはミリウスの前にずいと詰め寄る。

 そしてじっとこちらの瞳を覗き込んで――――その自分にだけ注がれる大きな瞳を見て、ミリウスは『綺麗だ』と、そう思った。


 こうして先生の気を引いたときだけ、彼女の視線を独占できる。

 その癖になってしまいそうな甘い毒に、ミリウスは慌てて顔を背けた。


「本当に……なんでもありませんから! ……大丈夫です」


 そう強く否定すれば、先生はまだ疑いの視線を残しつつも、ミリウスの意見を尊重し引いてくれた。


「ならいいけど……。何かあったなら言ってね。いつでも待ってるから」


(それが言えたなら――どんなにいいか)


 けれどその言葉に先生は、きっと応えてはくれないだろうに。


 再び疼き出した胸の痛みを心の奥底に押し込めて、ミリウスは努めて笑った。




「それで、今日は何の用だったんですか?」

「ああ、そうだった」


 先生は忘れていた、とすぐさま本来の目的に戻ってくれた。


「ふっふっふ~、あのね。ついに……完成しました!」


 その勿体をつけた発表に、ミリウスは「?」と首を傾げる。


「春に、きみに護身用のお守りをあげるという話をしていたアレが、ついに完成したのです……!」


 先生は、あちらが教師でこちらが生徒だろうに、『褒めて、褒めて!』と全身でそう言っていた。


「それは……ありがとうございます」

「遅くなっちゃってごめんねー。素材が素材だったものだから、加工に手間取っちゃって。ちゃんとしたものを贈りたかったから、加工の道具から製作してたら、すっかり秋になっちゃった」


 春にミリウスの魔術は暴走するという話をし、彼女に対策用の呪紋を施してもらってから、かれこれ3ヶ月近く経っていた。

 あのとき『きちんとした防御呪紋』を贈る、と言っていたが、それが完成したということなのだろう。


「随分手間をかけたみたいで……すみません」

「いいのいいの、私が作りたくて作ったんだから」


 先生は机の引き出しから木箱を取り出すと、その箱の蓋を開けてみせる。

 そこには紅い石のついたペンダントが入っていた。


 促されるままにペンダントを取り出す。

 王族というミリウスの立場も考慮してなのだろう。

 護符にしては装飾性の強い、人目に触れても宝飾品だと言い張れるような精巧な細工が施されていた。

 そしてほかに、護符にはミリウスが何よりも目を惹かれたある部分があった。


(先生の目と同じ――――深い紅色――――……)


 ルビーのような、深く光を閉じ込めた紅玉は、先生の大きな瞳によく似ていた。

 紅い石の中心には、裏面から文様を彫り込んだのだろうか? 深い紅色の底に、目を凝らしてもなかなか視認できないほど細かな呪紋のようなものが見えた。


「これは…………作るのは大変だったのでは……」


 自分では想像もできないが、途方もない労力が掛かっているような気がした。


「別に、好きでしたんだから。作業も楽しかったし、こちらがお礼を言いたいくらいだよ」


 生徒に気を遣わせないためなのか、本心から作業を楽しんだのか……先生ならおそらく両方なのかもしれないが、シホはやりきった誇らしげな表情でそう答えた。



「本当に……ありがとうございます」


 まさかこれほどに手を掛けた品を用意してくれるとは思わなかった。

 胸がじんと熱くなる。


「それで…………費用は…………」


 言われたままの額に、先生への謝礼を加えた分を支払う……そのつもりだった。

 が、そのミリウスの申し出に、先生はとんでもないことを口にした。


「いいよ、そんなの気にしなくて。元々貰うつもりなんてなかったし」

「けれどそれでは…………」

「本当にいいって! だって費用なんて言われても、金額なんて出せるものじゃないもの。私だって相場なんて知らない」

「…………??」


 先生が、相場を知らない?

 ではこの魔石は、購入したものではないのだろうか?


「先生、この石は…………」

「ああそれ? 竜のだよ。この間討伐した黒竜の魔核。いま手持ちの魔石で一番いい物なんだよね~」


 だから価格なんて出せない。

 そう先生はけろりと言ってのけた。



「まっ、ま、ま――――黒竜の魔核っ!!?」

「うん」


 それはつまり、この世で最も貴重な魔石の一つではないだろうか?

 討伐隊を組むためにこの世で最も優秀な魔術師を数十人用意し、何ヶ月もの間魔の森に派遣して、途方もない投資と犠牲の上に手に入る至上の魔石。

 魔物の体内から産出されるそれは、魔石の類いのなかでも特に純度が高く、通常の鉱床から得られる魔石と異なり、母体となった魔物の特性をも引き継ぐことがあるという。


 そのような特別な魔石の価値など――――――計りようがない。


 おそらくそれを売りに出せば、先生は一生遊んで暮らせるだけの額になるだろうに。

 それを砕いて、このような生徒に贈るためだけの、ただのペンダントにしてしまうとは。



 手の中の品の重みに青ざめるミリウスに、シホは首を傾げた。



「あれ…………気に入らなかった?」


「まさか……そんなことは」

「じゃあつけてみて!」


 先生は期待に満ちた眼差しでこちらを見ている。

 ミリウスは手の中のペンダントを身につけてみせた。


「やっぱり……! よかった……似合ってて」


 本当は少し不安だったのかもしれない。

 安堵した先生は弾けるような笑みを見せた。



「………………」


 ミリウスは、掬い上げたペンダントと先生の笑顔を見比べる。



 このペンダントを作る間、先生はずっと考えていたのだろうか。

 どんな形で、どんな意匠で。

 何が王族としての自分に相応しいのか。

 ずっと考え続けながら、3ヶ月もの時間をかけて――脳裏に俺の姿を思い浮かべながら、作ってくれたのだろうか。


 それを思うと、首に提げた紅玉から、じわりと胸に熱が広がっていくようだった。



「ありがとうございます。……大事に、大切にします」






          *




 シホがミリウスに護符を授けてから初めての週末。

 午後の個人授業のため研究室を訪れたミリウスは、授業の前に先生に用がある、とそう言った。


(なんだろう?)


 シホは首を傾げる。


 教材を置いてミリウスの前まで歩み寄ると、彼は恥ずかしそうに小さな箱を取り出した。


「…………?」

「これを……先生に。この間のペンダントのお礼です」


 そう言うのがやっとだとでもいうように、耳を赤くしたミリウスは、そっと手の中の小箱を差し出す。


「え……あぁ、ありがとう」


 まさかミリウスからお礼をもらえるとは。

 そんなつもりはなかったとはいえ、せっかく用意してくれた彼の気持ちを無下にするわけにもいかない。

 シホは小箱を受け取った。



 小箱には、可愛らしいリボンが掛かっていた。

 愛らしいが、少女趣味らし過ぎず。落ち着いていて品がいい――シホのことをよく考えて選ばれたリボン。


(でも、それほど高価そうなわけじゃない)


 見た目から察するに、あくまで街の店で入手できる、ちょっと品のいい店の、品のいい代物。

 貴族の学生同士が、贈り物や日常使いで使用する範囲の雑貨に思えた。


(それなら受け取っても問題はないかな……)


 あまりに高額な品ならば断るつもりだったが、これならば問題ないだろう。


「開けていい?」


 尋ねると、ミリウスは無言でこくりと頷く。

 リボンをシュルリと解くと、箱の中からは小さな髪飾りが現れた。


「綺麗…………!」


 思わず目を奪われたそれは、学生向けには十分すぎるほど落ち着きのあるいい品物だった。

 アーミントンは貴族の学生も多いからだろうか。学生向けにしては、大人がつけても全く違和感がないもので、特に土台に控えめに埋め込まれた、綺麗な空色の石が目を惹いた。


 シホの髪色まで考慮してくれたのか、たしかに自分が身につければよく映えそうだ。


「ありがとう。……つけてみていい?」

「ええ……!」


 気に入ってもらえたことがよほど嬉しかったのか、ミリウスは歓喜するように声を弾ませた。


 長年使用していた髪飾りを外して付け替える。

 先代も地味だが丈夫さがウリでそれなりに気に入ってはいたのだが、この学院で教師をするなら、これくらいのほうが適切なのだろう。

 付け替えて、くるりと回って髪飾りを見せれば、ミリウスはそれを食い入るように見つめた。


「……おかしくない?」

「まったく……! とてもよく似合っています!」


 それならば、ミリウスにわざわざ選んでもらった甲斐もあるというものだろう。

 これでミリウスが、あのペンダントを見るたびに心苦しさを感じずに済むのなら、それでいい。



「じゃあ、授業を始めましょうか」

「はい!」



 いつもと変わらない休日の個人授業。

 けれどこの日は、少しばかり違った。


 ふとした瞬間に視線を上げると、そこには驚くほど優しい視線があった。


 満足げにシホのことを見つめて、口の端に幸せを刻んだ横顔。



(受け取った甲斐はあるんだけど……)




 なんだか胸の奥が、むず痒いような気がした。




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